sougetuki.jpg「高瀬庄左衛門御留書」「黛家の兄弟」に続く「神山藩シリーズ」の最新作。若き町奉行となった18歳の草壁総次郎。名判官と評判を得た祖父・左太夫、そして父・藤右衛門と続く草壁家は町奉行を家職としている。しかし、総次郎に家督・お役目相続が赦されると、父・藤右衛門は突如として失踪する。「とうとうやりよったか」――。実は祖父・左太夫と藤右衛門は、顔を合わせるのが億劫で、「倅とはどうしてよいかわからなかった」。縺れるほどの糸があったのだ。男の親子は昔からどうもそういうことがあるようだ。そのなかでの突然の失踪。準備もなく町奉行となった総次郎は、「おのれの差配ひとつで誰かが罪を負う」重圧に突如放り込まれ、戸惑う日々となる。

そんななか、藩の草創期から続く廻船問屋で神山城下屈指の大店・信濃屋の三番番頭・彦五郎が刺殺され、直後にその妻も殺されるという事件が起きる。「この事件の裏には何があるのか」「藤右衛門はなぜ失踪したのか、事件の真相と関係があるのか」――どうもまもなく入港する北前船、筆頭家老、信濃屋、そして藤右衛門失踪に関係が

毎日暇を持て余す隠居後の屈託を抱えつつ若さにあふれる総次郎を眩しく見ていた左太夫だが、「隠居の身」として、自己を制しつつ孫を助けようとする。「お祖父さまに、はやく助けを求めればよかった」「うなずき返した左太夫は、うつむいたままの孫へ、おもむろに手を差し出した」

いつの世も、男親と息子の関係はぎこちなく言葉が少ない。オイディプス・コンプレックスもある。しかし人一倍溢れる愛情があるのも事実だ。その心情が合流して事件解決へ進んでいく。静謐でありながら、それゆえに濃厚な時間が丁寧に描かれる。心に迫るものがある。


meityo.jpgあの素晴らしい番組「100d e名著」(NHK   Eテレ)のプロデューサーが、「なぜこの本を選んだか」「なぜこの講師を招いたのか」を語る。著者が9年にわたる激闘の中で感じたのは、現代社会の迷妄を鋭くつく「名著の予知能力」。カミュの「ぺスト」は、まさにそれだ。歴史を動かす人間存在の本質を抉り出すからこそ、現代に蘇る。「名著は、歴史の風雪に耐えて読み継がれてきたからこそ、今に残っている存在だということをいろいろな機会を通して私は語ってきた。そうだとするならば、現在、こうした名著を読み継ぐという営為が人々によってなされなければ、名著は途絶えてしまうことになる。この事実を、ディストピア小説として、見事に表現したのが、この本でも取り上げた『華氏451度』(本を焼き払う仕事をするファイアマン)である」と言う。

名著をわかりやすく解説するのではない。名著を挟んで、その道の第一人者と伊集院光さんが質問、対話をする中で、化学反応が起きる。現代社会に名著が生き生きと蘇る。それが「100de名著」というわけだ。「ハムレット」で、「講師が青ざめるとき――伊集院光さんが放つコメントの衝撃」は、いきなり放たれたカウンターパンチだ。メアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」は、科学によって創造された「怪物」は、やがて人類に復讐を誓い圧倒的な力で殺戮を開始する話だ。マルクスの「資本論」では、現代における「コモン」を再考する。モンゴメリの「赤毛のアン」では、少女だけが読むのはもったいないとし、「多様性へ開かれた豊かな人生」を考える。「河合隼雄の幸福論」では、「幸福ということが、どれほど素晴らしく、あるいは輝かしく見えるとしても、それが深い悲しみによって支えられていない限り、浮ついたものでしかない」を紹介している。確かにそうだ、安部公房の「砂の女」は、コロナ禍で直面した「自由」の問題を考察する。

「全体主義に抗して」の章では、ハンナ・アーレントの「全体主義の起原」、オルテガの「大衆の反逆」、三木清の「人生論ノート」などを取り上げ、「熱狂に巻き込まれない『知性の砦』を築く」ことの重要性を解説する。

最近はコスパ、タイパ加速化の時代。省略、要約で「読んだ気」先行の時代だからこそ、原作の豊かさ、力強さを再発見する「名著の蘇生」が大事だと強調している。その通りだと思う。「時代を見つめるレンズの解像度を上げる」の章では、フランツ・ファノンの「黒い肌・白い仮面」、カミュの「ぺスト」、スピノザの「エチカ」、ボーヴォワールの「老い」を取り上げる。「新自由主義的思考」や「若さ至上主義(生産性重視)」への対抗を鮮やかに示す。

最後のところで、「メディアの足元を見つめ直す」「名著の未来」を扱っている。アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」は、小さな声を徹底的に拾っている。アーヴィング・ジャニスの「集団浅慮」での「キューバ危機でのケネディの行なった判断」「戦争への最大の抑止力は『教養』」は衝撃的だ。

