syaruru.jpg「自覚ある独裁」が副題。凄まじい時代に戦った凄まじい人物、ドゥ・ゴール。「フランスの偉大さを信じ、フランスと自己を同一視するほど(私はフランスだ)に、フランスのために働いてきた男」「根からの反逆児」であるドゥ・ゴールの戦闘的生涯を描く。第二次世界大戦中、フランスはどう生き抜こうとしたのか、そして戦後――。ドゥ・ゴールなくして語れない。破格の生涯だが、「国の為なら、後悔は無い。あるとするなら私生活のこと。もっと娘といてあげたかった。守るべきアンヌ、愛するべきアンヌ、引退したら妻とふたり・・・・・・」とのエピローグには涙した。

1890年に生まれ、1912年にはサン・シール陸軍士官学校を卒業、第一次世界大戦にも参画して戦った。1940年、パリ陥落となるなか、抗戦か停戦かでフランスは揺れに揺れた。軍隊時代にドゥ・ゴールを守ってくれた上官ぺタンは、停戦派を率いてドイツの傀儡ヴィシー政府を作る。歯噛みするドゥ・ゴールはロンドンに渡り、6月18日、BBCからフランス国民に向けてラジオ演説を行い、ナチスへのレジスタンス運動を呼びかける。ドゥ・ゴールは「この世界戦争において、結局フランスだけが降伏し、また降伏したままでいなければならないとすれば、名誉も、独立も終わりになってしまうだろう」「自分は、フランスの命を救うために来た」と考えたのだ。そして「自由フランス」を立ち上げる。ぺタン政府は、反逆者の汚名を着せ、財産没収・死刑を宣告する。チャーチル率いるイギリスの戦略とドゥ・ゴールの戦闘姿勢がぶつかる。チャーチルとの怒鳴り合い、脅しは凄まじい。欧州にとどまらず、アフリカや東南アジアに多数の植民地を抱えたフランス。そこでの体制作りにも奔走するドゥ・ゴール。そこにも上陸してくるイギリス軍の支援を受けたアメリカ軍・連合国軍。ローズヴェルトはドゥ・ ゴールに強い悪感情を持った。英米との関係、欧州戦線の複雑さは、ど真ん中に位置するフランスだけに、パリ陥落を受け入れている傀儡政権がいるだけに、フランス国内の支持が高まっているとは言え、ドゥ・ゴールの苦悩は計り知れないものがあった。しかしドゥ・ゴールは自ら仕掛けていく。次第にドゥ・ゴールなしには抵抗運動は動かず、「フランス国民開放委員会」も立ち上がっていく。「ドイツに協力してきたヴィシー政府が倒されるという意味では、フランスは敗戦国である。しかし、そういう形にならないため、言い換えれば戦勝国になるために払われてきたのが、自由フランス、戦うフランス、フランス国民開放委員会におけるドゥ・ゴールの努力だったのだ」と描かれる。


ノルマンディー上陸作戦、そしてフランス共和国臨時政府樹立。連合国軍による軍政など誰も望まない。1944年8月26日、「パリ解放」を祝い、シャンゼリゼ通りを行進するドゥ・ゴールを300万の市民が歓迎した。「長い長い戦いも、ようやく先が見えてきた。ドイツら枢軸国とのフランスの領土を奪還する戦い、イギリス、アメリカといった連合国とのフランスの主権を守る戦い、ヴィシー政府、ジロー将軍、さらには共産党とフランスの執政をめぐる戦い、その全てに納得できる方向性が現れたのだ」・・・・・・。フランスを戦勝国に押しあげ、国連の安保理常任理事国にも割り込ませた。マジックのような仕事と言うほかない。


大戦が終わっても、復旧は急務であったし、首相になったドゥ・ゴールは政権運営にも苦心した。1946年1月には辞任。これは失敗であった。再び戻ったドゥ・ゴールは第五共和政で憲法改正、大統領権限が拡大され相対的に議会の役割が小さくなった。「消極的な民主主義の成立である」「その憲法は今も受け継がれ、ポンピドゥーやシラク、マクロンに至るドゥ・ゴールの系譜であれ、ミッテラン、オランドに至る社会党系の反ドゥ・ゴールの系譜であれ、強い大統領を改める動きは無い」と言う。世界を巻き込んだアルジェリア問題を収束させ、フランスの植民地帝国も解消していく。敵国ドイツとの連帯、ヨーロッパ共同体からのイギリス閉め出しやNATO脱退などの戦略は、フランスの自主存立に向けての戦略であったが、その成否は今もなお問われ続けている。ドゥ・ゴールの最後の仕事が、あの1968年のフランス学生による五月革命、カルチェ・ラタンであったことは、当時学生であった私としては極めて生々しいものだ。感慨深い。


