『KomeSTA! RADIO』に出演しました。
●第5回「結党60年へ 青年世代に託したいこと」~前半~
「大衆とともに」の立党精神などについて、政治への関心が薄くなりがちと言われる若者の人に、わかりやすく話をしました。
下記URLのホームページ移動後、『KomeSTA! RADIO』の欄から、お好きなサイト(Spotify、Apple Podcasts、Google Podcasts、Amazon musicなど)へ移動して頂くと聞くことができます。
https://dcontents.komei-shimbun.jp/komesta
「女川町の奇跡 防潮堤のない復興まちづくり」が副題。東京都で道路、橋梁、下水道、まちづくり、河川事業などに従事。特に都市計画・区画整理、スーパー堤防などを現場に入りながら実現してきた土木の専門家の土屋信行氏。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた女川町に入り、「海の見えるまちづくり」「町をまるごと区画整理」「被災した市町村の中で唯一の防潮堤のない町・女川」を造り上げた。防潮堤の後背地を低いままで非居住エリアとするところが多いが、女川町は防潮堤と同じ高さまで盛り土をして商業ゾーンを築く。基準となる「L 1(レベル1)」の高さのスーパー堤防方式で街を造り、住まいの住宅はレベル2の高台に造る。女川町ではレベル1が4.4メートル、レベル2が17〜18メートルとなる。当時、防潮堤はレベル1を基準として各市町村で高さを決め、高台まちづくりは防災集団移転促進事業で行い、高齢者に配慮した災害公営住宅をできるだけ早く造る、これが基本であった。土地区画整理事業には、困難が多い。スーパー堤防でも、はなから反対、とにかく反対だというところから始まってしまう。完成すれば喜びと感謝が溢れるものだが、地元の方の人生を賭けた選択と決断、支援があってできるものだ。「女川町の防潮堤のない復興まちづくり」ができたのは土屋さんの経験に基づくリーダーシップと、それに応じた女川町の人々の熱意によるものであることは間違いない。どれほど困難な項目があり乗り越えてきたか、本書は貴重な記録である。
「災害列島の作法」が表題だが、古来から近代に至るまでの自然との戦いの中で培われた知恵と技術が日本にはある。防災の作法、まちづくりの作法、河川をなだめいなすという日本伝来の作法等があり、本書に書かれている。土木はシビルエンジニアリングといい、社会のため未来のために、ひたすら尽くす。それが誇りだ。私も土木屋の一人だが、苦労と志に共感する。
「サイエンスの世界にようこそ」「科学は人の営み」「こんなに楽しい職業はない」「サイエンスは社会的な存在である」――。ノーベル賞等を受賞、基礎科学の第一線を走ってきた研究者の2人が語り合う。
「こんな役に立たない研究をしていていいんでしょうか」「失敗しないためにはどうすればいいですか」――今の社会は、「成果」が求められ、しかも短期で、どの分野でも。この風潮こそ最大の問題と警鐘を鳴らす。「こんなに楽しい職業はない」「研究者の醍醐味――世界で自分だけが知っている」「研究は面白いから、選択は面白い方を」「一番乗りよりも誰もやっていない新しいことを」「効率化し高速化した現代で、待つことが苦手になった私たち」「安全志向の殻を破る」「解くではなく問うを」「科学を文化に」と語り合う。社会も企業経営も大学などの研究も、短期の成果を求めるようになっている。株主資本主義も大学などの研究費削減も、短期の成果をますます求めている。日本の基礎研究が細る所以である。すべてに余裕がなくなっているのだ。「役に立つ」の呪縛から飛び立とう、と様々な角度から強調する。
寺田寅彦は「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない。しかし一方でまた『科学者はあたまが悪くなくてはいけない』という命題も、ある意味ではやはり本当である」と言ったという。「いわゆる頭のいい人は、いわば足の速い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道端あるいはちょっとした脇道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪いのろい人がずっと後から遅れてきて、わけもなくその大事な宝物を拾っていく場合がある」「頭のいい人は見通しが利くだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡される。そのためにややもすると前進する勇気を阻喪しやすい。頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である」「頭の悪い人は、頭の良い人が考えて、だめに決まっているような試みを、一生懸命に続けている・・・・・・」と面白いことを言っている。