信長研究、本能寺の変の真実――。歴史は勝者の歴史となりがちだが、信長、光秀と本能寺の変は、学際的研究も小説・ドラマでも語り尽くされている感がある。しかし、本書はきわめて面白い。歴史の事象、事件を追うというより、信長の内面、それを取り巻く佐久間信盛、林秀貞、柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、羽柴秀吉、明智光秀らの信長に対する恐怖、不安、懊悩の内面を徹底して描く。裏切る松永弾正や荒木村重の虚無・意地等の心象はド迫力で迫ってくる。武将の働き方についての「1:3:1の蟻の法則」。「武将をも所詮は虫けらとしか見ぬ信長への恐怖と絶望」「神仏を否定しても存在する森羅万象の法」「異次元の信長の思考と及ばぬ家臣の距離」‥‥‥。考えさせられること多き力作。
さて「信長」と「本能寺の変」――。「怨恨説」「野望説」「長宗我部征伐阻止、土岐氏存続説」「信長の家康殺害計画と光秀・家康同盟説」「唐入り阻止説」など、数多くの説があるが、本書では信長に追い詰められていく光秀の内面がぐいぐい描かれる。「頼りとする斎藤利三への切腹命令」「家康殺害の密命と領地替え」「長宗我部征伐」‥‥‥。「ときは今 あめが下しる 五月哉」は「下なる」との解釈同様、五月雨の情景を詠んだもので、謀反の意味はないとしているが、利三、秀満は備前の諺「一人ならば心安んじ、二人ならまだ良し。三、四人は穏やかならず。五人にては、まず洩れ落ち候」によって、「外に洩れ出ることは必定」と「決起するしかない」と腹を決める。
「心の病がリーダーを強くする」が副題。「危機の時代にあっては、精神的に正常なリーダーよりも精神的に病んだリーダーの指揮の下にあるほうが私たちはうまくやっていける」「典型的な平時のリーダーは理想主義的で、世の中や自分に幾分楽観的にすぎ、苦しみや痛みに鈍感であり、つらい経験をしたことがない」「危機の時代の偉大なリーダーは、たいてい優れた知性をもち、身体的に健康を損なっていることが多い。生い立ちは恵まれているが、葛藤に満ちた家庭状況・・・・・・パーソナリティ特性と生い立ちの状況は、躁病やうつ病のような精神疾患、あるいは気分高揚性のような異常な気質とも相関が認められる」「彼らの弱さこそが彼らの強さの秘密なのだ」という。時代の危機と格闘した偉大なリーダーの精神分析に踏み込む。しかもホモクリット(平凡人)がリーダーであれ、一般大衆であれ、大失敗をすることを示すことにより、精神疾患をもつ人への偏見を寛容に変えるという人間学の変更をも志向する。きわめて大胆、ユニークで興味深い。
例えばケネディ。アディソン病に長期間苦しみ、一方では気分高揚性の気質(豊富なエネルギー、性欲亢進、仕事への熱中、社交性、危険を冒すこと)をもつ。連日のように薬づけ、ステロイドづけ。ケネディ大統領在任1000日の後半、医師団が理に適ったステロイド乱用を抑え込み、弱々しい前半のケネディではなく輝かしい成果をあげた。また、ヒトラーはかなり重い双極性障害をもっていた。「1937年までの間は障害はよい方向に作用し、カリスマ性、不屈の態度、独創性を高める方向に作用したが、それ以降、連日の静脈内注射によるアンフェタミン投与のせいで躁とうつのエピソードがひどくなり、リーダーとしての能力が損われた」という。さらにチャーチルの重篤な反復性のうつ病(気難しく、攻撃的、自信の絶頂にいるか、ひどいうつの底にいるか)、リンカンの重いうつ病(うつは、現実的なものの見方と共感能力を彼に授けた)、ガンディーやキングのうつ病と共感能力の強い結び付き・・・・・・。
「ネガティブな面や危険性も十分認識したうえで、精神疾患というものが人類の最高の特質の証拠でもあることを人々が理解するようになっていくだろう」と著者はいい、訳者の村井氏は本書の意義と試みを認めつつ「疾患のもつ偉大な力を強調しすぎることは・・・・・・狂気に対しての落とし穴もある」「双極性障害とうつ病を同列にみている点にも日本の精神科医は違和感をもつ方も多いだろう」という。しかし、いずれにしても面白い刺激的な書だ。
なんとも奇妙、荒唐無稽な物語。しかし、なぜか心持良いのは、主人公・朝霧夕霞が元気で優しい、情に厚く、突っ込んでいく魅力ある女性であるということ。こういう女性はたしかに居る。
