春の庭.jpg

第151回芥川賞受賞作。離婚したばかりの元美容師・太郎が、世田谷区の取り壊し寸前の古いアパートに引っ越してきた。そこで隣人(女)とかすかな交流が始まる。なにげない日常生活。しかしそこには静かな歓びや人との心の通い合い、見えないものが立ち現れてくる発見、日常のなかに起きる出来事・・・・。丁寧に、鮮かに、心情を描いている。


今年2月の大雪と都知事選が突然出てきて、本当に今年のことだ、今年の作品だと驚いた。街も家も庭も、欅や紫陽花や百日紅や金木犀などの草木も、動物も、そして引っ越していく人も、空室がふえていく空間も、生老病死の変化相にあることが静かに語られるが、そのなかで無常よりも幸福感が漂ってくるのがいい。


空き家が蝕む.jpg

空き家が増えている。総務省データでは、800万戸を超え、空き家率は14%を超える。人口減少が激しくなる地方だけでなく、都市部や東京23区でも急ピッチで問題は深刻化する。


人口減少などの日本社会全体の構造的問題。日本の住宅の寿命が短いとされている原因。中古住宅市場整備の緊要性、マンション劣化や耐震性と都市伝説、住宅における固定資産税軽減、エネルギー問題と住宅政策・・・・。


「空き家」自体を論ずるというより、日本社会と住宅政策の方向性に論及している。


ゼロの迎撃.jpg

巨大台風が関東地方に襲来するその時に、都内で連続テロが発生する。東京壊滅を狙うテロ集団だが、狙いも、規模も、肝心の正体もわからない。明確な他国の特殊部隊による攻撃とも断定できないゆえに、警察権で対応するが、壊滅的打撃を受ける。首相官邸での国家安全保障会議、首相は防衛出動の決断をする。


しかし、対応が後手、後手に回り、前線は次々壊滅される。狙い定めた半島の精鋭部隊に対し、こちらは何の準備もない。実感も覚悟もない。訓練も体制も不十分な"ゼロ"に等しい。まさに「ゼロの迎撃」だ。しかもメデイアは情報戦に使われる有様だ。この緊急事態に、自衛隊総合情報部の三等陸佐・真下俊彦が敵の狙いをつかみ、戦いに挑む。高度な情報戦――敵の最終的狙いは、台風を利用し、岩渕水門を決壊させ、隅田川、荒川下流域、地下鉄等を完全に水没させる、東京壊滅であることを掴む。


日本の安全保障体制、テロ対策、台風と地震との複合大災害対策など、その脆弱性とやるべきことを浮き彫りにしているが、描写は、国家安全保障、行政、土木工学、技術などかなり専門的で詳しい。


定年後年金プラス.jpg

定年後、まだまだ元気で人生は長い。本当にやりたいことが追求できるし、「人生二毛作」だ。「ひとの役に立つことが報酬で、生きがいになる」「世のなかのお客さんになりたくなかった」「元気で働いているのだから"孫の育休"を認めたら少子化をくいとめることになると思う」「暗い青春、明るい老後」「日本ではまだまだ健康な老年者にふさわしい居場所を与えていない」「ひとはひとりでは生きていけない。地域にひと(高齢者)の居場所をつくろう」「退職したら年金プラス10万円の仕事をと考えたが、今は月1万5000円くらい。お金のためだけじゃない」――。


長い老年期をどうすごすか。「仕事を創る(介護、人材派遣・・・)」「地域のために(町おこし桐生再生)」「介護をになう(介護タクシー・・・)」「NGOで働く」「これまでとちがう仕事をはじめる(植木職人・・・)」「資格をとって独立」「再雇用制度で働く」「子どものために(キッズドア・・・)」「ネットを使った仕事開拓」など、創意工夫ある定年後の30人の実例を紹介している。いずれも果敢に挑戦している。たえざる努力。粘り強い。行動的でやり手。人のネットワークをもっている。発想というより実行。長寿社会は勿論、悪くない――新しい社会がこうした先駆者によって開かれていく。


孟子の革命思想と日本.jpg

孟子の革命思想と孔子の秩序思想。日本思想史のそれとの関わりと、日本国家の成り立ちと天皇制――。論点は深く根源的で、きわめて明確だ。


「孟子」の核心は「民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を軽しと為す。是の故に丘民(衆民)に得られて天子となり・・・・・・」であり、最も貴いのは民であり、民主思想でもある。そして「仁を賊なう者はこれを賊と謂い、義を賊なう者これを残と謂う。残賊の人は、これを一夫と謂う。一夫ノ紂を誅するを聞くも、未だ君を弑せるを聞かざるなり」――。天子や君子が孔子のいう仁という徳を持たなかったら、その時は残賊であるから皇位や王位を奪ってよい。易姓革命を起こすことになる。そこに孟子が歴史的に取り上げられて来なかった面があるが、一方、吉田松陰、西郷隆盛、北一輝らの革命家は圧倒的な「孟子」の支持者であった。


しかし日本は、「天皇は人民=大衆ではなく、神の子孫である。・・・・・・神の子孫なのだから姓はいらない」「吉田松陰は孟子の革命思想に心服し、同化している。・・・・・・尊王家の松陰は天皇の位を奪ってもよい、とは論じませんでした。中国では、天の命によって王や皇帝を伐つことができますが、日本の国体では、天皇が神そのものですからね。ここに松陰の国体論の独自性がある(易姓革命を反面教師にしながら松陰の尊王論が出てくる)・・・・・・」という。また北一輝は「『天皇の国家、天皇の国民』という明治国家の国体論ではなく、『日本改造法案大綱』は『国民の天皇』という、まさに戦後の天皇制に近いような主張をした」という。


論語における孔子の場合、「天の命に従う」という精神のあり方、エートスなのに対し、孟子は「至誠」というエートスによって、世の中を動かし、社会を変えていく思想――それを天智天皇、天武天皇、上田秋成、荻生徂徠、本居宣長、吉田松陰、西郷隆盛、北一輝、福沢諭吉、司馬遼太郎など、日本思想史を「孟子」の革命思想から解読している。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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