「模倣犯」から9年、「楽園」が出たが、「名もなき毒」を読んでみた。宮部みゆきには、ミステリーや時代小説作家の域を超えた深みがあるとして、ファンが多い。その通りだろう。"動機のない"愉快犯や、"理由なき"殺人、猟奇的殺人、無差別的犯罪という、よくわからない事件が多い。難しい社会であり、時代だ。
その根底に「怒り」、いいようのない自分だけが幸せになれない、自分を受け入れてくれぬ社会への鬱積した不満と不安が「怒り」として爆発する。幸せな人が憎い。上から安易に正論をふりかざす人が憎い。そしてそれが社会のいたる所で毒として(土壌汚染の毒が、何かのキッカケで表面に出るように)表面化し、他者も自分自身も切り刻む。農耕的な"お人好し日本"は、いつ頃からか変質している。
それゆえに、怖い社会となっているが、この小説では、その恐ろしい難しい社会を見事に浮き彫りにするとともに、"お人好し"の主人公と元気な"ゴン"ちゃんと、前向きな中小企業社長と、分別と存在感のある義父のポジティブ・グループが登場している。そこに宮部みゆき本の人気がうかがい知れる。
勝間さんは、金融アナリストの仕事をしながら、「ムギ畑」というワーキング・マザーの集まるインターネットのコミュニティ・サイトを主宰している。
私がとくに関心をもったのは、ともすると悲惨なワーキング・マザーを論じがちになる一般の話ではなく、勇気づけ、ポジティブに現実をとらえ、その向こうに新しい少子化を乗り越えた未来を志向していることだ。
そして、猪口さんに私が関心をもったのは、「近代化の帰結としての少子化」「近代の効率重視の典型的なパラダイムは、ワーク・ライフ・バランスなど、多元的の人間のニーズを取り込めない」という観点に立ち、自らのエスニシティを封印するなかでモダンなる存在へと発展したと歴史性を看取し、ポスト・モダンの時代におけるエスニシティを取り戻すこと(家庭はエスニシティの砦)、ポスト・モダン文化とはエスニックな文化との視点を提示していることだ。
そして、少子化対策を国の最重要戦略として位置づける(国の本気度)こと、そのために考えを結晶化させる触媒としてのインパクトのある政策(児童手当の乳幼児加算など)を示している。いい。それを推進した公明党の名がないことだけはまずい。
元西独首相のH・シュミットは、「福田赳夫生誕百年記念講演 21世紀に生きる哲学」でカント哲学を一言でいえば「我々の心の奥底にある道徳性は私たちを導く星であり、その星に従うことは我々の義務である」と述べ、福田哲学もそこにあるという。
「政治は最高の道徳」「世界は2人のために、ではなく世界のために2人はある」「20世紀は栄光と悔恨の世紀」「経済大国が軍事大国の道を歩むことは、歴史が証明している。
しかし、日本は経済大国になったが軍事大国の道を選択してはならない」「物質的充足のみでは飽き足らず、精神的な豊かさを求めるのは、アジアの伝統」「資源有限時代の認識に立ち、協調と連帯の基本姿勢を」「成長はその高さをもって尊しとせず、成長の質こそが大事」「モノ、カネ至上主義的な価値観から心の豊かさと人間としての生きがいを中心とする価値観を」「いかなる激動の時代にあっても正しきものは継承すべきである。
国民生活に密着している戦後民主主義の諸原則、すなわち、自由、人権尊重、平和主義の堅持、さらには非核三原則こそは戦後の日本が貴重な犠牲を払って獲得してきた成果であり、今後の日本の進むべき指針となすべきであろう」「昭和元禄」「人口爆発の危険、食糧問題の難問、無秩序な金融市場への対応、地球規模の環境温暖化の問題」「精神的、倫理的価値の欠如」――。
まさに戦後の栄光と悔恨のなかでつくられた断固たるゆるがなき姿勢、思想の原型をくっきりと見る思いだ。戦後レジームのなかで志向したものは何であったか、だ。