最終講義で「私は文明はモノが介在し、文化は精神の表われと解釈している。ですから文明は発達しますが、文化は基本的には原形を保つものと考えている。いわゆる伝統と言われるものです。人類は・・・・・・。同じ年の地球上の文明の様子を見なければならないと。比較文明を研究するために、たびたび地球上を調査しましたが・・・・・・」と吉村さんはいっている。
エジプト考古学者・吉村作治さんは、「教授のお仕事」がいかにさまざまな喜怒哀楽の日常にあるかを軽いタッチで描いているが、そこで感じるのは、人に対する温かさとやさしさ、自然態の姿勢だ。それはエジプトという人類の文化や文明、宗教の源にふれ、悠久の時間軸のなかに身を置いているからではなかろうか。
「靖国神社に祀られている英霊はもちろん、無差別絨毯爆撃で皆殺しにされた無辜の国民、広島・長崎の原爆によって殺戮された一般市民、爆撃を受けて亡くなった産業戦士の人々、勤労動員中に戦禍に遭った中学生など一般市民の戦争犠牲者も含め、先の大戦の全戦没者をお祀りし、慰霊・追悼することが千鳥ヶ淵戦没者墓苑の務めだと考えている。それが国民の総意となったときに初めて、悲惨な結末に終わった大東亜戦争の戦後処理が終わったといえるのではないだろうか」と堀内光雄国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会会長(元衆院議員)は結んでいる。
本書では、あの戦争が6カ月前に終わっていれば100万人以上の死者が助かった。「戦争終結の遅れ」「広島・長崎への原爆投下」「米軍の無差別都市爆撃」「条約違反のソ連参戦とシベリア抑留」――この4つが問題だ。しかもこれには国際法違反などがある。「靖国」と「千鳥ヶ淵」には、逮捕直前の東条英機自身の発言に始まり、合祀基準、慰霊祭、サンフランシスコ講和条約の直後の吉田内閣の「全日本無名戦没者合葬墓建設会」、それへの抵抗など、いずれも激しい論議があって現在に至っていることが示されている。歴史認識と日本人のアイデンティティを掘り下げる作業である。
満州で生まれて、敗戦後、引揚げるまで14年4カ月を満州で過ごした岩見さん。「もっとも強烈なのは、敗戦を挟んだ1年半の異界体験。敗れたあとも異国で生存の危機にさらされた、筆舌に尽くしがたい辛酸の日々だ」「戦争は何としても避けなければならない。だがもっと避けなければならないのは敗北の悲惨さだ。もし戦乱に巻き込まれたら絶対に負けてはならない。国破れることほど民族にとっての大悲劇はない」「死者数でいえば、満州引揚げで約24.5万人、シベリア抑留での死者約6万人(全抑留者約60万人)を合わせると30万人を超える。ちなみに広島の原爆投下では約15万人、東京大空襲では約8.4万人、沖縄戦では約29万人......。開拓団の比率が高いのはなぜなのか。......原因は大本営と関東軍の"対ソ恐怖心"にあった」――。
「これだけは言っておかねば」「残しておかねば」「恐るべき楽観主義、皮相的な国家経営・安住を排せ」――執念、情念が迫力をもって心のど真ん中に押し寄せる。岩見さんの記述や実姉・満枝さんのイラストが、きわめて詳細なのは、それだけ敗戦後1年半が生死をかけた日々であったということだろう。
ちょうど10年違いの岩見さんと私。思うのは、民族と国家、日本人と日本を思考する時、戦後以降の世代は右も左もイデオロギーに流されがちだが、岩見さんにとってはリアリズムであるということだ。そのリアリズムは、国家の命運と国民生活が一体となって形成されているものだけに、現在の政治と政治家の薄っぺらさと脆弱さが目立ってしまう。そこに苛立ちを感じているのだと思う。「戦争は二度と起こしてはならない」ということはあっても、「戦争には絶対に負けてはならない」という唸り声を伴う情念が今の思想にはないということだ。いわゆる"右"の思想にも"左"の思想にもだ。本書は岩見さんらしい温かさをもって平易に書かれているが、凄さが迫ってくる。渾身の力と魂込めて書かれた素晴らしい本だ。
あの戦争はいかなるものであったのか。あの戦争の最前線はいかなるものだったのか。命がけの最前線を知らぬ者が、命令を下す側に立った時、いかに過ちを犯し、いかに逡巡し、支離滅裂なものになり果てるのか。現場を知らぬエリートとマスコミがいかに悲劇を生み出すか。百田尚樹さんの「永遠の0(ゼロ)」は、真珠湾、ミッドウェー、ラバウル、ガダルカナル、沖縄の戦いの最前線を、世界に轟く名戦闘機"零戦"に乗る「臆病者」「命を惜しむ男」「人間としての尊厳と愛を貫いた男」「妻子のために生きて帰ることを約束した倫たる男」である熟練の宮部久蔵の心中に迫ることによって描く。その男がなぜ特攻に身を捧げることになったのか。時代がいかなるものになっても、人間として死守しなければならないものとは何か――ギリギリの極限状況のなかで描く本格小説。
姜尚中さんが亡くなった息子と感じた西山直広君とのメールのやりとりから成る小説。直広君は心友・与次郎君の生と死に導かれ、東日本大震災における遺体の引き上げという過酷なボランティア「デス・セービング」に取り組む。ゲーテの「親和力」が基調音を奏でる。
親友の死、裏切り、良心の呵責、募る恋、さまざまな親和力、大地震、デス・セービング、PTSD......。不可思議な人間関係、人と人との出会いのなかにこうした親和力や分離力が働くのは、宇宙広しといえども人間だけだ。諸法は実相であり、諸法の実相を如実知見せよ。無常の中にも常住を見よ。常住壊空のなかにも永遠性を信じ真面目に生き抜け――そういっているようだ。
最後は姜尚中さんの息子さんの最後の言葉「生きとし生けるもの、末永く元気で」で締めくくられている。この言葉があまりにも重いために、姜尚中さんは、ピュアで普通の小説にしたのだと私は思った。