10月1日、いよいよ「新しい働く仕組み」である労働者協同組合法が施行――。その前日となる9月30日、都内で施行記念の前日祭が行われました。
この労働者協同組合法は、「働く者たちが自ら出資して仕事を起こし、経営にも携わる」「地域や暮らしに必要な仕事は自分たちで立ち上げよう」との挑戦から始まり、2020年に成立したもの。「働くということは、雇われて、その下で仕事をする。しかし、協同・連帯して働く『協同労働(協働)』という働き方はできないものか」という挑戦です。
この日のイベントに出席した私は「源遠ければ流れ長し――。この法律は、私にとって20年も前に、笹森清連合会長や坂口力厚生労働大臣から話を受け、公明党の同僚・桝屋敬悟衆院議員らが受け継いで、多くの方々の熱意と挑戦を受けて成立した。いよいよ施行となり、万感胸に迫るものがある。高齢となった友人たちも、まだまだ自分で働きたいという人が多い。仲間で共に仕事を立ち上げ、共に働く仕組みができたことは大きい。多様な働き方を実現しつつ地域の課題に取り組む具体的展開が進むことを期待する。今後もよろしくお願いいたします」と述べました。公明党から桝屋敬悟さん、中川康洋衆院議員が出席しました。
「あなたは、なぜ大阪城から、独り逃げたのか」――。鳥羽伏見の戦いで壮絶・過酷な目にあった元旗本で彰義隊にも加わった土肥庄次郎は、静岡で蟄居する慶喜に怒りをもち、暗殺を企てる。時は版籍奉還前後の明治初頭。政情は定まらず、静岡には江戸から流入する武士や食い扶持を探す人、ひと儲けをもくろむ商人・・・・・・、いずれも時代の激動にさらされ翻弄されて混乱の極みにあった。鳥羽伏見の戦いで生死不明になった友・白戸利一郎と妻の奈緒、慶喜を守ろうとする剣豪・榊原鍵吉、暗殺された坂本竜馬の仇を討とうとする者たちが交差する。また大谷内龍五郎、桐野利秋、西郷隆盛、勝海舟、松浦武四郎、唐人お吉、清水の次郎長、渋沢栄一、榎本武揚などが現われ、接触・交流する。「武士道を貫く」「人は何のために生きるのか」「恨みを晴らすとは何のためなのか」と、急変した日本社会の中で葛藤し、翻弄される姿が浮き彫りにされる。ダイナミックにそれぞれの人の生き様を描いていく。
「だが、口から出たのは、己にさえ信じられぬ言葉だった。『上様』・・・・・・一体なんだ、これは――」「あなたは、なぜ大阪城から、独り逃げたのか」「そういうものである。慶喜は小さく明確に言った」・・・・・・。「君、君たらずとも、臣、臣たるべし」と武士道を貫こうとした者もいるなかでの慶喜の言葉。それに対峙した庄次郎の反骨精神が、幇間の松廼家露八となっていく。凄まじい世界を垣間見る。
「現代の問題を解決しうる名著の知恵」が副題。この20年位を見ても問題が解決できないで、停滞してることが多い。社会の激変に政治・経済が対応できていないのだ。「世界に類を見ない長期にわたる緩やかなデフレ」「構造改革、抜本的な改革の大合唱」「官僚主導を覆せ」「新自由主義の推進と大批判」「ロシアのウクライナ侵略とは何か」「安倍元首相銃撃事件」----。確かに「この問題をどう考えるか」「整理して本質を考える」ということがあまりにも混乱して、情緒的にある方向に持っていかれていることを憂う毎日だ。中野さんは「社会学の古典を読んでおけば、政治や経済において、どんなことをやったらどういう結果になるのか、おおよそ見えてくる」という。
8人が選ばれている。マックス・ウェーバー。「なぜ組織改革は失敗するのか」「官僚制は、徹底的に効率的で合理的な組織を志向する」「効率性の追求が非効率を生む」「数値だけで測定できない価値。数値による業績評価がもたらす弊害」・・・・・・。
エドマンド・バーク。「急がば回れ。社会は複雑なものであるのに対して、人間の理性には限界がある。そこにエドマンド・バークが革命とか抜本的改革に反対した所以がある」「改革とは、少しずつ改善を積み重ねること。この国の伝統を守りつつ、改革を行う、それが本当の保守」「漸変主義こそ実は近道」・・・・・・。
