政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN

NO.126 AI・ロボット時代に"考える力""理解力"/知識の教え込み教育は通用しない

2019年3月14日

AI.jpg「教育の深さが日本の未来を決定する」「『海よりも広いものがある それは大空である 大空よりも広いものがある それは人間の心である』とヴィクトル・ユゴーは言ったが、その人間の心を鍛え、耕し、育てるのが教育である」――。これは私が12年前、教育基本法改正の時の衆院本会議での発言である。教育の重要性は常に叫ばれる。しかし最近も「児童虐待事件」「いじめ」「子どもの貧困」などの問題は深刻化している。一方で、公明党が主張してきた「幼児教育の無償化、私立高校の無償化、一部であるが高等教育の無償化」の"三つの無償化"が今年ついに実現した。「全世代型社会保障」が前進し、児童手当拡充も含む教育支援が日本政治の重要な柱となってきたことを、「福祉の公明党」を50年にわたって推進してきた私としては率直に喜びたい。教育負担の軽減は日本の未来にとって、常に考え続けなければならない。

「AI・IoT・ロボット時代に活きる教育とは何か」――。私がこの1年、考え続けてきたことだ。AI・IoT・ロボットの急進展するこれからの社会。仕事がAI・ロボットに取って代わられる社会。その真っ只中で人生を送ることになる今の子どもたち。それではどういう幼児教育が大切となるのか、初等・中等教育はどうするか、いまや切実な重要問題だ。

昨年、数学者で国立情報学研究所教授の新井紀子氏の「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」が衝撃を与えた。AIが人類の明るい未来を築くような希望的観測を打ち破り、かつAI時代となるからこそ今の日本の教育でいいのかという痛烈な問題を突きつけた著作である。「AIが神になる」「AIが人類を滅ぼす」「シンギュラリティが到来する」――。いずれもそうならない、と指摘する。「AIは計算機ですから、数式、つまり数学の言語に置き換えることのできないことは計算できない (AIは徹頭徹尾数学だけでできている) 。私たちの知能の営みはすべて、論理と確率、統計に置きかえることができるかといえば、残念ながらそうはならない」「数学が発見した論理、確率、統計に決定的に欠けていること、それは『意味』を記述する方法がないということだ」「ロボットが中学生程度の常識や柔軟性を身につけて、日常のさまざまな場面で役立っているという未来像は、現状の技術の先には見えない」――。こうしたことを徹底的に突きつけたのだ。

P6130163.jpgところがAI・ロボットに人間が勝っていると安閑としていてはダメだというのが、新井紀子氏の本当に主張したいことだ。AIと共に働くことが不可避な2030年代以降の日本の中高生を調査すると驚愕の実態が判明する。「中高生の多くは、教科書を正確に理解する『読解力』を獲得していない」「多くの仕事がAIに代替される将来、読解力を獲得していない人間は失業するしかない」「求められるのは(AIのできない)意味を理解する人材」「人間に期待するのは、AIにはまだ難しい『同義文判定』やAIには不可能と思われる『推論』『イメージ固定』『具体的同意』の能力だ」――。そこで新井さんは「ロボットは東大に入れるか」に続いて「RST(リーディングスキルテスト)」という世界にないプロジェクトに踏み込む。読解の偏りや不足を科学的に診断し、中学卒業までに全員が教科書を読めるようにして卒業させるという挑戦だ。今、始めなければ間に合わない緊急提言といえる。

そうした「考える力を伸ばす教育」「生きる力を身につける教育」「意味を理解する教育」「推論、イメージを鍛え育てる教育」は幼児教育でも、初等・中等教育でも、これから最も重要なことになる。幼児教育を考えても、急速度に迫るAI時代に生きる自分の孫に、どういう教育、資質を育めばいいのか。このことは無償化の中身として、より重要なことだ。日本の幼児教育は「遊び保育」が主流であった。またその対極の"お受験"のためのペーパー問題を解かせる「教え込み教育」も台頭した。しかし、AI時代では特に、「考える力」「管理されなくても与えられた問題を解決できる自律した人間」「柔軟性があり論理的な頭脳をつくり上げる就学前の"教科前基礎教育"」「IQに代表される認知能力だけでなく、忍耐力、協調性、計画力、表現力、意欲、発想力、自己制御力といった非認知能力が重要」(「『考える力』を伸ばす」 久野泰可著)だということだ。

Educationとはラテン語で「引き出す」という意味だという。これまでの「教え込み教育」「知識の量を獲得する教育」ではAI・ロボット時代には通用しない。このことを踏まえた教育の中身に力を結集する時だと思う。

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