pu-tin.jpgロシアのウクライナ侵略から1年――。「プーチンの戦争」とも言われるが、なぜロシアはウクライナを侵略したのか、プーチンの思想と行動は、いかなるものに基づいているのか。戦略や戦況ではなく、ロシアとウクライナが歩んできた歴史的な背景と宗教観・民族観、この地域が間歇泉のように「文明の衝突」として吹き上げてくる場所であることを解説する。あまりにも複雑な歴史に翻弄されてきたことがわかる。しかもあたかも地震におけるプレート理論を想起させる。「ロシア正教とカトリック、そしてイスラムという文明の『断層線』で起こった戦争だ」と言っているように、軍事的・経済的・宗教的・民族的に衝突する地であることがわかる。

「そもそもの発端は、20142月に起こったNATO拡大派主導のマイダン革命と、これに反発したロシアによる『クリミア併合』まで遡る。この時マイダン革命という事実上NATO勢力が誘発したクーデターに驚いた東ウクライナでは、ロシア語話者の多い東部ドンバス地方で2つの共和国(ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国)が反乱を起こした。以来、ウクライナとロシアとの間に火種を残し、それが現在まで続いている(ミンスク合意I、ミンスク合意もあったが)」・・・・・・。さらに遡れば、「プーチンはウクライナの占領が目的ではなく、2008年にロシアを一義的には仮想敵と決めつけてきたNATOが、同国にまで拡大してきていることに問題があると言っている(NATOの東方拡大問題)(ウクライナとジョージアのNATO加盟を議題とした米国)」・・・・・・。また、「言語も文化も違い東スラブの3ヵ国、ウクライナとベラルーシ、ロシアは三位一体とするプーチン」「ウクライナの西側はカトリック系ポーランドとの関係が深く、東側はロシア語圏で正教的でロシアとの結びつきが強い」・・・・・・。ウクライナは、国内においての宗教・民族問題だけでなく、軍事的にも政治的にも欧米とロシアに引き裂かれ続けてきたという。加えて、「今回のプーチンによるウクライナへの軍事侵攻については、ロシアの歴史的・文明論的・宗教的なアイデンティティーの問題が深く絡み合い、『第三のローマ』を目指し、東方志向を抱くプーチン・ロシアに対し、我々はどう対処していけばいいのか」と問題を投げかける。

さらに遡れば、1991年、ソ連崩壊と侵略兵器管理のための法的共同体C I S(独立国家共同体)が結成され、ロシアは「ポスト・ソビエト空間の再統合」と位置づけたが、ウクライナやモルドバなどの独立国は「旧ソ連地域の各国がロシアと円満に離婚(文明的離婚)するためのもの」と考えた。ユーラシアにおける民主化革命、オレンジ革命からマイダン革命に至る不安定な変遷だ。本書は、歴史・宗教・地政学から説き起こし、「なぜロシアは、ウクライナへ侵攻したのか」「宗教・歴史からロシアを読み解く」「分裂するウクライナ」「プーチンの素顔」「ロシアとCIS」「これからの安全保障体制」を章立てして解説する。よくぞ新書でと思うほど濃密な内容だ。

「ロシアはG8を追放された代わりに、BRICSG20など多極化世界で生きる道を選んだと言うことだ」と、大変危惧しているように、「この『兄弟殺し』の戦争がユーラシアの分裂、つまりヨーロッパとアジアとに分けるとしたら、ことは両国間にとどまらず、ユーラシア全体のグローバル市場や安全保障の構造を分断していく」「バイデン政権が世界を『民主主義と専制国家』に分断させたことで、多くの開発独裁的な権威主義体制はプーチンの陣営へ結果的に引き寄せられた。今やG20が分裂し、新G8G7と対峙していることはこの数年顕著となっている」と述べている。いかなる歴史や宗教・民族問題があろうと、生命を奪う戦争は絶対にあってはならないことだ。1日も早い停戦を願うとともに、このことで起きている世界政治の変化を見逃してはならない。


kiroi.jpg人生、もがけばもがくほど落ちていくことがある。悪縁が悪縁を呼ぶ宿命の罠だ。「いったい自分は何のために生きているのだろう」との寂寥感のなか、「人の優しさ」に吸い寄せられていく。

