やわらかな雇用成長戦略.jpg

成長戦略とは雇用戦略である。雇用は守るものではない。雇用は攻めであり、雇用こそ経済成長のための唯一の戦略である。成長は雇用の成長、人材成長によるしかない。成長の本質は競争ではなくアイデアであり、それを生み出すことである。GDPは資本と労働と生産性の三要素だが、まさに知識こそが重要となる。そして労働者自身が知識を蓄積する。成長をもたらすのは知識だ。

真の成長は「人」からしか生まれない。「人はどのように成長するか」「新しいしなやかな働き方(やわらかな雇用)――2つの仕事をもつキャバクラ嬢と吉野家の労働力の質の高さ」「雇用の本質――百貨店の生命線は店員の内側に蓄積されたオーラと説得力、スタバが生み出す成長の"場"」「シュウカツを廃止させよ。プレゼンではなく、中身重視、実力主義、努力する力を」――。

雇用が生まれるのを促し、支援し、柔軟性と整合的な制度を作っていく。一人ひとりが働き手として成長することと、それを支える社会にする。その雇用を生み出す活力が経済に湧き出てくることを支援せよ、という。


北の街物語.JPG内田康夫さんの作品には地元の名を冠するものが多い。広島県三次市を中心とした地域を舞台にした「後鳥羽伝説殺人事件」に始まる浅見光彦シリーズ。それがついに、浅見家のある東京・北区を舞台とした初の作品となった。それがこの「北の街物語」だ。

浅見家は王子に近い西ヶ原。赤羽、志茂、岩渕水門、飛鳥山、中里、都電、平塚亭、霜降橋、田端文士村、滝野川......。私の住む北区が舞台のミステリーで、とても親しみがわく。しかも初の「人が死なないミステリー」でもある。

最後の最後まで、どういう結果になるか――細い糸がつながっていく、珍しいなぜかホッとするミステリー小説となっている。


天が崩れ落ちても生き残れる穴はある.JPG高校の同級生の夫妻、奥さんの著作。韓国で、日本で、米国で生きてきた人生を語っている。波浪が何度も何度もぶつかってきても、砕けることなく生き抜いて来ていることに感動する。日本のなかだけでなく、韓国人のなかでも在日同胞がいかなる位置にあるのか。

夫妻にとって、その人生は常にアイデンティティを考え探し、踏み固める作業を余儀なくされたこと。「振り返ってみると、外国人として日本とこの国(米国)で人生のほとんどの時間を過ごしている。国籍、祖国、母国そして故郷という言葉が法的にも心情的に一致する多数の人々の間で、漂うように少数者として生きてきた歳月であったと言えようか。その社会の周辺にいる自分を、不運であると憐れんだことはなかったが、不条理であるとの思いはあった」と語っている。「選挙ができる。投票ができる」――このことが、いかに大きな喜びなのか。見事な文章。歩んできた人生の足跡の重みが、静かに語っているだけに迫ってくる。


唱歌誕生.JPGかつて長野県を訪れたとき、「郷土(ふるさと)」や「春の小川」などを作詞したのは長野県の高野辰之という人だという話を聞いた。本書は文部省唱歌「郷土(ふるさと)」「朧月夜」「紅葉(もみじ)」も、「春の小川」「春が来た」も全部、高野辰之によることを、徹底して調べあげている。そして、それらの歌が、志を果たせず下級官吏になった高野の人生そのもの、そして明治、大正の時代を、そして北信濃を投影しているものであることを語る。印象深い。

しかしその源には、信州の古刹・蓮華寺がある。高野の妻となるのが蓮華寺住職の娘鶴江、そしてこの蓮華寺を舞台にして島崎藤村は「破戒」を書く。3回にわたりシルクロード探検隊を派遣した西本願寺第22世門主・大谷光瑞には蓮華寺関係者が随行者となったり秘書になったりする。また作曲した岡野貞一にも当然ふれている。「絶妙のコンビ」であるとしながらも「もともと意気投合してコンビを組んだのではない。文部省唱歌編纂という作業が彼らを引き寄せた」と述べている。

「こころざしをはたして いつの日にか帰らん」「夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷......」。「故郷とは、自分の若い日の夢が行き先を失い封印されている場所のことだ」と猪瀬さんは言っている。そして藤村についても「若い辰之を触発した島崎藤村は夢を生きつづけた。夢を生きつづけるとは、鬼神に身を委ねることである。......大きな代償を払わざるを得ないものだ」ともいう。思いが時間をさかのぼる書だ。


未曾有と想定外.JPG東日本大震災の津波――。三陸の大津波は、決して未曾有の出来事ではない。「自然は過去の習慣に忠実である」(寺田寅彦)といっているが、わかっているのに「人は忘れる」。津波に「対抗する」のではなく「備える」「逃げる」ことが重要だ。「自然を征服する」のではなく、「いなす」「すかす」のが先人の知恵だ。

そして「原発」と「想定外」。「基準を守ればいい」「マニュアルを守っているからいい」のではない。「何も考えない」ではなく、日頃から訓練をして想定外のことにも咄嗟にきちんと対応できるようにすることだ。「コンプライアンスが法令遵守と訳されるが、そうではなく、社会の要求に柔軟に対応するというのが本来の意味だ」「日本の組織はマニュアル偏重主義に陥りがちだが、人は"見たくないものは見えない""聞きたくないことは聞こえない"ものだ」――。

 「組織事故」「共同体事故」「多重防護の必要性」――「失敗」「事故」について、現場を歩いて何が大切かを示してくれている。

<<前の5件

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

私の読書録アーカイブ

上へ