中身は極めて深くて大きい。


rekisiwosiru.jpgイスラーム研究の泰斗であり、近著「将軍の世紀」などの江戸はもとより、「歴史とは」「歴史学とは」を重厚に示す歴史学者、かつ横綱審議委員長でもある山内昌之東大名誉教授が、古今の名著75冊を紹介しつつ縦横に語る。生き生きとした手に取りやすい面白い本ばかり。すぐ何冊か手に入れようとしたが、なかには絶版のため驚くほどの値段に跳ね上がっていたのもあり、まいった。

歴史は勝者の歴史となりがちであり、資料も言語も時代背景・制約の中にある。点と点を結び、流れを掴むことが重要だが、小説・物語は面白すぎ、学問・研究は地味になりすぎる。「人物を評する事は、そういう見方しかできない自分を評されることになる」と戒められたことがあるが、正しい。本書で紹介される名著は、それらを乗り越えたものであり、力ある山口昌之氏に厳選された「安心できる知識を確実に得られるような『歴史を俯瞰する名著』」なのだ。「これぞ、『知』の醍醐味」と帯にある通りだ。

「徳川幕府が平和と繁栄の統治をもたらしたと明言している頼山陽の『日本外史』」「荻生徂徠が大岡越前守に対して、今から読書・学問をすれば、務めが疎略になりかねないと入門を勧めなかった『ハ水随筆』」「野人肌の外交官・石射猪太郎は日中戦争の拡大を阻止する意思が乏しい広田弘毅を批判し、『広田外務大臣が、これ程御都合主義な、無定見な人物であるとは思わなかった』と述べた。広田は小説家の文章で美化されすぎた(『人とことば』)」「臣民が恐れる支配者の方が、臣民を恐れている支配者よりすぐれている。この言は中東イスラーム世界の近現代史の特質を理解する手がかりともなるだろう(イブン・アッティクタカーの『アルファフリー』)」「砂漠での『不正規戦』の特殊な手法が余すところなく、書き記されている"アラビアのロレンス"の『知恵の七柱』」「老境や混沌を乗り切る知恵を与えてくれる佐藤一斎の『言志四録』」「青春の日にいちばん感動した吉田松陰の『留魂録』」「日本のイスラム・中東研究の原点、大川周明の『回教概論』」「日蓮思想と世俗的終末論と軍事理論の混淆に結びついていく、戦争と平和の弁証法、石原莞爾の『最終戦争論』」

「綱吉に諫言を繰り返してきた大老・堀田正俊が殿中で刺殺された背景に迫る小川和也『儒学殺人事件   堀田正俊と徳川綱吉』」「徳川幕府の官僚制における重要テーマである老中と側近との関係(福留真紀『将軍と側近 室鳩巣の手紙を読む』)」「室町幕府を2つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い(亀田俊和『観応の擾乱』)」「美談や偽善では、民主主義を守れないことを教えてくれる塩野七生『ギリシア人の物語』」「史料を具体的に見ることでわかる時代感覚、山本博文の『歴史の勉強法 確かな教養を手に入れる』」「歴史のグローバル化の中で明治維新の意味を考える著作、三谷博『維新史再考』」「いつまでも後継者に譲る気のなかった細川忠興、その父子不和を表に出さない忠利の分別と統治(稲葉継陽『細川忠利 ポスト戦国世代の国づくり』)」――山内さんは「かねてガラシャと忠利ひいきでもあった私には誠に嬉しいことである」と言っている。「外交官・岩瀬忠震の不手際を紹介する松浦玲の『徳川の幕末』」「戦国や幕末の知られざる逸話を巧みに捌く歴史随筆集、中村彰彦の『その日信長はなぜ本能寺に泊まっていたのか 史談と奇譚』」「ルー・テーズ、ボボ・ブラジル、ブッチャーら外国人レスラーから見た日本人論、門馬忠雄の『外国人レスラー最強列伝』」

なかには、第一次世界大戦中に英国陸軍諜報部の情報員として活躍したサマーセット・モームの体験をもとにした短編集「アシェンデン」を紹介。「モームは死への恐怖を乗り越えるほど、人間への好奇心や関心が強かったのではないか。歴史の本質に関わる問いを、楽しみながら考えさせてくれる点でも、モームは端倪すべからざる作家といえるだろう」と言っている。

とにかく面白い。


hanatiru.jpg足利将軍家の重臣一族・細川藤孝(後に幽斎)と明智光秀は、織田家中でも昵懇の仲。信長の命により、嫡男・細川忠興と光秀の娘・玉が縁組となる。忠興は言葉少なく笑うこともなくぎこちない。なにより愛を知らなかった。親の愛情のなかで育った玉は戸惑いを隠せない。少しずつ心が通い合うようになった頃、突如起こった本能寺の変。父・明智光秀の謀反により、夫婦の運命は暗転する。細川家は光秀に味方せず、玉は謀反人の娘として山奥に幽閉される。あまりにも過酷な運命――玉はやがて、キリスト教の愛に惹かれていく。玉によって初めて愛を知った忠興は、玉の心を引き寄せようと焦るが、すれ違いは増し、孤独と恐怖から侍女の耳を削ぐなどの蛮行にまで至る。歪んだ愛は次第に亀裂を増していく。

