人間を変える、人生を変える、認知を変えるという作業がいかに難事業であるかを思い知る。自己と世界の環境を整えて生存を確保し、さらに実存への「冒険の旅」に乗り出す――。専門家でしかできない道筋が開示される。
「変化するということ」が副題。生活が危機に陥るとき、人生が行き詰まるとき、人はカウンセリングを訪れる。そこで話し合いがなされ、生活は変わり、人生が変化する。その「カウンセリングとは何か。原理を示し、その全体像を描く」――。何によって、いかなるプロセスを通じて心の変化をもたらすのか。実例を示しつつ、実に丁寧に原理と実践が示される。目の前が開かれ感動した。素晴らしい著作。
「カウンセリングとは、心の問題で苦しんでいる人に対して、心理学的に理解して、それに即して、必要な心理学的な介入を行う専門的な営みである」「カウンセリングとは、心の非常時を扱うテクノロジーである」――。
「自己ー心ー世界モデル」――。「『自己』とは自分の中の思い通りにならないもの、コントロールできないもの(身体、トラウマ記憶、衝動・無意識など)」。「『世界』というのは物理的外界とか、社会とか、他者など自分の外側にある環境」を言う。その上で「『心』とは、自己と世界の中間にあり、その間を調整する装置」。カウンセラーの重要な仕事は、自己と世界にまずは適切な対処をする(自己の脳の神経科学的バランスがおかしければ医療や投薬をする) (職場の労働環境が過酷すぎるならば勤務体制を変更させる)、その上でどうにもならない時に、心の出番がやってくるのが原則だ、と問題整理の重要性を指摘する。「なぜこの問題が起きていて、いかにすれば改善するか。カウンセリングの中核にあるのはアセスメントである。心が変化するための土台になるのは『理解』、理解することの力」と言う。
生活と人生----。「心には生活と人生という2つの次元があり、カウンセリングにはこの両方の苦悩が持ち込まれる」――。
生活は物理的で身体的で経済的。「『作戦会議としてのカウンセリング』は、生活を立て直し、生存を確保するためにある。現実を動かすために、作戦会議はあり、生活の破局度が高い人に向けて行われる」ことがが示される。まず身体----医療、休養、運動と生活リズムを共に考え進める。お金の不安は根源的で、経済的な見通しがなくなるとき、人は深く脅かされる。その支援を共に考え動く。「世界を動かす」――職場の環境を変え、ケアを増量するなど・・・・・・。「破局を生き延びる」ことの重要性、生活の再建、生存を可能にする変化をもたらすことだ。
次に、「冒険としてのカウンセリング」だ。目の前の問題は解決し、生活は成り立っているが、いよいよ本当の問題が残る。それは「実存の問題」「人生の問題」だ。日本社会は、70年代から90年代、経済的に豊かで比較的安定、生存がある程度保障され、「心の時代」が求められた。しかし2000年代以降、経済の停滞や格差の拡大によって、人々の生存は脅かされやすくなった。心を取り巻く日本社会の状況は、「実存から生存へ」へ変わったと指摘する。何か逆流のような気がするが、実際に現在、「作戦会議としてのカウンセリング」が主流になっていると言う。
しかし、「実存は生存を前提としている」「生存は時に実存を犠牲にする」のであり、「生活を守ることで人生が死んでしまうことがある」のであり、人生が死んでしまったではどうしようもないのだ。
そこで、「冒険としてのカウンセリング」が登場する。それは、「心を動揺させる。生き延びるために硬化していた鎧を揺り動かす。そうすることで、よく見えなくなっていた自分の中を冒険し、生きてこなかった自分に出会っていく。心の部分を生き直す。実存的な問いに取り組むことになる」・・・・・・。
ここで、実例として「ハルカさんの冒険(①インテーク面接篇②生育歴インタビュー篇③契約面接篇④晴れの船出 最初の3ヶ月、2年目まで、3年目、その後)が示され、母親との関係の根深い問題が剔抉されていく。粘りと我慢の長時間。凄まじい粘り強い専門のカウンセリングによって、心の深い部分が変化していくことが示される。プロでなければできない聞き続ける、対話し続ける専門家の姿勢に驚嘆する。「古い物語を終わらせ、新しい物語を始める」ために心を揺らす。破局しないように高度に防衛されているユーザーの心を揺らし、意図的に破局を持ち込もうという高度なカウンセラーの専門技だ。
