政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN

NO.26 「現場の希望」に応える行動を! 政府は市町村のイニシアチブを尊重せよ

2011年5月 5日

東日本大震災から1か月半――。「救命・救済」「復旧」「復興」への足取りは難航している。大地震・津波・原発事故と経験したことのない未曾有の規模、きわめて深刻な事態となっている。しかし、「初動の遅れ」「指揮系統の混乱」「リスクを負っての決断の欠如」「会議の乱立」「政府と行政現場との不信」「危機とか、基準を越えたなどと言うだけで、どうやればよいかを欠いた配慮なき政治」で、後手、後手が続いている。企業関係者からも「とにかく政治は遅すぎる。我々は義援金も数千万円出しているし、モノも送っている。被災者を関東の工場に受け入れ、住まいも用意した。政府は何をやっているんだ」という声もある。まさにこうした実例をあげればキリがない。

阪神大震災からみても遅れは明確だ。「規模が違う。津波もある。原発もある」は言い訳にならない。対応の遅れ自体が事態をより深刻化させ、住民に大打撃を与えている。阪神大震災に比べても、「ガレキの処理は阪神大震災の時のように国費100%でやらざるを得ないのに、その決定まで18日間もかかり、現場では復旧作業になかなか入れなかった」「全国から集められた義援金がいつまでたっても配分されず、改正"被災者生活再建支援法"の支給も開始されない」「当初から懸念された、避難所で命をおとす高齢の被災者があとを絶たない」「仮設住宅7万2千戸建設といいながら、完成したものは40日たった時もわずか400戸弱。阪神大震災の時と1桁以上遅い」――など、あまりに酷すぎる。原発の冷却も遅れ、政府の避難指示や屋内避難、自主避難などの発表も住民の心情と生活を無視したものばかりだ。これらは、「災害が大きくて止むを得ない」というものではない。阪神大震災の時とった措置すら実施されていない。

根源をたどれば、全ては現場との乖離だ。いわゆる"政治主導"なるものの呪縛ともいえようか。現場を信頼しない、役人を使わずに行政当局を信頼しない。そのひずみが露呈している。

私は災害の時はいつも、現場に真っ先に入ってきた。「現場には匂いがある」「現場には空気がある」「現場に行けば優先順位がわかる」――私が常に言ってきたことだ。

今回も被災現場や避難所にたびたび行った。原発近くの南相馬市にも相馬市にも、仙台港にも石巻市にも、町全体が破壊された女川町にも足を運んだ。そこでは、何とか苦難を乗り越えようと全ての人が戦っていた。そして言うことは「希望がもてるようにしてほしい」ということだ。

その希望とは何か。各市町村の状況が全く違うように、希望自体が市町村で全く違う。その時、その地域で、希望の内容が異なり、具体的で切実だ。

石巻市だと、「仮設住宅を8000戸つくるという宣言」が希望だといった。土地がないなどといわれて進まないのがじれったい。土地もあるし、申請しているがいっこうにスタートが切られない。1日でも早い宣言と槌音が希望だという。

女川町は、高台ともいえる所にある家も町のビルも崩壊した。だから、どういう町にするか。元に戻すのではない。高台と低地、そして岸壁、低地も土台自体を上げる。従来よりもレベルアップした町づくりの新ビジョン、それを発することが希望だという。とくに町長は私に、「ここで、復興のビジョンを私たちの声をしっかり聞いて、一緒になってつくってほしい。東京でつくるのではなく」と念を押した。

南相馬市は、原発から20Km、30Km、それ以上と3つに分割される。政府の発表のたびに住民は翻弄され、ついには土地を追われた。住民は私に、住んでいいのか、いけないのか、1か月後どうなるのか、半年後どうなるのか、まったくわからない。「政府は言いっ放しで我々に対する心がない」と不安と怒りをあらわにした。「原発そのものの冷温停止への工程」を誰しも待っている。

復興構想会議での論議自体が、こうした現場の切実な声と乖離しているのではないのか。災害対策とは、苦しんでいる現場を全面的に応援するというのが基本だ。大切なことは、集落ごと、市町村ごとに「これからはどうするか」を議論することであり、被災した市町村のイニシアチブを尊重することだ。ある企業経営者が「御前会議はいらない。現場での即断即決だ」と言っている通りである。

現場は、東北だけではない。30年以内の発生確率が70%という東京の首都直下型地震地域もそうだ。臨場感をもってこそ対策ができる。あまり知られていないが、今回の地震で荒川・多摩川などの河口では1m弱の津波が押し寄せてきている。大変なことだ。地震、津波、液状化、それに加えて今回、気仙沼市でもみられた石油タンクの破損による火災は京浜コンビナート地域では脅威だ。プレート型の今回と同じ「東海・南海・東南海地震」がM9規模で一気に起きた場合の備えはどうするか。ただちに対策を再検討することが大切だ。

現場といえば、現在の経済活動も広範囲にダメージを受けている。製造業も流通業も、こんな所までと思うほど打撃を受け、中小企業はもうギリギリの所まで追い込まれている。「こんな時に」症候群、自粛圧力は日本から逆に元気を奪っている。そうした現場での悲鳴がどうも政府には届かない。我々がいくら進言しても、なかなか答えが返ってこない。リスクを負ってもやるべきことはやる。それがリーダーシップではないか。戦いはすべからく集中的に行わねばならない。今こそ短期集中的な復旧・復興計画と長期的な日本強靭化計画をつなぎ合わせ、「強い日本」ではなく「靭い日本」「強靭な日本」へと進めることだ。

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