政治コラム 太田の政界ぶちかましCOLUMN

NO.53 嘘と不真面目と無責任政治を変えよ 「大衆とともに」を胸にダッシュ

2012年10月 5日

政治家の劣化、政党の劣化が指摘されている。先日も、中曽根元首相が、「最近思うことは、議員をつくることはたやすいが、政治家をつくることがいかに難しいかということだ」と言っている。重い言葉だ。

現在の日本の政治のひどさは、3年間の民主党政権の大失政と政党の統治能力の機能不全に起因するが、同時に政治家の劣化に対する怒り、嘆きでもある。「今の国会議員は人間としての基礎トレーニングが全くできていないのではないか」「政治家には、未来を構想する力と、現場の問題を感ずる力の2つが大切だ。しかし今、構想力と現場力の両方とも中途半端だ」「今日本に必要なのは、正しい道義だ。政治においては正義と誠実さと真面目さが必要だ。政治家においては礼節と謙虚さだ。民主党政権の嘘の政治、不真面目な政治を変えよ(森田実氏)」「国のことも、悩んでいる人のことも考えない。自分のことしか考えない政治家ばかりになっている。庶民の中に入って体当たりの政治、リスクを負ってもやり抜く政治が大事ではないか」「議員は議員であることが目的ではない。今は、それだけが自己目的化しているのではないか。仕事をしているか、していないか。政治は結果だ」「信なくば立たず。政治は信頼あって成り立つものだが、今の政治家は言葉が軽く、人間が軽く、責任ということが感じられない」――最近、聞くのは政治家の劣化に対するこうした嘆きだ。

「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」――50年前の9月、公明党の前身である第1回公明政治連盟全国大会の創立者挨拶で示された公明党の立党精神だ。それから2年後の昭和39年11月、公明党結党大会では、「日本の柱公明党」「大衆福祉の公明党」のたれ幕が壇上横に大きく掲げられた。時は高度経済成長へ加速が進むなか、大企業を背景とする自民党と大労働組合を背景とする社会党の2大政党下で、しかも世界の米ソ冷戦の思想対立が日本政治の路線対立に投影され、生まれ始めていた大衆が取り残されていた。「庶民の汗と涙がわかる政党・政治家はいないのか」との叫びのなかで生まれたのが公明党であった。「大衆とともに......の立党精神」「どこまでも庶民の側に立つ」「一生を大衆の中の政治家として貫け」――それが公明党50年の戦いであり、魂であり、誇りである。

政治の混迷する今こそ「大衆とともに......大衆の中に死んでいく」との精神を行動のなかで示す時だ。政治改革の前に政治家改革、政治家革命をやらないと、日本の政治の漂流、迷走は続いてしまう。公明とは「太陽」の名称であり、民衆を照らし、社会を照らす太陽であること。どこまでも庶民・無限の力をもつ庶民の現場を知り、人々を愛し抜く政党であること――立党精神を胸に、嘘の政治、無責任の政治、不真面目な政治を変えなければならないと思う。

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