日本史というと、「武将の武勇伝」や「英雄の物語」にどうしても偏る。その時、民衆はどう生きたのか。いつも「戦争の被害者」か。それだけではない「たくましい民衆」の姿、「生き延びる民衆」「加害者としての民衆」「チャンスとしての戦乱」の姿を、国際日本文化研究センターの学者が、語り、討論する。面白い。
日本史上、最大の敗戦である「白村江の戦いと民衆」(倉本一宏氏)――。唐の軍勢は国家軍、倭国軍は豪族軍の寄せ集めで地域の農民を連れての出兵。西日本の豪族は疲弊し、壬申の乱の勝敗にも影響を与えた。「応仁の乱と足軽」(呉座勇一氏)――。応仁の乱で初めて登場する足軽には「合戦で活躍する軽装の歩兵部隊」と「略奪に精を出す悪党・強盗」の二面性がある。土一揆、徳政一揆にも関連。慢性的な飢饉状態と治安悪化で毎晩強盗が放火。1400年代の京都を襲った土一揆のひどさと、応仁の乱でこれらが足軽となって略奪行為をした。
「オランダ人が見た大坂の陣」(フレデリック・クレインス氏)――。戦場から避難する民衆、焼き払われた大坂の姿。大坂の陣とアントワープの大虐殺。「禁門の変――民衆たちの明治維新」(磯田道史氏)――。京都の大半が丸焼けとなる大事件。長州の潜伏ゲリラを恐れて、会津や薩摩が火をつける。借家がなく、金を貸すものがいない。京都が首都になれなかった理由が明かされる。鉄砲焼けで火の海となった京都と、京都守護職・松平容保による雇用政策(会津小鉄や五条楽園)・・・・・・。
「とにかく生き残らなければならない民衆」の姿、戦乱にも災害にも「生き延びなくてはならない民衆」の姿が浮き彫りにされる。
清冽な余韻が残る。葉室麟、最後の長編小説ということもあろう。他の小説まで思い出し、生老病死の人生の生き方に思いが及ぶ。
舞台は激しい政争の江戸幕府。5代将軍綱吉、6代将軍家宣、7代将軍家綱の元禄、宝永、正徳の時代。権勢を振るった柳沢吉保、それを退け「正徳の治」を推し進める新井白石ら、そしてその背景として松之廊下の刃傷事件・赤穂浪士討ち入り事件と怨讐が描かれる。赤穂浪士を賞讃する世間の空気、「前の将軍家(綱吉)は御台所の信子様に殺され、御台所はすぐに自害した」との江戸の噂、刃傷事件の背後にある政争、討ち入り後の吉良家への厳しい仕打ち・・・・・・。そうした濁流に巻き込まれて生きる元小城藩士・雨宮蔵人、妻・咲弥、娘・香也、吉良家の家人・冬木清四郎、蔵人の従兄弟・清厳、越智右近(家宣の弟、松平清武)、刺客となる隠密等々。生死をかけた攻防は、息苦しいほどだ。
「色も香も昔の濃さに匂へども植ゑけむ人の影ぞ恋しき」「春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことはいのちなりけり」「君にいかで月にあらそふほどばかりめぐり逢ひつつ影を並べん」――蔵人と咲弥の交した歌に、思いの深さ、堅固さ、絆が表われる。「おのれが大切に思うもののために身を捧げる覚悟」「ひとは皆、おのれにとっていとしき者のために生きている」「わが剣はひとの思いを守るためにある」「勝てぬとわかっていても、臨まねばならぬ戦いがひとにはある」「勝つとわかっている戦いしかしない者は、武士ではない」・・・・・・。
幕府の暗闇のなかで、清冽な精神と絆、生きざまを描いたいかにも葉室麟の本領を感じさせる長編。
「人生50年」「60歳還暦」「人生70古来稀なり」――。それらを前提につくられてきた人類の価値観やシステム。それが今、ひっくり返って突然のように「人生100年時代」がやってきた。ここで意識を変えよう、恐れるに足らず、備えを共に考えてみよう。「百歳人生を生きるヒント」を85歳の五木さんが"つぶやき"、提示している。これまでの人生観や死生観の転換。新しい生き方、新しい哲学を打ち立てることだ。