kasaityousakan.jpg福岡家庭裁判所北九州支部の少年係調査官である庵原かのん。恋人の栗林は東京で動物園に勤めるゴリラ大好きのいい男。家裁で扱う少年少女は主に罪を犯した場合に処罰を下すことができる14歳から19歳の子たちを指す。処罰とはいっても、あくまでも少年の保護更生を目的としたものだ。そこが成人とは違う。将来ある彼らの可能性を信じて、問題の原因を探り、立ち直りへの道筋をつける、それが処罰の目的だ。家庭裁判所調査官は、問題の原因を探るため、何よりも聴くことに徹する。そのために読み、そして報告書を書き、裁判官に提出する。それを資料として裁判官は審判を下す。本書は7 話で構成されるが、かのんの奮闘はすばらしい。少年の心を読み取り、家族関係を知り、家族や学校での友人知人、周りの人々とのもつれを、冷静に熱意を持って解きほぐしていく。乃南さんの力量が、何ともいえない暖かい風を送ってくれ、心の中までほっとする。帯には「令和日本の姿を浮かび上がらせる名作誕生」とあるが、本当にそう思う。

「日本のどこかで様々な人生を背負って悩み、壁にぶち当たり、家庭裁判所まで来なければならなくなった人の話に耳を傾ける」のが家裁調査官だ。逮捕や捜査ではなく、とにかくひたすら「聴く」役柄だが、そこに本当の解決が生まれ、嬉しくなる。

「自転車泥棒」――少年が自転車泥棒をする。母子3人で北九州に来て風俗店に母は働くが、男が家に入り込み乱暴をしていた。また万引きの少年、背景には何でもかまってくる母親がいた。「野良犬」――身柄付補導委託として預けられた猫を可愛がる少年が突然いなくなる。「母さんが、来たんやと思ったんちゃ」・・・・・・。「沈黙」――ごく普通と思われていた少女が売春行為と売春あっせんで捕まるという事件が起きた。聞いてみると、ある時から「父親と急に距離を置き、嫌悪するようになった」という。

「かざぐるま」――中学時代の同級生が少年に囲まれていたとして、助っ人に入りボコボコにした少年。母子の暮らしだが、少年は実父の「川筋もん」に憧れ、叩き込まれてきた。「パパスの祈り」――暴走族として捕まった徳永ミゲル。父はペルー人、母はフィリピン人、日常の家族の会話があまりにも少なかったので。そこでかのんは・・・・・・。「アスパラガス」――帰宅途中の女性に背後から抱きつき陰部を触るなどをした少年。両親も全く気づいていないが、かのんは、コミニュケーションや対人関係が気づけないASDではないかと思う。「おとうと」――「何かを拾ってくるという行為は幼い頃からの、いわば当たり前の習慣だった」という拾い癖の少年の話。

少年少女が、複雑な家庭、家族関係の中で、迷い傷つき暴れる。少年少女や家族と、また周辺と面会を続けるなかで、こんな良い仕事をしている人がいる。それを落ち着いて語っているとても良い小説。


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統一地方選前半戦の告示(3月31日)まで約1ヵ月と迫るなか、大事な25、26日の土日――。

25日は、東京23区の公明党OB議員が集い、大光会総会を行いました。経験を生かし、地域で活躍している元気な報告があり、4月の地方選勝利への戦いを誓い合いました。

26日、愛知県豊橋市に行き、時局講演会や街頭演説、地域有力者懇談会などを行いました。時局講演会には公明党の伊藤渉衆議院議員、おおくぼ真一県議選予定候補(新人)が出席、大村秀章愛知県知事にも応援に駆けつけていただきました。おおくぼ予定候補は、「私は大阪芸大出身。文化・芸術・スポーツの推進で、豊橋の魅力を全国に発信したい」と力強く訴えました。私は「豊橋は気候にも恵まれ、農業・工業・商業のバランスが良く、三河港もあり、発展のポテンシャルは極めて高い。おおくぼさんは、力強く仕事をする人だ」などと訴えました。街頭演説も行いましたが、風がものすごく強く、演台から吹き飛ばされそうになりましたが、多くの方に聞いていただき、本当にありがたいな、と思いました。感謝です。


kiminokuizu.jpg面白い。全ての人が一気読みだろう。テレビを席巻するクイズ番組全盛の時代。物知り有名人の競い合いや、東大王に選ばれた者の驚嘆すべき知識量の裏に何があるのか――。引き込まれていく。

