政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN

NO.34 リスクを負う覚悟の政治を!"八方美人"をやめ、スピードある対応を

2011年10月 5日

「八方美人の政治は八方ふさがりになる」――小泉元首相は最近、野田新政権についてそう語ったという。私は「八方美人の政治ではなく、リスクを負う政治が大事だ」とずっと言ってきた。円高・株安・デフレ、財政難、外交・安保、原発事故とエネルギー問題、高齢化の加速と社会保障、環境制約、そして東日本大震災の復旧・復興、さらには風水害に直撃される脆弱国土――相当、腹を決めた「リスクを負ってもやり抜く政治」を貫かないと、この国はもたない。直面しているのはキレイごとは許されない大変な危機だ。

しかし、野田政権は最初から「ダンマリ」「泥の下にもぐる」「本格論戦を逃げる」という「沈黙の政治」を続け、しかも最も目配りをしているのは党内融和という「内向き政治」だ。国民の望んでいるのは「希望」や「突破口」だ。「野田首相の所信表明に驚いた。見事に何も述べていない」「ただ一つ明快なのは増税すること」(田原総一朗氏)という指摘は同感である。「リスクを負わない」「意思決定しない」ということは、じつは無責任ということだ。とにかく「批判されるのが怖い」「いつも逃げ道を用意する」「トップが意思決定を回避し、会議や協議に委ねる」――最もリーダーシップが求められた3・11から半年余、こうした「遅い、にぶい、心がない」民主党政治が続けられたが、たとえば南相馬市などの「屋内退避だとか自主避難」、さらには浜岡原発の停止も「お願い」であって、「決めたのは中部電力」と逃げを打つ。ひどい話だ。

「八方美人で逃げを打つ政治」は、人々を落胆させてやる気をそぎ、一方では思考停止とイデオロギー優先を促すことになる。寺田寅彦の「ものを怖がらな過ぎたり、怖がり過ぎたりすることはやさしいが、正当に怖がることは、なかなかむつかしい」という言葉をひいて、武田徹氏は、原発推進派も反対派の運動家も「科学的な思考を手放すリリースポイントが早すぎる」と厳しく指摘する。大学時代、耐震工学を専攻した私も、地震・津波についての国会論戦を聞いて、「論議自体がおよそ非科学的・恣意的で、それ自体が風評被害となっている」と感じたことが多々あった。野球やゴルフでも体が早く開いて、リリースポイントが早すぎるということはよくあることだが、思考の粘着力を欠いては、これら政治・社会の高度の難問には答えられない。

世界は動いている。経済も常に動いている。東日本大震災のみならず、地球自体が、大きな気候変動のなかにある。正視眼の動体視力が求められている。

たとえば、9月に入っての豪雨はケタ違いのものだ。台風12号と15号のもたらした被害は甚大であるだけでなく、「総雨量2000mm時代に突入」という新たな段階になった。日本気象学会は9月7日、「総雨量2000mm時代を迎えて」との見解を発表したが、こんな数字は今まで"想定外"であったものだ。「正当に怖がる」ことが重要だ。野田政権は、12号の時も15号の時も、動きが緩慢で結束しての対応がなかったが、こんな時に沈黙の、人の顔色をうかがう八方美人政治では困る。

復旧・復興も、円高も、デフレも財政難も災害対策も、「八方美人の政治は八方ふさがりになる」。スピードと覚悟の政治が要請されている。

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