オンリー・イエスタデイ 2009-2015。政権交代の2009年から昨年までの6年間、坪内さんの「文藝春秋」連載コラムを集めたもの。「中川昭一財務・金融大臣の記者会見事件」「鳩山・菅らの団塊の世代内閣誕生」「3・11と石原慎太郎の『天罰』発言」「浅草から映画館が消える時」「テレビのワイドショーはますますひどくなってゆく」「井の頭線には何の罪もないのに」「私もまた『あまちゃん』にはまっている」「2020年の東京オリンピックに私が反対する理由」「私の住む町からCDショップが消えた」「ポール・マッカートニーのコンサートは素晴らしかった」「常盤(新平)さんも山口(昌男)さんもいない新たな年」「増税と『笑っていいとも!』の終了が重なった春」「名画座はもはや滅び行く空間なのだろうか」「かつての予備校――代ゼミや駿台はまるで旧制高校のような場所だった」「マイフェーバリット"健さん"はどの作品だろう」「国立西洋美術館は気持ち悪い」・・・・・・。心に残る多くの方が次々とこの世を去っていく。生活に最も近い文化・芸術・芸能・音楽・映画・テレビなどがどんどん動いていく。大相撲の話題がとても多く取り上げられている。その時の白鵬、その時の魁皇、その時の稀勢の里、優勝した旭天鵬、そして雅山、北の湖、遠藤・・・・・・。くっきりと思い出す。
時代と社会と人間性の変容、とくに「東京」社会の心象風景が浮き彫りにされる。
面白い。10年ほど前の著作だが、新鮮だ。それは私自身がこの3年弱、国土づくり・街づくりを考え続けたこと、そして年を経たこともあると思う。「東京とはどういう都市か。東京の家の裏庭を掘れば、5000年以上も前の縄文時代の遺跡が出る」「今の東京のある場所は、縄文海進期の時代、堅い土でできている高所の洪積層と水が浸入した沖積層という砂地の多い別の地層」より成る。
この洪積層と沖積層、湿った土地と乾いた土地、「ある」と「ない」、「ミサキ=岬」と「神社」、湿地のエロテシズム、死と森、天皇の森、人間の理性の力と自然の理法、坂と崖下、崖下の美しい怪物、お酉さまと日露戦争、そして銀座、上野、浅草・・・・・・。縦横に、そして深く論じている。
「下町にやってくると、あらためて東京は1つではないという思いがこみあげてくる。沖積層がつくる低地と洪積層にできた台地状の土地と、東京は二つの違う土質でできた土地、二つの違う地形、二つの違う精神文化のせめぎあいとして、発達をとげてきた」「この世界の息苦しさは、資本主義の原理が入り込んでこない隙間がどこにもないというところにある。・・・・・・自然といわず生命といわず、あらゆるところに自分の原理を浸透させていこうとする押しつけがましさが、キリスト教と資本主義と科学主義という、西欧の生んだグローバリズムの三つの武器に共通している」――。それを拒否しようとする頑固な部分が、この東京を歩くと見えてくるという。東京という都市の深層への思索は時空に広がる。
「敬愛する池波正太郎さんのことを話すことは・・・・・・私にとって生涯の誉れ」という山本一力さんが、愛する「鬼平犯科帳」の中から選んだ傑作六篇。
「盗法秘伝」――秘伝を伝授しようとする老盗賊、そして鬼平の自由の満喫と粋。「狐火」――二代目・狐火の勇五郎とおまさ。勇五郎もおまさもいいし、平蔵の度量は大きい。「白い粉」――毒を盛られる鬼平。平蔵のとぎすまされた勘。「土蜘蛛の金五郎」――土蜘蛛の金五郎に、長谷川平蔵になりすました岸井左馬之助と本物の平蔵の戦いを見せるが、悪党の虚栄の裏にあるもの。「穴」――欲得の盗みではなく、身体にうずく盗め(おつとめ)の血。「瓶割り小僧」――20年ほど前、脳裡に刻まれた光景を思い出す平蔵。人はだれしも弱みがある。
没後20年、2010年に山本一力さんが、思いをこめて語ってくれている。
予測がつかないほどの大変化の時代。会社も安定して続くかどうかもわからない。「コンピュータの発達」と「新興国の能力の成長」は加速化する。直線型のレールに乗っていても安心ではない。だからこそ不安感に覆われる。しかし閉塞感や挫折感に打ちひしがれているのではなく、新しいチャンスが広がったとして、複線型の働き方を考えよ、準備を始めよ、という。
「コンティンジェンシープランを考えよ」「予測は決めつけず、目標は2つもて」「ライフプランは一直線ではない」「スキルを磨こう。ジェネラルスキルを身につけよう」「バーチャルカンパニーを作ろう」・・・・・・。
未来は明るい。人生、二度三度と様々なことができる時代になってきている。50年前の昭和39年、東京オリンピックの時の日本は、国家予算3兆円、経済成長率13.1%、男性の平均寿命は67歳。全ての世代に今、未来に向けて一歩踏み出そうと呼びかけている。
