なつかしいZ会の機関紙に「こころの物語」と題して加地伸行先生が語った連載。利己主義、個人主義、家族主義について繰り返し、説かれる。
「個人主義者とは、自律・自立し、自己責任をもって自己決断する人のことである。一方、利己主義者は己のためにだけ行動する人である。何もだれも信じない。信じるのは、自己と金銭財物だけである。ただし個人主義的生き方はなかなか難しい」「そこでキリスト教の神(唯一最高・絶対者)が、内面的に個人主義とつながり、崩れようとするときの抑止力となっていったのである」。「こうしたキリスト教的世界と異なり、日本・朝鮮・中国という儒教的世界では、個人主義は生まれず、家族主義ひいては一族主義をすぐれた生きかたとした」。
そこで家族の思想に貫かれる無償の愛を説き示す。「無償の愛がないから他人」「日本人を変質させた"個人主義のものまね"」「他者への無償の愛、すなわち友情」「教養人(君子)であれ、知識人(小人)にはなるな」。「沈黙の宗教――儒教」「家族の思想」「論語」の大家・加地先生が易しく、繰り返し、青年たちに語っている。
生涯獲得タイトル数歴代一位、全7タイトル戦で6つの永世称号を有する。すなわち永世名人、永世棋聖、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将(あと1つは竜王)。「決断力」「大局観」に次ぐ著作だ。
「直感と読みと大局観。棋士はこの三つを使いこなしながら対局に臨んでいる」「直感は磨くことができる。・・・・・・短い時間の取捨選択だとしても、なぜそれを選んでいるのか、きちんと説明できるものだ。・・・・・・今まで築いてきたものの中から生まれてくるものだ」「直感とは堆く積まれた思考の束(経験の蓄積)から、論理的思考が瞬時に行われるようなものだ」・・・・・・。
棋士の世界が見えてくる。たんたんとペースを刻み、前向きで、自然体で、囚われず、忘れ、空白をつくり、見切り、無理をせず、自己否定せず、マラソンのラップを刻むように進む。思い通りにならない自分を楽しむ。名人、達人の領域だ。
「長考に好手なし」「手を渡す――将棋は他力」「一発逆転はない。願望から生み出された幻影だ」「自分の得意な形に逃げない」「持ち駒再利用は日本の将棋だけ(世界中には将棋の類似が多くある)」――人生哲学ともいうべきものだ。
見事な小説。的矢六兵衛とは何者か、素性も謎のまま、名文で最後まで押し切ってしまった。シンプルな構成、時代の大激動と不安に比し、ただ一点、ただ一人、無言ゆえの重厚さと精神性が空間を制圧している。
時は幕末。場所は一点、西郷・勝によって成就した不戦開城の江戸城内。開城前夜の江戸城に官軍の先遣隊長として送り込まれた尾張家御定府組頭・加倉井隼人が見たものは、一見して平穏な城中に、全く正体不明に座り続けていた一人の侍だ。しかも、西郷・勝は、その侍をけっして腕ずく力ずくで排除してはならぬ、ここに天朝様がまもなく入るからだという。隼人を中心に添役・田島小源太、外国奉行御支配通弁・福地源一郎は難役に挑む。もはや武士道いずこへという大混乱の時に頼りになる者はいない。
この侍は何者か。御書院番八番組・的矢六兵衛だ。御書院番といえば旗本中の旗本、将軍家の馬前を固める騎馬侍だが、いまや人も武士道も散り散りとなっていた。しかもこの六兵衛は身代わりで、以前の六兵衛ではないという。しかし姿形すべて武士道すたれるなかで見事な所作で周りを圧する。誰が説得しようと黙して語らず、毅然としてただただ座り続けている。部屋の場所を次々に替え、存在感が頂点に達するなか最後は表御殿の黒書院に座り続ける一人の侍・的矢六兵衛。
何者なのか。何の為なのか。人間存在。宇宙即我にまで思考は及ぶ。
「イラン革命(1979年2月)」「マッカのマスジド・ハラーム占拠事件(1979年11月)」「ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年末)とそれに対するムジャーヒディーン(ムスリム戦士)のレジスタンス形成」「ジハード団によるエジプト、サダト大統領暗殺(1981年10月)」は、19世紀以降の欧米による植民地化、つまり政教分離の西欧自由民主主義と無神論の共産主義によって、イスラームをはじめとした宗教が政治から締め出されていたことに対する「イスラームの国際政治への再登場」を告げるものだという。そしてエジプトとチュニジアで民衆が政権を奪取した2010年の「アラブの春」――。その後の混迷はそうした世界史的文脈の深化の不十分さにあるという。
イスラーム世界は約16億の人口を抱え、若者も多い。世界の石油埋蔵量の約4分の3を有し、天然資源も豊富で、砂漠ばかりではなく東南アジアやアフリカには豊かな農地が広がる。「世界のグローバル化はアメリカ主導であり、世界のフラット化、単一市場化をめざしている」という内田さんと中田さんは、もう一つのグローバル共同体であるイスラーム共同体との衝突に帰結することを指摘する。「貨幣ベース・市場ベース」のアメリカン・グローバリズムに対して、カリフ制を「生身の人間ベース」と見る。
「イスラーム、キリスト教、ユダヤ教」と副題にあるが、「砂漠、遊牧文化、決断のリーダーシップ、歓待の文化」と「農耕、定住文化、合意のリーダーシップ、断る文化」を対置する。「一神教の特徴を見分けるポイントは、遊牧民の宗教か定住民の宗教か、ということ」という。当然、日本人は典型的な定住の農耕民だ。今では全く別々の宗教になっているユダヤ教、キリスト教、イスラームの三つの一神教だが、そのルーツは同じ中東の砂漠で、同じ唯一絶対の神を戴いて成立した兄弟のような宗教だが、そこに築かれた国家とグローバリズムの現実を、対談のなかで浮き彫りにしている。
きわめて貴重な重要な本となっている。2005年にスタートした水害サミットの証言・提言集だ。被災地の首長さんが体験に基づいて「水害現場でできたこと、できなかったこと」を実践的に述べたことをまとめたもの。私も昨年の「第9回水害サミット」に参加した。
「災害時にトップがなすべきこと」「災害発生時の対応」「発災後における対応」「平常時の対策」等をまとめているが、集約すれば「序論 災害時にトップがなすべきこと 11項目」となる。
1.「命を守る」ということを最優先し、避難勧告を躊躇してはならない
2.判断の遅れは命取りになる。トップの決断を早くすること
3.人は逃げないものであることを知っておくこと(人を逃がすための工夫)
4.ボランティアセンターをすぐ立ち上げること
5.住民はトップを見ている。トップは住民の前に、マスコミの前に全力で働いている姿を見せること
6.住民の苦しみや悲しみを、トップはよく理解していることを伝えること
7.記者会見を毎日定時に行い、情報を出し続けること
8.大量のゴミ対策を
9.お金のことは後で何とかなる。やるべきことは全てやれ
10.視察は嫌がらずに受け入れること(現場を見た人は必ず味方になる)
11.応援・救援に来てくれた人に感謝の言葉を伝え続けること
避難勧告、指示など、「どう住民に危機を伝え、的確な指示を出せるか」ということで苦労してきた首長たちの珠玉の生の声、現場の声があふれている。良書。