「なぜ物語思考が重要なのか」が副題。人間の思考は論理的思考と物語思考の2つからなると言う。論理的思考――哲学者は、世界の起源、世界が何でできているか、なぜ人間がここにいるのかを論じた。厳格な思考の道具は論理であるとしたのだ。その集大成はアリストテレスの「オルガノン」であり、それは論理の形式的な規則である。アリストテレスが樹立した不変の論理法則は、三段論法(AND/OR/NOT)のように、抽象的記号で自然言語を記述する道が開かれ、やがてデジタル計算機を誕生させ、現在のAI技術へと発展する。しかし、圧倒的能力を持つAIも、自ら技術革新を起こしたり、独創的な発想からの展開はできない。AIが行うのは論理演算の結果であり、論理的思考の行き着く先である。
人間の思考は、この論理的思考だけでなく、物語思考を持つ。知性の主要な根源は、未来の創造と新しい行動の発見・発現にあり、著者はこの能力を物語思考と名づける。脳の主目的の一つは行動の決定であり、行動するためには因果推論、換言すれば物語思考が必要なのである。本書では、私たちの脳がどのようにして物語で思考するのか、脳の持つこの生得的能力を改良する、芸術と科学などで物語思考を成長させることの意味などを詳細に説明している。
西洋哲学の揺籃期に物語は思考から切り離された。アリストテレスは文学的な対話を論理的な弁証法へと変換し、ソクラテスの対話からナラティブの要素を注意深く取り除いた。しかし知性は論理に還元できるという信念は間違いであり、ヒトの知性の主たる根源である計画作成、仮説の想像、時間軸の中で「起きるかもしれない」は計算できない。コンピュータが最適な選択肢を取ることができるのに対し、ヒトの脳は、新たな選択肢を想像することができる。ヒトの脳は革新者(イノベーター)であり、創造的な行動は頭の中のニューロンとシナプスのおかげだと言う。
AIは突き詰めれば計算機であり、創造性や想像性、感受性などは無いという人間主義的な論調は多い。我々の言ってきたことだ。しかし、本書は人間の脳と神経系統の構造に根拠を置いた野心的な論議を展開する。ニューロン(神経細胞)間のシグナル伝達に関わる継ぎ手は、非電気的なシナプスである。「電子機械であれば不可能な、精神的なアーキテクチャの即興での構築を、私たちのシナプスはやってのける」と言うのだ。故に「ダーウィンやアインシュタインがやってのけたこと(仮説を立て、想像して、新しいことを考えること)を可能にする」と言う。
脳は創造と選択をする。創造とは「新しい道具や、物や、法律や、戦術や、セラピーや、登場人物、その他を作ることである」。選択は「こうした道具、物、登場人物、その他の効果をランク付けすることである」と言う。そしてその改良には、「創造を最大化し、選択を研ぎ澄まし、そして創造と選択とを分離する」ことで達成されると述べる。
その上で「個人の成長のための物語思考」「社会の成長のための物語思考」「人生の意味への物語の答え」について語っている。私たちが人生を、社会を、未来を考えるとき、脳に備わっている「物語思考がいかに重要か」を噛み締める挑戦的著作。
「ナッジを使ってよりよい意思決定を実現」が副題。高校生向けに講義するスタイルで、行動経済学をわかりやすく紹介する。伝統的な経済学は、人々は合理的に行動するはずだという前提で、経済のメカニズムを説明する。行動経済学は必ずしも合理的とはいえない行動をするのが人間だと考える。しかしその行動にも何らかの傾向、規則性が見出されることを解明し、その上で経済の動向を解明する。本書は「感染症で学ぶ行動経済学――『社会規範』を考える」「落語で学ぶ行動経済学――サンクコストを考える」「ラグビー日本代表で学ぶ日本経済――『代替』と『補完』を考える」「風しん抗体検査で学ぶ行動経済学――ナッジを考える」の4章で、目の前にある具体的事象についてわかりやすく解説する。
