茶聖.jpg1591年の1月、2月、秀長と利休が相次いで死ぬ。「聞く耳を持たぬ」存在となっていた秀吉に直言することができたのは、この2人だけ。それだけにその死は、政権を衰退させた。1582年の本能寺の変、1600年の関ケ原とともに、各人の思いが交錯した歴史の分岐点、それが1591年、秀長と利休の死であり、利休の自害は奥深き謎であり、解説も多い。4年前の「天下人の茶」(伊藤潤著)が、古田織部等の弟子の視点で利休が描かれていたことを受け、さらに利休の心の深淵、相克を剔抉して描いたのがこの長編だ。利休の政治との関わりと苦悩と胆力を研ぎ澄まして描いている。凝縮しているがゆえにシンプルで迫力がある。

本能寺の変の後、利休は秀吉の懐に入る。反対があろうと「大陸制覇」まで突き進む秀吉と、戦乱のない「民の静謐」をめざす利休――。補完関係にあった二人の亀裂は、割れ茶碗のように破局を迎えていく。本書の3分の2は、この宿命とも宿業ともいえる亀裂の過程で埋め尽くされる。「そなたは、わしを俗物と侮っておったな」「現世の戦も、心の内の戦も、わしが負けることなどないのだ」「殿下はその気になれば、いつでもわしの領分に踏み入ることができるというわけか」「ああ、現世の王に心の内まで支配されては、これほど息苦しいことはない」・・・・・・。しかし二人とも石田三成の「法の支配」には違和感をもつ。「彼奴ら奉行どもは法の支配により、わが天下を固めようとしている。それゆえ『茶の湯は要らぬもの』とぬかしおる。だが法では人の心を支配できない(秀吉)」と。

「・・・・・・重用しているが、ときどき差し出がましいことも言う。宗久も宗及も狙いは一つよ。世を静謐に導き、此奴らの商いをもっと盛んにすることだ」「そなたは、わしが大明国を制さんとする戦いを、港を制するだけの小さなものにしようとしているのだな」「北条を討ち、家康を討つ。そのためには布石が必要だ」「宗二、何と愚かな。宗二は自ら掘った墓穴に落ちていった。己の感情に勝てない宗二は・・・・・・」「茶の湯は『聖俗一如』なのだ。利休には『異常なまでの美意識』という聖の部分と、『世の静謐を実現するためには権力者の懐にも飛び込む』という俗の部分があった」「現世の支配者はわしで、心の内の支配者はそなただ。・・・・・・だがそなたは、わが領分を侵食してきた」「しかもそなたは知りすぎた。・・・・・・豊臣家中のことではない。そなたが知りすぎたのは、わしの心の内だ」・・・・・・。利休は、唐入りを一部にとどめさせ、「何事にも執心する」という秀吉の心を「能の世界、能の海に溺れさせる」ことに連れ込もうとしたのだが・・・・・・。凄まじい「業」の世界としかいいようがない。


一律一人10万円の定額給付金を含む2020年度補正予算が30日、成立しました。新型コロナ対策として「家計支援」「企業・事業主支援」「医療崩壊を阻止」「税制支援」を行うものです。早い執行をめざします。「一人10万円」については、すでに地方の市町村の中で今日、明日にも申請書を送付しようとしている所も数は少ないですがあります。ご努力に感謝いたします。大きな市区では、時間がかかると思いますが、少しでも早くできるように取り組んでいます。

現在、家賃が払えず困っている飲食業などの中小テナントの「家賃支援」「事業継続支援」が、大きな課題となっており、党をあげて取り組んでいます。また「アルバイト先を失うなどで困っている大学生支援」にも取り組んでいます。ともに30日、党のPTを行い、取りまとめを急いでいます(「大学生支援」については、20日に萩生田文科大臣に直接要望しており、さらなる詰めの作業です)。


流浪の月.jpgたしかにこういう結び付き、世界があるのかも知れない。両親が消え、親戚に引き取られた家内更紗9歳、女性との恋ができない大学生の佐伯文19歳――。ある日、「うちにくる?」「いく」と、マンションで1か月以上も暮らすことになった二人。「家内更紗ちゃん誘拐事件」は、それぞれ家庭からも人の営みからもはじき出され、人とは違う自分にもがいていた二人のこんな出会いから始まった。誘拐どころか安らぎの幸せの日々。しかし世間は「誘拐事件を起こした小児性愛者」文への罵倒や揶揄、「犯人の呪縛から逃れられない哀れな被害者」更紗への同情・好奇で塗りつぶされた。そして15年が経過し、二人は再会する。

