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26日、公明党東京都本部が進めている「水の回廊」プロジェクト(顧問・太田昭宏、座長・竹谷とし子)の有識者・関係行政の会議を東京都庁で行いました。これには、公明党の国会・都議会・市区議会議員、山田正中央大教授等の有識者、国交省、東京都から多数が出席。プロジェクトの推進状況の報告等、極めて有意義な論議が行われました。

この大規模な会議は、「玉川上水と外壕、日本橋川を連結して水を流し、水質浄化と水辺環境の改善を目指す」という壮大な計画。現実に外壕の浄化は計画が進み始めており、一歩一歩、夢の実現に向けて進んでいます。この日も、専門家から壮大な計画と意気込みが語られ、公明党がその大きな推進力になることをお互いに誓い合いました。


hisen.jpg「ウクライナ戦争以後の日本の戦略」が副題。「戦争への備えで一番重要な事は、国民が被害に耐え、戦う意欲を持続することです。ところが日本の防衛論議は『相手をやっつける能力』にだけ特化しているようです。国土を戦場にするという状況下で、国民の命を守りきる事は不可能です。ここでも政治は、一番大事な論点を避けているとしか言えません」「(ウクライナを見ても)国防の本質は、『国民の命を守る』ことではなく、『国民が命がけで国を守る』ことだと気付かされました」「(ウクライナと台湾)戦争の動機の面でいえば、対立の焦点は、台湾の独立を容認するかどうかの一点です。中国が武力を使ってもこれを阻止したいのに対し、アメリカが武力を使ってでも台湾を防衛するという対立です。一方、台湾自身は、中国と一つになりたくはないが、戦争してまで強引に独立しようとは思っていません。そうであるなら、米・中・台三者の思惑は、そんなに大きく違っているわけでもない」「私は、ウクライナの戦い方というのは、専守防衛だと思います。ロシアの国内を攻撃するなんてことを宣言してしまったら、それこそ滅ぼされる口実を与えるようなもの。それでも攻めてくるような敵があれば、国民が武器を持ったり、戦車の前に命を投げ出したりして止める。国を守るってああいうことなんじゃないのかというお手本を見ているような感じがする」「国連総会の役割は大事」などと柳沢さんは言う。

「日本では国際人道法の教育が遅れている。一度戦端が開かれたら、その瞬間から交戦法規、国際人道法の世界に入る。開戦法規での違法性は交戦法規ヘ引きずられない。被侵略者だからといって免責される戦争犯罪は存在しない」「武器を取らないからこそ、無辜の一般市民は、国際人道法が保護する対象になるのです。一般市民を武装させてはいけない」「戦争の際に国民は何に参加するかを明確にしておくことの必要性。戦争とは限らずに、日本の場合は総動員法のようなものを作るべきだと思っている」と伊勢崎さんは言う。加藤さんは「ロシアは47カ国を『非友好国』として指定。それ以外の国の方が多いが、その47カ国のGDPの合計は世界のおおよそ7割、残りは中国が15%、ロシアが2%。経済制裁で、さすがの中国もこれを無視してロシアにつくという選択肢はないと思う」「国際政治学はすべてご破算になった。NPT体制と国連の機能不全。もう一度、国際政治のルールを立て直す必要がある」「ロシアの行動は満州事変の日本によく似ていると感じる。満州事変は日本の国際連盟、つまり法による支配への挑戦です」などと述べる。

林さんは、「プーチンの戦争と戦後処理ないし秩序の回復」について述べ、「主権や領域、国益の拡張のため戦争に勝利して敗戦国を支配下に置く戦争とは異質。味方にならないならば力ずくで『我の意思を相手に強制する一方的に仕掛けた戦争』であり、傭兵を使って難癖をつけて情け容赦のない暴力国家そのものの行為に走っている」「プーチンの戦争の戦後処理、秩序回復は、現在進行中の停戦協議すらうまくいかないウクライナ、ロシアに負わせるのは至難。世界の多数国が参集して、新たな『戦時法と戦争責任の在り方』を問う機会が今です。機能しない国連の在り方を問う機会もできるはず。日本の出番はここにある」「ウクライナの生き様に共感が広がっているが、日本では、自衛隊だけではなくて、国民皆が覚悟できるかという部分には難しい問題がある」などと言う。

