kakutikara.jpg「加藤周一の名文に学ぶ」が副題。加藤周一の名文は素晴らしいが、何よりもその洞察力、観察力、揺らぐことのない信念・哲学、その境地がケタ外れに凄い。著者はそれを分析し、「それから加藤の書いた文章を注意深く読むようになった。すると加藤の文章には、さまざまな工夫が凝らされ、技巧が施されていることに気づいた」と言う。解読する著者の力に感動する。

「『基本の基』は、一文を短くし、読点などの記号に注意を払うことである。このふたつだけでも実行できれば、少なくとも分かりやすい文章に近づく」と言う。そして、「文を短くすること」「むつかしい言葉を使わない」「文章がしっかりとした構造を持っていること」「起承転結、序破急を踏まえて書けば、文章の展開が明瞭になる」ことを、加藤周一の文章を示しつつ解説する。読点の打ち方ひとつに心配りがされていることに驚く。観察力は、鳥の目で見、虫の目で見ることが基本の基とするが、見る主体の哲学が重要となる。「『上野毛雑文』あとがき」を取り上げているが、「街に暮らす意義を、名所旧跡や建物、記念碑などに求めず、町内に暮らす身近な人との交わりに見出していたからに違いない」と解説するが、加藤の思想・哲学が現れていると思う。「小さな花」を解説するなかで、「思えば、加藤は身近な人に対する愛を、人生の生きる糧とした」と言っている。加藤の「私は私の選択が、強大な権力の側にではなく、小さな花の側にあることを、望む。・・・・・・みずからを合理化するのに巧みな権力に対して、ただ人間の愛する能力を証言するためにのみ差し出された無名の花の命を、私は常に、かぎりなく美しく感じるのである」との加藤の文に触れてである。

「実践編」として、「むつかしいことをやさしく」「論点は三点に絞る」「強調で論点が明確に」「大局観と細部への眼」など様々な視点が提起されるが、「具体と抽象の往復」では、まさに「演説」が全く同じであることを感じる。また、「比喩が持つ説得力」として、加藤の「三匹の蛙の話」を取り上げている。「加藤が引くこの三匹の蛙の例え話は、悲観主義、楽観主義、現実主義をわかりやすく表現して、かつ面白い。悲観主義者は、何をすることもなく溺れ死ぬ。楽観主義者も、何をすることもなく溺れ死ぬ。悲観主義も楽観主義も同じ結果を生み、現状は打開できない。現実主義だけが現状打開する」と言う。

「応用編」で、「紹介文」「追悼文」「書評文」「鑑賞文」として、加藤の名文が取り上げられている。簡にして明とは、このようなものかと感嘆する。しかも、「丸山眞男」にしても「福永武彦」にしても、「そこにその人の本質が現れるように書く」ことそのままだ。人間っていうのは面白いし、凄いものだと思えてくる。「見ていてくれる人がいるのは幸せだよ」と言われたことがあるが、それが文章に現れている。「文は人なり」だ。バートランド・ラッセルの「ラッセル自伝」の書評で、加藤は「一個の人間の生きるに値するかどうかは、必ずしもその達成した事業の大きさによらない。ラッセルの場合に、それは大きかった。凡人の場合に、それは大きくない。しかし私は、みずからの情熱を裏切らない人生は、たとえ達成したところがどれほど小さくても、生きるに値すると考えるのである」と言っている。

著者は、「しかし、『書く力』とは、文章作成技術のことだけではない。知識を増やし、経験を積み、観察を重ね、感性を磨くことも『書く力』を養う」と言っている。まさにそこだと思う。


akaneutajou.jpg akaneutage.jpg

「生きるとは何か、今、平家物語に問う」――今村翔吾の「平家物語」だ。保元の乱、平治の乱を経て、平家が権勢を振るう。しかし、平清盛の死、一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いと、平家は滅亡する。平宗盛(三男)を棟梁とし、「相国最愛の息子」と言われる四男・平知盛が知略を尽くす姿を描く。妻の希子、平知盛を「兄者」と慕う"王城一の強弓精兵"平教経が一心同体で毅然と戦う。武士がいよいよ時代の主役に躍り出ようとする時、朝廷の権力を掌握する後白河法皇の策謀、それに抗した平清盛全盛時代とその死、木曽義仲、源頼朝、源義経らを活写する。特に、後白河法皇と源頼朝の権力への意志と陰湿な策謀は、際立っている。それに比して、平家は家族愛があり、美しく、哀しい。

