時は平安前期。藤原氏が伴氏(大伴氏)を追い落とした応天門の変の後。舞台は那ノ津(博多)、平戸、値嘉ノ浦(五島列島)から壱岐、対馬にかけての西海。金波銀波の裏には、海賊、商人、官人などが入り乱れての熾烈な生死をかけた戦いが繰り広げられていた。
海神の生贄となる巫女の少女・由良。由良が目撃した海賊に襲われた商人船から海に投げ出された巨大な櫃、その中にいた安曇福雄。多くの巫女を売り買いする巫女船の船長・赤名。船を襲い強奪することを生業とする島嶼の輩で高島の郷の頭目・宗継、年麻呂。西国九国ニ島の要・太宰府の少弍の在原安貞に仕える女官・伴真平、新しい少弍・元利麻呂。越智貞厚と新羅商人・王礼・・・・・・。海神の生贄を売る船が徘徊するとは尋常ではないが、新羅をはじめ通商が盛んに行われ、海賊が跋扈する荒々しい時代風景が生々しく描き出される。
そのなかで印象的なのは海、そして過酷な運命であるだけに貫かれる一筋の愛と忠誠心だ。「あー、そうか。不条理でままにならず、世の道理に合わぬあの船は海そのものだ。自分は、海のただ中に育ち、暮らしていたのだと、由良は唐突に理解した」「結局人の世では、不条理は柔らかな言葉や美しい衣で覆い隠され、目に見えづらいだけであった。それに比べれば、海の上は何もかもがむき出しで、善も悪も全てがごちゃまぜに刈り取られてゆくものであった。ならば、自分は偽りのない海を選ぶと由良は思った」・・・・・・。そして一筋の愛と忠誠心。高島の頭目・宗継のために体を張って生きる年麻呂。在原安貞にひたすら仕える真平。駆け落ちする香久女と僧の元昌。「年麻呂、真平、そして香久女。誰かを大切に思うあり方は、それぞれあまりに異なりすぎた。・・・・・・何かを願うとはこれほどに痛みを伴うものなのか。彼らのひたむきさが、強靭さが由良には恐ろしくすら思われた」・・・・・・。
澤田瞳子作品の中では、今までと違った荒々しい世界、そして千変万化する海を描いた力作。
「ふつうが一番」と思うが、外から見て「ふつう」でも、いろいろあるものだ。いろいろあっても、互いが相手を大事に思い合っている、根っこに家族愛があることが大事だとしみじみ思わせる良い小説。
湘南の地にある一戸建てに住む桜石和則と冴子のアラ還夫婦。そこに社会人の息子・海と大学生の娘・舞花が帰省する。100年に1度と言われる巨大台風が襲来、大雨特別警報など特別警報が軒並み出る。そんな緊迫した夜、「ふつうの家族」に突如現れたのは、びしょ濡れの正体不明の若い男。高熱を出して、倒れ込んだ男は家族の誰かが引き入れたに違いないが、誰が何のために入れたのか。疑心暗鬼の中で、停電となるが・・・・・・。
一見、幸せそうな「ふつうの家族」だが、実はそれぞれが人に言えない秘密や悩みを抱えていた。それが正体不明な若者と嵐の夜、停電の中で炙り出されていく。電気メーカー勤務の元部長のエリートの父・和則ーーしかし昭和のモーレツ社員、パワハラまがいの指導性で這い上がってきたが、大学時代の親友・ 弘中の自殺でショックを受け、今は窓際となっていた。
妻の冴子ーー広告代理店のやり手だったが、今は専業主婦。郷里・香川時代の昔の恋人・邦夫から最近メールが入るようになっていた。社会人3年目の海――鉄道の一流企業をやめ、何度も転職したが、今は無職で金がない。もちろん家族には言ってない。大学3年生の舞花――ずっと体操に打ち込んできたが、膝を痛めて、今は愛好会に所属。その友達・悠とルームシェア、愛をささやかれている。もちろん家族は知らないことだ。
描かれるのは、昭和のモーレツ社員と「ワークよりライフを重んじる」令和の若者との世代ギャップ。「うへぇ、昭和の男はいいよなぁ。現役の間は会社にだけ行ってればいいんだもん。令和の男はつらいよ、仕事も家事も育児も、同時進行で全部完璧にこなしてこそ一人前――こんなんじゃぁ結婚に夢なんて持てねえよ」・・・・・・。
突如飛び込んできた正体不明の若い男だったが・・・・・・。4人とも、どこかで会ったような気がしてくる。そしてその正体は・・・・・・。「ふつうの家族」の有り難さがじわっと浮き彫りにされてくる・・・・・・。
とても良い小説。
「ルッキズムの科学」が副題。見た目で人を評価・差別するすることを揶揄する言葉の「ルッキズム」。外見主義、外見至上主義とも訳されるが、SNSなどメディア環境の変化、人権意識の高まりなどから、自分や他人の見た目を気にする意識は高まっているようだ。どうしても人は無自覚にルッキズムに陥りがちとなるが、容姿が人生を左右する残酷な現実を前に、どうすれば「見た目」の呪縛から逃れられるのか。顔研究の第一人者が、「顔に注目するのは人の性」で厄介なものだが、「外見を持つ人々の中身(心)のメカニズムの理解」の必要性を説き、「『見た目』ではなく、『見る目』を変えよう」とアドバイスする。
「見た目」の裏には、進化の過程で刻まれた生存本能と、発達の過程で学習する顔認知のメカニズムがある。ヒト以外の動物では表情は単純で、全身で表現する。人は顔で感情的なつながりを持つ。覆面をした人を目の前にすれば、「怖い!」という原始的な感情が湧き上がる。
この顔の学習は「生後7ヶ月」から劇的に始まると言う。生存本能に由来する。「人は600人程度の顔を、その名と共に思い出せる。芸能人やスポーツ選手や有名人を含め、4240人の顔を名前は思い出せなくても知っていると認識できる」と調査結果を示し、さらにネットの発達から現代人はさらに増加していると言う。そして、「似顔絵の極意は配置にあり」と、目・鼻・口の特徴ではなく、顔全体を覚えていると言う。
「異性にモテる魅力は、自分の遺伝子を残すための武器となる」「ひとつの基準で見る欧米人、全体で見る東アジア人」「『見返り美人』は成立しない」「『かわいい』好きは日本の特徴(未熟さやあどけなさを魅力とし、甘えを許す日本の文化」「顎から男女を区別するイギリス人、顎と眉で区別する日本人」・・・・・・。
「顔研究と『優生思想』の危うい関係」――。「区別と差別は違う」「顔研究は常に差別と隣り合っている。過去の研究を常に反省しながら、歴史の痛みを知りつつ研究するのが顔研究の醍醐味」「先入観は間違うことが多い。私たちは、顔から性格を当てるのではなく、印象を当てようとする。性格は決定的なものだが、印象は変わりゆくもの」と言う。
「セルフイメージと『自意識』による囚われ」――。「公的自己意識と私的自己意識」「醜形恐怖症と摂食障害」「美しさの評価には揺らぎがある」「顔に眉があるのは生物の中でヒトだけ。眉は表情を作り上げ、感情を伝染させる効果的働き」・・・・・・。ないものねだりせずに自分の能力を把握し、現状から出発する。欠点をカバーし、長所を生かすことの大切さを言っている。
そして「見た目」ではなく、「見る目」の大事なこと、動きのある表情などの重要さを指摘している。人とのコミュニケーション、「動いている顔」が大事だと言うのはよくわかる。
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