「さあ準備をはじめよう」「"人生50年"から"人生100年"への大変換」「後半の人生は"下山"の思想」として50歳から10歳ごとに人生を見直す。「50代の事はじめ――長い下り坂を歩く覚悟、寄りかからない覚悟」「60代の再起動――群れから離れる覚悟、孤独の中で見えてくるもの、諦める(明らかに究める)」「70代の黄金期――60代にも増して生命の躍動感を覚える、学びの楽しさに目覚める、年代にあわせた食養生、幸せの期待値を下げる」「80代の自分ファースト――嫌われる勇気をもつ、周囲や群れの掟に迎合しないで自分に忠実に生きる、死の影を恐れない覚悟、明日のことを思い煩うな」「90代の妄想のすすめ――回想世界・郷愁世界に遊ぶ、見える世界から見えない世界の住人に」――。そして「この取るに足らない一日が百年つづいて、私たちの命を、次の次元にはこんでくれるかもしれないと思うと、この世もなかなか味わい深いものだと感じることができる」と語る。
人生100年時代。今、最も取り組むべき大事なテーマ――70代、80代をどう生きるか。とくに夫を失った一人暮らしの70代、80代女性はどう生きるか。内面のつぶやきも含めて実にテンポよく描く。時間を経るごとに左右に揺れ動きながら逡巡し、心がしだいに収斂していく。生々しく、面白い。
78歳の忍ハナ。10年前に実年齢より上に見られた「70ちょっと事件」にショックを受ける。以後、外見こそ大事と「外見磨き」に精を出し、今や若く、美しい。そんなハナは、酒屋を商ってきた夫の岩造にとって自慢の女房だ。ところが、仲の良かったその岩造が突然他界し、心が沈む。それに追い討ちをかけるように、愛人、隠し子まで発覚する。足下が崩れるような衝撃をハナは受け、怒りと喪失感がのしかかる。
「『すぐ死ぬんだから』というセリフは、高齢者によって免罪符である。それを口にすれば、楽な方へ楽な方へと流れても文句は言われない。・・・・・・80代中心の集まりに出たことがある。免罪符のもとで生きる男女と、怠ることなく外見に手をかけている男女に、くっきりと二分されていた。外見を意識している男女ほど、活発に発言し、笑い、周囲に気を配る傾向があった」「重要なのは品格のある衰退。衰え、弱くなることを受けとめる品格を持つこと。"若い者に負けない""何としても老化を止める。アンチエイジングだ"とあがくことは品格のある衰退ではない」――。
70代、80代をどう生きるか。おそらく100人100色、桜梅桃李。家族構成、家族や友人が近くにいるかどうか。住まい住居の有無、年金・預金等の経済状況、健康状態・・・・・・。本書のテンポと明るいタッチのなかで、読者は皆、考えさせられるに違いない。面白い。
三島屋変調百物語伍之続。江戸・神田の筋違御門先で袋物を商う三島屋で、風変わりな百物語を続けるおちか、側には従兄の富次郎やお勝。三島屋の変わり百物語は、聞いて聞き捨て、語って語り捨て、心のわだかまり、澱が吐き出される。素朴で人情味ある江戸の町人文化は、生老病死や怪異とも隣り合わせでもある。
「開けずの間」――塩断ちが元凶で「行き違い神」を呼び込んだ悲惨で悲しい物語。「だんまり姫」――亡者を起こす変わった声「もんも声」をもつ女が、女中となって大名家の過去の悲しい事件と向き合う。そこには呪か毒で殺害された"一国様(お次様)"の"怨"が行き場を失っていた。そして加代姫に声が戻るのだ。「あやかし草紙」――100両という破格の値段で写本を請け負った武士の数奇な運命、寿命を縮める冊子と、おちかの決断。それに「面の家」「金目の猫」の5篇。江戸のゆったり流れる時間と人情のなかに生ずる"怪談"だが、むき出しの人間の悲しみ、愚かさ、支えあい、縁と業などが伝わってくる。江戸社会が生み出した"怪談""怪異"は身近な所にあるが、その解決の仕方も江戸社会。