山崎正和さんの知性と教養と行動がいかに多くの人々に影響を与えたか。多くの人の共鳴盤を鳴らし、今も自由闊達に活躍しているか。私も大事だと思う時にはお訪ねし、お願いもし、何とも楽しい幸福な時間をもった一人だ。深いつながりをもった60名を超える方々が、「それぞれの山崎正和」を語っている。中身はきわめて濃い。
「山崎さんは日本が生んだ『知の巨人』であり、人間とは何かを問い続けた生涯。・・・・・・ピポクラテスが言いたかったのは、医術は人間の身体を癒やす技術であるが、それは人間の生命に対する畏敬の念に支えられていなければならないということだ(高階秀爾氏)」「他者とどう共に生きるか――。『柔らかい個人主義の誕生』ではポスト産業社会の処方箋として個人のあり方が示唆されるが、人間関係の変容から20年後の『社交する人間』は生まれるべくして生まれた作品である(張鏡)」「どんな上演であっても、劇作家の想像力の中の舞台には及ばなかったのかも知れない。先生は今、論理の帆柱に言葉の帆を掲げ、想像力の海を越えて理想の上演に向かって颯爽と航出したのではないか(堤春恵)」「三島と山崎正和。三島はどこまで行ってもひとり芝居。山崎の芝居は登場人物は勝手で自由でわがまま。それは儚く頼りなげで、無常ということに帰着する(片山杜秀)」「世界はその根底のところで無常と知りながら、私たちはなおどのようにして積極的な行動を起こせるであろうか(藤田三男)」「明治の偉大なる父・鴎外の青春は日本の青春と重なった。ここにはのちの日本で次第に失われてゆく国家と私の幸福な一体感があった。漱石にはもうその一体化が出来ず不安におちいった。荷風にはそもそも、もう公の意識がなかった。公が減じたぶん私が揺れ動く。その不安から『不機嫌』が生まれてくる(川本三郎)」「山崎の生涯を通じて、"反政治"や"半政治"の態度は見られず、"汎政治"を面白がる精神に貫かれていた(御厨貴)」「この教養というのが、まさに山崎先生の重要な論点だった。さきの『歴史の真実と政治の正義』は歴史と政治の問題以外に、現代における教養の難しさについて重要な論考を含んでいる。・・・・・・記憶よりも記録の方が重要であることについて絶対に譲歩してはならない(北岡伸一)」「多元性の統一を求めた"文化制度設計者"。反知性主義の台頭、ネット・メディアの台頭で、日々弱体化していくジャーナリズム(鹿島茂)」「山崎先生はファナティシズム(狂信)に非常に嫌悪感をもっていらっしゃった。高坂先生はもっと強かったと思う。人間が理性を忘れて暴走したときの怖さ・・・・・・。山崎先生が亡くなられたということで、専門を越えて人と人をつなげて、柔らかい形での教養、知性というものを洗練した形で大切にする文化が学術の世界ではますます疎外され・・・・・・(細谷雄一)」「学と芸を架橋する人材を育てる。『何を食べるかではない、誰と食べるかが重要だ(モンテーニュ)』と答える(猪木武徳)」・・・・・・。まさに珠玉の「それぞれの山崎正和」。
「米中の狭間で日本はどう生きるか」「アメリカを覆う『分断』の歴史的背景、中国の積極的な対外進出の裏側にある『焦り』の正体、そしてこれからの日本の展望」をテーマに、両氏が自由に鋭角的に対談をしている。「バイデンの協調路線と習近平の一帯一路構想、そして安倍総理の自由で開かれたインド太平洋」の底流を抉る。
「アメリカについて考える」――。「トランプが去ってもポスト・トランプの時代は来ない」「連邦派と州権派の対立はコミュニタリアン対リバタリアンの図式。コミュニタリアンは"平等"を重視し、公権力が介入して私権を部分的に制約することで国民の安寧を実現するサンダースやマイケル・サンデル。対する自分のことは自分でやり、公権力の命令に従わない代わりに庇護も求めないリバタリアン、自由を追求する自分ファーストのトランプ等。自分の金を税金でもってゆかれて、誰か知らない貧乏人に再分配されるなど受け入れ難い」「アメリカの最大の魅力は社会的流動性の高さ。根っこにはアメリカン・ドリームがあり、"俺は一人でも戦う"という西部劇はリバタリアン賛美の物語」「台湾、香港、ウイグル等の核心的なことについては米中ともに譲れない」・・・・・・。