「美しい」――これが本書全体から迫ってくる。「美しく戦う」「美しく生きる」「美しく死ぬ」、そして「美しくも哀しい人々の物語、琵琶で奏でる茜唄」。「美しく戦う」――義経が知盛と邂逅して「逢いたかった」「貴殿がおらねば、あのような美しい戦いはできなかった」と言う。戦のみ突出した義経ならではの印象的言葉だ。また、戦い方自体に「美しく戦い、美しく死ぬ」という戦争の様式美の転換が描かれる。「やあやあ我こそは」という戦い方を知盛は打ち破る。戦略を駆使し、奇襲もいとわない。それが、知盛と義経に共通して、これによって日本の戦場での戦いが大きく変化する。「卑怯」の感覚を覆す。「美しく死ぬ」であれば、屋島における平敦盛と熊谷次郎直実の場面が出てくるが、むしろ知盛の志を守ろうとして散っていく2人の息子、知章、知忠らの姿は胸に迫る。何のために生きるのか――。「人は飯を食い、糞をして、眠るだけではない。人は元来、唄う生き物なのだ。それは生きていることを誰かと共に喜び、この世に生きたことを留めんがためではないか」と描いている。

歴史はともすれば勝者の歴史となる。敗者の歴史でもある平家物語はなぜ描かれたのか――本書はそこを描いている。「何か、この時代をかけぬけた者の真を残す術はないか。情なくともよい。無様でも良い。悲しくも美しい人々の物語を」「散っていった平家一門、中には我が子知章もいる。木曽義仲も、やがては義経もそうなるかもしれない」と知盛は託すのだった。

「なぜ清盛は源氏を根絶やしにせず、頼朝を生かしたのか」は、歴史の提起する重要なテーマだ。清盛の考えを知盛は知ろうとする。敵は後白河法皇。天下三分の計。「朝廷から独立した互いに拮抗した三つの勢力(平家、鎌倉、平泉)があればいよいよ状況は膠着する(民は安寧を得る)」に到達した知盛は、屋島でも壇ノ浦でも常に大戦略を指向したのだ。

躍動感がある独自の歴史観に挑戦する力作。 


sibarareru.jpg「人口減少をもたらす『規範』を打ち破れるか」が副題。日本、アメリカ、スウェーデンの子育て世代へのインタビュー調査と、国際比較データを分析し、日本に根強い古い規範を打ち破ることこそ少子化対策の直道であることを示す。大事なのは「男性稼ぎ手モデル」を脱却し、「共働き・共育てモデル」にすること。スウェーデンはそれをやった。「日本の政界と経済界のリーダーたち、そして日本の多くの男性と女性が本気で取り組むこと」「女性が男性の5倍以上も無償の家事労働を担わなければならないような働き方と家庭内での役割分担を変えること」だと言う。