また永田さんは「よいお友達というより『へンな奴』を友人に持つほうがはるかに面白いと思っている。へンな奴とは、自分にはないものを持っている奴ということでもある」と語る。大隅さんは、鷲田清一氏が紹介している言葉を引き、「ちょっと変わったヤツが必要なんですよ。優等生ばかりを集めていてもいい酒になりません。ブレンドウィスキーはいろいろな原酒を混ぜて造る。その時欠点のない原酒ばかり集めて造っても、『線が細い』ものにしかならないが、変わり者が混じることで初めて、ハッとするいいお酒ができるというのだ。研究者の世界と同じだと思わずうなずいてしまった」と言う。面白い話だ。「科学の価値も、芸術やスポーツ等と同じように、役に立つかという視点ではなく、未知のことが解明されることを人類の共通の資産として純粋に楽しむ社会であって欲しいと思う。私が『科学を文化の一つに』と考える真意である」とも言う。そして繰り返し「『役に立つ』との呪縛を解き放ち、知的好奇心から出てくるものが基礎科学だと思う」と二人は言う。社会の厚み、人間存在の深さが、基礎研究だけでなく試されている。
「日韓問題――対立から対話へ」が副題。本書の思いは「なぜ韓国に謝罪が届かないのか」という問いかけだ。その対立の原因や背景を分析し、関係改善を提言する書。「冷戦崩壊と日韓関係」「元徴用工訴訟問題」「慰安婦問題」「日韓併合・日韓協定」「歴史との向き合い方」の5章からなる。
この30年、韓国では「加害者」日本は何ら謝罪も補償もないという声が勢いを増したという。386世代といわれる民主化闘争世代が1980年代、民衆意識で武装した市民として登場する。「民主化闘争は、多くの市民をリベラル化し、革新・進歩的な様々な価値観の植え付けにも寄与した」「慰安婦問題や元徴用工問題など、歴史認識運動に関わった人々が、意見の異なる人を『歴史修正主義者』『反歴史的』として非難。その力が極大化したのが日韓合意をめぐる反対運動だった」「(過去に関して)謝罪も補償もしない責任逃れの日本というイメージが1990年代以降、韓国の人々の間に定着してしまった。・・・・・・様々な研究・認識が生産され、日韓併合不法論などの解釈が、メディアなどを通して拡散・定着してきたことこそが、韓国の現在の対日認識や自己認識を作った」「1965年の日韓基本条約を不十分なものだとする認識も、古くからのものではない。社会全体の認識として広く定着したのはやはり1990年代以降のことといっていい」「そうした1990年代以降の『時代の推移』こそが現在の対立と葛藤を生み出してもいる」と言う。
「2018年のいわゆる元徴用工判決は、1990年代に本格化した日韓併合不法論や日韓基本条約不十分論に基づいている。新日鉄住金に命じているのが未払い賃金ではなく『慰謝料』の支払いである理由も、こうした1990年代の認識にある(すれ違う日韓の意識)」「企業を被告とするものだが、徴用とは明らかに日本『国家』が主導したものである」「危険な炭鉱が朝鮮人徴用者の作業場だった」・・・・・・。日本は「慰安婦問題も含め、日韓間の財産・請求権の問題は、1965年の日韓請求権・経済協力協定で完全かつ最終的に解決済み」「2015年の日韓合意において『最終的かつ不可逆的な解決』が日韓両政府の間で確認されている」としているが、著者は「日本政府が訴訟自体を相手にしなかったため、韓国の人々には単に韓国を無視した傲慢な行為としてのみ映った。日本は一度も謝罪も補償もしていないと思い込んできた人々に、さらなる悪印象を与えたのである」と言う。そして「慰安婦問題は、事態を正確に把握しないまま、国家責任のみを問い、しかもひたすら『法』に依存して問うたため様々な問題が起きた」「被害者中心主義から代弁者中心主義ヘ、事実よりも運動優先となった」「慰安婦問題の政治化が正しい理解を拒ませ、植民地への理解不足が慰安婦問題理解を遅らせた」と指摘する。
そして「和解を成し遂げるために日韓がなすべきこととは」「事実の背後を見ることの大切さ」「日本は平和国家としての歩みを知ってもらう努力を」などを語る。
「森田実先生 卒寿祝賀の集い」が8日、都内で行われました。山口那津男公明党代表、森山裕自民党選対委員長、杉良太郎さん、緑川浩司東日本国際大学理事長をはじめ、各界から多くの方が出席、卒寿(90歳)を祝賀しました。私も二階俊博元自民党幹事長等とともに発起人の一人。本当に長くお付き合いをさせていただき、公明党への大変な応援もいただいてきました。学識ばかりでなく哲学性ある至誠の姿勢に感謝でいっぱいです。
挨拶に立った森田先生は、元気で力強い声で、アリストテレスの「政治の究極の目的は人間的善、最高善の実現にある」に触れ、孔子の思想にも通じること、そして今こそ、アリストテレス、釈迦、孔子の中庸・中道思想を現代に生かさなければならないことに論及。「新しい著作に今も挑んでいる」と語り、卒寿は挑戦の通過点というその姿勢に、会場内は圧倒される思いに包まれました。卒寿、本当におめでとうございます。