コロナ、ウクライナ危機、円安、慢性デフレ・・・・・・。人口減少・少子高齢社会、AI ・ロボット・ DX などの急進展、レベルの変わった災害、地球環境やエネルギーなどの構造的問題・・・・・・。日本は大変な問題に直面している。腹を決めてこの勝負の10年に挑まなければ日本に未来はない。それを「貧しい国ニツポン」「一億総下流社会」として警鐘を鳴らす。
「安い日本」を、「ビッグマック指数」の価格比較で見れば、日本390円に対して、物価が高いことで知られるスイスの804円、ノルウェーの737円、アメリカの669円、そしてタイは443円、中国442円、韓国440円。しかもこれが今年年初の1ドル115円の換算というから恐ろしい。本書では、第3章の「金融とエネルギーの問題は表裏一体」、第4章の「世界金融戦争勃発〜知られざる経済制裁」が、ロシアへの経済制裁や経済制裁の最終兵器「 OFA C規制」などを通じて描かれ面白い。いずれにしても「米国の動きをよく見る」ことが重要・不可欠と解説する。日本を、「一億総下流社会」にしてはならないという思いは伝わってくる。
46億年前、地球が誕生し、38億年前からの生物の全歴史をエキサイティングに描き出し、はるか未来のサピエンスの終末、全生物の絶滅までを一気に示す凄まじい著作。「人類の遺産はどうだろう。地球上の生命の長さに照らし合わせると、ほとんど無に等しい。あらゆる戦争、文学、王侯貴族、独裁者、喜び、苦しみ、愛、夢、功績など、激しくも短い人類の歴史は、未来の堆積岩の中に数ミリメートル程度の層を残すだけで、それも侵食されて塵となり、海の底に沈むだけ」「人類の歴史は、わずか一段落を占めるに過ぎない」――宇宙のなかの地球、地球の上の生物、おびただしい生物の進化と絶滅。人間存在と生命ヘの畏敬の世界に引き込まれる。
地球は生きている。大陸は何度も大きく移動・分裂し、小惑星の衝突があり(約6,600万年前、恐竜の世界は突然終わる)、火山の壊滅的な噴火(7万4,000年前のスマトラ島のトバ山の噴火、南アフリカの海岸にまで瓦礫が注いだ)に見舞われた。その都度、寒い氷期に覆われ、生物は大量絶滅していく。「ビッグファイブ」と呼ばれる5度の大量絶滅を経て、奇跡的に生き残ったものが生命をつないできたのだ。
最古のヒト族は、およそ700万年前の中新世後期に出現した。その一つが西アフリカのチャド湖畔のサヘラントロプス・チャデンシス。直立歩行で木にも登り生活した。そして私たちとよく似ていて、ニ本脚、火を使い、美しい道具を制作する「ホモ・エレクトゥス」が誕生、200万年前までには大陸中に広まり、北ヨーロッパや島だった東南アジアに進出した。私たちに似ていたが、「捕食者の狡猾な眼差しだけで当惑するほど非人間的」だった。「死後の世界という概念がなかった」と言う。約43万年前、スペイン北部に登場したのがネアンデルタール人。「思いやりがあり、思慮深かった。そして彼らは死者を埋葬した」のだが、霊性を追い求めていたのだ。30万年前、最初のネアンデルタール人がヨーロッパの凍てつく寒さに適応していた頃、アフリカに新しいホモ族が出現、これがホモ・サピエンスだ。25万年ほど前には、ヨーロッパに入ろうとしたホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人に撃退されたが、4万年前までには、この氷河時代の覇者は、ほぼ絶滅した。しかし、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は交配していたのだ。2022年のノーベル生理学・医学賞でも示されたのは興味深い。
本書はこれからの未来についても語っている。ホモ・サピエンスは絶滅を免れない。それは地球の変動によるものではあるが、まだ「第6の大量絶滅」の時ではない。「ホモ・サピエンスが特別な理由は何か。それは、物事の仕組みの中での自分の位置を意識するようになった、唯一の種だと思われるから。自分たちが世界に与えているダメージを自覚し、それ故、ダメージを軽減するための手段を講じることにしたのだ」「絶望してはいけない。地球は存在し、生命はまだ生きている」と言い、「一族の運命を少しでも明るくしようとする、ちっちゃな動物の儚い努力に、あきらめず、協力しなくてはいけないという衝動にかられる」と言うのだ。訳がリズミカルでとても良い。また絶滅した生物のイラストも挿入されていて楽しい。
面白い。文章全体がラップのようで心地よい。展開もリズミカルで乗せられる。梅農家を営むおかんと、ダメ息子が、ラップバトルで対決することになる。母親の愛が溢れている。実際、先日、テレビでラップをする高齢女性の話題を見た。
