政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN

NO.76 マニュアル主義を排し災害に立ち向かう主体性を/文明の進展に潜む脆弱性

2014年11月 5日

今年も災害が頻発している。冬の豪雪、夏の集中豪雨、そして御嶽山の噴火で多くの死傷者が出た。そこで再認識されたのが、命を守るためには的確な避難行動が重要だということだ。ハードの整備だけでなく、危険な状況が迫っていることを自治体や住民に伝え、避難の判断に結び付けていくソフト対策が重要になる。

しかし私が感じているのは、文明の進展によって、人間が危機を感じる力、危機から自分の身を守るために判断する力が決定的に弱まっているのではないかということだ。「現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常ということがわかっていない」(無常という事)と言ったのは小林秀雄だ。生きること自体が自然の脅威との戦い、危機と常に隣り合わせといった昔と比べて、現代人は甘すぎると言ってよい。人間が生きる上でのたくましさを失ってきているとも言える。

文明や技術が進歩し、都市ではさまざまなインフラの整備によって利便性が高まっている。平時であれば災害の危険性が身の回りに存在することを意識することはない。災害時でも、例えば東日本大震災で津波警報が出ても「防潮堤があるから大丈夫」と避難しなかった人がいたように、安全性への過信が生まれている。

さらに情報化の進展だ。インターネットで大量の情報を容易に入手できるため、マニュアル偏重になり、自分で情報分析や判断をしなくてもよくなっている。このマニュアル偏重がこわい。それが"失敗学"で最も指摘されるところだ。人間の考え方や行動様式が変化したことによって、実際に災害や危機に直面した時に被害が大きくなるリスクが高まっているのだ。

さらに例えば、東京などの大都市では地下街や地下鉄など地下利用が広がっているが、堤防の決壊などで浸水が発生すると未曽有の被害になるおそれがある。都市化によって新たなリスクが生じていることも考えていかなければならない。

我が国は災害が多い脆弱国土だが、文明の進展によって高まっている脆弱性への対応を重ね合わせることが必要なのだ。

豪雨等のステージが変わった。そうした認識から私は10月8日、「新たなステージに対応した防災・減災のあり方に関する懇談会」を立ち上げて有識者から意見を伺い、本格的な対応をスタートした。そこで有識者の大半から出された意見は、住民の自己認識、主体的判断を重視する考え方だ。

「今は避難勧告が出たら逃げて下さいというように、行政が出す避難勧告に依存した仕組みになっている。しかしそれでは限界がある。避難を考えるに値する状況だということを伝えて、各自が一番適切な行動を判断していかなければならない。これまでの"行動指南型"から"状況情報提供型"の情報に変えていくべき」「避難勧告が出たとしても、垂直避難など一人ひとりでとるべき適切な行動は違うことを認識すべき。自分の命は自分で守るという主体性を徹底していかなければならない」「知識が命を助ける。そのための防災教育が大事だ」「防災は自助が基本であり、それを共助と公助がサポートすべき」「ゲリラ豪雨の予測は難しいが、自分でXバンドレーダーなどを見れば致命的な被害はある程度防げる」「危険区域のゾーニングを示していくべきだが、そのためには住民の理解を得ていくことが大事だ」――いずれも災害から命を守るために有意義な意見だ。

災害から命を守るためには現場での一人ひとりの判断がカギを握る。現場の状況を自分の目で見て考え、臨機応変に判断して行動しなければならない。

「災害に立ち向かうための主体性の確立を」――文明の進展によって生じた脆弱性の克服をも考え、このステージの変わった防災・減災に取り組みたい。

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