21世紀は都市の時代と呼ばれ、2050年には世界の人口の3分の2にあたる60億人以上が都市に居住するといわれる。都市人口比率が10%程度であったものが、上昇傾向は加速し、アジアでは50%超になるのにわずか50~60年といわれる。
インフラ輸出に安倍内閣は力を入れ、私自身、アジア諸国に直接働きかけてきた。急速進展し、JOINもつくった。しかしいまや道路、鉄道、港湾、上下水道、電力等の個別ではなく、都市そのものをトータルで推進する、それが都市輸出だ。本書の副題は「都市ソリューションが拓く未来」だ。
しかも日本は、都市の課題を次々と解決してきた都市課題先進国であり、「都市課題解決策(都市ソリューション)の宝庫ニッポン」だという。日本の都市力はすぐれている。「都市開発――生活と文化の質を両立」「交通・TOD――鉄道・自動車・徒歩による通勤が都市の発展に貢献」「廃棄物――豊かな生活でも"ゴミ"を増やさない」「水処理――世界最低水準の無収水率(漏水・盗水が少ない)」「防災――災害リスクは高いが、備えは世界最高レベル」など、いずれも日本を取り巻く難しい環境のなかで築き上げてきたものだ。省エネやインフラの老朽化対策も急速度に進めてきている。
原田昇さん、野田由美子さん等による「都市ソリューション研究会」の第一弾が本書だが、更なる活躍を期待したい。
「いまこそ、自由主義、再興せよ」と副題にある。「信なき言論煙の如し」というが、激烈な時代のなかで信念を貫く。言論人の使命を貫く。屹立した人間のギリギリ、究極の姿がすっくと浮かぶ。
「石橋湛山全集」全16巻に収録されている膨大な論文のなかから70本を抜き出し、船橋さんがそれに加えて語る。湛山の思想と精神に迫る論文解題だが、「湛山を読む」であるとともに「湛山で時代を読む」ということだ。
論文は1914年の「断乎として自由主義の政策を執る可し」から、1947年の「私の公職追放に対する見解」に及ぶ。第一次世界大戦への日本の参戦、対華21か条要求、1920年代の世界の潮流と日本の民主主義の産みの苦しみの軌跡、金解禁論争、満州事変から日中戦争そして三国同盟、太平洋戦争へなだれ込む日本――そのなかで権力を監視し、ペンで信念を貫く石橋湛山の姿に、感ずること、考えることはあまりにも多い。
幕末の江戸。名所の歌川広重、武者の歌川国芳、似顔の歌川豊国(三代)の「歌川の三羽鳥」が相次いで死去した。三代豊国の娘婿である絵師・清太郎(二代国貞)は、四代豊国となることを期待されながらも、躊躇して踏み出せない。自らの画力が生真面目すぎて相応しくないこと、そして弟弟子の奔放なめくるめくような才気溢れる姿も認めざるを得ないこと。思いは複雑だ。歌川を誰が背負うのか。
そして時代は激変し、幕末から明治へ。幕末の江戸は大揺れに揺れる。江戸は、薩長からも、世界からも浸食される。人心も文化も。江戸が異質の東京へと飲み込まれていく。「江戸が、遠のいていく」「大衆が愛した浮世絵自体が錦絵自体がはじき飛ばされ廃れていく」「憂き世を浮き世として笑い飛ばす熱も、華も消し去られていく」「浮かれ暮らして、憂さ晴らし。――ははは、お江戸が飛んで行かぁ」・・・・・・。
清太郎は四代豊国として立つ。しかし、時を経ずして、卒中で倒れ、右手が使えない。「ヨイヨイ豊国、ヨイ豊」とカゲ口をたたかれる。「師匠。おれは――やっぱり画が描きてぇ」――衝動が、天にまで衝き上がる。感動作。
海上自衛隊元横須賀地方統監。2011年の東日本大震災において海上自衛隊災害派遣部隊(海災部隊)の指揮を執った。防衛大学校、海上自衛隊の現場のなかで、体に刻まれた指揮官のあるべき姿・資質、連綿と受け継がれている精神を描いている。
「きちんと任務を遂行する。かっちり仕事をするのは誠実で使命感のある人だ」「指揮官の役割は部隊が持つ潜在的なエネルギー(人や装備の総合力)を最大限に引き出して組織として力を発揮することだ」「指揮官は、富士の裾野に咲く、一輪の花や雑草の心が理解されなければいけない」「上から目線ではなく、常に鳥瞰を忘れてはいけない」「優しいだけでは部下は育たない」「マニュアル人間やマニュアル組織を作らない。応用動作ができる人、応用に強い人。それには基本に忠実であることが、応用動作への最短距離である」「指揮官の心得――誰よりも耐え、誰よりも忍び、誰よりも努力し、誰よりも心を砕き、誰よりも求めない」――。その通りだ。
「その女アレックス」のピエール・ルメートルの作品。仏の権威ある文学賞・ゴンクール賞受賞作。
第一次世界大戦も終結間近の1918年11月、武勲を狙った仏軍のプラデル中尉は斥候に出した二人を背後から射殺し、仏軍の怒りをあおる。それに気付いたアルベールもプラデルに生き埋めにされるが、エドゥアールに救い出される。しかし、エドゥアールも砲弾の破片によって顔の半分を失ってしまう。
戦後、二人はプラデルの目が光るなか、人目を避けるようにパリで極貧の生活をする。そして二人は、全国の戦没者の記念碑を建て、遺族から金を集めるという架空の事業"国家をゆるがす詐欺"を企てる。一方、プラデルは戦没者の墓地建設で大儲けしようとする。物語はどんどん緊迫の度を増し、二転三転、急テンポで突き進む。
「アルベールは倫理の名のもとに、復讐を夢見ていた」「エドゥアールは違った。復讐では、彼の目ざす正義の理想は満たされない。(個人的な問題ではない)ひとりの人間に責任を負わせるのでは、彼は満足できなかった。国には平和が戻ったけれど、エドゥアールは戦争に対し宣戦布告をしていた」――。
戦争にある本質的な絶望と熱狂。それは戦後においても、戦死者追悼の熱狂や生還した兵士への冷淡、虚無となって打ち続くことが描かれる。