秀吉のもとで、忠誠を誓い、疑念を持たれないよう戦闘となればあえて先陣を切る忠興。「大坂屋敷に住まわせるべき妻とは誰なのか」――。「そなたの『玉』を大坂に呼び寄せよ。美しき謀反人の娘を、私はこの目でじっくり見たい」と秀吉は言う。秀吉との恐怖の神経戦、利休や秀次の自害、朝鮮出兵、忠興に降りかかる石田三成の讒言、秀吉の伴天連追放令、秀吉の死、そして関ヶ原・・・・・・。事あるごとに忠興と玉は、翻弄され、決断を迫られる。

これほど過酷な人生があろうか。玉(ガラシャ)も忠興も。

「愛しているのに、愛し方がわからなかった・・・・・・」「生きる上で必要なのは、忠興の独りよがりの愛ではなく、全てを受け入れて寄り添ってくださる神の愛なのではないか」「私を独りにしないでくれ」「『散るべき時を知り、己の命を絶て』それが、父上が私に最初に教えたことではありませんか。私にとって散るべき時は----玉の願いを叶える時でありたい」「もう二度と、玉を傷つけたくない」「そなたは私の妻である以上、死なねばならぬ。私は(独りよがりな愛から)そなたを解き放とうと思う」「忠興様は、己の立場から逃げることなくその命をかけてきた。その忠興様の妻であるならば、私も、逃げることなくこの命をかけたい」・・・・・・。

辞世の句、「散りぬべき 時しりてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」――。ありのままに生きる強さと美しさ。どう生きるかは、どう死ぬか。あまりにも過酷な宿命の人生を課せられた忠興と玉(ガラシャ)を、見事に描いている感動的作品。


tensai.jpg日本に襲いかかった大災害。その時、人はどう動き、歴史はどう変わったか。それぞれの人間ドラマを描く。

天文11(1542)の甲府洪水。甲斐国は谷の峡(かい)。甲斐国の国主となった21歳の武田晴信は、板垣信方らが隣国の攻略こそ大事とするなか、「甲斐千年の宿痾を癒やす大普請」として、築堤に乗り出す。霞堤の原型となる信玄堤。この築堤とともに河道改修や遊水地保全を行う。

明治29(1896)の三陸沖地震。田老村の漁師・四郎は、「海の男なら、大波が来たら向かっていけ」との言葉どおり正面から津波に向かって進み助かる。津波が来ない高台に仲間とともに移り住むが、時間が経つとともに、仲間は海に近いところに移っていく----。決して山に上がりたがらなかった老人と、決して浜に下りたがらなかった大工の親方と、山から浜へ節を曲げた船頭の号泣する声

寛喜2(1230)の大飢饉。執権北条泰時の頃の京都。下流から、米の荷を上げて京の街へ送り出す問丸の仕事をしている滝郎は米を買いまくって高く売ろうとする。大飢饉のなか京の人口は種籾まで食べてしまう地方の農民が流入して増加。滝郎は、ついに田舎から百姓を連れてくる違法の人身売買にまで手をつける。全国各地で農民の逃亡が続き、難民が流入する京都。飢饉は、断続的に数年続いた。

宝永4(1704)富士山噴火。この年は49日前に宝永の大地震(南海トラフ)があり、死者は3万人に及んだ。富士山噴火は新井白石の「折りたく柴の記」に「昼にもかかわらず空が暗く、蝋燭をともして講義をした」とある。左右対象の富士山に「宝永火口」が生じた。噴火の火口に最も近い須走村に生まれ育った与助は、「百貫与助」と呼ばれ、重い荷駄も運べる「馬追い」「馬方」。必死に逃げた先は浜松。須走村のひとつ東側の大御神村から浜松に逃げてきたおときに頼まれ、大御神村を訪ねることになる。驚くことに火口に最も近い須走村だけは、復興への力強さがあった。その理由とは

明暦3(1657) 1月の江戸大火、振袖火事。キリスト教を信じて牢に入れられた権右衛門らは解放され、「鎮火したら、浅草の善慶寺へ出頭せよ」と言われる。千住大橋を渡ろうとするが、浅草門は開かない。「あ、江戸がない」――権右衛門は、江戸が巨大だったからこそ大火なのであり、人のいるところに天災があるのだと感じるのであった。そして島原の乱と老中・松平伊豆守信綱と南蛮絵師が絡む。

昭和38(1963)の裏日本豪雪。練馬の小学校教諭の鳥井ミツは正月休みで新潟県に帰る。そこで豪雪。始業式となっても帰れず、やっと乗った急行「越路」の中に閉じ込められる。死者228名、行方不明者3名、住宅全壊753棟という大被害。当時は裏日本という言葉が普通に使われた。「現代は、天災でないものを天災にした。天災と人災の区別をなくした」と言う。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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