アレクシス・ド・ トクヴィル。「アメリカの民主政治を見て、多数者の専制に気づいたトクヴィル」「平等が進むほど全体主義化する。平等は人々をバラバラにし、人を結束させる紐帯を引き離す」「人々の絆が社会を豊かにする。平等な民主的社会では、中間団体が必要になる。アメリカ社会には、こうした中間団体がたくさん形成されていた」「日本は構造改革と称して、自国の社会関係資本を破壊して、社会のあちこちに市場原理を持ち込む改革を始めた。日本企業は共同体的な経営を止め地域の共同体は衰退し人間関係が希薄になった」・・・・・・。
カール・ポランニー。「経済人類学者カール・ポランニーが1944年に著した『大転換』。市場が自然環境を破壊し自然や人間を飛んだの商品にしていく。この自然や社会をすりつぶしていく市場メカニズムを『悪魔の碾き臼』と呼んだ」「市場に任せればうまくいくというイデオロギー・新自由主義と、自然・人間・産業組織を守る『社会防衛の原理』」とあり、新自由主義から一刻も早く脱却せよという。
エミール・ デュルケーム。「自殺はどうすれば防げるのか。厳しい宗教は自殺が少なく、個人主義者は自殺に向かいやすい。社会から切り離された個人は、生きる意味を失って、自殺に走る」「人間には、共同体との絆が必要」「突然の社会変化が自殺を減らす。政変や戦争という危機が、社会を結束させる」「宗教社会、家族社会、政治社会の統合の強さに反比例して、自殺は増減する」「そこそこの満足が自殺を抑制する。小泉構造改革で日本の既存の経済社会の構造は破壊され、日本人は生きる意味を失った。自殺を防ぐのは、宗教や家族の機能、職業集団や同業組合の個人を統合した社会の存在。トクヴィルのいう中間団体だ。共同体的な日本的経営は重要ででたらめな改革を日本はやってきたことになる」・・・・・・。
E・H・カー。「危機のニ十年」を取り上げているが、最近、「歴史とは何か」が新版となった。「歴史とは、現在と過去の間の終わりのない対話である」だ。「どうして戦争は起こるのか」「世論は道徳的な社会を望むというユートピアニズム。人間の理性の力を信じる合理主義が基盤だ。しかしユートピアニズムは、理想と現実のギャップという難題にぶつかる。そこに批判的な思考様式としてリアリズムが出る。リアリズムは現実の政治は、力関係や利害関係のみによって決まると考えがちになる。結局のところ、政治とは理想と現実の相互作用の過程である」という。「ユートピアの実現を目指して行動し、リアリティーの壁にぶつかって失敗する。リベラリズムを目指した政治を行って、リベラルではない結果を招く。それを繰り返すのが国際政治というものなのかもしれない」「カーは国際政治における権力には、①軍事力②経済力③意見を支配する力(プロパガンダ)の3つがあると指摘する」が、これらはロシアのウクライナ侵略にぴったり当てはまる。同時にカーは「個人間と同様、国家間にも道義はある」と言っている。
ニコロ・マキアヴェッリ。「政治は、刻々と変化する状況に応じて、臨機応変に対応する技術でなければならない」。リアリストの祖であるマキアヴェッリの哲学だ。
ジョン・メイナード・ケインズ。「市場原理に任せれば、需要と供給は自然に一致するので、政府は市場に介入せず、民間企業の自由放任にゆだねておけば良い」という古典派経済学の思想。その原理を批判するために「お札を詰めた壺を廃坑に埋めて掘り返したほうがまだマシ」との皮肉を言った。不況の時における財政政策の必要性を述べる。「不確かな社会で、どうやって将来に向けて投資を行うのか。資本主義を動かすのは、人々の思い込みや勘違い」との人間洞察に立つ。ケインズは死んではいない。中野さんは「金融市場の活性化によって成長するのは投機であって、必ずしも企業ではない」と言う。
そして「社会科学の教養を踏まえない議論が『失われた30年』を招来した」と警告を発する。貫かれているのは、現実を直視したリアリズム。臨機応変の知恵が政治にとって不可欠ということ。そして共同体。政治イデオロギーも、経済イデオロギーも、イデオロギーとして確立されれば、現実と離れた思考停止に陥るということだろう。