育児休業制度はある。しかし育児休業を取る男性が少ない。理由は育児は女性の役割であって男性の役割ではない思考同僚に迷惑をかけ、会社にも迷惑をかける。周囲にも育児休業反対派が多いと言う思い込み、多元的無知夫が育児休業を取得すると家庭が失う収入が大きい将来の役職に影響するーーなどに縛られているのだ。また、日本の男性は家庭で家事と育児の15%しか分担していない(女性が85%を担う)。ノルウェー、スウェーデン、デンマークなどは男性が40%以上になっている。アメリカも40%弱だ。ところが、男性が家事や育児に費やす時間の多い国ほど出生率が高いというデータが出ている。日本では、妻が有償の労働市場で働いている時間とは無関係に、家事と育児は未だに概ね女性の役割と位置づけられている。「多元的無知」とは、ほとんどの人がある考え方を持っているにもかかわらず、自分たちが少数派だと思い込んでいる状況だ。一人ひとりの男性は育児休業に肯定的だが、多元的無知があるために育児休業を取らない、自制してしまう。だが、上司や同僚がとれば、「雪だるま効果」が生じていくはずと言う。男性は育児休業を取るべきでないという強力な社会規範を打ち破り、「男性のあるべき姿」の定義を広げて、家庭生活に積極的に参加し、その時間を楽しむように変える。少子化対策はアメリカより制度的には進んでいるようだが、その背景にある「家族観」「会社と仕事」の意識変革が何よりも大事であることを示している。

アメリカでは家族の定義も広く考え、友人、近所の人も含めた支援ネットワークを築いている。日本が子育てが、「孤育て」となっていることを考えなければならない。それにアメリカは、「男性の役割は主として稼ぎ手」という考え方が弱く、「共働き・共育ちモデル」をしやすいこと、「労働市場の流動性が高い」ことも出生率の高さになっているという。日本の両立支援政策は、「女性に仕事と家庭を両立する方法を教えることに終始してきたが、男性稼ぎ手モデルを改めていない」と指摘する。

最後に、4つの政策提案をしている。「子どもを保育園に入れづらい状況を出来る限り解消する」「既婚者の税制を変更する(130万や150万円の壁)」「さらなる法改正により男性の家庭生活への参加を促す(出生時育児休業や給料の100%保証)」「ジェンダー中立的な平等を目指す」だ。

まさに今こそ古い規範を打ち破り、少子化対策に総力を上げる時だ。


makiguti.jpg「"革命の書"『創価教育学体系』発刊と不服従の戦い」が副題。教育者であり、「人生地理学」「郷土科研究」「創価教育学体系」等の優れた著作を著し、「創価教育学会(創価学会の前身)」を創立した牧口常三郎先生(187166日~19441118)の幼少期から青壮年期を描いた第1巻に続く第2巻。1913年、東京市東盛尋常小学校の校長に就任してから、1937(昭和12)に「幻の創価教育学会発会式」に至る壮絶な戦いを、入念な調査・研究によって描く。

校長になってからも、左遷に次ぐ左遷。卓越した教育者として評価を上げていくが、妬みと策謀が押し寄せる。新渡戸稲造や柳田国男ら郷土会の研究会を続行する一方、「教育は子供の幸福のためにある」との教育改革の理念と実践は凄まじいものがあった。貧しい小学校児童に、「給食」を始めたり、災害ともなれば北海道にまでも救援活動に赴いた。時代は、牧口が嫌った牢固とした権力と権威の時代、しかも民は貧しかった。さらに経済不安は全世界を覆い、日本は軍国主義への道を突き進む。教育改革を志向する牧口の信念が、社会のベクトルとぶつかる事は不可避であった。それを全身で支えたのが戸田城外(創価学会第二代会長戸田城聖)だった。

1930年、「この年は2人だけで創価教育学会を創立した歴史的な年である」「その前後の戸田の生き様はまさに疾風怒濤のような超多忙、超人的な生活だったと思われる。とても大学に通学はできなかったはずである」と言う。この年11月、牧口の畢生の大著「創価教育学体系」の完成のため壮絶な日々を過ごす。それを応援する「創価教育学支援会」も立ち上げる。犬養毅、新渡戸稲造、柳田国男等そうそうたるメンバーだ。「『創価教育学体系』は教育学の書というより、むしろ"革命の書"であったと言っても過言ではない」「当時の教育界は、入試地獄、人事の権力による不透明、視学によって統制される教育現場、権威・権力に無力な教員たちの萎縮。その現実の教育への危機感から発して、それを根本的に革命することを宣言した書」「創価教育学とは人生の目的たる価値を創造し得る人材を養成する方法の知識体系を意味する」と述べ、1930(昭和5)1118日に、「創価教育学会」の名前が史上初めて記されたことを示す。

