デフレの克服は日本にとって最大の課題だ。「デフレと金融政策をめぐる論争は、混迷する現代マクロ経済学の反映だ」と、吉川さんはいう。そして、日本の「デフレ20年の記録」をたどるとともに、マーシャル、ケインズ、リカードからクルーグマンまでの経済理論を概説する。
デフレは「貨幣的な現象」であり、最も重要な変数はマネーサプライであるとする経済学の背後にある「貨幣数量説」――。それらに対して「ゼロ金利のなかでは話は変わってくる」「マネーサプライのなかに解はない」と指摘する。そして「デフレの正体」として「生産年齢人口の減少」の影響は小さく、経済成長にとって主役とは全くいえないとする。さらに日本経済の長期停滞は、デフレが要因であり金融政策が不十分であったという論に対して「デフレは長期停滞の原因ではなく"結果"だ」「デフレに陥るほどの長期停滞を招来した究極の原因はイノベーションの欠乏にほかならない」「経済成長にとって最も重要なのは、新しいモノやサービスを生み出す需要創出型のイノベーションだ(低価格志向、安いモノへの需要のシフトであってはならない)」「日本のデフレは、90年代後半、大企業を中心に高度成長期に確立された旧来の雇用システムが崩壊し、変貌し、名目賃金が下落したことが大きい」などと指摘する。
「流動性のわな」から脱出し、このデフレの下でいかに「将来」の期待インフレ率に働きかける政策が重要なのか、その基本的考え方を提起している。経済論争そのものだ。
「私もまだ85歳」「日本人が守ってきた4000年来の鎮守の森のノウハウを見直し、現地植生調査に基づく、エコロジカルな脚本に則った防災・環境保全林として、いのちを守り、地域経済とも共生する本物のふるさとの森をつくろう」「被災地に南北300kmの"森の防波堤"を築き、それを母胎として日本列島の海岸沿いに、3000kmに及ぶ"森の長城"を築いてはどうか」「今見ている緑は、劣化したものや植えられたものばかりで、その土地本来の森が変えられたものだ。潜在自然植生の樹種を植えて、21世紀の鎮守の森、いのちの森をつくろう」「タブノキこそ、日本の土地本来の照葉樹林文化の原点だ」「"森の防波堤"は、タブノキ、シイ、カシ類を主木とした本物の森とすべきで、これが最適な防潮林、防災・環境保全林として機能する」――。
宮脇先生の主張は一貫していて明確。熱気を帯び、未来を見つめ、そして今こそ何をすべきか波が押し寄せるように迫ってくる。
「デフレは、円という通貨の財に対する相対価格、円高は外国通貨に対する相対価格――つまり貨幣的な問題なのである」「実質生産に、人口あるいは生産人口が影響するのは当たり前だが、貨幣的現象である物価、あるいはデフレに人口が効くというのは、まったく的外れな議論だ」「円資産が相対的に品薄なため超円高になっているのだから、円資産の供給を増やしてやればいい」「ゼロ金利下の貨幣の増加は、"流動性の罠"に陥っているため、効かないというが、短期ではない長期国債や民間株式や債券の購入などの広義の買いオペをすることだ」「日本経済が国際的競争力を保つには、もちろん生産性を上げるよう努力しなければならない。しかし、プラザ合意のあとや、リーマン・ショックのあとなど、為替市場に急変が起こって、円高が2桁にまで達したときには、生産性の向上努力では追いつかなくなることがある」「為替は金融政策によって変わる」――。「金融政策がデフレに効くとは限らない」というのは世界孤高の日銀理論だと言い切る。「人々に通貨にしがみつかせないため"期待"に働きかけよ」とその実行を求めている。
ミャンマーの激変は顕著だ。熱い。そして注目されている。2010年11月、新憲法に基づいての総選挙が実施され、2011年2月には国会でテイン・セイン大統領が選出された。軍も民主勢力も国民が求める経済発展を成し遂げなければならず、ともに自己改革を迫られることになる。政治も社会も明らかに激変の兆しがみられる。志向する経済改革、中国とインドにはさまれるASEANからのゲートウェイ。日本に好意をもってくれている大切な国である。
ミャンマーの歴史そのものともいえるアウン・サン、ネ・ウィン、タン・シュエ、キン・ニュン、テイン・セイン、そしてアウン・サン・スー・チー。歴史を紐解きつつ、いよいよミャンマーが新しい段階に入った。今度こそ入ったと元ミャンマー大使の宮本さん(私にとっては中国大使としてお世話になった)が期待を込めてミャンマーを語ってくれている。今年は政府間交流も盛んとなっている。