世界経済まさかの時代.jpg「まさか」が、常に起きる時代だ。気象も政治も経済も社会もだ。変化激しき時代、スピードの時代をどう乗り越えるか。未来を志向するには、そこで起きている変化を的確に分析、判断することだ。

5章から成る。「『Brexit』から始まるまさか」は、英のEU離脱の衝撃と明年のヨーロッパ主要国の選挙などの底流を分析する。「『ヘリマネ狂騒国』のまさか」は、バーナンキによるヘリコプターマネー政策と日本の金融政策。「『中国の脅威』のまさか」では、今年度の中国公船の尖閣諸島周辺への侵入にはじまり、中国と米、日、韓等の戦略。「『脱グローバル化』のまさか」ではトランプ、クリントン、アベノミクス。分析はトランプ大統領誕生となった今でも適格だ。「『課題先進国・日本』のまさか」で日本経済の国民意識、労働生産性の低下、第4次産業革命、働き方改革の意味等が語られる。

いずれも「まさかの時代」の今、世界で何が起きているかを生々しく分析している。


誰もやらないのなら医者の私がやります.jpg「板橋区役所前診療所の物語」と副題にある。

在宅医療の生々しい現場。嬉しいことも、驚いたことも。汚くて足を踏み入れるのも躊躇する家も、訳ありの家も、虐待や放置も、孤独で医者の顔が見たいという人や電話をする人もいる。看取りもする。訪問診療も介護サービスの一つと混同しやすく、文句も相当いわれる。「患者さんと会話のできる医者が在宅医療に向いている」「私たちは患者さんに寄り添っていたい」という。

在宅医療を専門にやっているクリニックがほとんどない頃に、在宅医療に特化した診療所にチャレンジした島田さん。凄い現場、しかし、血の通った温かい医療によって心が通い合い、喜びが生まれる。そして「在宅医療の現場は生き生きとしています」と語る。若い医師の明るさ、生命力、熱が伝わってきて、うれしくなる。


おんなの城.jpg「霧の城」「満月の城」「湖上の城」の三編――。いずれも戦国の世を城を守るために仁王立ちして戦う女城主の姿、大事なものを守り抜く姿を描いている。

信長に逆らった女――岩村城主・遠山左衛門尉景任に嫁ぎ、後に飯田城主の秋山虎繁と夫婦として共に戦う珠子。戦乱に翻弄され、織田信長に振り回された珠子が、決然と自らの意志で立つ。「この霧が晴れた時には、織田勢も戦の世も消え失せていればいい」・・・・・・。

「満月の城」は、加賀、越中、能登を舞台に、畠山義綱の側室であった佐代が、上杉謙信、織田信長の狭間でわが子・義隆を守り毅然と立つ。

そして「湖上の城」。2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主・直虎」の奈美(次郎法師直虎)。奈美は井伊家22代直盛の長女として天文3年(1534)に生まれた。直盛の従弟直親(亀之丞)を婿に迎えて家を継ぐはずであったが、直満(父)、直親らが今川義元から謀叛の疑いありとされ、直親は信州に身を隠す。奈美は髪を下ろす。井伊領を狙う武田、今川、徳川の攻めぎ合い。井伊家の男たちが次々死ぬなかで、直親の嫡男・虎松の後見人として奈美は還俗。次郎法師直虎として男として生きる姿を描く。


戦争まで.jpg副題は「歴史を決めた交渉と日本の失敗」。まさに戦争に至るまで、「かつて日本は、世界から『どちらを選ぶか』と三度、問われた」として、「リットン調査団と報告書」「日独伊三国同盟」「戦争前夜である日米交渉」の三つの交渉、「選択」を浮き彫りにし、詳説する。そしてこの歴史の転換点において、問題の本質が正しいかたちで選択肢に反映されていたかを問いかける。

リットン報告書は、当時の報道でいう「中国側の主張を全面的に支持していた」ものではなく、「世界への道」を提示し、日本にも配慮したものであったこと。「その時、為政者はなにを考えていたのか」を示す。三国軍事同盟は「なぜ、ドイツも日本も急いだのか」「"バスに乗り遅れる"から結んだのではない」「日本が牽制したかったのはアメリカではなく、アジアへ回帰してくるドイツ。戦勝国ドイツを封じ、敗戦国の植民地を獲得するため」等々、分析する。日米交渉では「日米交渉の裏にある厚み」「ハル・ノートで罠にはめられた?」「駐米日本大使館員の勤務怠慢による対米通告の遅れという神話」「日本はなぜアメリカの制裁を予測できなかったか」「アメリカの失敗」などが示される。

そして、「相手国の社会の基本を成り立たせている基本的秩序=憲法にまで手を突っ込んで、書き換えるのが戦争」「戦争に賭けた日本は、何に敗けたのか」「日本が望んでいた社会の基本秩序と、アメリカが望んでいた社会の基本秩序の差違」等が示され、「GHQ憲法草案、日本側草案段階にも『平和』は、入っていなかった」ことを明らかにする。

「選択」はきわめて難しい決断であることは私自身感じていることだが、そのためには問題が正しく提起されることが重要だ。改めてそのことを感じさせてくれた本だ。


勝海舟と幕末外交.jpg1853年のペリー浦賀来航から幕末――。日本を取り巻く外交環境は激しかった。アヘン戦争(1840~42年)を起こしたイギリスは1857年のインド大反乱(セポイの乱)に苦闘しながらもインドでの覇権を確定、1860年にはアロー戦争(第二次アヘン戦争とも。1856~60年)で北京を占領、その勢いは日本を震撼させていた。ペリー来航以来、アメリカは開国への強い行動を起こしていたが、1861年には南北戦争に突入する。イギリス・フランスとロシアの戦いであったクリミア戦争(1853~56年)は、極東においてもロシア艦隊とイギリス艦隊がぶつかり合い、アロー戦争では清とイギリス・フランスの講和にロシアは介入、広大な領土を清国から得た。当然オランダの力もある。米、露、蘭、英――攘夷・開国高まる日本のなかで、どの国と結び外交を展開するか、幕府内でも主張は乱れ、親米一辺倒の井伊直弼など親英・親米・親露が激しく対立した。

そして1861年、ロシア艦隊・ポサドニック号の対馬占領事件が起きる。小栗忠順の日露同盟論に対し、老中安藤信正は親英路線を立て対立する。安藤信正、水野忠徳ラインが指名したのが勝海舟だと著者は見る。勝海舟、横井小楠は、道義を説き、かつ全島民を失うともどちらの国にも対馬は渡さないとの断固たる覚悟に立っての外交を行う。

列強のバランス・オブ・パワーを利用して、イギリスにもロシアにも対馬を取らせない――。「外交の極意は、誠心正意にある」と言う勝海舟のギリギリの攻防を、文献を精査して浮き彫りにする。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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