政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN

太田昭宏の政界ぶちかまし☆64

2008年7月22日

熱戦が展開されている大相撲名古屋場所。大学時代、相撲部だった私としては、泥まみれの夏の稽古を思い起こす。体中から汗が噴き出すので土俵の砂で泥だらけになる。ぶつかるたびにジャリジャリと砂が擦れて、大変だったという記憶がよみがえる。

日本の「スポーツ」では、武道が大きな柱になっている。礼に始まって礼に終わる。強いことも大事だが、強ければいいというわけではない。人格を磨くことが極めて重要だ。

近年出版された本に「-の品格」というタイトルを数多く見かけるが、その精神性が武道の中核にある。

先場所の朝青龍、白鳳の両横綱によるにらみ合いや、ボクシングの亀田一家の振る舞いに違和感を抱いて非難するのも日本人が武道としての心を大事にするということのあらわれだと思う。柔道、剣道、空手道、そして相撲道――道という言葉のなかに、日本独特のスポーツ文化がある。

実は相撲には他のスポーツにはない大きな特徴があり、自民党の松浪健四郎衆院議員が私に指摘してくれた。

一つ目は立ち合いだ。スポーツはだいたい第三者がスタートを合図する。しかし、相撲は、両者の阿吽(あうん)の呼吸で取り組みが始まる。フランスの作家ジャン・コクトーは、「相撲の立ち合いはバランスの奇跡である」という名言を残した。立ち合いが勝負の相撲だが、腰を落として目をカッと開いて頭から当たるのは恐怖感もあり難しいものだった。

二つ目は土俵の外に出たら負けるという点だ。場外に出て、再開されるスポーツとは違う点だ。

三つ目は面白い指摘なのだが、尻を観客に見せるということ。まわし姿で下腹や尻の筋肉を躍動させ男の力をみなぎらせることは、いわば一つの祭りの文化であるが、諸外国で見られない。

さて北京五輪が間もなく開催されるが、メダルを取れる「強さ」というのは、競技人口の裾野の広がりにあると私は常々思っている。五輪にあこがれる少年少女には武道が持つ美しさも忘れずにスポーツを楽しんでもらいたい。そして心の鍛えも。

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