優勝すれば1,000万円というクイズ番組「Q1グランプリ」の決勝に進出した三島玲央の対戦相手となったのは、東大医学部4年、圧倒的な知識量、データベースから正確な答えを出してくる知的な超人・本庄絆だった。互いが応酬するなか最後の問題、本庄絆はまだ一文字も問題が読まれないうちにボタンを押して正解、優勝をかっさらう。何が起きたのか。「なぜ本庄絆はQ1グランプリの最終問題において、一文字も読まれていないクイズに正当できたのか?」――。三島は彼について徹底的に調べあげ、真相の解明に乗り出す。

クイズプレイヤーは、知識量だけで勝負するのではないという。「早押しボタンを押した瞬間、クイズプレイヤーはまだ正解にたどりついていない。『わかりそう』という直感だけが心の中にある。必死に頭を回転させ答えを探し回って回答する」という。圧倒的な知識量だけではクイズプレイヤーとしては失格だ。どこで早押しボタンを押すか。「クイズプレイヤーの基本的な戦術は、『確定ポイント』でボタンを押して正答を口にする」「問題が読まれるうちに、膨大な知識量から生まれる選択肢が絞り込まれ、これだという確定ポイントの瞬間にボタンを押す」「加えて『読ませ押し』を使う。主催者が問題文を読むのを中断するまでのわずかな時間を使った技術だ。まだ答えが分からない状態でボタンを押し、その後に主催者が勢い余って発音してしまう声を聞いて答えを確定させる」という。0,何秒の間に出題者のかすかな口の動き、息遣いを察知して回答するというのだから凄まじい。「『クイズの強さ』とは、様々な数列の可能性を見つけられる知識と、リスクを計算しながらベストのタイミングで押す技量と、計算の速さと正確さ、それらの総合値だ」と言うのだ。

「やらせなのかどうか」「なぜ1文字も問題が読まれないうちにボタンが押され正答できたのか」――。三島は本庄絆だけでなく、出題者側、総合演出の坂田泰彦をも徹底調査する。

「人生はクイズだ」――。確かに人生は選択と決断の連続であり、しかも世の中のほとんどのクイズには答えがない。そして、クイズプレイヤーにも、「クイズとは何か」の思考と人生観の差異があることを暴き出す。とにかく面白い小説。


shirogane.jpg関ヶ原前後の石見銀山。貧しさのあまり故郷から逃亡した父母と別れ、1人さまよっていた少女ウメは、天才山師・喜兵衛に拾われる。ウメは夜目がきき、間歩と呼ばれる銀山の穴の闇も怖くはなかった。岩肌を削る銀掘、その石を袋に詰める入手、ズリを運び出す柄山負・・・・・・。ウメは女ながら入手となるが、夜目がきき躓くこともないウメに皆驚く。喜兵衛に愛されたウメは銀山の知識と秘められた鉱脈のありかを授けられるまでになる。やがて徳川の支配強化により、喜兵衛は追われるように去る。過酷な銀山の世界で生き抜く女の人生を、じっくり描いている。

「黒い血を吐くものは一人、ニ人と増えていった。ウメは長屋に響くうめき声や咳に耳を塞ぐようにして暮らした」「冷たくなった隼人の指先を擦っても擦っても温まらない時がある。間歩の毒が男たちの躰を蝕んでいくのが恐ろしかった」「田も耕さん、商いもせん。銀の山に生まれて間歩に入らんわけにはいかん。あんたもじゃろう、今更、男に抱かれずに生きる術があるんか」「鬼娘と呼ばれていた孤独なウメと、転んでも泣かずにウメの後をついて歩いていた小さな龍。あの頃はまだ喜兵衛がいた。隼人もいた。おとよも、岩爺も・・・・・・」。ヒューヒューと悲鳴のように響く長屋での咳、そして荒涼たる銀山の風。男は30過ぎには死に、女はまた結婚して子供を産む。凄まじい実態が切々と描かれる。

「易々と生きられる場所などない。ささやかな安寧を見つけて一日一日生き繋いでいくしかない」「足掻きましょう、無為に思えても。どこにも逃げられはしないんです」・・・・・・。時代とはいえ重く苦しい。ちなみに、先日読んだ本によると、マスクはこの石見銀山から始まったという。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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