寿命100歳以上.jpg

世界の平均寿命が延びている。1850年に約43歳だったものが、1900年に48歳、現在は約80歳、未来は150歳になる可能性があるという。数学、プロスポーツ、激しい肉体管理など、最高潮の時期は明らかにこの30年、50年を見ても延びている。


本書は、平均寿命がなんと150歳になった時、健康寿命もそれに伴って延びる。その時、個人や社会全体がどれだけ変化するかを追っている。総人口はどうなるか、地球環境は守られるか、家族はどう変貌するか、生活や教育はどう変わるか・・・・・・。当然、細胞操作、遺伝子操作、抗老化薬、生命工学プロジェクトをはじめとする長寿革命への挑戦にもふれている。「長寿は是か非か」の意見対立にも論及している。文献・資料は膨大なものだ。


人口減少、少子・高齢社会、地震など大災害の切迫などが大きな問題となり、この7月に「国土のグランドデザイン2050」を発表したが、150歳といわずとも、平均寿命100歳以上社会を想定して考える意味はある。


「20XX年、仕事・家族・社会はこう変わる」と副題にあるが、2000年代後半、はたして寿命100歳以上の世界が来るだろうか。本書はかなりポジティブ思考だが、必ずしもSFだとは言い切れない。


本能寺の変 431年目の真実.jpg

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」(ビスマルク)――歴史はたしかに勝者が、自分の経験を正当化しがちなものだ。それは真実ではない。明智憲三郎氏は、光秀の子・於寉丸(おづるまる)の子孫。


本書は「本能寺の変」の真実に文献をもって迫るが、その大きな背景として「光秀謀反」「利休切腹」「秀次切腹」は、いずれも信長、秀吉の「唐入り」があるとする。皆が反対するなかでの絶対者の強行姿勢に対して、その阻止のために謀反が企てられた、という。


本能寺の謀反は、光秀の個人的な野望と、残忍な信長への怨みによるものであり、光秀の単独犯行である――こうしたのは秀吉が「惟任退治記」を公式発表してつくり上げたものだ。それを示すとした「時は今あめが下しる五月かな」は、「下なる」が真実で、改竄されていた。光秀は、信長の天下統一と、長期織田政権構想の下では、大名は領地没収と遠国への移封(唐へも)は避けられない。土岐氏としての存続には、迫りくる長宗我部征伐の阻止を何としてもしなくてはならない(信長の長宗我部征伐の発令は5月7日)――こう考えた。突然でも何でもない。同じ5月、信長は家康討ちを計画した。そして光秀は家康と談合して謀反同盟を締結した(5月14日~17日)。その謀略は生きていたが、秀吉軍が予想外の早さで京都に迫り、家康の西陣は遅れた。秀吉は信長の長期政権構想を潰すために、光秀の決起をいわば待っており、事前に本能寺の変を予期していた形跡がある(細川藤孝父子)。勝者のつくった史観は、「太閤記」をはじめとして、どんどん流布していった。明智さんは、文献にあたって裏付けていく。


「利休切腹」も「秀次切腹」も短文だが、「唐入り」問題から解読する。興味深い。


信長の二十四時間.jpg

傑作「軍配者シリーズ」の富樫倫太郎さんが、「本能寺の変」に挑む。NHKのTVドラマ「黒田官兵衛」も、ちょうど今、本能寺の変にさしかかっている。


天下統一をめざした信長の暗殺計画。伊賀を焦土作戦で皆殺しにされた百地党の里村紹巴(じょうは)や文吾(石川五右衛門)の復讐。統一後は「諸国の大名から領地を取り上げ、朝廷に返上する」と信長は目論むが、朝廷の太政大臣・近衛前久らは"朝廷乗っ取り"計画と見て、暗殺計画に加わる。統一後に漢の高祖が功臣たちを次々に粛清したことを踏襲することを恐れる徳川家康、そして誰よりも羽柴秀吉。あの有岡城に幽閉された時、嫡男を処刑されようとしたことで、信長への恨みと憎しみをもつ黒田官兵衛。"朝廷乗っ取り"に反対する織田信忠、そして逡巡する明智光秀・・・・・・。


信長への恐怖で、戦々恐々となるなかで、「信長に死んでほしい」と思わぬ者はなかった。しかし、誰がやるか。どう実行するか。主殺しの汚名を他に押しつけたい。息の詰まる"陰謀"のなかで、百地党の里村紹巴が朝廷を巻き込み、さらに秀吉と官兵衛は光秀を犯人に仕立てあげる謀略をめぐらす。


全ては天正十年(1582年)六月二日になだれ込んでいく。 


蔦重の教え.jpg

平成の世から老中・田沼意次が失脚寸前の天明の世にタイムスリップした武村竹男(タケ)が見たものは・・・・・・。地本問屋「耕書堂」の蔦屋重三郎(蔦重)、歌麿、りよ、蔦屋の面々、狂歌連のメンバーや吉原や料亭で働く人々、勝川春朗(北斎)、花魁の菊乃や蜻蛉など、江戸の生きいきとした民衆が描き出される。


「"あがり"を定めて、人生を逆算しろってことだ」「かけてもらった恩は下に送らなきゃなんねえし、人にかけた情けは、いずれてめぇに返ってくる(恩送り)」「てめぇの道をてめぇで塞いでどうする?"でも"とか"しかし"なんて言ってる奴は、金言を逃すし、人様に可愛がってもらえねぇぞ(人の言葉を否定しない)」「てめぇの好きな仕事をやって人様に喜ばれることほど目出てぇことはねぇ」「やっぱり、怒りや恨みってぇ感情は、人を突き動かす力になるもんだ」・・・・・・。まさに人生の知恵、人生の勘どころが、次々と蔦重から発せられる。


わたしをみつけて.jpg

「いい子じゃなければ、また捨てられる」「今度こそ、いい子でいよう。ずっといい子でいよう」「こんなことをしても、わたしを捨てないでくれる? それを確かめたくてわるい子になる」――捨て子として施設で育てられ、ナースになる主人公・山本弥生。どうしようもない病院、そこに新しく来た藤堂師長や、患者にもなる近隣のおじさん・菊地さん等に導かれて成長する話。そういってしまえば実もふたもない。本書ではそれが淡々と、心の深層に迫りつつきわめて内省的に語られる。かつ生まれた時から命に染みついた諦観を、人と接するなかで一枚ずつはがし取っていく過程が描かれる。人が生まれ、生きていくということ、そして生き方というものを考えさせる感動的な小説。人間、人生、生老病死を考えさせ、煩悩・生死の海を乗り越えることを描いている本だ。医療現場の抱える問題にも切り込んでいる。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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