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10日、11日の土日――。地元の豊島区で、長橋けいいち都議と街頭演説。岡本みつなり衆院議員と駅頭などでスポットの街頭演説を行いました。

「12日からの東京のまん延防止等重点措置の意味」「ワクチン接種」「生活支援」などでの要望をいただきました。


「線」の思考.jpg「鉄道と宗教と天皇と」が副題。天皇をめぐる研究者である原武史さんが、"鉄ちゃん"で、自ら鉄道に乗って旅をして、地域に深く埋もれていた歴史を掘り起こす。地域の鉄道という「線」をたどって、古代から現代に至るまでの歴史の地下水脈を見せてくれる。明治期から一気に鉄道網が張り巡らされ、そこに古代の天皇から今日の明治・大正・昭和・平成と、天皇・皇后そして宗教がどうかかわったかが浮き彫りにされる。原さんでなければ書けない、しかも駅弁や名物まで加えた紀行文だ。

「小田急江ノ島線とカトリック」「二つの『常磐』――『ときわ』と『じょうばん』の近現代」「軍隊が消えた街――旭川の光と影」「古代・中世・近代が交錯するJR阪和線」「日蓮と『房総三浦環状線』」「『裏』の山陽をゆく」「神功皇后と継体天皇と北陸本線と」「聖母=ショウモから聖母=セイボへ――神功皇后・マリアとJR筑肥線・松浦鉄道」の8編から成る。いずれも「なるほど、そういう深い歴史、結びつきがあったのか」とうなるほどだ。在来線の旅をしたくなる。


我、過てり.jpg戦国の英傑、しかも信念堅固、信頼抜群の武将たちにも、運命的苦難は容赦なく襲いかかる。彼らにも「我、過てり」と思った瞬間があった。何を誤り、どう挽回を図ったのか。「歴史に名を残す」4人の武将を描く。

第一話「天敵」は小県郡を握った村上義清――。戦うこと70余回、ほぼ負けなしの信玄。その信玄に上田原、砥石、常田でと3度も勝った村上義清。しかし「戦えば何を得られるか、富貴栄達を約束できるか」に応えられなかった義清の下から、信玄に調略された信濃衆が次々に去っていく。「戦よりも政で敗れたのだ」と、戦で勝っても政と謀、与えるものなかったことを義清は自覚するようになった。戦よりも政で敗れたのだ。

第二話「独眼竜点睛を欠く」は伊達政宗――。天正15年~17年、政宗は新たな天下人となる秀吉に会うために遠い都へ行くよりは、最上と佐竹がおとなしいうちに領国の周囲を固める必要があった。それは秀吉の求める「惣無事」とも一致するはずだと考えた。秀吉は最後には現状を認めると踏んだのだ。しかし・・・・・・「我、過てり」「白装束を用意せよ」と小田原へ馳せ参じるが、そこで会った秀吉に驚くのだ。「竜を恐れ入らせた鼠も珍しかろう」・・・・・・。

第三話「土竜(もぐら)の剣」は、岩見重太郎(薄田兼相)――。父親から「土竜の剣」を教えられた重太郎。「我らの剣は常に地の底に潜り、光を放ってはならぬ」「誰よりも強く、そして暗く。それが岩見の武である」と。その父が殺され、小早川隆景の命の下、仇を討つ旅に出る。名島26人斬り、天橋立の百人斬りで名を成すが、「お前は天下一の匹夫だ」との声が頭に残る。そして大阪の陣――。将としての武威を示せず、土竜から脱し得なかった自分が、最後の最後、「土竜の剣で満足していれば・・・・・・生を全うできたかもしれぬ。だが天道の下でふるう武の爽快さを知ってしまったのだ」と反転して語る。