「中国について考える」――。「中国はなぜ"人民共和国"か――中国には55の少数民族がいて、その総人口1億2500万人。人種も宗教も言語も漢民族とは違う。日本には少数民族の問題という視点がメディアも含めて出て来ない」「2000年前から中国の辺境は全部ある意味で1国2制度でやってきた」「結局、民族自決ではなく、民族"自治"という名の下で少数民族との共存を謳いながら、抑圧方向に進んできた」「ふたつの"帝国"がぶつかる新疆ウイグル」・・・・・・。
「"新冷戦"の時代に世界はどう動くか」――。「AI軍拡が核を無効化する(現代の兵器のすべてがコンピュータ・システムでコントロールされている)」「地政学から見た"一帯一路"と"自由で開かれたインド太平洋"のインパクト」「米・中・日・韓などとひとつの単体で見るのはやめよう」・・・・・・。そして、「失われた『国家理性』のリアリズム」「ポピュリズム的な世論形成が『国家理性』のリアリズムを曇らせてしまった」「国民感情は国家理性とは対極にあり、威勢のいい話にどうしても流れる」「米中対立の中で日韓は連携できるか。もう一度、日韓合意を実行する大胆な政治的決断を」「政治家は世論を背景にしなけれないけないが、同時に世論に抗ってでも、国益で見据えた国家理性に拠る政策を身を挺して断行すべき」「コロナ禍を通じて、日本が中規模国家構想に向けて動き始める出発点に」という。
病院で入院中の4人の子どもたちが死傷(2人死亡)する点滴死傷事件が起きる。点滴にインスリンが混入されたという。305号室は4人部屋。急性系球体腎炎で入院していた小南紗奈の母親・野々花が逮捕される。野々花はいったん犯行を自白するが、その後無罪を主張。人権派の有名な弁護士・貴島義郎が弁護を担当。その下にいた同期の桝田から若手弁護士の伊豆原は、弁護団に加わることを誘われる。調べを進めるうちに伊豆原は弁護の中心となっていく。
「野々花が無罪であると、100%信じているか。今の自分はまだ、野々花の周りにある霧を払い切れてない」「弁護人が100%信じていないなら、無罪判決など到底勝ち取れない」・・・・・・。そして検事から「もし万が一、冤罪が生まれるとするなら、それはほかでもない、君ら弁護人に100%その責がある。君ら弁護人だけが被告人を守る役目を促されているからだ」とまでいわれるのだ。
野々花と入院中の他の親との感情の衝突や、看護師の間での人間関係のもつれ、点滴にインスリンを混入される時間はあったのか。野々花は自分の娘を被害者とすることで自分が疑われることから逃れようとしたのか。野々花は検察が持ち出した代理ミュンヒハウゼン症候群なのか。警部補の尋問に強引さがあったのではないか・・・・・・。伊豆原は丁寧に丁寧に調べ続け、野々花の娘・由惟や紗奈にも暖かな目を注いでいく。そして霧をはらい、「無罪」を確信していくのだった。
事件の解明という表層の底で、弁護士はどう感情をつかみ、戦略を組み上げていくか。公判での弁護士の姿を扱う通常のドラマではなく、公判前手続などがいかに行われていくか。調査がいかに大変な作業か。弁護士の信念とゆらぎ、さらに生活にまでキメ細かく描いた法廷サスペンス。霧は濃霧を突き抜けて晴れるようだ。
「失踪60年――伝説の作戦参謀の謎を追う」が副題。私が小学校低学年の頃、親父から「潜行三千里」の辻政信の話をよく聞いた。そして参院選全国区で上位当選をして話題になったこと、さらに昭和36年、謎の失踪をしたことをよく覚えている。多くの調査・書籍があるが、改めて今、辻政信の真実に迫る本書は、なぜか新鮮。かつ、あの昭和の戦争の現場が、辻政信の生きざまを通じて蘇える。
