たしかに「国の財政」「少子高齢社会」の両面から、日本は破綻寸前という論は多く、それにともない負担増の悲鳴が聞こえる。増田さんは、「現実を見よ」「現場を見よ」「凡人の良識を信頼せよ」という。底上げ教育による日本人の底力、製造業の"生もの"をつくる価値創造の底力、厳しいマーケットで鍛え上げられた日本の小売業、エネルギー効率のよい国・日本、内需が高い国・日本などを示し、官公庁依存であるゆえに、低い生産性になっている公共事業・農業にメスを入れよという。
国債についても低金利での借り換えや永久債、利便性の高い都市への集中、都市再生債、ピークロード運賃などを提唱する。
「凡人なりの結論」を忠実に実行することと、自力での生産性が不可能なほど脆弱化した産業へのメスを訴える。教育と良識と倫理をもつ真面目でキメ細かな日本人がこわれない限り、国家破綻はありえないということか。
「国会報道からTVタックルまで」との副題がついている。本にして論ずるには難しいテーマだが、よく論じている。政治にはしっかり論評できる新聞が最もふさわしいと思うが、間違いなく政治の場においてもテレビの影響力が他を上回るようになった。
民意が欲するところを番組にして、民意の欲する形で提示していると、醸成された空気から脱することができなくなり、政治的方向性がつくられてしまう。
「もっと他のことも扱ってほしい」「もっと落ち着いて論じさせてほしい」――我々政治の側からは映像の力を認識するからこそ、そうした気持ちが常にある。憲法論争というといつも「9条」、教育基本法論争というといつも「愛国心」。たしかに1時間の番組の討論ではそれ以外も含めて論じたらとても足りないし、深まらないし、どうしてもパフォーマンスになる。
星さんは、「メディアの立て直しが急務」というが、じつは、社会全体が、「面白さ」「深さ」「一体感」をどう育てるかという曲がり角に来ており、それほどテレビ、新聞の影響が大きい時を否応なく迎えている。
「東アジア共同体の道」の副題がついている。
ナショナル・アイデンティティの確立は、グローバル21世紀の課題だが、それを越えた共通のアジア・アイデンティティ、未来のアジア構想「アジア共同の家(アジアン・コモンハウス)」を提唱している。「テリトリー・ゲーム」から「ウェルス・ゲーム」、そして「21世紀のアイデンティティ・ゲーム」の時代の次が、組み立てられなくてはならないと、次代を眺望している。
思想・イデオロギーの諸テーマは、時に「神学論争」などといわれて、私自身、失笑することもしばしばだが、判りやすく語れるかどうか――力量がこれほどあらわになるものはない。こんなにも明確にやさしく力みなく語れる松本さんは卓越した思想家だ。
勿論、論争の激しさをたたえていることも大変な魅力だ。
政治家の名言・格言に学ぶ最強の処世術100と副題がついている。「母屋で粥をすすっているのに、離れでは子供がスキヤキを食っている(塩川正十郎)」も名文句だが、それを評する伊藤惇夫さんの「"人生のロスタイム"で逆転のトライをあげたような感じ」との言も味わいがある。文章がいいのだ。
「幸せは長く、演説は短く」「サルは木から落ちてもサルだが、政治家は選挙に落ちたらただの人」「田圃と女房と選挙の票は、一度貸したら戻ってこない」
「やはり野に置けレンゲ草」「天の声にも、たまには変な声がある」「政治家は次の時代を考え、政治屋は次の選挙を考える」「理屈は後から貨車で来る」「声なき声を聞け」「政界は欲望と嫉妬の海だ」「政策に上下なく、酒席に上下あり」・・・・・・。話したその人の心情が伝わるようだ。「いると邪魔、いないと寂しい記者と珍念」が太田昭宏提供として出ている。
田中角栄の「政治は冠婚葬祭だ」を冒頭におき、石橋湛山の「人が国家を形づくり国民として団結するのは、人類として個人として人間として生きるためである」を100言目のトリにしているのはいい。バラバラになりがちなこうした本だけに、その完成度の高さを示している。