山本兼一さんの「とびきり屋見立て怗」のシリーズ第4弾。「ええもんひとつ」など幕末の京都の町の空気を見事に表現していたが、遺作ともなったこの「利休の茶杓」もとても良い。
真之介とゆずが三条木屋町に開いた道具屋の「とびきり屋」。薩摩・会津両藩が、宮中クーデターを起こし、尊攘派を排撃した1863年(文久3年)の8月18日の政変、三条実美らの7卿落(それが一年後の禁門の変、蛤御門の変へと連なる)。そんな騒がしい京都の町で、桂小五郎や芹沢鴨、近藤勇らとも日常的に接する庶民のたくましさ、暖かさ、人情、夫婦の愛、日常の幸せ感・・・・・・。
「利休にたずねよ」をはじめとして、いい作品を書かれた山本兼一さん。今年2月、逝去された。
面白いという以上に、凄みのある本だ。それは維新という未曾有の激動の現実自体が凄まじいものであったということだ。歴史はともすると濁液の上ずみ液を描写するが、その裂け目下の現場には「異形の人間」「異常な興奮状態が生み出した理屈を超えた欲望、冷酷非道の生身の人間の性(さが)が露出する。それを幕末、明治初期の異形の維新史として、しかも文献、史実をガッチリ踏まえて重厚に描き出している。現実の生々しさ、人間の破天荒を突きつけられ、圧倒される。
開国の方針を決め条約の勅許を得ようとする幕府、それに対して攘夷を掲げた孝明天皇下の公卿の欲と権力闘争、狼狽ぶりのなかで生じた悲劇を描く「薔薇の武士」、戊辰戦争の官軍に先遣隊として使われたヤクザの暴走と彼らに襲われた名家夫人を描く「軍師の奥方」、岩倉使節団の実態とその船上で行われた「船中裁判」、明治初頭の神仏混淆の社寺から仏教色を払拭しようとした突拍子もない廃仏毀釈の狂騒を描いた「木像流血」、毒婦・高橋お伝の解剖と風評を描く「名器伝説」など7編。いずれもその現実と現場が鮮やかに迫ってくる。
「文藝春秋」の巻頭随筆の約3年分をまとめたものだが、驚くことがいくつもある。まず、立花隆さんの「同時代を撃つ」をいつも読んできた者として、本書は毎月の巻頭随筆でありながら時代、日時を超えているということだ。それに厳しい指摘というより「日本はそれほどお先真っ暗ではない」「日本はまだまだいける」というポジティブな話が続くこと。サイエンスの現在と未来が深く食い込むように語られること。今の話題が、太古の歴史から、宇宙から語られるということ。常に現場に行き、人に会っての思索が開示されること、等々だ。圧倒的な知識と智恵と、境地を感じる。情けないほどに政治経済などはもうとっくに置いてゆかれている。
「21世紀 文明の逆説」が副題だ。「PTG第二世代へ」「ひこばえ」「LNGの底力」「来るべき大革命(夢の光・X線自由電子レーザー)」「百億年に一秒しか狂わない四次元時計」「ベトナム(戦争)の真実」「大丸有(大手町、丸の内、有楽町)と巨神兵」「危険なメソッド(フロイト、ユング、ザビーナ)」「失われた密約(竹島密約)」「黒潮町長の執念」「ツングースカの謎」「有機合成新時代」「出雲大社詣」「麻酔とボーイング787」「アイヒマンは凡人だったか(ハンナ・アーレント)」「仏頭の来歴(大化の改新、蘇我入鹿、天智・天武・持統天皇)」「古代史のなかの埼玉(雄略天皇、鉄技術)」「クリミア戦争を覚えているか」・・・・・・。まさに「知の巨人」だが、淡々と、そして凄い。
100歳の誕生日に老人ホームから逃げ出した主人公、アラン・カールソンは、ひょんなことからギャング団の巨額の大金の入ったスーツケースを奪ってしまう。追手は増えていく。しかしアランは、出会う人間を次々と仲間に入れてしまう(近隣の鼻つまみ者ユーリウス・ヨンソンとか、ホットドッグ屋のベニー・ユングベリとか、その兄ボッセ・ユングベリとか、湖畔農場で暮らす赤毛女性ベッピンとか)。そればかりか、その大金をもっていた犯罪組織の親分や、象ソニアまでもだ。奇想天外、ハチャメチャ、デタラメな珍道中コメディだ。
しかもこの100歳のアランという男の人生がハチャメチャ。20世紀の歴史的事件に全部といっていいほどからんでいるという。その人生紹介が本書の3分の1位を占める。爆弾づくりの専門家として、フランコ将軍、トルーマン、スターリン、毛沢東、ド・ゴール、チャーチル、ジョンソン、ニクソン、フォード、ブレジネフ。たとえばSALTⅡなどもだ。
柳瀬さんは、「訳者あとがき」で「すばらしき出鱈目小説」と題し、「最も無駄になった一日は笑うことのなかった日である」という警句を紹介している。作者はスウェーデンの人。全世界で800万部を突破したという。