「作戦の神様」とも「悪魔の参謀」ともいわれ善悪評価が二分される辻政信。ノモンハン事件やマレー作戦などを主導した伝説の作戦参謀・辻政信は1902年(明治35年)、石川県江沼郡東谷奥村今立という寒村に生まれる。山中温泉に近い、今の加賀市今立地区だ。貧しい炭焼きの子だった。優秀さと頑強な身体をもったが、何よりも真面目、真剣、反骨、貧しさを乗り越える家族の期待を一身に担っての精神的骨格、負けじ魂が備わったようだ。1917年、名古屋陸軍地方幼年学校に入学、1920年に首席で卒業、陸軍士官学校本科も首席で卒業。1924年には陸軍少尉となる。1939年、ノモンハン事件を作戦参謀として主導、1941年、太平洋戦争開戦時のマレー作戦を参謀として主導、フィリピン戦線、ガダルカナル奪還にも常に砲弾をくぐり抜ける前線に立つ。1945年終戦、バンコクを脱出し、まさに潜行三千里。1950年戦犯指定解除後、1952年には衆院選石川一区で当選。4期当選し、1959年参院全国区で3位当選。1961年、東南アジアへ視察旅行、ラオスで消息を絶つ。
「超人的な気力と体力と研鑽」「兵士たちをいたわり、その尊敬は絶大」「石原莞爾の日満漢蒙鮮の五族協和、道義思想、東亜連盟思想に感銘」「それに反して好戦的姿勢で、ノモンハンで独断専行」「関東軍を引っ張る最年少参謀」「タムスク爆撃でも最前線」「マレー作戦で作戦の神様」「フィリピン戦線、ガダルカナルの死闘」「ビルマ戦線」「終戦、一人で大陸にもぐり、アジアの中に民族の再建を図ろうと、大陸に潜ろうと決意」「政界という戦場――。兼六園での3万人講演会」「兄ともいう存在の服部卓四郎の死」「理想は妥協してはいけないが、手段は妥協しろ」「池田首相の訪米のための情報収集――。ラオスの内線が米ソの代理戦争であり、世界戦争に拡大することが懸念され、ラオスの中立化や南北ベトナム統一の可能性を探るため、ホー・チ・ミン大統領との会談をめざす。説得することを目的とする」「東南アジアで戦没した将兵の回向も」「戦いは敗けたと感じたものが、敗けたのである」「危険が来たら、それを避けずに、逃げないで死神に体当たりする。それが信念だ」・・・・・・。死を覚悟しての「冥土の旅」であったのか。
「陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」が副題。広島市の宇品には、かつて「暁部隊」と呼ばれた陸軍船舶司令部が置かれ、軍事で最も重要である兵站を担った。歴史上でも大本営の発する戦略や陸海軍の戦闘は目立つが、この最重要の兵站が日本では軽視されていた。戦う陸軍兵の海上輸送ができなければ「戦い」にはならない。その黙々たる「隠れた力」を支えようとした輸送基地・宇品港、そして現場の苦悩を、奥歯をかみしめつつも諫言した司令官や結束する宇品の男たちの懊悩する魂を描く。司令官の田尻昌次、佐伯文郎、篠原優、そして技師・市原健造らの魂の決断と行動を膨大な文献を丹念に調べ上げた傑作。無謀な太平洋戦争の悲惨をドスンと心奥に叩き込まれる。ゆえに宇品は海軍ではなく陸軍、そして軍都・広島は8.6に原爆を落とされる。重い。
あの戦争で日本は「ナントカナル」で突き進んだ。満洲事変、日中戦争、その泥沼化、資源を求め打開しようとした南進、真珠湾。そしてミッドウェー、ガダルカナル、フィリピン、硫黄島、沖縄と次々に打ち砕かれ、本土へと追い込まれる。その現実をまざまざと真っ先に突き付けられたのが、兵站を担う宇品の陸軍船舶司令部であった。上海上陸を果たそうとする死を賭けた「七了口奇襲戦」。ガ島の"飢死"、生きるため善悪を越える極限状況に追い詰められる兵士。船が撃沈されても新しい船の建造ができない国内の物資不足・鉄鋼不足。最後には輸送からベニヤの船での特攻へと突き進む。大本営の精神論、楽観論と、現場の悲劇的現実。そして8.6――。宇品の男たちは、救出に死に物狂いで働いたという。しかも直言した田尻らは更迭されたという事実。
胸が締め付けられるが、常に立ち上がる重い課題に、リーダーはどう決断し、行動するかを、重く考えさせられる。常に、そして今も歴史を踏まえて考えることを忘れてはならない。