「感染症対策」は厳しくすれば感染の拡大は抑えられるが、経済が悪化して経済的被害が出るという「トレードオフ」の関係がある。感染症でも、環境問題でも、「自由」にすると「負の外部性」がもたらされる。「見えざる手」がうまく機能しない場合が経済学の出番で、この「外部性」の解決を指摘したのがアルフレッド・マーシャル。「トレードオフ」にある感染症対策で、「日本では規制や罰則を使わない感染症対策をとり、市民への情報提供によって行動変容を促す」とした。どういうメッセージを発するか、まさに行動経済学の出番だったと言う。「マスクはなぜ店頭から消えたのか?」「トイレットペーパーはなぜ店頭から消えたのか?」「トイレットペーパー買い占めと銀行の『取り付け』」が、「ゲーム理論」「囚人のジレンマ」「ケインズの『美人投票』と株価」などで語られる。「重要なことは正しい情報提供をすれば、望ましくない社会規範を解消することができる」と言う。
「さほど儲からない事業の撤退をどうする?」――。「ここまで投資したから、ここまで待ったから。そうした問題は「コンコルド(効果)」「グリーンピア」「つまらない映画とチケット代」「デパートのトイレ待ち」など溢れている。「サンクコスト(埋没費用)」問題だ。それまでかけた額は変わらないから無視した方が良い。「人間には『現状維持バイアス』があることを前提に考えると、どうすればいいか悩んでいるのであれば、別の階のトイレを探しに行った方がいい」「現状維持か変化か――現状維持には真の価値にプラスして現状維持バイアスが加わっている。『変化』を選んだ人の方が幸せという研究結果がある」・・・・・・。
「ラグビー日本代表に外国出身の選手が増えで強くなった」――。外国人労働者、AI やChatGPTなど新しい技術革新の推進が語られる。
人々の意思決定には「現状維持バイアス」「自分だけは助かるという楽観バイアス」「同じ金額だと、利得よりも損失に大きく反応する損失回避バイアス」「自分の意見や結論を肯定するような情報を受け入れてしまう確証バイアス」「現在の好みが将来も続くと予想する投影バイアス」「参照点(アンカー)の情報に影響されて、物事を推測してしまうアンカリング」など様々なバイアスあり、誤った行動の原因となっている。ゆえにルールや仕組み、情報告知、広報の仕方などに、ちょっとした工夫(ナッジ)を施し、バイアスを修正してより良い行動へと導けないか。大竹さんが直接関わった「風しん抗体検査の受検率」「ワクチン接種率」などが紹介され、極めて面白い。納得する。あらゆる局面で、行動経済学の知見がさらに取り入れられることが大切だと思う。特に「問題は現場で起きている」からだ。
浅草寺の一角で、寺子屋を開いている大滝信吾。源吉や三太、おさよなど近くの長屋に住む町人の子に慕われ、親からも信頼されている。実は兄が旗本で三河以来の家柄で代々御膳奉行の要職をつとめている。信吾の周りでさまざまな問題、事件が起き、穏やかな日常を揺さぶる。
「定次(源吉、おみねの父)って野郎が借金を返さない」と闇の世界を操る狸穴の閑右衛門の手の者に押し掛けられたり、おゆうが「妾の子」と言われて悩んだり、寺子屋に通う小杉太一郎の父が賭場の用心棒で雇われて悩んだりする。三太の父、魚屋の善蔵が「痛んだ魚を持ってきた」とデマを流され窮地に陥ったりする。その都度、信吾は大切な人々を守るために、江戸の闇と戦ったり、自分も母が芸者の「妾の子」であることを明かしたりする。一つ一つに人情が溢れ、ほっこりしたりする。
また、兄から大滝家を継ぐ気はないかと提案され悩む。さらに浅草寺の境内にある正顕院の住職・光勝は元は武士。上意討ちの命が下って友垣を討つ。二度と刀を持つ気にならず出家し、住職となっていた。「自ら苦しまれるがゆえに、ひとの苦しみを救える----かるがるしく申してよいことではないが、あの方を見ていると、天命ということばが頭をよぎるのだ」と信吾に兄は言うのだ。討たれようとする。そして最後、ことごとく逆らったとして狸穴の閑右衛門は信吾を放擲しようとするのだが・・・・・・。
これまでの作品とは違い、江戸庶民、浅草界隈の人心の機微を丁寧に描いている。