就職に失敗し続けていた夕霞が国土交通省の臨時職員募集の貼紙を見つけ、採用されたのが、国土交通省国土政策局の「幽冥推進課」。ここの仕事は、道路、橋、都市などインフラ整備にあたって、「この世に未練があって、土地や建物から離れられなくなっている地縛霊を説得し成仏させること」だという。職員も辻神課長、火車先輩、百々目鬼女史しかおらず、皆妖怪。つまり夕霞は初の人間職員だ。
1章ではビルの屋上から飛び降りた無名のアイドル藍田ミサ、2章では長期出張を終え自宅へ車で帰る際、トンネルから無灯火で出てきたトラックと正面衝突した山田篤弘、3章では150年前の慶応年間、橋を守るための人柱となった少女(姫)――。いずれも未練を残してその地から離れられないでいる。
夕霞はそれに体当たりで挑むのだ。
ネット社会の急進展は、社会も人間も変質させている。たしかに便利ではある。しかし、デジタルテクノロジーの進化はめざましく、私たちの生活に介入し、いつの間にか多くの個人情報が集積され、「世論は操作」され、「いいね!は悪用」され、「偽ニュースに誘導」され、危険にさらされるという。「イギリスのEU離脱」や「アメリカ大統領選」でも現実にそうした動きが顕わとなった。世論がより操作される時代になったのだ。「世の中のデジタル革命に対する用意が不足している」「ネット上のニュースで何が本当で何が偽ニュースであるのか、見分けるためのメディアリテラシーの教育が必要になってくる」「ここ数年(2014年のウクライナ危機)の異変に気付け」「個人データが収集されてビッグデータとして売られ、"換金化される"ネット資本主義が民主主義を、人と人との関係を変形させていることに注意せよ」「一番の防衛は無視することだが、簡単なことではない」・・・・・・。生々しい現実が報告され、「操作される世論と民主主義(本書の副題)」への警告が発せられる。
「ビッグデータは監視し、予測し、差別する」「データブローカーという新しい産業」「ソーシャルメディアから流出する膨大な個人データ」「ビッグデータとアルゴリズムを応用したデジタル資本主義のもとでは、顧客ごとの価格が設定される(定価がなくなる)」「IoTは監視機器でもある」「『心理分析』データを使った選挙広告キャンペーン」「迷っているスイングボーター有権者を取り込む戦略」「小グループへの個別広告(マイクロターゲット広告)」「背後にいる天才プログラマーの富豪(ロバート・マーサー)」「ソーシャルメディアは敵か、味方か」「ツイッターとボット」「ロシアのサイバー作戦が欧米のポピュリズムを扇動する」「IoTで高まるハッキングの脅威」「ポスト冷戦時代はサイバー戦争時代」「デジタル時代の民主主義と国民投票」「ネット利用者が一般化するなか、ネット社会には"異なる事実"が存在することを認識せよ」「厳しいドイツのヘイトスピーチ法」「拡散した流言飛語は人道危機に発展」・・・・・・。
「捏造され、誘導され、分断される」時代の危険性と脆弱性を真剣に考えなければならない。
吉宗や大岡越前をも巻き込んだ"辰巳屋一件""辰巳家疑獄"――。大坂の炭問屋・木津屋の吉兵衛のもとに、兄が急死したとの訃報が伝えられる。放蕩三昧であった吉兵衛が生家の辰巳屋に戻り、葬儀をはじめとして実家をまとめようとするが、兄の養子・乙之助を操り、やりたい放題の大番頭・与兵衛の大反撃にあう。事態は相続争いに発展。自ら逃げ出したはずの乙之助が、なんと奉行所に訴状を出す。裏には与兵衛、さらに泉州の廻船問屋・唐金屋与茂作(乙之助の父)がいた。大坂の奉行所では当然ながら訴状は退けられたものの、次には江戸の御箱にまで訴えを投げ入れる。江戸の将軍・吉宗や大岡越前守忠相をも巻き込む騒動になるが、牢に入れられた吉兵衛は頑として罪を認めない。
「一町家の跡目争いが、何でここまで大事になってますのや」「町人風情の跡目争いで、何ゆえお武家様が命を落とさんとなりまへんのや」――。「大坂」対「江戸」、「銀」と「金」の貨幣の競り合い、吉宗の治世と賄賂、「大坂」対「泉州」など、背景には時代そのものの構造が投影され、各人の思惑が交錯する。凄惨きわまりない酷い仕打ちを受けながら、妥協もしない、屈しない、信念をいささかも曲げない吉兵衛だが、「何故に強情にそんなに頑張ったのか」「悪玉とは何か」「どれだけの人の人生を不幸に巻き込んだかが悪党の度合いか」等々の哲学的問いも漂い、迫力ある小説となっている。