「女性とマイノリティの100年」が副題。シベリア抑留体験のある父を持ち、アナキスト伊藤野枝の壮絶な生涯を描いた「風よ あらしよ」の作者・村山由佳。祖父が関東大震災で殺されかけ、在日韓国・朝鮮人として様々な差別を経験してきた朴慶南。1923年9月1日に発生した関東大震災、そこで起きた民間人らによる朝鮮人虐殺や憲兵による無政府主義者殺害。それから100年たった今、2人の対談が行われた。「関東大震災で、なぜ普通の人間が同じ人間に対し、かくもむごいことができたのか」「民族差別の背景に何があったのか」「当時の差別と排除の濁流は、今の時代へそのままつながっているのではないか」――。女性とマイノリティの100年を率直に語り合っている。
「大震災での朝鮮人虐殺の事実」――朝鮮人、中国人、間違えられ日本人も含めて6000人もの"大虐殺"。「姜徳相による虐殺のメカニズム解明(暴力が支配する戒厳令下の虐殺) (日本による過酷な植民地支配に対して、1919年の朝鮮半島での3.1独立運動など、大規模な反日運動が各地で起き、日本政府や軍警察当局は危機的な事態とみなし恐れていた)」などが示される。「朝鮮人なら殺してもいいという時代があった」「関東大震災時の自警団は東京1145、神奈川634・・・・・・。組織の中核は、各町村の青年団、在郷軍人会、消防組で、警察が上から組織したものが多い」と言う。「植民地支配、官民どちらにもある朝鮮人への差別意識と仕返しを恐れる感情、戒厳令を背景にした官製弾圧」を指摘する。
「男社会は同性愛を忌避する」――。「ホモソーシャルな社会の中では、ホモセクシャルである人間はまず排除される。ホモセクシャルを嫌うホモソーシャルから、ホモフォビア(同性愛嫌悪症)が出てくる」「自分に自信がない人ほど持ち物で人と張り合ったり他人を見下したりする。自分に自信がないから、変に理論武装して『論破』に快感を見出したりマウンティングしたがる」とし、価値はそれぞれに独自のものであると言う。また、「相手の心に響く謝罪」「物語は他者の『痛み』を伝える」「被害を受けた側への想像力」の大事さを語り合っている。
「抵抗者たちの近現代史」であるとともに、「人間の原点」を感じさせる対談。
「この地球上に、いまだかつて神をもたない民族はなかった。なぜ人は神を求めるのであろうか」――。そして今、「現代は、日常の生活空間から人間以外の存在を放逐してしまった時代である。前近代の日本列島では、人々は目に見えない存在、自身とは異質な他者に対する生々しい実在感を共有していた。神・ 仏・ 死者だけではない。動物や植物までもが、言葉と意思の通じ合う一つの世界を構成していた。人々はそれらの超越的存在=カミのまなざしを感じ、その声に耳を傾けながら、日々の生活を営んでいた」「共同体の人々は、宗教儀礼を通じてカミという他者へのまなざしを共有することによって、構成員同士が直接向き合うことから生じるストレスと緊張感を緩和しようとした」「カミの緩衝材の機能は、人と人のあいだだけではなく、集団同士の紛争処理を可能にした。そこには神の実在に対するリアリティーの共有があった」と言う。近代の世俗化の進行とカミの世界の縮小が神仏だけでなく、死者も動物も植物も排除され、特権的存在としての人間中心主義のヒューマニズムを生み出している。しかし、現代人の生と死の間に明確な一線を引くことができるという死生観は、人類の長い歴史の中で見れば、近現代だけに見られる特殊な感覚だと言う。「前近代の社会では、生と死の間に、時間的にも空間的にもある幅を持った中間領域が存在すると信じられていた。呼吸が停止しても、その人は亡くなったわけではない。生と死の境界をさまよっていると考えられていた」と指摘。近代社会は「異形の時代」であり、「集団間の緩衝材、息の詰まる人間関係の緩衝材の消失の時代」であり、人類が千年単位で蓄積してきた知恵を発掘していくことの必要性を述べている。
