物語は極めてシンプル。しかし、帯にあるように主人公の語り(青山文平さんの語り)、そのリズムに酔う江戸の街の感動作。
一季奉公を重ねて42歳にもなった男――。一万石を超える貧乏藩の江戸屋敷。そのお手つき女中・芳の二度と戻れぬ宿下がりの同行を命じられる。芳は殿様を退かされた老公(といっても今21歳)に底惚れしており、男はまた密かに芳に想いを寄せていた。同行する2人。初めての極楽を味わったその夜、芳は男を刺し、そのまま姿を消す。「俺の腹に突き刺さった匕首」「お殿様を笑い者なんかにさせない」「芳は百姓の嫁に収まるつもりになんぞ毛頭ねい」・・・・・・。「すんげえなあ、芳は。あんなすんげえ女に終わらせてもらえて。ありがたさが染みいる」のだが、男は一命を取り止めてしまう。
男は「芳は自分が人を殺したことを信じ込んでいる」「人を殺めていないことを芳に伝えたい」「芳はどっかの岡場所に沈んでるんだろう」と懸命に生き、やがて江戸の岡場所の顔になる。ひたすら芳を探し、待つのだ。それを助ける銀次、かつての大名屋敷で働いていた下女・信。銀次が抱えたもの、信が持ち続けた底惚れ。貧しい江戸庶民の姿、その心に沈潜する一途の愛が、感動的に浮かび上がる。
「行き過ぎた資本主義に対する反省から、日本でも『脱成長』の思想がブームになりつつある。背景にはグローバルな資本主義が環境破壊や人的搾取、分断社会をもたらしたことへの反省と批判の眼差しがある。だが、各国がSDGsという共通の課題に向き合っていく大きな流れの中で、日本だけが『脱成長』へとシフトする展開は非常に危険である。『脱成長』は思想停止と紙一重だ」「世界はGAFAMなどのテック企業の進歩が止まらない。むしろテクノロジーを加速させて、気候変動、食糧不足、教育格差といった社会課題を、ビジネスチャンスに変えている」という。
副題は「SDGs、ESGの最前線」だ。ESG投資とは環境、社会、企業統治の頭文字をとったもので、2025年には世界で運用資産が53兆ドルを超えるともいわれている。企業価値を考えても、ESGに根ざした投資は、もはやビジネスの"参加条件"。今でさえ遅れている日本が「脱成長」に浸っていてはならない、と具体的に指摘し、2030年の先を行く企業が今狙い動いていることを、「SDGs、ESGの最前線」として、GAFAM、テスラ、セールスフォース、アマゾン、日本のソニーなどの現実の挑戦を示す。社会は激変していることを痛いほど実感する。
2030年の世界を救うテクノロジー――。「食料不足×フードテック――700兆円市場が見込まれ、畜産業は動物にも地球にも優しくない」「教育格差×エドテック――コロナ禍が押し広げたエドテックの可能性」「医療・介護×ヘルステック――健診レベルのデータが毎日取れる」「気候変動×クリーンテック――テスラのソーラー事業、水素エネルギーはなぜ普及しないか」「大量廃棄×リサイクル――アップルが100%リサイクル素材使用に、リサイクル・リユース前提のものづくりへ」・・・・・・。「ESGの先頭を独走するアップルの理念とアクション」「企業理念=ESGが強みのテスラ」「ESG経営に積極的なアマゾン」「セールスフォース・ドットコムによるホームレス支援」「エネルギー業界の激変とEVへ」などを示しつつ、日本企業への処方箋と政府と企業の役割分担を語る。
未知のウイルスに襲われた日本。武藤泰山総理と息子・翔が立ち向かう。そのウイルスはなんとシベリアの冷凍マンモスから飛び出したもの。かつて眉村紗英の父・古沢恭一がサハ共和国で起きたという集団感染の話を聞き研究。冷凍マンモスからのウイルスにたどり着いたようだったが突然、古沢恭一は自殺してしまう。
泰山は緊急事態宣言を発出するが、周りの政治家や都知事はそれに大反対、デモ・暴動にさらされる。一つはそのウイルスをめぐっての企業やテロ組織の陰謀、もう一つは武藤政権を倒そうと謀る政争。ともに武藤親子や紗英らが体当たりで解決する。とくにデモ・暴動自体が「大勢の人たちが疑心暗鬼になり、不寛容であり続け、大規模デモに訴える症状がウイルスを原因とする」「荒唐無稽な噂話を信じた人たちは、新種のウイルスに感染していた」というのだ。政治家としての信念をデモ隊に向かって身体を張って演説する武藤総理は痛快ではあるが、狂騒曲、マンガチックな展開。
新型コロナ・パンデミックと大規模災害。それはグローバル資本主義の拡大・成長と気候の激変・地球温暖化が許容限界に達していることを表出している。無限拡大に対しての有限性、「生と有限性、地球環境の有限性」の自覚が今、突き付けられている。地球規模での「定常化」時代に向かっているとの自覚だ。
しかし、その「定常化」は人類の歴史から見て第3回目の「定常化」だという。人類は「有限性」を自覚した時に、「定常化」のなかに豊かな創造性を見出していたのだ。「第一の定常化――ホモ・サピエンスの増大→心のビックバンに転換」「第二の定常化――農耕と都市の拡大→枢軸時代、精神革命(世界での哲学・宗教の始源)」、そして現在の「第三の定常化――地球倫理へ」だ。人類は新たな「生存」の道への転換を図れるか。牧口常三郎初代創価学会会長の「21世紀を人道の世紀に」を想起させる。その「地球倫理」を人類の過去・現在・未来の壮大なパースペクティブの上から、またその根源を探ることから「有と無と空」「生と死」「時間と死生観」「仏教、老荘思想、キリスト教」「宇宙と生命」等、壮大なスケールで論述する。
「無と死を考える時代――生と死のグラデーション、無と科学」「有限性の経済学――資本主義と無限、人類史の拡大・成長と定常化、地球倫理の可能性」「超長期の歴史と生命――意識という開放定常系、共生と個体化のダイナミクスとしての生命」「無の人類史――無(ないし死)の人類史のスケッチ、心のビックバン(心の自立、無の自立)、農耕社会と"死の共同化"、枢軸時代・精神革命における"無"の概念化・抽象化、老荘思想・中国仏教における"無"、ギリシャにおける自然と生成・存在、ユダヤ・キリスト教の"永遠の生命"」「『火の鳥』とアマテラス――太陽の再生神話の起源、アマテラスの起源、死を含む生命」「有と無の再融合――無のエネルギー、生と死のグラデーションと死生観、認知症と老年的超越」「時間の意味――時間と死生観、時間・永遠・宇宙をめぐるモデルと現代物理学」・・・・・・。
断常の二見を超える「空」とエネルギー、人間の生と、己を超える大きな存在(宇宙、地球、共同性)との繋がりの覚知、第三の定常化時代の新たな思想・観念の形成、宇宙・地球・生命・人間の「共生と個体化のダイナミズム」、その到達理念としての「地球倫理」――。共鳴盤が激しく鳴った。