2020年の春、惣菜店に勤める花は、小さなネット記事で、吉川黄美子の名前を見つける。同居していた若い女性を監禁し、暴行を加えていた罪に問われていたというのだ。「あの黄美子さんが捕まった」――花は震える。今から20年も前、家出をした花は、黄美子と一緒に暮らしていたのだ。それに訳ありの女性ニ人、蘭と桃子が加わって疑似家族のように暮らしたが、まっとうに稼ぐ術を持たない花たちは、懸命に貯めた金も奪われ、しだいに非合法な金儲けに手を出してしまう。偽造カードによる引き出しだ。歪んだ共同生活は感情のもつれもあり、瓦解していく。

生きるためには金が必要。もがいてももがいても転げ落ちていく。貧困の蟻地獄に、追い詰められていく様子が辛い。「ねえヴィヴさん、なんで急にいなくなれるの、ねえ花、死にたいのはいつも貧乏人、金をもつと命が惜しくなるんだよ、でも金はどんな人間よりも長生きだ、ねえヴィヴさん、ねえ黄美子さん、黄色は金運、幸福の色、黄美子さんの名前にも黄色、そう、西に黄色、わたしたちを守ってくれる、黄色は私たちの幸せの色――そこでわたしは目が覚めて汗だくになった体を起こす。真夜中。」・・・・・・。人生のボタンをかけ間違う姿。人生の下り坂には、落ち目には落ち目の縁を拾う姿。暗きより暗きに入る姿が描かれる。しかし、頑張り抜いて普通に生きていく、戻っていく時、昇りゆく太陽とはいかないが、金と黄色ではない夕陽の光に包まれる結末にいささかほっとする。


amazon.jpg「自立した女性」「波瀾万丈の人生」「戦前、戦後――激動の20世紀を全身で受け、全力で生き抜いた凄い女性」「我が息子に限りない愛情を注いだ母」――。軍事アナリスト小川和久さんの母・小川フサノさんの一生を描いた伝記。その凄まじさに驚く。激動の20世紀日本が、そのまま人生に投影されている。小川和久さんと私は、同じ昭和20年生まれ。平和や昭和が私たちの同級生の名前には付けられている。何か祈りのようなものが、我々の誕生には込められているような気がする。しかし、それにしても小川和久さんのお母さんはケタ外れに凄まじい。想像を絶する苦難に、毅然と突き進むまっすぐの生命の姿勢に感動する。

1903 (明治36)年生まれ。13歳にしてブラジルに移民として渡る。「移民小屋は家畜と同居」「移民は棄民」。頑張り抜いて「タイピスト修行」「ダンサーとして、『私はブラジル育ちのアマゾンおケイ』」・・・・・・。そして21歳、祖国日本に帰る。「横浜山下町でカフェ『タンジー』繁盛」。しかしさらに東洋一の大都会・上海に向かう。26歳。その上海で「母の人生を決定づけた3人の外国人と出会う。在日華僑で南京政府の要職に就いていく陳伯藩、結婚間際までいきながら結ばれなかったアメリカのキャリア外交官ロバート・ジョイス、ひょんなことで日本語を教えることになったオーストリアの名誉総領事エルンスト・ストーリである」。そこでの人脈はすごい。働き、運もあって相当の資金を得る。