そして昭和の動乱。「創価教育学支援会」の有力なメンバー、犬養毅が5.15事件で倒れ、新渡戸稲造が急病で亡くなる。

1937年(昭和12)、牧口は「創価教育法の科学的超宗教的実験証明」(発行兼印刷者・戸田城外)なる小冊子を刊行する。「不屈の教育革命からさらに大きく進んで根源的な革命、すなわち超宗教革命を遂行することを宣言した」「創立から7年、宗教革命への路線転換」だと言う。「なによりもまず、すべからく教育者はまず超宗教革命を断行し、人生最大の目的観と、その達成の方法を学び、最上幸福の生活に導く教育原理を改めて確立すべき」と言うのである。日蓮仏法の実践の重要性だ。この「超宗教革命なくして家庭も社会も国家も救うことができない」の宣言から、牧口の国家権力に対する死闘、民衆救済の激闘が更に続いていく。


tukinotatu.jpg人は毎日夢中で生きていると、自分だけが頑張っていて、周りは自由勝手に生きているように思いがちだ。辛さや苦しみが自分を孤独に追い込んでいく。本書は5つの短篇連作だが、主人公たちはポッドキャストの「ツキない話」で、タケトリ・オキナが毎朝10分だけ配信する月の話に接し、周りの人に支えられていることを知る。「新月」は見えないが「ある」。「新月」は新しい循環へのスタートだと心から思うのだ。「見ていてくれる人」「さりげなく寄り添ってくれる人」によって、人生はかくも豊かなものになるか。感動と涙の小説。

「誰かの朔」――看護師長目前で退職した朔ヶ崎怜花は再就職先が決まらない。劇団に所属している弟の佑樹を気ままに生きていると思っていたが・・・・・・。

「レゴリス」――青森から「お笑い芸人」を目指して上京した本田重太郎は、「ポンサク」(本と朔)のコンビを解消してさえない日々。宅配便会社のミツバ急便で毎日、配達に走り回っている。月では「レゴリス」という細かい砂が一面を覆っており、太陽の光で輝きを増しているという。

「お天道様」――東京のはずれで2輪自動車の整備工場をしている高羽は突然、娘から「この人と結婚します」と言われる。授かり婚。ずっとうまく会話ができないでいた。そこに荷物を運んで来ている本田。取引先のバイクショップで働いているのが朔ヶ崎佑樹。やがて「ありがとう、お父さん」「俺はいつだってぼうぼうと心を燃やして、おまえのこと、おまえたちのこと、想っている。だから遠くから照らしてやるよ。お天道様みたいにな」・・・・・・。これは泣ける。

「ウミガメ」――離婚した母と暮らす孤独な高校生の逢坂那智。クラスメイトの神城迅と親しくなっていく。迅の父親は劇団をやっているが、母親は離婚していないという。切り絵作家の母、切り絵をしている迅の想い。

「針金の光」――ハンドメイドのワイヤー・アクセサリーを作って販売している北島睦子。邪魔されない自分だけの大切な場所として、アトリエのワンルームを借りている。「この孤独を、何よりも愛して」・・・・・・。静かな夫、お節介なまでの世話やきの義母と距離をとり続けていたが・・・・・・。そして、忙しさの中で目薬を間違えてさしてしまう。助けてくれたのは・・・・・・。

「一人の時間を持つことと孤独は別のもの」「当たり前のように与えられ続けている優しさや愛情は、よっぽど気をつけていないと無味無臭だと思うようになってしまうもの」「環境が大事って私が思うのは・・・・・・周りの人たちと豊かに関係しあっていくってこと」・・・・・・。周りの人の愛情と支えに気づき、新しい気持ちで人生を再スタートしようとする。ちょっと静かに立ち止まって、周りを見ると、大事な大事なものが見えてくる。

 

 

 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