経済成長や景気変動を取り扱うマクロ経済学はある意味、わかりやすいし、興味深い。しかし、それはミクロ経済学を踏まえなければならない。そしてミクロ経済学には昨今、ゲーム理論などが入って展開がされているが、飯田さんは、より原点的なことからその基本的な思考法を解説をしている。本書はなんと財務省の人への講義に基づいている。副題に「新しい経済学の教科書(1)」とあるが、「飯田のマクロ」などが今後、続いていくようだ。
「経済学は、個人主義・自由主義から出発し、主観価値説を基礎とし、資源が希少な環境を舞台に展開される議論」という。そして「個人は予算制約の中で幸せを目指すなどの個別主体の行動原理」「競争的な市場が望ましい理由(完全競争市場の効率性など)」「競争条件と企業の行動」「競争的な市場が望ましくない場合(公益事業のかかえの問題)」などを解読する。
「財政政策」「消費税問題」「消費税を上げないとギリシャのようになる、というが、ギリシャの破綻は増税にもよる」「国の借金はどの通貨でしているかを見ることが大切」「金融政策は、日銀が金融機関を相手にしているので円安は望まず、雇用などに景気回復が及ぶ前に引き締めてしまうことになりがち」「公共事業はなぜ景気にきかないのか」――こうした飯田さんの発言は、本書でも時折り顔をのぞかせる。マクロ経済政策では、どうしても論者の価値観が入るが、ミクロを踏まえるということは、価値観を除外した理論を踏まえよということでもある。
決断できない、現場を知らない、責任をとらない日本のリーダーがなぜ生まれたのか。日露戦争の大勝利の栄光は、「海の東郷平八郎」「陸の大山巌」に代表される「威厳と人徳」のリーダーイメージを定着させた。「威厳と人徳」は、「作戦にうるさく口出ししない指導者」「重箱の隅をつついたりしない将」の人物像に結ばれていく。それはそのまま参謀まかせの「太っ腹リーダー像」と西南戦争以来の「参謀重視」の日本型リーダーシップの型をつくり、その「参謀重視」は「上が下に依存する」という悪しき習慣を生み、本来の意思決定者、決裁者をわからなくする。そして、机の上だけの秀才参謀たちの根拠なき自己過信、傲慢な無知、底知れぬ無責任が戦場でまかり通るようになる。
「くつがえった津軽海峡説」「参謀教育は何を教えたか」「日本の参謀の6つのタイプ――書記官型(瀬島龍三)、分身型(秋山真之)、独立型(石原莞爾)、準指揮官型(辻政信)、長期構想型(永田鉄山)、政略担当型(石川信吾)」を上げている。「参謀教育とは天才を作ることではない。能率と常識を発揮できる通常人員を育成することにある」(ハンス・フォン・ゼークト将軍)とし、正反対のことをやったのが陸軍大学校であり、海軍大学校であったと指摘している。――"小才子、大局の明を欠く"とも。
太平洋戦争にみるリーダーの条件として「最大の仕事は決断にあり」「明確な目標を示せ」「焦点に位置せよ」「情報は確実に捉えよ」「規格化された理論にすがるな」「部下には最大級の任務の遂行を求めよ」の6つを上げる。しかも、ギリギリの極限状況の判断の成否を具体的実名をあげて示している。関係者、本人にも戦後、直接会って取材もしていることも重い。現在の政治と自分を省みる。