政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN

NO.30 「民の憂い募りて国滅ぶ」――現場主義の行動を!「検査体制」と「除染」求める福島の切実な声

2011年8月 5日

「さんざん翻弄されて、やってられない。いい加減にして、という気持ち」「BSE、口蹄疫、そして放射能。今回も3ヶ月にわたって牛乳の出荷停止措置がやっと解除されたと思ったら、今回は牛肉の汚染問題。これではとても経営を続けられない」「国の風評被害への対策はいかにも遅い。後手、後手だ。農家の生活を守る立場を鮮明にしてほしい」「やっと魚の水揚げの体制を整えたが、検査体制がしっかりしないと出荷できない」「作付けしていいのか、悪いのか、それ自体がわからない」――先日、福島県の相馬市、南相馬市を訪れた時の農業・漁業・畜産関係者の切実な訴えだ。福島市では「夏休みになっても子供を外で遊ばせることができない。今日の線量はどれだけか、と毎日、不安」「とにかく除染の基準と方策を具体的に進めてほしい」「肝心なのは、福島第一原発事故を一日でも早く収束させること。東京で国政は何をやっているのか。現場の気持ちが全くわかっていない」という声だ。

東日本大震災における原発事故をかかえる福島県の不安は深刻。復興どころではない。国の指導者が「リスクをとっても今やるべきことはやる」という決断をしないと、この状況は打開できない。「遅い、にぶい、心がない」と私は菅民主党政権の姿勢を批判してきたが、ギリギリのところに来ている。本当に心がない。

まず基準を示すこと。とくに検査体制を急ぎ確立することだ。

とくに農水産物は生ものだけに検査の迅速性が求められると同時に、しかるべき機関(国としての)の安全証明が不可欠だ。現在の検査体制では、福島県をはじめとした肉牛の全頭検査自体が難しい。現在の大きな検査機器をただちに増やせないという問題もあるようだ。国をあげて、人と機器・体制の充実を急がないと、農水産物は完全に行き詰まる。風評被害を乗り越えるためにも、しっかりとした検査体制が不可欠だ。

次に急務なのは、福島県を中心にした除染だ。不安があって、子どもはもちろん住民が外に出ない、窓をしめているという状況だ。「国と現場がズレている。現場の気持ちが全く東京や国政に通じない」というのは、こうした息のつまる毎日の生活がわからないという現場の思いがある。学校の校庭などの除染は始まったが、基準、地域の線引き、除染した表土等の処分方法、除染作業の担い手など、たんに予算だけではない、具体的問題に行政が踏み込んでいかないとコトは進まない。原発事故の収束を求める声が現地で出るのは、除染と汚染の繰り返しを避けたいと思っているからだ。

「現場には優先順位がある」と私は言い、行動してきた。現場に行けば今、この時点で何が大事か、求めているものは何か、希望への突破口は何かということがわかる。宮城・岩手も大変ななかにあるが、福島は違う。原発事故と風評被害が加わり、今日も苦しんでいる。「検査」と「除染」という難問に取り組まなければ、次が開けない。

「民の憂い募りて国滅ぶ」――最も苦しんでいる現場の庶民のために黙々と働くことこそ政治の原点だ。「夢はみるものではなく叶えるもの」とは、なでしこジャパンの澤穂希選手の言葉だが、パス回しばかりの会議ではなく、"決断のシュート"を打たないと、現場に希望は生まれない。政治には今、現場への危機感と責任感、そして"決断のシュート"が求められている。

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