政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN

NO.19 責任をとらない無責任民主党政権

2010年12月 5日

臨時国会が閉幕となった。それにしてもひどい国会だった。補正予算がやっとのことで成立、あとは混乱の極み。尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件への対応、ビデオ流出問題、北方領土や北朝鮮による砲撃事件への対応・・・・・・。迷走の限りを尽くし、景気・経済・雇用は深刻化した。さらには「法相はいい。二つ覚えておけばいいんですから」という柳田法相発言や「暴力装置でもある自衛隊」という仙谷発言。また日中首脳会談で菅首相がメモを見て話したり、北朝鮮による砲撃事件で断固たる指示ができなかった問題と、国民にはいたたまれないほどの国会であった。

2か月くらい前は「ひどい政治ですね」という言葉に、「景気が悪くて、どうしようもない」「円高で大変」「介護が大変」などと言葉が続いたものだ。しかし今は、若者からご婦人から高齢者に至るまで、「このままでは日本が大変。沈没する」と、自分をもう通り越してしまって、「日本が心配」という声がもっぱらだ。普通の深刻さを通り越してしまっている。

菅民主党の言葉が軽すぎる――こう言う人がいるが、それは違うと思わずにはいられない。もっと本質的な問題だ。「思いついたら、何の準備もシミュレーションもなく言ってしまう。できない。迷走する。投げ出す。言い訳する。責任を転嫁する」という「思いつき菅民主党」「ふらつき迷走政権」「有言実行内閣どころか迷言・不実行内閣」「言い訳政権」だ。普天間しかり、CO2 25%しかり、尖閣の迷走しかり、耳ざわりのいいことを言って、すぐに迷走する全く同じ行動パターンだ。

私はその本質は「責任感の欠如」――誰も国家国民のために腹を決めて責任をもってやり抜こうとしない。誰も責任をとらない。「支持率が1%になっても辞めない」などの発言もあきれ果てたものだ。何をやるかも示さずに、ただ辞めない。これでは国民があきれるのは当然だ。日本の今と未来に責任をもつのが政治というものだ。

国会は、いよいよ23年度予算編成、税制改正の時を迎える。もうすでに政府・民主党の迷走、でたらめさが目立っている。例えば、基礎年金の国庫負担の取り扱いだ。将来にわたって年金制度を安定させるために、私たちは国庫負担を50%(2分の1)へ引き上げてきた。

ところが今回の予算編成にあたって、財源不足を理由に、引き上げてきた国庫負担を元に戻すとの動きが政府内で出ていた。驚くべき話だ。さすがにそれは消えたようだが、いまだ財源は見出しえず、"埋蔵金"とか、「積立金を取り崩してこれに充てる」などの年金制度の持続性を根本から突き崩すような案まで聞こえてくる。年金制度の抜本改革をあれほど主張していた民主党。それが何と年金改革を後退させようとしているのが現状だ。

また、子ども手当についても、早々に2万6000円の満額支給をあきらめ、全額国庫負担といっていた財源負担も、地方負担と企業負担を継続する方針となっている。マニフェストはもはや「紙切れ以下」で、サギフェストだ。3歳未満に関しては2万円に引き上げるとしているが、これはもともと、来年度から所得税の扶養控除が廃止となり、それによる負担増を避けるための、つじつま合わせという代物だ。例をあげればキリがない。

来年度予算編成、税制改正をしっかりと厳しく監視していかねばならない。日本の直面する課題は大きく深刻だ。小手先のパフォーマンス政治ではもう日本はたちゆかない。

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