カウンセリングの「終わり」の難しさも伝わってくる。「僕がカウンセリングの中核に見出したのは『破局を生き延びること』である」「いかに生きるかは、いかに生き延びるかを通じて変化していく。ですから生存と実存、生活と人生は絡み合っている。これがカウンセリングから見える人間が生きることです」と言う。そして、「人間は物語の不在に耐えられない。その時、『個人』という小さな文学は、踏みにじられやすくなる」「心の変化には、科学的な次元もあるし、文学的な次元もある。この両方を生きるのが、人間である」と結んでいる。
そして勇気----。「ここに、時々勇気が現れる。・・・・・・彼を動かしていたのは勇気です。突如、運命に対して受動的であった人間が能動性を発揮し始めている。勇気は、人を個人にする。勇気は周囲の人に元気をもたらす。勇気は不思議です」と言っている。確かにそうだ。素晴らしい著作に出会った。
「<わたしの人生>を遊びなおすために」が副題。「あらゆるところで『物語』がもてはやされている」「清涼飲料水のCMを眺めていると、『青春』のイメージ――光る汗、友情、焦燥感、夏――がドラマティックで感動的な話として語られるし、就職活動の面接ではガクチカや挫折体験が語られることを要求される」「『推し』は、ファンの期待した筋書き通りに振る舞う」――何かがおかしい。「人生を解釈しすぎる」し、「考察する若者たち」「解釈したい。正解を求めたい。タイパ・コスパ、倍速で観る若者たち」が増えている。情報氾濫の喧騒の社会はSNSで急加速している。「人生はかくあるべきだ」という押し付けに抗う「次世代の哲学」を溢れるような思考実験で吐露する。
「人生は物語ではない」。もっと定型の軛を脱して自由自在に生きること、そのためには、どんな思考実験ができるか。「人は物語が好きだ。他人を理解することで気持ちが良くなり、決めつけ間違う」「誤解を生んでしまう『自分語り』」「私たちは、自己語りや他人語りにおいて、物語から離れて、不可解なまま存在する相手を尊重する新しい倫理的態度を作り出さなければならない」「感情的だという批判をする人こそ、実は感情的」・・・・・・。要は、物語は自己理解や世界理解のヒントになり、楽しませてくれるが、「物語に呑み込まれないように」と指摘。「その一方で、私たちの周囲では、無数の開かれていない世界の扉が待っている」と言っている。
そこで、本書は「物語的主体のオルタナティブ」を探る。物語以外にも様々な理解の可能性、「物語から遊びへ」だ。その指摘する遊びは「ゲーム」「パズル」「ギャンブル」「おもちゃ」の4つで、遊びから人類を考える。「様々な遊びの『世界』を旅して回ってくれたらこれ以上の喜びはない」と結んでいる。
「ゲーム」――。ニーチェは「抵抗を克服する活動を愛するような、力への意志を発揮することそのものに幸福を見出すゲーム」を勧めた。「我々は常にプレイヤーでありながら、同時にデザイナーでもある。人生と社会を編み直しリデザインする、抵抗のための重要なメタファーとなるのだ」と言う。
「パズル」――。人間には、生まれつき謎き明かしたい、複雑な問題に取り組みたいという欲求(パズル本能)がある。解き明かした「ハッとする」瞬間の快感。「パズル的理解は『正解がただ1つある』という前提を維持することで、情報の中で溺れることをも楽しむ、じりじりとした探索感と『思いつき』のカタルシスを生み出す」と言う。「考察や陰謀論」――人間は、どうしてもスッキリしたい生き物なので、陰謀論にはまる。だが「わからなさを積極的に味わう能力、じりじりを美的経験として味わう能力を育て得るところに、物語的な世界理解のオルタナティブがある」と指摘している。
「ギャンブル」――。真のギャンブラーが欲しいのは「お金」ではない。リスクに身を投げ入れるスリル、退屈からの離脱、人生の切断、「貨幣の崇高」の解体である。
「おもちゃ」――。最もプリミティブな遊び、何かをただ「おもちゃ化」して楽しむ姿勢がおもちゃ遊び。残酷とも言えるし、創造的とも言える「おもちゃ的生き方」の可能性。「おもちゃ遊び」と「世界の旅」はよく似ている。どちらも偶然を受け入れ、愛し、自分がおもちゃになることを楽しみ、軽やかであると言い、「『大人』こそ、遊び心に満ちた『世界』を旅することを試みなければならない」と言う。
「人生を自在に生きる」ことを思考した若き美学者のチャレンジングな哲学的論考。頭が振り回された。