指摘は構造的で実在的だ。宗教思想や文化変容の背景には、社会構造の変動に伴うコスモロジー(世界観)の変容があるとする。基本ソフトとして、コスモロジーの変容があって、それが応用ソフトとしての個別思想の受容と展開を規定すると言う。「個々人の救済をどこまでも探求する『鎌倉仏教』誕生も前提には、新たなコスモロジーの形成があった(悟りへの到達=生死を超えた救い、不可視の他界の実在がリアリティーを伴って共有される)」と言うのだ。「仏を我が内に見る」という大乗仏教の受容もコスモロジーの変容、社会の転換と連動しながら精神世界の奥底で深く静かに進行する地殻変動があっての故である。
日本人はどう「神」を捉えてきたか。まず「人々が最初に人間を超越する存在(カミ)を認知したのは、畏怖の念を抱かせる自然現象や驚異的なパワーを有する野生動物」だった。やがて「カミの形象化(土偶など)が始まり、それが集団のカミのイメージの共有=信仰の形成となる」。そして7世紀後半、「祭りの時に呼び出されてきたカミが特定のスポット(神社)に常駐。国家と天皇を永遠に守護し続けるものとなる」。10世紀後半、「ある種のカミ(仏)が、絶対的存在=救済者にまで引き上げられる。一方で被救済者としての人間に内在する聖性が発展されていく」。仏教の仏性だ。さらに生前に達成した功績によって、秀吉や家康などまでカミになる「ヒトガミのラッシュ」、普通の人間が生前の意思や努力によってカミになることができる時代が到来する。近代国民国家では「ナショナリズムが人々の心をつなぎ、止める役割を果たすようになる。日本の場合、国民統合の中心的機能になった存在が天皇だった」・・・・・・。
本書は「カミ」をめぐって、有史以前から近代に至るまでの歴史的経緯を解析する。それは「日本人の心の歴史」でもある。それにしても平安末期から鎌倉時代は、時代を画していることがわかる。天変地妖、政治・社会の大変革の時代、末法思想の渦の中にあった時代だったのだろう。
20年ぶりの新紙幣――7月3日、10,000円札「渋沢栄一」ゆかりの東京北区飛鳥山でくす玉を割る記念セレモニーが行われました。場所は飛鳥山公園内にある国重要文化財「青淵文庫」前のグリーンの庭。夏の暑い日差しとなりましたが、山田加奈子区長や国会・区議会関係者、渋沢家関係者、地元の各団体や町会・自治会代表ら多数が参加。くす玉割りは地元の幼稚園児が行い、盛り上がりました。
ここ飛鳥山公園は、渋沢栄一が61歳から91歳の最後まで30年過ごした地。人生で最も長く住んだところです。また近くには国立印刷局東京工場もあります。地元としても祝賀の日となりました。私も配られた小さな小さなくす玉を一緒に割りました。
生涯、特定の研究機関に属さなかった在野の「知の巨人」「知の野人」である南方熊楠。1867年(慶応3年)、奇人にして天才の熊楠は和歌山に生まれる。博物学者、生物学者、民族学者と言われるが、その研究対象は有名な粘菌の研究だけでなく、動植物、昆虫、キノコ、藻、さらに星座、男色に至るまでの世界の全て。「我は、この世界を知り尽くしたい」「我にとって学問は呼吸同然じゃ。野山を駆け回り、書物に溺れることで脳内の世界を押し広げる」ことに突き進む。家業を継げと言う父に逆らい、東京、アメリカ、イギリスなど学問を続けるが、なかなか日の目を見ることがない。和歌山に戻って研究に没頭するが、世に認められない苦悩と困窮、家族との軋轢、最愛の息子との別離など苦難が押し寄せる。その巨大なエネルギーを持ってしても、立ちはだかる岸壁は硬い。本書は偉大な学者「知の巨人」たる南方熊楠ではなく、あまりにも人間的で悩み苦しみ、突然嵐のように迫りくる胸奥の叫びを描き切る力感こもる傑作。