和歌山の田舎で梅農園を営む深見明子、64歳。夫の五郎は膵臓癌でこの世を去った。たった5年8ヶ月の結婚生活、梅農園を切り盛りする忙しい毎日。息子の雄大は、借金はいつものことで結婚・離婚を繰り返すダメ息子で、3年前に失踪して行方知れず。妻の沙羅は大変気の利く女性で明子の手伝いをしている。沙羅は高校を中退した頃からヒップホップミュージシャンになりたいと思っていた。「バトルに出たい」と紗羅が言う。ラッパー同士が、即興のラップで相手を「ディス」りあうラップバトル(MCバトル)。明子にとって全く知らない世界だが、大会に付き添って人生が急カーブ。ひょんなことでラップバトルに出て大ブレイクしてしまった64歳のおかん。なんと行方不明の息子がラップバトルで勝ち抜いてきており、ついに親子対決となる。この展開がなんとも面白いのだ。
そのラップのやり取りで、明子はそれまで行違っていた息子の気持ちを探ろうとする。「格闘技でも将棋でも、名勝負って言われるものには、絶対に相手へのリスペクトがあるし、もっと深いレベルで交差してる感じがある」「本当の勝負は、相手を理解することなんじゃないか」「もしかして自分は、雄大に憎まれていたのかもしれない。果たして自分は、息子を本気で理解しようとしたことが、あったのだろうか」「ずっと面倒かけ続けてきたのは、ひそかな復讐だったのではないだろうか。見落としてきたものとは、一体何なのだろう」「車の中で見つけたときの4歳の雄大の顔。・・・・・・あの時は見ていたのに、見えていなかった」「雄大にしてみたら、彼女の前で面目を潰されて屈辱的だったに違いない。明子の方が無神経だったのだ。見えていなかった。見ていなかった。見ようとしていなかった。――なんでやろ。私は何を見てたんや」・・・・・・。
親の深い愛情、深すぎる愛情、忙しい日常・・・・・・。考えさせられる。
老舗の陶磁器店を営む久野貞彦・暁美夫婦。その後継の息子・康平が刺殺される。犯人は息子の妻・想代子の元恋人・隈本だった。ところが裁判の判決後、隈本は「想代子から『夫殺し』を依頼された」と衝撃的な発言をする。想代子は否定、警察もまったく取り合わないが、暁美は疑う。そういえば夫が死んだというのにのに「嘘泣き(クロコダイル・ティアーズ)」をして、悲しんでいないようにも思えた。暁美の夫の貞彦が、想代子を信頼してるようにも見えて苛立つ。疑念が次々に浮かび膨らんでくる。想代子の冷静な振る舞いが、男に媚びているように感じ怒りすら感じる。
「泥沼に落とした足が.もがくごとに深く嵌まっていく感覚にも似ていた」「一つの疑念に目を向けただけで、そのことに何の確証がないにもかかわらず、那由多に対して今まで通り接することができなくなってしまった」と、暁美に言われて貞彦は、孫の那由多のDNA鑑定までしてしまう。そうしたなか、店の宝ともいうべき「黄瀬戸」が割られたり、駅前再開発の目玉として大型商業ビルの計画が持ち上がり、貞彦が営んでいる陶磁器店「土岐屋吉平」の決断が迫られることになる。
噂の中の社会、ましてや家族の中に起きる違和感、それが増幅して疑念となっていく姿をじわりと描く。ありえることだけに怖さを感じるミステリー。
人がつくるこの人間社会は、その人間関係がなかなか難しい。組織と人間の難しさもある。これを「大人のいじめ」という角度でその実態を探っている。
実例が示される。「多忙すぎる教育現場・加速させる親からの要求、全てが生徒・保護者優先の学校現場での教員へのいじめ」「嫉妬がいじめの引き金になった職場、いじめの中心にはボスがいる」「仕事ができる人がいじめられるケースも」「ご近所付き合いは現在の村八分」「高校時代のスクールカーストは50歳を過ぎた同窓会でも」「子供にまで連鎖するママ友いじめの怖さ、いじめは誰もが知る大企業でも」「余裕のない社会、余裕のない職場で生まれるいじめ」などが示される。
目に見える暴力や、ただ働きをさせるというような労働問題等の違法行為とは異なる。法律では裁けない様々な肉体的・精神的な個人の尊厳に対する攻撃のことだ。したがってその解決は法的制裁や金銭の補償だけではだめだ。ハードではなく柔らかな解決の方法が大事となる。子供のいじめは、転校や卒業、クラス替えなので終えられるが、大人へのいじめは職場や地域を変えられないのが苦しい。また男性には自分がいじめられているという事実をなかなか受け入れられない人が多いようだ。いずれにしても、閉鎖的な空間や鬱屈した思いが蓄積し発散する場がないことから大人へのいじめが起きる。社会の歪みが立場の弱い人に集まり、顕在化するのだ。人間社会の嫉妬や社会におけるノルマ等、加害者側の不満が鬱積して、無視、陰口、暴言、連絡を伝えない、陰湿な嫌味が大人へのいじめとして当たり前に起きている。人間社会が続く限り、常にある問題だが、時代とともに深刻になってくる。