社会は変えられる.jpg人生100年時代、社会保障制度、財政等の問題は、60歳までの1周目ではなく、2周目の人生をどう生きるかだ――。

本来、喜ぶべき長寿社会。しかし、超高齢社会を迎える今、社会保障制度は危機的状況にあり、日本の財政をつぶすことになる。「私たちは何を間違えているのか――高齢化は対策すべき課題なのか」「何を守り、何を変えるべきか――日本の国民皆保険は奇跡の制度」「私たちは何に対応しなければならないのか――疾患の性質変化を踏まえて」「何を実現すべきなのか――役割と生きがいを持ち続けられる社会へ」と、問題の本質を問い直す。65歳以上が高齢者で、支えられる存在であり、余生・老後であるのではない。60歳還暦までが1周目とすると100歳、120歳までが2周目の人生。時代に合わない制度や"常識"を変えよ。「社会は変えられる!」「今のままでは船が沈む」という提案は迫力がある。

数々のデータがベースとなっている。「高齢化率は高まるが、高齢者は増加しない。高齢化の進展は若い世代の減少にある」「人口遷移を見ると、明治維新から若い世代中心の19世紀型で安定。今後は高齢者が一定割合の21世紀型で安定。大変化をした戦後から今までの20世紀型。この人口構造上最も有利な時に作られたのが現在の社会保障制度」「これまでの医療は感染症対策、しかし今後は"食べ過ぎ""運動不足""ストレス"の生活習慣病をターゲットにすべき」「2周目を生きる人は、1周目を支える社会活動や緩やかな経済活動をする。それが免疫力を高め、生活習慣病に挑むことになる」「治療を中心とした保険制度は限界。疾病の変化(ガン、糖尿病、認知症)に対応した仕組みづくり」「自己の役割を持ち続けることが認知症予防に」「公的保険より魅力的な民間保険で健康へのモチベーションを高める」「従業員の健康を考える"健康経営"の企業に」「地域包括ケアシステムの街づくり、生きがいの場としての農業」「サ高住からシ(仕)高住へ」・・・・・・。全く同感。現場での粘り強い実現力が大切。


天子蒙塵(三)  浅田次郎著.jpg天子蒙塵第二巻発刊から一年半、待望の第三巻。満洲国とはいったい何か。馬占山は「還我河山(我に山河を還せ)」という。日本は「満洲を奪った。・・・・・・その悪業を覆い隠すために五族協和の理想郷」をいう。溥儀は「日本のなすがままに東北へと向かった。・・・・・・これは大清復辟なのだと、理屈をつけ、みずから魔法をかけながら」。張学良は「私は東北を奪われた。溥儀は私にかわって東北王となった」「いいえ。あなたは東北を捨てて中国を選んだの。皇上は中国を追われて東北に流れついただけ」――。1930年代前半、満洲国建国をめぐって、各人が業を背負って"迷走"する。溥儀、張学良、馬占山、蒋介石、武藤将軍、甘粕正彦、石原莞爾、永田鉄山、志津大尉、さらに川島芳子、吉田茂・・・・・・。

「満洲国とは何か」の歴史を人間像から剔抉する。


極上の孤独.jpg「孤独ほど、贅沢な愉楽はない。誰にも邪魔されない自由もある。群れず、媚びず、自分の姿勢を貫く。すると、内側から品も滲み出てくる。そんな成熟した人間だけが到達出来る境地が『孤独』である」――。

たしかに現代では、孤独に対して負のイメージが強い。しかし、本書が大きな話題を呼んでいるのは、それは少子高齢社会となって一人暮らしが急増していること、人間関係に悩む人が多いストレス社会であること、メール・ライン・SNS等の情報社会で輪の中にいないと淋しくて仕方がない等々、より依存的社会の歪み・軋みが露わとなっている現実があるからだ。たしかにスマホが淋しさを助長している。

「淋しいとは一時の感情であり、孤独とはそれを突き抜けた一人で生きていく覚悟である」「他人に合わせるくらいなら孤独を選ぶ」「孤独上手は中年から本領を発揮する」「一人で行動できないと楽しみが半減する」「恥と誇りは表裏一体である。自分を省み、恥を知り、自分に恥じない生き方をする中から誇りが生まれる。それがその人の存在をつくっていく。そして冒すことの出来ない品になる」「孤独と品性は切り離せない。孤独を知る人は美しい」「孤独の中で自分を知る。孤独な人は、いい出会いに敏感になる」・・・・・・。

「凛とした」「毅然とした」「品のある」「美しい」生き方を、「極上の孤独」として語る。


魔力の胎動.jpg

「ラプラスの魔女」の前日譚という位置付け。5つの短編よりなるサイドストーリー。最後の「魔力の胎動」は「ラプラスの魔女」につながっていくもので、青江修介の硫化水素ガス事故(事件)との出会いが描かれる。

「あの風に向かって翔べ」――不調に苦しむベテランのスキージャンパーの復活に、羽原円華が驚くべき能力を発揮する。「この手で魔球を」――工藤ナユタの鍼治療を受けていたプロ野球投手でナックルを扱う石黒。その球を受ける後継者を立て直すために、円華が動く。「その流れの行方は」――ナユタの恩師・石部が息子の水難事故で自分を追い込みふさぎ込む。解決に向かって円華が現場で流体力学実験を敢行、真相を解明する。「どの道で迷っていようとも」――盲目の作曲家・朝比奈は、助手が転落した衝撃に打ちのめされていた。ナユタの過去が明らかにされ、円華の現場での科学的分析で事態が解明する。

いずれも、ラプラスの魔女の不思議な異能の持ち主・羽原円華が活躍する。鮮やかとしかいいようがない。リズムと心情が心地よい。


リズムの哲学ノート.jpg宇宙のリズム、生命のリズム、月の盈ち虧け、海の波、心拍・呼吸、舞踊のリズム、世阿彌の「序破急」、「鹿おどし」の構造――。「無意識がもたらす正確さ、断絶が増幅する流動、死を含むことで生きる生命、いずれを見ても逆説的というほかないが、この逆説性こそがリズムの本質である」という。宇宙論、生命論の本質に迫るまさに「リズムの哲学ノート」に身震いする思いだ。常に、仏法の「法概念」「諸法実相 如実知見」を考えながら読んだが、難解のなかにも開けるものがあり、嬉しい思いがした。言語絶する世界に踏み込む凄い著作だ。

「認識と行動の新しい関係を示唆する考察はすでに哲学界にも少なからず現れている。典型的なのがポランニーの暗黙知論であり、それに先立つベルクソンの自由論であった。・・・・・・暗黙知の主体は理性でも意識でもなく、訓練され習慣づけられ、それ自体『自主的秩序』と化した身体であった。・・・・・・またベルクソンの自由は意志の選択とは正反対に、危機に臨んで純粋持続が自生的に発動する現象であった。・・・・・・そして本稿では長い考察を一貫して、認識の主体を身体そのものと見なすとともに、認識の主体と客体の二項対立も乗り越えようと努めてきた・・・・・・」「リズムの特性の第一はそれがもっぱら顕現する現象であり、ひたすら感知することはできても、それを造りだすことはできないという事実である。そしてその第二の特色はそれを感じることが喜びであり、その認識が解放感に直結しているという不思議である。たしかにすべて知ることは喜びを伴うが、リズムを知ることの歓喜は次元を異にしている」・・・・・。

リズムを体感しながら生きる。みずからが「運ばれていること」を深く感知する。ベルクソン、ポランニーを経て、最後の「人間至上主義を超えて」に至って、満たされた感がする。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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