昨年、都内で行われたセミナーでの「どうなる日本経済!アベノミクス効果の功罪」の討論。
「一の矢と二の矢を逆にすれば理解しやすいアベノミクス」「誰も否定できないアベノミクス効果」「諸悪の根源はデフレ」「"失われた20年"ではなく、"まだらな20年"だった――91年から戸惑いの6年、97年から危機の5年、回復の6年、2008年からの最も失われた5年に分ける」「成長はまだ必要か」「借金も多いが資産も多い日本政府」「まだ前半分だけの第二の矢(財政再建が後半)」「第三の矢のキーワードは規制緩和と競争(民間に徹底的に競争させよう)」――。
そして、「これからの道は、新しい豊かさを求めることだ。"自分が生きたいように生きられる社会"をめざそう。そのためにもこの際、長期の国のヴィジョンを作ろう」と述べている。日本経済の正念場を迎えている。
福島原発事故民間事故調をプロデュースした船橋さんが、福島原発事故のギリギリの局面での究極の決断、リーダーシップと現場――そうした日本の危機の本質を徹底的に追跡した迫力ある書だ。
「危機のリーダーシップとは」と副題にあり、半藤一利氏と「日本型リーダーはなぜ敗れるのか」をめぐっての対談がある。「最悪のシナリオをつくらない日本人」「いま起きたら困ることは、起きないのではないかというふうに思い、やがて起きないに決まっている、いや絶対に起きない、という思考回路になった。最悪のシナリオをつくらない日本人だ」「"参謀が大事"という日本型リーダーシップ」「防災とともに、一刻も早く外交、安保、危機管理・・・・・・平時から十分な対応策を立てなくてはならない。危機管理の復元力だ」――。
この原発事故の「危機のリーダーシップ」について、チャールズ・カストー米NRC(原子力規制委員会)日本サイト支援部長、福島第二原発を守った増田尚宏東電福島第二原発所長(情の吉田、理の増田)、折木良一自衛隊統合幕僚長、野中郁次郎一橋大名誉教授と対談している。「危機管理とは何か」の生々しい証言と教訓だ。守勢を苦手とし続けた日本(人)を、日本人論や文化論に逃避せず、今こそ変えなければならない。
「ミネルバの梟(ふくろう)は黄昏(たそがれ)に飛び立つ」――ヘーゲルの「法の哲学」の言葉だが、私も哲学の、時代総括と次代への備えについて時おり語ってきたものだ。それが富士フイルム先進研究所のシンボルということに心が躍った。その哲学的深さと、勇気ある挑戦があるゆえに、写真感光材料の全盛時代の黄昏から新たな創造を生み出す。デジタルカメラの登場、デジタル化時代の襲来、本業消失の危機を乗り越えたのだと思ったからだ。
「技術志向の富士フイルム」「現実を見る勇気、将来に投資する覚悟」「富士フイルムは写真文化を守る」「富士フイルムが手がける医療、化粧品の理由」「勝ち続ける企業は、変化にすばやく、うまく対応できる企業であり、そこからさらに進んで、変化を先読みし、先取りできる企業でなければいけない」「巨人コダックと富士フイルムを分けたもの」「有事のリーダーシップとそれに伴う責任」「ナンバーツーまでの勝負は竹刀、経営トップの勝負は真剣」「日本の製造業は技術力、人材力、成長ポテンシャルがあり、負けていない。日本人には頑張リズムがある」「PDCAよりSee‐Think‐Plan‐Doだ」――。
日本の課題として、日本企業のSGA費(販売費及び一般管理費)の高さをあげている。それは「ホワイトカラーが多すぎる。管理職も多く、現場で働いている人の数よりも、間接部門の人員が多い企業もある」としている。これはモノづくりをはじめ、日本の遭遇する最も深刻な問題だと私は思っている。日本の労働生産性の低さにもかかわることだ。現場力、業務遂行力の劣化も課題として指摘している。
間違いなく、「勇気」を届けてもらった。勇猛精進(敢(い)さんで為すを勇と曰い、智を竭(つ)くすを猛と曰い、無雑の故に精と曰い、間(たえま)無き故に進と曰う)が本書には貫かれている。
大相撲の朝稽古――私が想起したのは、未知の厳しい世界に飛び込んだ若者たちの不安と絶望と、かすかな光を求める背水の陣からくる緊張感、闘争心だ。警察学校は新入社員の研修よりもはるかに厳しい「警察官としての資質に欠ける学生を、早い段階ではじき出すための篩」だという。
不安と緊張の半年に及ぶ合宿生活――。そこには未熟(経験不足)、嫉妬、誤解、競争、挫折、裏切りもあるが、それが修羅場と化す社会の現実であることを突き付ける。その荒砂で揉むがごとき教場で、じっと見つめる白髪の教官・風間は教師というより師匠だ。
人間を鍛え、育てるとはどういうことか。あえて突き放したり、情愛で包んだり・・・・・・。学園ものの小説を装っているが、厳父の愛、とくに師匠がいかに人間を育て、鍛えることにおいて大切かという「師弟」に魅力を感じた。ところで表紙の指紋は長岡さんのものだろうか。
大災害に備えるには科学的想像力がいる。そして危機を察知したなら間髪をおかずに実行することだ。失敗学からいえば、必ず人間は「まあ今やらなくても」「何とかなるのではないか」と安易な方向に流れるからだ。
私も繰り返し言っているが、1755年、リスボンが津波に襲われ、それがポルトガルの時代の終わりを告げたことを絶対に忘れてはならない。本書の焦点は首都直下地震。それも東日本大震災によって首都直下の地層に乱れが生じている。何度も地震が発生して、頻度を増しつつ、マグニチュード8級に至るということ。加えて、日本国債が売られ、円の価値は急落し、株は暴落する。国内の銀行、証券までが円、国債売りに走る。それを狙っている諸勢力が世界にいる。日本は壊滅する――。そうした想定を高嶋さんは、小説で描く。しかも国交省がその中心舞台となる。その首都崩壊、日本崩壊を食い止めるのが、首都移転の短期間での断行という設定だ。
首都直下型地震は必ず来る!それによって1929年をはるかに上回る世界大恐慌が起こる――それをどう食い止めるかを考えさせる。