すごいし、すさまじい。「安藤というやつは、抜き身で走ってきたおもしろいやつや。近寄らん方がいい」「一人、裸で刀持って走っているようなやつや、危ない」と言われたという。気迫、気力、集中力、目的意識、強い思いを持つことが、自らに課したハードルを越えさせる。エネルギッシュな、野生をもった、知的好奇心の旺盛な若者達よ出でよ。それが日本を元気にする。
「甘え」などは勿論のこと、「ゆとり」などというのではない。不安と隣り合せ、緊張感に包まれた世界に突き放す。外国でも、仕事でも、一人で突き放す。その体験が、社会を生きていく上で大きな糧となり、人間を強くするという。
やり遂げた仕事も素晴らしいが、人生に迫る創造の迫力は異次元だ。
土木工学は安全、堅固を追求する。建築工学の美、文化、躍動、アートのための空間、美しい風景、街づくり、デザインの世界に触れることができた。
「国民に媚びることなく、国家を真の独立へと導こうとした岸信介。彼が思い描いた理想に、この国はまだ遠い」と本書は結ばれている。昭和2年3月の昭和恐慌(岸31歳)から昭和30年の保守合同(自由民主党結成)(岸59歳)、そして60年安保改定。まさに激動の日本。北さんは岸が戦い続けた吉田茂を「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」の名著を出しているが、国を背負った「自ら反(かえ)りみて縮(なお)くんば、千万人といえども吾往かん(孟子)」を貫いた叛骨の宰相として岸信介を描いている。そして「歴代総理のなかで、辞任後もっとも評価が高くなったのは岸信介ではあるまいか」という。あの昭和の戦争、そして占領下の日本、そして保守合同への"自民党戦国史"――そのなかで、日本を背負うとはどういうことか。保守政治とは何か。そのなかで突き上げる情念とは何かを、描き出してくれている。
「21世紀の対話」(池田大作・トインビー対談)が刊行されて約40年。世界で28言語に翻訳出版されたこの対談を、佐藤優さんが今こそ必要な哲学として鮮やかに解き明かす。本書にあるのは生命の尊厳の人間哲学だ。
佐藤さんは現代社会の迷妄はリーダーたちの「思想の欠如」にあると見る。現代社会の浅薄さは「哲学の不在」にあることは間違いないが、その哲学は現実に根ざし、行動を伴なって初めて意味をもつ。本書は「価値を創り出す理性的直観の力」「宗教と科学」「ニヒリズムの超克」「正義について」「労働の哲学」「一神教と汎神教への考察」「愛と慈悲」「生命の尊厳」など、佐藤さんが対談のなかから抽出して、21世紀の今こそ、この対談がその光を放つと解説する。
やなせたかしさんが今年亡くなった。「手のひらを太陽に」は今も歌われ、「それいけ!アンパンマン」は毎日、朝のBSで放映されている。いばらず、自慢せず、「人生の楽しみの中で最大最高のものは、やはり人を喜ばせることでしょう。すべての芸術、文化は人を喜ばせたいということが原点で、喜ばせごっこをしながら、原則的には愛別離苦、さよならだけの寂しげな人生をごまかしながら生きている」「ぼくは怒るよりも笑いたい」「愛と勇気だけが友達さ、とアンパンマンのマーチでいっている」と語る。
キャラクターをつくる大変さと工夫。スーパーマンと違ってアンパンマンは弱点をもったヒーローだ。しかし、少し優等生。一方ばいきんまんは結構人気がある。どこかガキ大将とか、不良とか、片目の海賊とか愛嬌のある悪人も素適だとウケることがある。
本書の第一章は「正義の味方って本当にかっこいい?」と、?から始まっている。
小説は物語、ストーリーの面白さと思っていたが、この「未明の闘争」は全く違う。あるのは生命の流れだ。その生命の流れが次々と絵巻物のように、しかも時空を飛んで連続する。記憶をエピソードとしてまとめず、自由に生命のおもむくまま飛ばす。思ったのは仏法の法概念。「法とは水(サンズイ)が去ると書くが、目の前の水は既に今あった水ではなく去っていく。しかし目の前の水は常に厳然と絶え間なく流れゆく。無常と常住の十字路に今の瞬間を位置づける。それが中道の生命である」――。その諸法実相の世界を時空を越えて描いたのだと思う。死んだ友人が目の前に現われたり、子供の頃の思い出が突然出てきたり、音楽や哲学がサッと現われたり、家族同然の猫の生老病死が語られたりする。しかもどれも温かい。
「人生の時間の流れに出遭いや出来事が点在するのではなく、出遭いや出来事が起きるそのつどそのつど人生の時間の流れが起こる」「現在とは何十年前であろうと、それを現在状態たらしめようとする記憶装置なんだ」「ジョジョは突然、"アオーン!アオーン!"とカン高い声で激しく鳴きながら、二階に向かって階段を駆け上がった。いまボッコの魂が去ってゆくのがジョジョにわかってそれを追いかけた」・・・・・・。「私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた」という冒頭の一節から、定番とは違う世界にいきなり誘い込まれた。