「仏教史上最大の対決」が副題。奈良時代から平安時代に変わったばかりの9世紀初頭、最澄(776〜822)と、東方の陸奥国、現在の会津地方を中心に活動していた徳一(とくいつ、生没年不詳)との間で交わされた大論争。最澄は法華経の一乗説こそが真実であるとする天台宗、徳一は三乗真実説の法相宗に立つ。「最澄・徳一論争は、マイナーな宗派の徳一がメジャー宗派の最澄に挑んだと思われがちだが、実態はむしろ逆。当時、日本の天台宗はできたばかりの新参であった」と言う。日蓮大聖人の「開目抄」には「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしずめたり、龍樹・天親・知ってしかも・いまだ・ひろいいださず、但我が天台智者のみこれをいだけり」とある。この論争は、「三一権実諍論」と呼ばれ、「三乗説と一乗説のどちらが真実であるか」などの論争だが、最澄は「一乗が真実であり、三乗は方便だ」と主張した。さらにその背景には龍樹の「空」、天親の「唯識論」があり、あらゆるものは存在せず「空」であることに対し、識の実在性を強調する唯識派が日本の三論宗・法相宗の対立に影響を及ぼしていたという。「空有の論争」である。それはまた「一切衆生悉有仏性」説の是非をめぐる大論争をも惹起し、三乗真実説は五姓各別説の立場をとる。仏性論争は一切皆成仏説と一分不成仏説の対立となる。一乗法、悉有仏性が真実だと思うが、本書は研究者として論争とその背景に迫っている。また異なる宗教、哲学、思想間の対論として「因明」を詳説する。
2014年から毎週、読売新聞夕刊の連載コラム(2014~2021)の傑作を書籍化したもの。流行語大賞候補として、取り上げられたようなキーワード250語について、コメントしている。2021年で言えば、「愛の不時着カップル」「パンダの返還延期」「ガッキーロス」「ゴン攻め」「ピクトグラム」「大江戸温泉物語の閉館」など26語。「レジェンド」は、ソチ五輪の葛西紀明選手で2014年、「ポケモン GO」「ぺンパイナッポーアッポーぺン」は2016年、「うんこ漢字ドリル」は2017年、「大迫半端ないって」は2018年、「令和ビジネス」「ハンディファン」は2019年、「昆虫食ブーム」「レジ袋有料化」「高級マスク」は2020年――。その時の「流行」を思い起こす。幅広い話題を、丁寧に温かく描く。
「経済停滞と格差拡大の謎を解く」が副題。金融緩和を極限まで行い、赤字国債等を大量に発行しても、予定した成長と物価上昇を果たせない日本。アベノミクスで株価は上昇、雇用も拡大したが、本格的な「低成長と格差」の脱却を果たせない日本。それは、「資産選好(お金や富の保有願望)」があるからだ。だからいくらお金を市場や家計にばらまいても、肝心の「総需要」が増えない。成長経済の時の金融緩和や構造改革や減税・ばらまきの経済成長戦略ではダメで逆効果、成熟経済の経済戦略にはっきり転換せよ、という。それが日本だけでなく、成熟した日米欧経済が停滞している本質だ、という。成熟経済の経済戦略は一つの方程式で全部説明できると説く。
なぜ、消費が伸びない、低迷するのか――。つい先頃までは、将来に対する不安があるからだとか、モノがあふれて買いたいものがなくなっている等と説明されてきた。そうではない、もっと本質的な問題がある。経済が豊かになるにつれて、人々の興味が消費から蓄財に向かう「お金を使うことよりも保有自体に幸せを感じる」「資産選好」にあるからだとの指摘だ。確かに、私たちの実感と合致する。一人当たりGDPが世界から25位に下落していることばかり指摘されているが、一人当たり個人金融純資産では世界有数の豊かな国(9位)となっている。フローの停滞ばかり指摘されるが、実質貨幣量や株価などストックばかり伸びる現象が起きているのだ。「総需要が伸びず、生産能力を使いきれなくなった成熟経済では、生産能力のいっそうの拡大ではなく、新たな消費を考えることが経済の活性化につながる」「必要なモノは揃っており、新たな消費創出の可能性があるのは、芸術・スポーツ・観光など新しい面白いものや、緊急時に備える医療等の創造的消費だ」「成熟経済の財政支出で重要なのは、金額的規模ではなく、国民の安心・安全を確保し、生活の質の向上に役立つ社会インフラや公共サービスを提供する財政支出本来の目的とともに、民業を圧迫することなく、どれだけの規模の新規雇用や新規需要を創出したかということが重要」「新しい公共事業の対象としては、民間製品の代替品ではなく、そのため民間の生産活動を妨げない、環境、観光、医療、介護、保育、教育などの分野。観光インフラの整備が観光業を発展させるように、これら社会インフラを整えていけば、私的消費の分野においても新たな需要が創出される」等々、具体的に提言する。「供給の経済学」とは逆の「総需要が総生産を決める需要の経済学」だ。
