「夜回り先生 いのちの講演」――。涙なしには聞けない。感謝なしには聞けない。30年前、全国最大で荒れに荒れていた横浜の公立夜間定時制高校に赴任してからずっと、夜11時過ぎから駅周辺などを歩きまわり、中学生・高校生たちに声をかけ、体を張って戦ってきた水谷先生。「君たちには、まだまだ長い明日があります。幸せないまと明日を作ることができます」「死を怖れず、死から逃げず、生き抜いてほしい」「生きていてくれて、ありがとう。いいもんだよ。生きるって」と言うメッセージを体当たりで伝え、「自らの力で昼の世界に戻った若者」と共に行動する。本当に凄まじく、すごい。
「人と人との直接の触れ合いを捨ててはならない」「コミニュケーションには4つある。直接会って話す、スマホ・携帯電話で話す、手紙を書く、ネットやSNSでつながる」だ。しかし、「携帯電話やインターネットは、情報を調べたり、伝えたりするために使うべきものに過ぎません。愛や友情や心や思いは通じない。相手の顔が見えないとどんなひどいことも書けてしまう。コミュニケーションは必ず、『直接会って話す』ことだ」と言う。徹底した現場での身体を使っての心の底からの実践。どのページからも、それが痛いほど伝わってくる。公明党の立党精神、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」は、こういうことだと心の底から思う。
「これほど快適に暮らせるようになったのに、なぜ多くの人が精神的な不調を訴えているのか」「スウェーデンでは8人に1人が抗うつ薬を飲んでいて、世界では2億8000万人がうつに苦しんでいる。こんなに快適に暮らせるようになったのに、私たちはなぜ気分が落ち込むのか」・・・・・・。「スマホ脳」の著者アンデシュ・ハンセン氏が、心と脳の仕組み、「ストレス」と付き合うための「脳の処方箋」を明らかにする。
その答えは明確だ。最も長く続いた狩猟採集民の時代。「私たちはサバイバルの生き残りだ」「生き延びて遺伝子を残せるように、脳が感情を使ってその人を行動させるのだ」「発作は扁桃体から始まる。扁桃体には周囲の危険を察知するという任務がある。危険の可能性にも反応し、身体を『闘争か逃走か』の態勢に備え、ストレスシステムのギアが入って心拍数が上がり、呼吸が速くなる」「脳は生き延びるために重要だと思う記憶を優先して保存する。忘れたい恐ろしい嫌な記憶は生き延びるための『重要な記憶』だ。危険を知らせる扁桃体はちょうど記憶を司る海馬の前に位置している。その物理的な近さからも、強い感情を湧かせる体験と記憶力が緊密に連携している」と言う。PTSDに苦しんでいる人だけではなく、私たちには辛い記憶がある。脳が、同じことが起きないよう私たちを守ろうとしているのだ。つまり「不安は自然の防御メカニズム」なのだ。そして、不安を感じたときに確実に効くのは「呼吸。吐く息が吸う息よりも長くなるように心がける」「辛さを言葉にしよう」と処方箋を示す。
そして「うつ」――。「うつとは、私たちを様々な感染から救ってきた『隠された防御メカニズム』なのだ」と言う。さらに「孤独」については「孤独でいると副交感神経が活発になるだろうと思いがちだが、全く逆で孤独は交感神経を活発にする。私たちは生き延びるためにお互いを必要とし、自然の脅威や災害に対して一緒になって生き延びてきたのだ。孤独はつまり脳に警戒体制の段階を引き上げさせる」「人との交流、社交は脳の見地からすると食欲と同じぐらい基本的な欲求だ」と言う。
さらに「うつを防ぐ方法」として「運動」を提唱する。「運動はドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリンのレベルを上げ、BDNFのレベルも上げ、長期的には炎症を抑える効果もある」と解析する。面白いことに、「なぜ人は歩かなくなったのか」についても、狩猟採集民はカロリー欲求を求め、運動して無駄にカロリーを燃やさないようにしてきたのだと述べる。人類史上で最も精神状態が悪いのは現在であり、何が「うつ」から守ってくれるのかといえば、「運動」と「仲間と一緒に過ごす」こと。これほど快適な暮らしをしているのに精神状態が悪いのは、結局のところ「自分たちが生物であることを忘れているからだと思う」と述べている。