第四話「撓まず屈せず」は、立花宗茂――。妻・誾千代の父・立花道雪、父・高橋紹雲という偉大な親を持つ立花宗茂。どの戦場においても抜群の働きをし、敵をも味方にする信頼をその義の振舞いによって勝ち取ってきた。豊臣秀吉こそ命を賭して仕えるべき男だとし、朝鮮侵攻でもその力と義を見せつけた。清正が終生、その恩を忘れなかったのもその時の戦いだ。そして、当然のように関ケ原では西軍につく。妻は常に厳として「内府につくべきです」「家を束ねる者としての信念こそが立花の『節義』です」というのだ。宗茂は西軍につき寝返らなかった武将としては稀有の柳川13万石を秀忠の時代に受け、その「節義」は家光に至るまで高く評価されたという。


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みんなで出資をし、みんなで働き、みんなで運営するという新しい「協同労働」「労働者協同組合」の仕組みがスタート――。6日、超党派の「協同労働推進議員連盟」(ワーカーズ議連)の設立総会が開催されました。昨年12月の「労働者協同組合法」(議員立法)の成立を受けて設立されたもの。公明党が強く推進してきたもので、私が顧問、桝屋敬悟衆院議員が共同代表に就きました。

「労働者協同組合法」は、組合員が出資し、経営者にも、従業員にもなる新しい法人形態を基本原理としています。"協同労働"を行う団体(労働者協同組合)は、非営利で、NPO法人より簡単な手続きで立ち上げられ、法人格が認められます。新しい働き方が可能となる大変意義のあるもので、介護や子育て、農業や山林整備など地域課題に関する事業を行なうなど、様々な就業の場ができることが期待されます。「住民が地域の救い手になれる」との喜びの声が広がっています。公明党の坂口力・元厚生労働大臣からバトンを受け、桝屋敬悟衆院議員がこの10年以上、法制化運動を懸命に頑張り抜いて、ついに全会一致で実現したもので、党にも多くの人から喜びの声が届いています。

私は「長年多くの方々が苦労して成立させた法律だ。今後はこれを地域に社会にどのように具体化していくかが大切であり、引き続きサポートしていきたい」と挨拶をしました。


新 牧口常三郎伝.jpg教育者であり、「人生地理学」「郷土科研究」「創価教育学体系」等の優れた著作を著し、「創価教育学会(創価学会の前身)」を創立した牧口常三郎先生(1871年6月6日~1944年11月18日)の幼少から青壮年期の壮烈な半生を描く。小説ではなく、徹底した実証研究・調査によって、今まで曖昧、不明の部分があったところをくっきりと明らかにした研究の書。入念な調査・研究に感心する。

「風雪と怒濤の大地・荒浜に生まれて(父母の離別から始まる悲劇、優等生として勉強給仕の伝説、北海道に渡った本当の理由)」「伝説のかなたに見えるもの(異母妹の誤殺事件の真実、牧口を札幌に連れていった真の人物)」「『人生地理学』発刊前夜の苦闘(発刊の動機、運命を変える嘉納治五郎との出会い、石狩事件と上京)」「絶望的だった『人生地理学』出版に燭光(北海道から東京へ、新居は長屋の土間付き3畳間か、雑誌創刊の相次ぐ激動期に金港堂に入社、志賀重昂との出会い、志賀の批評文を求め岡崎へ、牧口を心底応援した志賀の校閲作業)」「『人生地理学』出版と二つの初版本(独創的でダイナミックな世界観、幻の『人生地理学』第2版)」「創立した通信制高等女学校の過酷な運命(無料の講習会に目を輝かせる生徒たち、講義録の発行保留、恵まれぬ女性の慈善教育事業に挑戦、牧口の辞職とその後)」「文部省時代の苦闘そして飛躍(柳田国男そして郷土研究会との出会い、東京府出向を命じられたのは左遷か、新渡戸稲造の『郷土会』に参加、柳田国男と二人で道志村へ調査旅、新たに小学校の教育現場に復帰)」――。各章で徹底調査、研究の結実を語る。

幾度かの苦難を乗り越える強靭な意志と挑戦し前へ進む姿勢、何をするにも十分な準備を怠らない人、恵まれぬ人・女性に教育をとの暖かい心、志賀重昂・嘉納治五郎・柳田国男・新渡戸稲造らとの心の通い合いと交流の連環・・・・・・。それらの姿がくっきりと浮かび上がってくる。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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