「この世を知り、尽くし、己を知る」――熊楠の熱情は狂気ともいうべき桁はずれ。それだけに、しっかり者の妻・松枝との衝突、ずっと仕送りをし熊楠を支え続けた弟・常楠との喧嘩別れ、追い討ちをかける長男・熊弥の精神の病い・・・・・・。「熊弥の絶叫は夕6時から9時まで続き、とうとう、喉が嗄れた。・・・・・・熊弥が、病にかかったのは、己のせいなのだと思い直す。自業自得。・・・・・・あんたのせいや。あんたのせいで、熊弥はおかしなったんじゃ! 熊弥を返しぃ! 熊弥を返しぃ!」「われ九歳の程より菌学に志さし 内外諸方を歴遊して息まず 今六拾三に及んで、この地に来り寒苦を忍び研究す これが何の役に立つ事か自らも知らず」・・・・・・。そうしたなか、「無位無冠の民間人が天皇に拝謁し、さらには学問講義をするなど前代未聞のこと」の昭和天皇への御進講が実現する。「生きることは死ぬこと、死ぬことは生きることです。人間が生きるためには、他の生命が死なんならん。我も、ここにおる皆々様も、何者かが死ぬことで生かされちゃある。それは決して忘れたらならんと思とります」・・・・・・。そして熊楠は、「両親に心配をかけ、延々と金を無心した。定まった職にもつかず、自由気ままに研究だけをして暮らしてきた。無法な生き方であることは、自らがよくわかっている。日陰にいる者にも天日を仰ぐ日が来る。――我のやってきたことは、間違っとらんかった」と思うのだ。そして、「喝采の真ん中で熊楠の足はすくんだ。栄光の光が強くなるほど、影は色濃くなる。光のさす方へ進む覚悟が、闇を直視する覚悟が、本当にあるのか――」「だが、どれだけ足が重くとも、前へ進む他に選択はなかった」と描いている。重い深淵だ。
最近描かれた棟方志功や牧野富太郎の人生と妻たちの物語を想起する。南方熊楠のスケールとエネルギーと、巻き込まれる家族・友人たちの姿が浮かび上がってくる。生きることの根源を探る力作。
「カフネ」とは、ポルトガル語で「愛する人の髪にそっと指を通す仕草」。心が融け通じ合うことと言えようか。
法務局に勤める野宮薫子は、不妊治療の末に突然突きつけられた離婚と、溺愛していた弟・春彦の急死が重なり、アルコール依存症にも似たすさんだ生活を送っていた。弟が遺した遺言書から、弟の元恋人・小野寺せつなと知り合い、やがて彼女が勤める家事代行サービス会社「カフネ」の活動を手伝うことになる。ぶっきらぼうでふてぶてしくもある冷徹なせつなと、誠実な努力家で他人を頼るのが苦手な薫子という12歳違いの二人は、料理上手とお掃除上手のコンビでもあった。家事代行先は、いずれも汚れて散らかって片付けられない部屋、疲れ果てて気力のない家庭ばかり。二人は様々な事情を抱え、悩み苦しむ利用者の心を軽くしていく。手料理は手際よく絶品、掃除は心の闇まで払うようだったが、薫子自身も感謝される喜びを見出し、自らを立て直していくのだった。
そのなかで、「なぜ春彦は死んだのか」「誰にも笑顔を見せていた若き弟はなぜ遺言書を残したのか」「なぜ夫は突然、離婚を迫ってきたのか」という疑問が、明らかになっていく。薫子が全く知らなかった弟の真実の姿と心の闇、そしてカフネのメンバーが抱える重い過去。いずれも思いもやらない衝撃の事実であった。こうしたなか、薫子は自らの硬い殻を破るとともに、せつなとのつながりを強めていく。
「その人がどれだけ困っているかなんて、数値化できるわけでもないし、通りすがりの人間が外側から見てもわからないことですよね。自分の感情で、物事を勝手に測って判断するのはいかがなものか」「『自分の欲しいものがよくわからないんです』ってぽつりと言ったのよ。・・・・・・『そういう時あなたが選ぶべきはあなたの心だ』と答えたわ。『あなたの人生も、あなたの命も、あなただけのもので、あなただけが使い道を決められる』って」「(春彦は)笑顔で軋轢を受け流すことをやめ、好ましい姿を演じることをやめ、本当の自分として生きるために踏み出そうとしていた」「母も春彦が窒息寸前だったことに、その首を絞めていたのは自分たちが愛と思っていたものだったことに、本当は気づいていた」・・・・・・。
文章の巧みな切れ味、新鮮な時代感覚を表す会話、キャラの立つ登場人物、世代感覚のギャップ、そして衝撃的な事実――。心の深淵に迫る素晴らしい傑作だ。