「物価とは何か」の前著は素晴らしかったが、直面する円安、物価高がいかなるメカニズムで起きているのか。「欧米を中心にする世界のインフレはなぜ起きているのか」「日本の円安、物価高の特殊性。日本だけが直面する危機とは?」について、専門家としてその問題の核心を徹底考察する。
「低インフレ化していた世界。パンデミックでグローバルなモノの供給が寸断され、経済が再開しても生産が回復してこない。生産がニーズに追いつかない、需要が供給を上回るアンバランスが生じ、物価上昇を引き起こしてしまった。巣ごもりを終え仕事を再開したが、労働者と消費者の行動変容が続いている。失業率とインフレ率の関係を示したフィリップス曲線に異変を生じている。今回のインフレの原因は需要の過多ではなく供給の過小にある」「日本はデフレ脱却が果たされない中、急性インフレという別の物価問題に襲われている。急性インフレと慢性デフレの同時進行、物価は上がるのに賃金は上がらないという最悪の事態の瀬戸際にいる」と言う。私も常に言っている「長期にわたる緩やかなデフレ」を脱却できないなか、外からの物価高に苦悶しているわけだ。「世界は、今まさに、パンデミック後の『新たな価格体系』に向けて移行中」と指摘、「感染さえ収束すれば経済は元に戻る、インフレは一過性だという見方は違う」「現在進行中の世界インフレは主に供給要因によるものであり、その背後には消費者、労働者、企業の行動変容がある。これらの行動変容はパンデミック終盤の現在でも色濃く残っており、今後もすぐには消えそうもない。パンデミックの『後遺症』が引き起こすインフレだ」と言う。
そこで日本――物価高と騒ぐが、他国と比較すれば圧倒的に低いインフレ率であり、危険な水準とは言い難い状況にある。むしろ問題は「物価が上がらない国」ということだ。問題は「デフレという慢性病」と「急性インフレ」に重なって襲われているということ。米国は急性インフレだけなのでその治療たる金融引き締めをすれば良い(金融引き締めは需要に働きかけるもので、今回の供給不足のインフレには直接働きかけない。一時凌ぎができても景気後退と失業率増大になるが----)。日本はそれをやれば、急性インフレは癒しても慢性デフレをさらに悪化させてしまうのだ。「日本は物価の上がらない国で、値上げを許さない人々。『値上げ嫌い』と『価格据え置き慣行』があり、社会に沁み付いている」のだ。
しかし、今までと違ってデフレ脱却に最も重要な「インフレ予想」がパンデミックを経て、「低すぎるインフレ予想・値上げ嫌い・価格据え置き慣行という日本のノルムを構成するいくつかの要素に変化の兆しが現れている」とする。スタグフレーションの到来とせず、慢性デフレからの脱却に進むチャンス到来であり、企業が賃上げに前向きに取り組む、凍りついた賃金というハードルを越える時だと言う。そして「日本版賃金・物価スパイラル」を解消し、「賃金解凍スパイラル」「慢性デフレからの脱却」の実現に向けての意欲と行動を促している。
「玄鳥」「三月の鮠」「闇討ち」「鷦鷯」「浦島」の5編。中野孝次さんの解説がある。運命にもてあそばれる下級武士、意を決した剣の立合い、心かよう友との友情、控えめで自制心に富む美しい女性、ゆったりと流れる時代の風景と自然、漂う静謐・・・・・・。圧巻の作品。
「玄鳥」――。「路は不意に眼が涙にうるんでいるのを感じた。すべてが終わったという気持が、にわかに胸にあふれて来たのである。終わったのは、長い間心の重荷だった父の遺言を兵六に伝えたということだけではなかった。父がいて兄の森之助がいて、妹がいて、屋敷にはしじゅう父の兵法の弟子が出入りし、門の軒にはつばめが巣をつくり、その兵六が水たまりを飛びそこねて袴を泥だらけにした。終わったのはそういうものだった」「路は叱ったが、路自身も粗忽でおもしろい兵六の嫁になりたかったのである。路は15で、節は13だった。そういう時は終わって、巣をこわされたつばめは、もう来年は来ないだろう。すべてが変わったのだった」・・・・・・。