そして再び日本へ、31歳。日本は昭和恐慌、2.26事件、軍靴の音がひびく。「渋谷鉢山町44番地」「アパート経営」「女の実業家として目を引く」・・・・・・。しかし、「憲兵政治の魔の手」「東京大空襲」「熊本への疎開」、そして終戦。日本人は「戦争で何もかも失った」が、我が家のように田舎暮らしではなく、東京・横浜・鎌倉を本拠地とした小川さんの母子の大変さはいかばかりであったか。激動の20世紀――歴史に今なお顔を出す著名人、そして事件と交差する小川フサノさんの凛とした生き様は感動的だ。


kaisyatoiu.jpg「経営者の眠れぬ夜のために」が副題。「日本の『会社』が元気を失い、やれ『収益力が低い、資本効率が悪い、成長力がない、グローバルな競争力がない、新規事業が生まれない、新興企業が育たない』と批判を浴び続けているのは、ある意味で当然の帰結でもある。独自の『価値』観に裏付けられた筋金入りの志もなく、縮こまって目先の修繕と化粧に明け暮れているのが状態となれば、そうなるのはむしろ必定なのだというべきであろう」「渋沢栄一の『論語と算盤』にならって言えば、論語と算盤とを長い目で見て合一させるのが事業であって、ただ算盤を弾いてやっているのが事業ではない」「ウェーバーの、文化的発展の最後に現われる『末人たち』にとっての言葉、『精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに昇りつめた』・・・・・・。経営者はウェーバーの言う『世も末の人々』の悪夢から目をさまさなければならない。その夢から覚めた先に、人間として心底から愉快な経営を、経営者がその手に取り戻すことを願って止まない」と言う。コンサルタント花盛りの今、「会社」「経営()」の本質を根底から抉り出し、覚醒を促す著作。「会社」ではないが、政治や組織の中核に関わってきた私として、組織論・リーダー論としても、ど真ん中の核心を打つものとして納得した。

バブル崩壊後の日本企業が、「会社は株主のものである」「利益率の高い儲かる事業」「成果を問われ目先のことに追われる事業」「競争力があるか、収益力があるか」等々に翻弄されてきたことは事実。しかし、「『経営者』でなければできない仕事、それは一言で言えば、『会社』の目指す『価値』、夢や志を体現する担い手となることだ」「独自の目的を目指して、それを共有できる仲間を集め、自由な発想で他にない独特な組織を作り、信念を持ってユニークな開発を仕込み、熱意を持って賛同者を募り、たとえすぐには成功にたどり着けなくても、それを事業化することに挑戦し続けてきた結果として今、その『会社』がある」「『会社』が『主観』という背骨を引き抜かれて、腑抜けになってしまうことの将来的意味は、底なしに深刻だと言わねばならない」「『主観』とは、何を『価値』とするかということであり、つまるところ、自己の責任もしくはアイデンティティーそのものでもある。自分自身(会社)の責任において、何を善いと考えるかということであり、どうしたら成功できるかではなく、どうなることを成功と考えるかという自己定義である」という。深い。

本書の凄みは、「『迷宮』の経営辞典」として、「戦略」「市場」「価値」「利益」「成長」「会社」「統治」「組織」「改革」「M&A」「開発」「人材」「コンサルタント」「信義」の14項目にわたって、その本質を抉り出していることだ。「戦略とは、戦いでの確実な勝利を導くものであるが、戦略と銘打たれた文書は多いが、背景に戦略的思考がない。希望や気合いの域を出ていないことが多い。事業においてシェアをどうして取るのか、取れる根拠はどこにあるか、具体的戦術・方策が大事だ」「威勢のいい気宇壮大さではなく、構想者としての器量、深い真実を深く見透かす眼力こそ重要。意志のないところに戦略はなく、その人間の信念に深さがなければ優れた戦略は生まれない」と言う。また、「会社が、何を提供し、何をどう変え、世の中にどう貢献し、どういう顧客を創り出し、どういう会社になるか・・・・・・そうありたいとの考えが価値観の核心であり、その価値観を形にする活動、サービスの魅力が、ステークホルダー、顧客、従業員を巻き込んで発展させていくのが事業である」――。

