名画は嘘をつく.jpg

西洋美術の歴史において、彫刻から絵画の時代になっていったのが、14世紀に始まったルネサンス時代。絵画は、ある一定のメッセージを「伝える」という目的があった。しかも画家自身が個人的な世界観を表現するようになったのは19世紀半ば以降だという。そして「歴史的および社会的な要素が、造形的に表現されているのが西洋美術です。描かれている作品世界を『見る』だけでなく『読む』ことによって目からうろこが落ちるように鮮明に絵画鑑賞ができるようになる」と指摘する。


レンブラントの「夜警」「ヤン・シックスの肖像」、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」、ムンクの「叫び」、ドガの「アブサン」「舞台上のバレエの稽古」、ダ・ヴィンチの「モナリザ」、ゴッホの「アルルの寝室」「星月夜」、ゴーギャンの「かぐわしき大地」「未開の物語」、ベラスケスの「フェリペ4世の肖像」、マネの「皇帝マキシミリアンの処刑」、アングルの「グランド・オダリスク」、ルノワールの「洗濯女」、ミレーの「死と樵」「落穂拾い」、ミケランジェロの「アダムの創造」・・・・・・。


木村さんは「感性だけで鑑賞することは非常にもったいない」といっている。


決戦 関ヶ原 講談社.jpg

関ヶ原の決戦の時、各武将は何を考えていたか。7人の実力作家が各武将の心象風景を描いている。端的で面白い。


伊東潤が徳川家康を「人を致して」と題して描く。孫子の「人を致して人に致されず(人を思うように動かし、人の思惑通りには動かない)」の教えに比して、「思えば、他人に致されてばかりの生涯だったな」「もう、わしは致されぬぞ」という心象だ。吉川永青が主家を転々とし、福島正則下にある可児才蔵を「笹を噛ませよ」として描く。


天野純希が織田有楽斎を(「有楽斎の城」)。上田秀人が宇喜多秀家を(「無為秀家」)。矢野隆が島津義弘を(「丸に十文字」として"捨て奸=すてがまり=戦法")。そして冲方丁が小早川秀秋を「真紅の米」として、葉室麟が石田三成を「孤狼なり」として安国寺恵瓊の策とのからみをも描く。


運命の慶長5年9月15日。各武将の心には、いずれも霧がかかっている。そこには、秀吉の狂気じみた朝鮮出兵があり、豊臣家中の武将たちと吏僚の対立。戦乱が続くなかでの家康と毛利の生きざまが交錯している。それぞれの作家が武将になり代わっての参陣だ。


切腹――日本人の責任の取り方.jpg

江戸時代特有でもある「切腹」は、「武士の身分的矜持」と、それを支える「主君の絶対性」による。「殿中刃傷事件――大石内蔵助ら46人の切腹など」「宝暦木曽川治水工事 薩摩藩・平田靱負の切腹」「刑罰としての切腹」「御家騒動と切腹」など、具体的実例をあげながら、日本のいわゆる"武士道"といわれるものと、江戸時代を浮き彫りにする。


「武士は失敗があれば腹を切るものという観念があったので、不祥事があれば進んで切腹する者もあり、上から強要された場合でも潔く腹を切った。個々の武士の倫理観は日本人の責任感の強さを示すものとして高く評価できる。しかし、上に立つ者がその倫理観を利用して、自らの責任を逃れようとした事例が目立つ。現在でもそうした傾向はあるが・・・・・・」「江戸時代、切腹に追い込まれた武士を見ていると、本当に悪い事をしている者はそれほど多くない」という。「葉隠」の冒頭「武士道と云(いふ)は死ぬ事と見付けたり」とは、「常住死身」の覚悟、心構えを述べたものだと指摘している。


いわゆる"詰め腹"――現代社会の責任のとり方を再度考えさせてくれる。


平蔵狩り.jpg

「平蔵の首」に続く逢坂剛「長谷川平蔵」シリーズ第二弾。江戸の火付け盗賊改方の長谷川平蔵の下、公家憲一郎、俵井小源太、今永仁兵衛、美於、りん等の務めぶりが描かれる。逢坂さんの平蔵は素顔を見せないが、冷静で知的で、読みの深さ、粋と度量と人情で事件を解決していく。事件裁きは鮮かというほかない。100歳を超える逢坂さんの父親、挿絵画家・中一弥さんの絵にも感動する。


6つの連作短編だが、平蔵の隠し子騒動「平蔵狩り」がとくに良い。静かに流れる江戸の時間と突発する事件。「沈黙」に重厚さが広がる。


農山村は消滅しない.jpg

農山村の集落は基本的には強靭で強い持続性をもっている。「地方消滅などといわれるが、現実には「ここに生きる」意志と努力は強く深い。しかし、他方で集落には「臨界点」もあり、安易な"地方消滅論"はそれを加速させると警鐘を鳴らす。


小田切さんは現場を歩きに歩き、その強さ、靭さ、意欲、懸命さ、若者などの田園回帰などの変化を凝視する。そして示された地域づくりへの挑戦は、過疎化・超高齢化の難問を突破するカギとなり、その体系を明らかにする。力づけられる。


さらにそこにとどまらない。都市・農村共生社会の方向性を提起する。「成長路線を掲げ、"農村たたみ"を進めながら、グローバリゼーションにふさわしい"世界都市TOKYO"を中心とする社会を形成するのか。そうではなく、国内戦略地域(食料、エネルギー、水、森林等)である農山村を低密度居住地域として位置づけ、再生を図りながら、国民の田園回帰を促進しつつ、どの地域も個性を持つ都市・農村共生社会を構築するか。こうした分かれ道が私たちの目の前にある」とする。あの東京オリンピックから50年、「これまでの50年、これからの50年」という視野での国民的議論が、いま必要である」という。本当にそう思う。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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