「三月の鮠」――。「大声を発して勝之進は信次郎を押した。・・・・・・だが、その一瞬、目に留まらず動いた信次郎の竹刀が、勝之進の肩にはげしい音を立てて決まった」「(岩上は)巨利を得て富商らと利益を折半していたのが露見した。岩上も今度はおしまいだなと横山は言ったのである」「葉津は小桶を下に置くと、信次郎に向き直った。その肩にも降ってきた落葉が当たった。身じろぎもせず、葉津は信次郎を見ている。その姿は紅葉する木木の中で、春先に見た鮠のようにりりしく見えたが、信次郎が近づくと、その目に盛り上がる涙が見えた」・・・・・・。何という描写だろう。
「闇討ち」――。開墾派の迫間家老と産業派の寺内家老の暗闘のなか、清成権兵衛は罠にはまり闇討ちを図り、変死する。納得できない仲間の興津三左衛門と植田与十郎。真実を突き止め恨みを晴らす。「いい日和だったが、二人とも背のあたりに、こういうときにいるべきもう一人が欠けている寂寥を感じていた。口少なにむじな屋を目ざして歩いて行った」・・・・・・。
「鷦鷯」――。横山新左衛門は貧しく、内職をしているが、誇り高い下級武士。娘の品はとても良い娘だが、縁談がなく悩んでいる。金貸しの悪名が藩の中で轟いてる石塚が、その息子・孫四郎はどうかと声をかけてくる。断固として断る新左衛門だが・・・・・・。「『聞いていなければ、えらい目にあうところでした』――孫四郎はそう言って頭を下げたが、孫四郎の腕なら新左衛門の警告がなくとも、何とかできたろう。あいつめ、年寄りを持ち上げることも知っているらしい、と思ったが、気分は悪くなかった」・・・・・・。
「浦島」――。御手洗孫六は、無類の酒好き。酒で失敗し左遷される。18年後に無実と認められ勘定方に戻ったものの、時代も変わり若者たちに馬鹿にされる始末。浦島太郎だ。その鬱憤のなか、またもや酒を飲んでしまうのだ。
「土偶は縄文人の姿をかたどっているのでも、妊娠女性でも地母神でもない。『植物』の姿をかたどっているのである。それもただの植物ではない。縄文人の生命を育んでいた主要な食用植物たちが土偶のモチーフに選ばれている」「土偶は食用植物と貝類をかたどっている」と言い、「ついに土偶の正体を解明しました」と宣言する。副題は「130年間解かれなかった縄文神話の謎」。
「土偶は何をかたどっているのか」「土偶はどのように使用されたのか」については、諸説あるものの、いずれも客観的な根拠が乏しく、研究者の間でも統一的な見解が形成されていない。現在の通説では「土偶は女性をかたどったもので、自然の豊かな恵みを祈って作られた」と言うが、竹倉さんは違うと真っ向から切り込む。土偶プロファイリングとして、「ハート形土偶」「合掌土偶・中空土偶」「椎塚土偶」「みみずく土偶」「星形土偶」「縄文のビーナス・カモメライン土偶」「結髪土偶」「刺突文土偶」「遮光器土偶」を解析する。そして「縄文人の生命を育んでいた主要な食用植物、貝類が土偶のモチーフに選ばれている。決して人体像ではない」ことを明らかにする。オニグルミ、クリ、ハマグリ、カキ(イタボガキ)、貝のオオツタノハ、トチノミ、イネ、ヒエ、サトイモが上記それぞれのモチーフだと示す。極めて面白いのは、まさにそれが現在のLINEスタンプのキャラクターであったり、地域キャラクターに土偶が酷似していることだ。生活密着、地域密着の土偶であることが浮き彫りにされる。また縄文=狩猟採集、弥生=農耕ではなく、縄文人が植物の栽培や半栽培、あるいは野生種の栽培化を行っていたことが現在では次第に明らかになっているが、この土偶の解析を見てもそのことがよくわかる。土偶はなぜ作られたのか。「魔的な力の襲来が、人間だけでなく、人間が養育する植物にも及ぶが故に、われわれ人類は栽培植物に対しても呪術的な手段を持って神的な守護を張り巡らせようとした。道祖神の招来によって集落を守護するのと同様の心性によって、縄文人はサトイモたちを魔的な力から守ろうとした」と、守護者としての役割を明らかにする。そして定説として確立されることを願い、挑んでいる。大変興味深い。