「自社の目指す『善い会社』とはどんな会社なのかのイメージを描くのが経営者の見識である。何が自社にとっての『成長』であるのかを判断するのが経営者自身の仕事である」「この会社は、何を成そうとしている存在なのかという自覚。それが社会的責任主体としての『社格』ある」「統治とは本来、内部からしかできないことだ。『錦の御旗』を預かる経営者は、誰よりもその『空』を体現し、さらにその渦の磁力と勢いを加えていける者でなければならない」「組織の中で、人の共感が凝集する最初の粒となり、何かが生まれる渦を創り出せる、それができる人を経営者と呼ぶ」・・・・・・。

M&Aとは買い手の戦略である(M&Aに命を吹き込むのは買い手側の仕事)」「『開発』とは会社経営の中で最も多数決や大衆討議になじまない営為であり、経営トップにのみ許された大仕事なのである」「会社にできることは、『人材』を活かすことであって、育てることではない」「(AIが劇的に変化している今)ヒトを人間ならではの仕事に活かすことで『人材』にすることができる会社だけが、将来においても会社たる資格があるということになる」「コンサルタントは使うものではない。医者に対して、医者を使うという言い方をしないのと同じことである」「利己的にではなく、社会的に考えるという約束が、『信義』なのである。『信義』とは『会社』が社会的存在であることの証しである」・・・・・・。

会社や経営者に対する本源的な問いであるとともに、現代社会の軽さ、現在資本主義の病巣を剔抉している。良い著作に出会った。

 


toukyou.jpg何というか泣かせるというか、心を揺さぶるというか。昔も今も権謀術数の跋扈するなか、まっすぐに生きる心の見事さと美しさ――それに尽きるということか。「世の中にはな、俺はそのつもりじゃァなかった、とか偉そうに言い訳と理屈ばっかり吐きやがって、天に与えられた責務から逃げ出す男が嫌というほどいやがる。そういう奴らを、卑怯者と言うのだ・・・・・・まずてめえ、何を背負ってきたんだ、言ってみろ」「いいか、あの第13代上野宮の公現法親王能久てえ男はな、一度たりとも、たまたま与えられた役割から、逃げたことがねえんだよ」「行く末をうじうじ考えて半端な振る舞いをすることなどせず、全部背負って、逃げなかった!. ・・・・・・そうやって、誰かのせいを全部自分のせいにして、すべての責任を、負ったんだ!」――下谷の湯屋(銭湯)の娘・佐絵は言う。

戊辰戦争から時を経た明治15(1882)。明治政府は、維新において功績のあった者たちに報告書を出すように求めたが、無血開城に貢献したはずの師・山岡鉄舟は全くの無頓着で応じない。剣弟子の香川善治郎は、「江戸の街を戦火から守った手柄は全部、勝海舟のものになってしまう」と焦るが、鉄舟はそれで良いと取り合わない。思い詰める香川に鉄舟は、なぜ江戸が東京になり得たのか真実が知りたかったら「この町そのものである女」佐絵の話を聞くがよいと紹介状を書く。

佐絵にはなかなか会えず、剣客の榊原鍵吉、駒形の志麻、渋沢成一郎、金物屋の甚三郎、竹林坊光映、大久保一翁、越前屋佐兵衛、執事の麻生将監らを訪ねて無血開城、戊辰戦争、上野の彰義隊、その時の江戸庶民の思いなどを聞いていく。そこに浮かび上がったのは、江戸を宗教的に守護する上野寛永寺の住職・輪王寺宮(後の北白川宮)能久の存在であった。江戸庶民の心に寄り添い、精神的支えにもなったが、皇族にもかかわらずそうした心を持てたのは佐絵との出会い、江戸っ子の人々との交わりがあったのだ。

征東軍の進軍を止めるのに、天璋院篤姫と静寛院和宮が働いたことは名高いが、輪王寺宮も、「すぐに、出発しよう――江戸の民を、守るのだ」と駿府城の総督府に向かった。

「苦労知らずの無能」「明治の新政府に楯突いた罪人」などと酷評される輪王寺宮の生き様と江戸っ子の心意気が活写される。素晴らしい活力みなぎる作品。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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