足立・竹ノ塚駅周辺の"開かずの踏切"がなくなる。高架化がついに実現――。20日、東武伊勢崎線の竹ノ塚駅高架化事業が完了し、運行が開始されました。長年の念願であった"開かずの踏切"が撤去され、合わせて竹ノ塚駅が立派で便利な駅へと一変。今後さらに駅周辺の開発・整備が進んでいきます。地元・足立でもあり国土交通大臣としても直接関わってきた私として、本当に嬉しい日となりました。20日の午前中に現地に駆けつけましたが、多くの人が写真を撮っている姿が目立ちました。それだけ喜びが大きいと感じました。
きっかけとなったのは2005年3月、この踏切で歩行者4人が死傷するという痛ましい大事故が起きたこと。翌日には国会で質問、現地を視察。従来の制度では実現が困難であったものを、区施行方式で実現を進め、2012年に工事着手にこぎつけました。この時は、工事着手までが類例のないスピードであったので「竹ノ塚の奇跡」ともいわれました。国、都、足立区、東武鉄道、地元住民の結束と熱意によるものでした。もちろん、公明党はその推進力になりました。2016年5月に下り急行線、2020年9月に上り急行線が運行、ついに今回、普通列車も含む全線が運行されたものです。また新駅舎は諸設備が充実、トイレも子供用、障がい者用、女性のパウダールームを設置するなど最先端のものとなっています。今後は、駅前ロータリーの整備等が始まります。地域が発展し、喜びがさらに広がることを期待しています。
「あるいは日本人の心の基軸」と副題にある。世界宗教、それは民族宗教から脱皮したものであり、キリスト教であれば「使徒パウロがイエスの十字架の死を『人間の原罪を背負った死』に昇華させたことから民族、階級、性別を超えた『キリスト教の世界化』をもたらした」「パウロがキリスト教を創った」という言葉がある通りだ。仏教で言えば、「内省と解脱の仏陀の内なる仏教を、弟子や後進が『衆生救済』の大乗仏教へと『加上』していく過程」、それが世界宗教を形成した。「現代日本人の魂の基軸は、中東一神教のごとく『絶対神』に帰依するものではなく、宗教性は希薄と言わざるを得ないが、潜在意識においては緩やかな『神仏儒』を習合させた価値を抱えている。神社神道、仏教的思潮、儒教的規範性、これらを重層的に心に堆積し、日本人の深層底流を形成している」「極端なまでに政治権力(国体)と一体化した国家神道の時代への反動から、ひたすら経済の復興・成長を最優先する『宗教なき社会』を生きてきた戦後日本」とし、「レジリエンスを取り戻す臨界点」の日本において、宗教の真価が問われるという。深き思想・哲学が求められるということだ。
本書の論及は広大で深い。私自身が経験し、学び、行動してきたことが、一つ一つ鮮明になる。圧巻とも言える本書は、人類史における宗教の淵源から世界の宗教史に迫り、中東一神教、特にキリスト教、イスラムの世界化を追う。また仏教に関しては、ブッダの仏教と、竜樹や世親の大乗仏教、中国を経て漢字の教典となった仏教の意味、そして日本に伝来した仏教が最澄、空海、親鸞、日蓮らによってどのように日本国と日本人の基軸を形成したかを探求する。
また神道の形成と天皇、天武、持統期以来の仏教と天皇、「神仏習合」について語る。「江戸から明治へ――近代化と日本の精神性」について、新井白石、荻生徂徠、本居宣長、内村鑑三、新渡戸稲造、鈴木大拙、司馬遼太郎、PHPの松下幸之助等々、「時代と宗教」「日本人と宗教」を掘り下げていく。「明治近代化と日本人の精神」は根源的なものだが、明治に埋め込まれた「国家神道による天皇親政という呪縛」「国家神道幻想」が敗戦という挫折をもたらし、そして今、私流に言えば、「諸法実相」の全体知たる宗教的叡智が日本社会のレジリエンスとしていかに重要かを説く。人類史、日本史を全的に把握する力業のごとき「人間と宗教」ヘの論及に感銘する。