政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN

太田昭宏の政界ぶちかまし☆83

2009年5月26日

いよいよ裁判員制度がスタートした。

「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が2004年5月21日、全党一致で成立し、5年の準備期間をおいての始まりだ。司法制度改革の中で実現した制度だが、国民の間では「責任は重いし、法律なんて難しいから困る」との声が聞こえてくる。

制度は司法に国民が参加することで、司法への国民的支持、基盤の拡充が狙いだ。そして専門家である裁判官と、素人の裁判員との協働によって刑事裁判を行うのだ。これは非常に大きな意義を持つ。従来、専門家に任せてきた裁判に国民が参加するし、市民が法や正義の担い手になる。国民の責任は重すぎるとの声もあるが、私は国民の義務だけでなく、権利ととらえたらどうかと思う。つまり「裁判員にされる」のではなく「裁判員になる権利」「司法に参加する権利」を手にすることになるのだ。

同時に、日本の民主主義のうえでも「日本の民主主義の向上、成熟の試金石」という大きな意義を持つ。これまでの裁判はお白州に引きずり出され、裁かれるものというイメージだが、今度は国民が一緒になって裁判を担当することになるからだ。

立法・行政の中に国民が参加するのが本当の民主主義だ。これが司法にも取り入れられることになるのだ。日本は官主導であったり、「公」のことはお上任せの風潮だが、これを転換することも期待される。司法の場でも「社会を担うのは自分たちである」という意識が高まれば、社会の厚みや深さ、幅を広げることにつながると思っている。

海外の司法制度に目を移すと、国民の司法参加には、米国は陪審制、欧州は参審制など、差はあるにしても、参加は当然のように行われている。「O・J・シンプソン事件」などは誰もが知っていることだし、映画の「十二人の怒れる男」を観た人も多いと思う。

いよいよ裁判員制度が始まったが、裁判員は法律の素人だし不安もある。今後、裁判官には分かりやすく、裁判員が抱える負担や不安を軽減できるよう配慮していく努力も必要だと思う。

ぜひ、裁判員制度を実りあるものにしたいと強く思っている。

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