琉球王朝500年の末期。テンペスト――まさに世界も嵐、王朝も嵐、人心も嵐。アヘン戦争、列強が迫り、ペリー来航(浦賀より前に琉球へ)、そして大政奉
還、明治維新、廃藩置県――巨大であった清国の冊封(さっぽう)体制と薩摩藩との間のなかで、王朝国家の存続をかけて生き抜く主人公(父親の期待に応える
ために宦官と偽り、孫寧温として王宮入りを果たす天才美少女・真鶴=女性として王の側室ともなる)それを囲む愛憎からむ人々。
仲間由紀恵主演で舞台化されるが、この長編をどうやって演ずるのだろうか。
まず、南北朝時代を描いた、しかも村人の生活から時代の空気を描いたのは面白いし、あまり例がないのではなかろうか。しかも史実の裏付けがある。人物の配置と個性も鮮やか。黒澤明の「七人の侍」とはむしろ違っていて、これは悪党の襲来に備え、8人の侍を雇った村、弩を手にした因幡の百姓の物語だが、むしろその背景を描いている。
柿渋を特産とし、塩との交易によって豊かな村をつくるということも背景にあるし、南北朝時代、楠木正成の活躍と死も物語の背景にある。
新聞もテレビも出版も危機に瀕しているという。不況、IT、IPAD、キンドルなど社会の構造変化がその原因だといわれるが、内田さんは、そうではない、コミュニケーションの本質について理解しているかどうかだと深くえぐる。
「知性の劣化」「世論(責任なきみんなという言説)と知見」「教育と"買い物上手になる学生"」「著作権」 「電子書籍」「本棚の持つ欲望」「出版文化がまず照準とすべき相手は"消費者"ではなく"読書人"」「贈与と返礼、コミュニケーション」「ありがとうとい う言葉」を論じてくれているが、いつもながら内田さんは本質をえぐり出している。
「女性天皇論」を著した中野正志さんは「パンドラの箱をあけることになる」といったが、これは「天皇とは、天皇制とは、日本の文化とは、日本の伝統と
は、神道とは」という根源的な問いを発することになる。また「女性天皇というみちを残しつつ、臣籍降下した旧皇族の復帰で、男系による万世一系をはかるべ
きではないか」と主張する人もいる。
2011年「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。いわゆるサスペンス、ミステリーというのとは違う。ミステリアスな小説だ。
繰り返し繰り返し見る夢が私にもあるが、夢のなかでこれは夢だと思いつつまたそれも夢の中とい うことがある。夢、幻か、トラウマか。何が幻で何が夢で、現実に対する夢と夢見る身体そのもの、生きているということと死ぬということの彷徨と境界、そし てその往復、そのはっきりした切断に拳銃をこめかみに当てるという自殺が位置づけられている。
