こどもニート(就労経験がなく、ひきこもりと瓜二つになる)に、先祖がえり型、直行型、未成熟型の3つがあり、大人ニート(就労経験があり、多くはひきこもり風にならない)に、若者の一般的ニート、中高年ニートの2つがある。5つのタイプで神山さんは説明する。
数でいうと一般的ニートが約7割、中高年が約2割だという。克服には何が必要か。社会人に求められる協調性や社会性が養われていない。つまり「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」を意識するという基本だという。
「働かなくてもよいこどもの領域→移行期→働かなくてはならない大人の領域」を丁寧にたどらないといけない(就職指導を含む就職活動の準備と実践)と神山さんは言っていると思うが、それを親が決めつけたり、無神経に価値観を押しつけたり、もう1つ「引きこもり支援団体」が負の働きをしているという。
事例をひきながらの説明には説得力がある。
諸法実相、如実知見――仏法哲学はそうした人間の「諦」(明らかにみる)、リキむことなき境地だと思う。過去、現在、未来――自らの選択、意志によってこの世に生を受けたのではなく、悪業を積みつつ生存する人間であることを諦観しながらも、「現在の行為と選択は、未来を変える可能性があるのだ」と述べる。
五木寛之さんはこの本の最後で、「意識と無意識の深いところになにか不安なものをかかえこんで、心のバランスが崩れ、いつも自分が安定していない感じがする」といい、子供の頃の体験を通して「運命は逆らいがたいものなのか。人はみずから運命を変えることができるのか。あの山中の闇のなかで、私を照らしてくれた月光のような光は、どこにあるのか。その未知の世界を求めつつ、手さぐりでいま私は生きている」と結んでいる。
「毎日を生きていくことのできるエネルギーを求めている」ともいう。
和魂漢才(菅原道真の「菅家遺誡」)から和魂洋才、そして和魂世界(人類)才が望まれる。 しかし、無魂の知識人が溢れていることを梶田先生はなげく。しかもなかには嫌和魂まである。和魂とは何か。「脚下照顧」「和の心」「明き心、直き心」「慎み」「冷暖自知」「世間虚仮」「本居宣長の『初山踏』」「貝原益軒の『和俗童子訓』」「山本常朝の『葉隠』と武士道」「熊沢蕃山の『集義和書』」などを引きながら和魂を示す。
我々の世界に生きる。我の世界に生きる。
もう1つ、師弟の世界に生きるということがあると思うが、教育基本法をはじめとして、教育で常に指導をいただいた梶田先生の誠実さが伝わってくる。
教育は心を育み、心を鍛え、心を豊かにすることだが、その再建をしないと日本は危ういところに来ている。
日本の直面している論点は、たしかに、じつは根がもっと深い日本の難点だ。
「昨今の日本社会のどこがダメなのか。
家族の包括性、地域の包摂性、宗教の包摂性が低下している。社会的包摂を伴った社会をどうつくるか。新たな相互扶助の関係性を、どう構築し、維持していくのか。
大きな社会の樹立ということになる」――
この本には「勘違い」「日本のどこがダメなのか」「薄っぺらくなった社会」「ポピュリズムの横行」そしてそれらを「現代とは社会の底が抜けた時代である」というキーワードでくくっている。それは当然「人間関係」「若者論・教育論」「幸福論」となる。
私もそうした問題意識が常によぎりながら、難題と格闘している。
論点は本当に難点だ。
エネルギッシュで、走り回り、智慧を出す、文字どおり経営者の行動と頭脳だ。3つある。
1つは、売れている時の営業マンのこと。お客の注文の取り次ぎではダメ。拡大へ向けて、ハートをつかんでいく踏み込みが大切との指摘だ。
2つは、とにかくムダをなくす、コストダウンへの執念だ。いったん規則ができると、それに従うのは「大企業病」だというが、役所もそうだ。クルマは1台あたり1万から3万の部品からなる。1円を削れば、1万円から3万円がうく。ムダを削る、民間の苦労だ。いかに「小さく」「少なく」「軽く」「短く」「美しく」するかの工場監査はすごい。
3つめは、小野浩孝専務のことだ。鈴木修さんにとって、大変なショックだったが、私も役人時代からひときわ親しくしていたので、写真を見て涙がこみあげた。