「政治家の言葉はこうして一章作れるほどヘンなのである。そして国民は、政治家の言葉と力が日本という国の行く末に重なると思っている。国を任され、国の命運を握る政治家の責務は大きい」「若者の新語・造語の増殖と、広がる速さはすさまじい。昨日流行した言葉が、今日は古典となるほどだ」――。
「汗をかく」「雑巾がけ」「遺憾」「しっかり、きっちり」「緊迫をする、設置をする、来日をする......などの『を』」「お伝え、お訴えの『お』」「~してござます」「認識しております、把握しております」「緊張感をもって、スピード感をもって」「重く受けとめる」「不退転の覚悟」「~させて頂く」「断定回避の『~というふうに』『感じ』」「政治家同士の"先生"」など、とにかく変、そして多い。言葉が違うということは、その社会と文化が違うということだ。とても笑ってはすまされない。
杉原千畝の「命のビザ」を持って日本へ逃げのびた6000人のユダヤ難民。しかし滞在期限はわずか10日間。そのままでは「死の出国」が待っているだけだ。これを延ばすとともにナチスの執拗な弾圧を命を賭して救った日本人がいた。小辻(こつじ)節三だ。山田純大さんは世界に飛び、この一人の日本人を掘り下げた。そしてそれを助けた人道の人々がいた。松岡洋右も、神戸から上海に渡ったユダヤ難民を助けたラビ・アブラム・・・・・・。「世界を恐怖に突き落としたホロコーストという大惨劇の中で、ユダヤ人たちを助けようと動いた人たちがこうして繋がっている」――そうした人と人とを繋ぐ運命の不思議さと、屹立した人間群像を山田純大さんは感動をもって世界に飛んでたどっていく。それも素晴らしい。
そして「(ユダヤ難民を助けてくれたとともに)彼の最も大きな功績は、当時ナチスドイツの同盟国だった日本で、ユダヤ人に対する見方を変えてくれたということ」「それは日本人にユダヤ人の正しい姿を知らせただけでなく、ユダヤ難民たちにも日本という国をきちんと紹介したことである」という。

「日本経済は"安心の原理"で動く」と副題にあるが、それが里山資本主義なるものだ。今、日本人と日本企業(特に大都市圏住民と大都市圏の企業)には、「マネー資本主義的な繁栄は続かないのではないか」「社会の近代化、高度化は、システム崩壊と国土の脆弱化を招いているのではないか」「人の存在までも金銭換算し、生きる価値すら奪う面があるのではないか」という根源的な不安・不信がある。「里山資本主義は、すべてが生活現場と離れた市場にゆだねられながら現在の社会、大都市住民が水と食料と燃料の確保に関して抱かざるを得ない原初的な不安を和らげる」という。"マネー資本主義"の対極を志すのが里山資本主義であり、それはすでに、日本の中国山地などの各地で、田舎とされた地域で始まっているというのだ。
江戸時代の自給自足の暮らしに現代人の生活を戻せ、というような主義主張ではない。里山資本主義は、お金の循環を前提とする"マネー資本主義"の経済システムの横に「こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築していこう。水と食料と燃料の安全安心のネットワークを予め用意しておこうという実践だ」というわけだ。"田舎"が変わり始めた。電気も木材も牛乳も野菜も、知恵が生き生きと発揮され始めた。
そして、「次世代産業の最先端と里山資本主義の志向は"驚くほど一致"している」「日本企業の強みはもともと"しなやかさ"と"きめ細かさ"をもっている。アメリカ型のマッチョな資本主義とは違う」「都会のスマートシティと地方の里山資本主義はこれからの日本の車の両輪になる」と、意欲的な提起をしてくれている。"大都市"と"田舎"、欲望と人間、モノと人の豊かさ――そうした根源的な問いかけである。