「それでも文、わたしはあなたのそばにいたい」――。愛でもない、恋でもない、そんなものを昇華した深い結び付き。「わたし、どうしても文の隣に住みたかったの」「そばにいると安心する。落ち着く。満たされる。どれもそのとおりで、なのに言葉を集めるほど足らない気がする。そこが自分の居場所だって気がするから」「文といるとすごく楽なの」というのだ。ハラハラ、ドキドキ、何とか二人が幸せになってもらいたいと読者は息をのむ。

「でも多分、事実なんてない。出来事にはそれぞれの解釈があるだけだ。わたしが知っている文と、世間が知っている文は全然ちがう。その間でもがく」――人間は弱さや不安を抱え、業にもまれながら生きていく。その時、自分の心の空洞を満たしてくれる誰かを欲しているものだ。2020年の本屋大賞受賞作。


27日、2020年度第1次補正予算案が衆議院本会議で審議されました。これはすべて新型コロナ対策のもので、大規模なものとなっています。

「家計支援」として、「一律一人10万円の給付」「児童手当受給世帯に子供一人当たり1万円を給付」。「企業・事業主支援」として、「持続化給付金(最大200万円、個人事業主に最大100万円給付)」「雇用調整助成金を拡充(助成率を中小企業は最大9割に引き上げ)」。さらに「税制支援」として、「納税猶予の特例」「固定資産税・都市計画税の減免」「法人税還付」などがあります。

また、最も緊迫している「医療崩壊を阻止」への支援として、「オンライン診療の導入支援」「マスク、ガウンの医療機関への優先配布」「PCR検査体制の強化(1日2万件に)」「人工呼吸器を1万5000台確保をめざす」「パルスオキシメーターの活用」などが入っています。

早期に現場に届くよう全力をあげます。


ボクはやっと認知症のこと.png副題は「自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言」だ。長谷川和夫さんは「認知症界のレジェンド」「認知症界の長嶋茂雄みたいな人(実力も華もユーモアも)」といわれる。1974年に「長谷川式スケール」(認知機能検査)を開発し、1991年に改定版を出し、今も使われている。2004年には「痴呆」から「認知症」に用語を変更した国の検討委員。「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」を普及し、認知症だけでなく、ケアの第一人者として知られるが、自身が認知症になった。

認知症は「何もわからなくなった人」ではない。「認知症になったからといって、人が急に変わるわけではない。自分が住んでいる世界は昔も今も連続しているし、昨日から今日へと自分自身は続いている」「長生きすると認知症になりやすくなるから、ボクがなったのもそう不自然なことではない。ただ、生きているうちは少しでも社会や人の役に立ちたい。周囲の助けを借りながらその思いを果たしていきたい」「やはりいちばんの望みは、認知症についての正しい知識をみなさんにもっていただくことです。何もわからないと決めつけて置き去りにしないで。本人抜きに物事を決めないで。時間のかかることを理解して、暮らしの支えになってほしい」「認知症の本質は、暮らしの障害、生活障害なのです。最も重要なのは、周囲が、そのままの状態で受け入れてくれることです。『認知症です』といわれたら、『そうですか。でも大丈夫ですよ。こちらでもちゃんと考えますから』と工夫してあげること、押しつけずさりげなく支援の手を差し伸べてあげること」「認知症になってわかったこと――認知症は固定されたものではない。ボクの場合、朝起きたときが一番調子がよい。午後一時を過ぎると自分がどこにいるのか、何をしているのか、わからなくなってくる。だんだん疲れてきて・・・・・・。夕方から夜にかけては疲れているが、食事や風呂や眠ることが決まっているから何とかこなせる」「置いてきぼりにしないで、やさしくおだやかに待つ、そして聴くこと、その人らしさを大切に、役割を奪わないで」。

「認知症とは」「長谷川式スケール開発秘話」「認知症の歴史(全国を歩いて調査、納屋で叫ぶ人、国際老年精神医学会の会議開催、介護保険スタート、痴呆から認知症へ)」「社会は、医療は何ができるか」「日本人に伝えたい遺言(美しいもの、ボクの戦場、宗教の力、死を上手に受け入れる)」・・・・・・。認知症基本法の制定に力を注ぎたい。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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