「世界の美しさ」とは、世界各地の想像を絶する過酷な現場、戦争、貧困といったギリギリの極限状況のなかでも"生きなければならない"、業を背負った生命から噴出する「人間の美しさ」だ。希望を見い出し、光を見付けようとする人間のむき出しの生命力と、そうした次元において発見する"人の支えの力"だ。石井さんはそこに「小さな神様」「小さな物語」を発見し、「人と人とを結びつける。人にまったく知らなかったことを伝える。人が胸の内に大切に抱えているものを肯定する。人が人を思い、支えようとする・・・・・・」という、壮絶な人間世界をドキュメンタリーとして「責任」をもって表現してくれる。人間が自分の孤独を埋め合わせてくれる存在や「ぬくもり」をいかに求めているか。それが光とか希望というものとアイデンティティの正体であることなど、指摘は鋭く温かい。
"装飾"に満ちた世界の対極に、人間の美しさが浮き彫りにされる。石井さんの"真っすぐ"な眼でこそ見える人間世界だ。
高校の同級生の夫妻、奥さんの著作。韓国で、日本で、米国で生きてきた人生を語っている。波浪が何度も何度もぶつかってきても、砕けることなく生き抜いて来ていることに感動する。日本のなかだけでなく、韓国人のなかでも在日同胞がいかなる位置にあるのか。
夫妻にとって、その人生は常にアイデンティティを考え探し、踏み固める作業を余儀なくされたこと。「振り返ってみると、外国人として日本とこの国(米国)で人生のほとんどの時間を過ごしている。国籍、祖国、母国そして故郷という言葉が法的にも心情的に一致する多数の人々の間で、漂うように少数者として生きてきた歳月であったと言えようか。その社会の周辺にいる自分を、不運であると憐れんだことはなかったが、不条理であるとの思いはあった」と語っている。「選挙ができる。投票ができる」――このことが、いかに大きな喜びなのか。見事な文章。歩んできた人生の足跡の重みが、静かに語っているだけに迫ってくる。
かつて長野県を訪れたとき、「郷土(ふるさと)」や「春の小川」などを作詞したのは長野県の高野辰之という人だという話を聞いた。本書は文部省唱歌「郷土(ふるさと)」「朧月夜」「紅葉(もみじ)」も、「春の小川」「春が来た」も全部、高野辰之によることを、徹底して調べあげている。そして、それらの歌が、志を果たせず下級官吏になった高野の人生そのもの、そして明治、大正の時代を、そして北信濃を投影しているものであることを語る。印象深い。
しかしその源には、信州の古刹・蓮華寺がある。高野の妻となるのが蓮華寺住職の娘鶴江、そしてこの蓮華寺を舞台にして島崎藤村は「破戒」を書く。3回にわたりシルクロード探検隊を派遣した西本願寺第22世門主・大谷光瑞には蓮華寺関係者が随行者となったり秘書になったりする。また作曲した岡野貞一にも当然ふれている。「絶妙のコンビ」であるとしながらも「もともと意気投合してコンビを組んだのではない。文部省唱歌編纂という作業が彼らを引き寄せた」と述べている。
「こころざしをはたして いつの日にか帰らん」「夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷......」。「故郷とは、自分の若い日の夢が行き先を失い封印されている場所のことだ」と猪瀬さんは言っている。そして藤村についても「若い辰之を触発した島崎藤村は夢を生きつづけた。夢を生きつづけるとは、鬼神に身を委ねることである。......大きな代償を払わざるを得ないものだ」ともいう。思いが時間をさかのぼる書だ。