最後に「停戦しても戦争の火種は残る」「特に戦争犯罪への対処が問題となる」「多分傷はずっと残っていく。おそらく一世紀単位で。ウクライナも復興は簡単ではなく、ヨーロッパは相当荒れる。ロシアの経済力も回復不能、大国の座から落ちるだろう」と、停戦協議の行方と日本の役割について議論している。4人の意見は全く同じわけではないが、ぶつかり、かつ共鳴し、日本のあり方を考えさせる。


tenro.jpg第二次大戦末期、敵国であった中国の、その大陸の奥深くまで侵入した「密偵」の日本人がいた。西川一三。25歳の時、日本ではラマ教といわれていたチベット仏教の蒙古人巡礼僧になりすまし、日本の勢力圏だった内蒙古を出発。当時の中華民国政府が支配する寧夏省を突破し、広大な青海省に足を踏み入れ、中国大陸の奥深くまで潜入した。しかも、第二次大戦が終結した1945年以降も、蒙古

人のラマ僧になりすましたまま旅を続け、チベットからインド亜大陸にまで足を伸ばす。実に足掛け8年に及ぶ長い歳月を、蒙古人「ロブサン・サンボー」として生き続けた。その生き様が描かれる。死と隣り合わせの壮絶な日々。1950年に日本に送還されるが、その一部始終を執筆した「秘境西域八年の潜行」が発刊されるのも1967年。原稿が出版社で放置され続けるなど、大変な苦労のなかでの出版だった。

「夢のようだと西川は思った。内蒙古を出発して足掛け3年、この年まで4つの旅を重ねてきた。内蒙古のトクミン廟から寧夏省のバロン廟までの旅、バロン廟から青海省のタール寺までの旅、タール寺からツァイダム盆地のシャンへの旅、そしてそのシャンからラシャまでの旅。最も短いタール寺からシャンへの旅だけはラバに乗ったが、後は自分の足で歩き通し、ついに旅を完遂したのだ」「旅における酡夫の日々といい、シャンでの下男の日々といい、カリンポンでの物乞い達との日々といい、デプン寺における初年坊主の日々といい、新聞社での見習い職工の日々といい、この工事現場での苦力の日々といい、人から見れば、最下層の生活と思われるかもしれない。しかし、改めて思い返せば、その日々のなんと自由だったことか」「担ぎ屋をしながらヒマラヤ超えを9度も繰り返していた西川」

壮絶、しかし戦争が終わった後も何のために秘境に挑み続けたのか。晩年、娘の由起に言ったという。「もっといろいろなところに行ってみたかったなぁ」「こんな男がいたということを、覚えておいてくれよな」と。日本の敗戦を知り、深い喪失感を抱きながらも、国家という後ろ盾がなくとも、一人の人間として挑み続けた稀有な旅人「天路の旅人」である西川一三の生き様を浮かび上がらせ描く。じわっと、「ここにこうした日本人がいた」が伝わってくる。大変な労作。 


自公再連立からちょうど10年となります。インタビューが産経新聞に掲載されていますのでご紹介します。1671596400008.jpg


heisi.jpg凄まじい恐怖と迫力。中心となるリーダーを決めずに活動する地下ネットワーク組織「金石(ジンシ)」。中国残留孤児の二世、三世を中心にして、犯罪だけでなく一般ビジネスや生活に関する情報をやり取りする互助組織だが、それらメンバーのハブとなるような人間が8人、「八石」という。その一人である高川が警視庁公安に保護を求めてきた。決して表に出ない幹部である"徐福"が、謎の殺人者「黒石(ヘイシ)」を使い、「金石」の組織を変えて一元的支配を目論んでいると怯えていた。新宿署生活安全課の刑事・鮫島は、公安の矢崎の依頼で高川に会う。徐福に反発するメンバーとの根深い争いがあり、その数日後も幹部と思われる男の撲殺死体が発見される。これまでも頭を潰された遺体が発見されており、「黒石」の仕業だと次第に思われていく。

あまりにも酷たらしい殺人者「黒石」とは何者か。それに指令を出していると思われる「徐福」とは何者か。そして二人の関係とは・・・・・・。「八石」の虎(高川)、扇子(清本悦子)、安期先生(田)、鉄、左慈、雲師、公園、そして徐福らの正体とその関係。家出した荒井真利華を引き取り世話した清本悦子の本心。思いが交錯するなか、「黒石」と新宿鮫との壮絶な戦いが繰り広げられる。激しさよりも悲しさがこみ上げてくる。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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