zsedai.jpgZ世代の区切りはいろいろあるが、本書では「1997年から2012年の間に生まれた若者世代」を言う。ネット環境の中で育った「デジタルネイティブ」であり、「テロとの戦い」や金融危機など、綻ぶアメリカを見ながら育った世代である。2001年の同時多発テロは記憶にない。日本で言えば、「デジタルネイティブ」であり、「ずっと給料の上がらないデフレ時代」「ほとんどが自公連立政権の時代」「人口減少・少子高齢社会への始まり」の中にいた世代だ。若者は時代の写し絵だから、日米ともに夢・ロマンを追うより、冷静で現実主義になっている。アメリカでは、人口の約2割を占め、今後いよいよアメリカ社会の中心となっていくのがZ世代だ。彼らの眼にアメリカの今の政治や社会はどう見えており、どう考えているのかを多角的に紹介しているのが本書だ。

彼らの眼には、「弱いアメリカ」の現実が見えている。「例外主義の終わり――『弱いアメリカ』を直視するZ世代」だ。「例外主義」とは「アメリカは、物質的・道義的に比類なき存在で、世界の安全や世界の人々の福利に対して、特別な使命を負うという考え方」だ。しかし今、その使命感を持ちながらも「軍事介入、国防費の増大より、社会保障と国民福利の充実こそが重要である」と言うサンダースの考え方が広がっている。Z世代は、「ポスト例外主義世代であり、今のアメリカには悲観的で絶望すらしているが、未来への希望を失ってはいない人種・民族的に、アメリカの歴史上最も多様化した世代」と言う。民主主義の退潮、権威主義の台頭は今、アメリカにおける所得格差の拡大、反リベラリズムの広がり、保守とリベラルの分断、対中感情の悪化等のなか、アメリカのZ世代は、「選挙や社会の欺瞞」を嫌い、「強国の中国」と共に生きていかねばならない世代としての「現実主義」が刻まれている。また9.11を知らないZ世代は、「テロとの戦い」への懐疑と批判をもっている。西洋人の殺害に対し反省の弁を述べながら、アフガニスタンやイラク以外の国・地域でドローン攻撃をするオバマ大統領に見られるダブル・スタンダードに批判的で、黒人の命と尊厳を訴えるブラック・ ライブズ・マター運動の中心的な担い手となっている。国益や国境にとらわれず、環境や正義や人権をますます重視するゆえに、Z世代は「社会正義(ソーシャル・ジャスティス)」世代とも呼ばれている。人道や正義のダブル・スタンダードにとりわけ敏感で批判的だ。

「ジェンダー平等」「中絶の権利」の考え方は、アメリカ社会での重要なテーマだ。Z世代のフェミニズム、Z世代の人権闘争は、どうなっているか。「ジェンダー平等」では、女性として初の副大統領となったカマラ・ハリスへの期待と落胆・不人気の要因に迫っている。黒人、アジア系の女性としてハリスが積み上げてきたキャリアは革命的なものであったが、いまや黒人コミュニティーからの不信感が募り、警察権力の肥大化や大量投獄に加担してきた存在とみられている。中南米移民の問題も「来ないで」発言で、明確に進歩主義的な態度を取らなかったことは、人々に大きな幻滅を与えた。中道路線は本当に難しい。Z世代にはハリスの姿勢への疑問が広がっているという。

人工中絶論争も難しい。1973年に連邦最高裁が人工妊娠中絶を行う憲法上の権利を認めた「ロー判決」がトランプ政権によって覆る。プロライフ(中絶反対)とプロチョイス(中絶賛成)が、共和党と民主党の対立に重なったが、現実は、二元論に還元できるほど簡単ではない。選挙でも、若年層は中絶の権利を最大の関心事に挙げているという。

Z世代は、他の世代とは異なる思考形態をとっており、アメリカ社会の底流が読み取れるというわけだ。 


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青空が広がった絶好の日和――。21、22日の土日、北区柔道大会、連合町会の運動会など、秋のスポーツ行事が盛大に行われ出席しました。気合の入った、また笑顔の広がる大会で、昨年までのコロナ禍を振り切って、大変良い元気な集いになりました。豊島区大塚では約100もの売店が並ぶ「商人(あきんど)まつり」が盛大に開催されました。多くの方々と懇談できました。 

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nihonnosikaku.jpg日本の安全保障とか、経済成長戦略、少子化対策などという問題ではない。社会が変化し、問題として浮上している論点、16のテーマについてそれぞれの専門家が掘り下げる。「『死んでまで一緒はイヤ』日本で死後離婚と夫婦別墓が増えた理由(井上治代)――妻による家意識からの離脱」「女性に大人気『フクロウカフェ』のあぶない実態(岡田千尋)」「いまの若者にとって『個性的』とは否定の言葉である(土井隆義)」などは知らなかった話。差別について、「『差別』とは何か?アフリカ人と結婚した日本人の私が今考えること(鈴木裕之)」や「私が『美しい』と思われる時代は来るのか?"褐色肌、金髪、青い眼"のモデルが問う(シャララジマ)」などは角度が新鮮。「日本の死角」として日本が今どうなっているか、定説に鋭角的に切り込む。

「『日本人は集団主義』という幻想(高野陽太郎)」――科学的な研究から来たものではなく、明治時代訪日した米国人による著書や、日本人の戦時中の集団主義的な行動がイメージを作ったと指摘する。「日本人が『移動』しなくなっているのはなぜ?地方で不気味な『格差』が拡大中(貞包英之)」「日本人が大好きな『ハーバード式・シリコンバレー式教育』の歪みと闇(畠山勝太)」――ハーバードやシリコンバレーで見る米国の基礎教育は、米国のごく限られた上澄みに過ぎず、日本の教育の平等さと比較しても意味を持たない。「日本が中国に完敗した今、26歳の私がすべてのオッサンに言いたいこと(藤田祥平)」――中国の荒々しいエネルギーに対し、エネルギーを失った日本とその若者のように感じる。阿古智子東大教授は、「日本のエリート学生が『中国の論理』に染まっていたことへの危機感」として、民主主義の価値を認識していない日本の若者の恐るべき実情を指摘している。正直驚いた。

「日本の学校から『いじめ』が絶対なくならないシンプルな理由(内藤朝雄)」――社会でいえば本来犯罪なのに、学校という小さな社会の全体主義のなかで隠蔽される。「家族はコスパが悪すぎる?結婚しない若者たち、結婚数の信者たち(赤川学)」――少子化の要因は、結婚しない人の割合が増加したことにある。特に女性が、自分よりも学歴や収入など社会的地位の低い男性と結婚するいわゆる「下降婚」が日本では少ないままになっていることを指摘する。下降婚率が増えると、出生率が高まる。「未婚の女性に対して格差婚を勧めてみてはどうだろうか」と言っている。その他、「ご飯はこうして『悪魔』になった〜大ブーム『糖質制限』を考える(磯野真穂)」「なぜ『ていねいな暮らし』はブーム化した一方、批判も噴出するのか(阿古真理)」「自然災害大国の避難が『体育館生活』であることへの大きな違和感(大前治)」「性暴力加害者と被害者が直接顔を合わせた瞬間・・・・・・一体どうなるのか(藤岡淳子)」など、切り込み方は鋭い。


saikyouno.jpg「いろ葉の介護は365日が宝探し」が副題。20年前に鹿児島市で「宅老所いろ葉」を立ち上げ、現在は介護を中心にした様々な事業を営む。ここまで一人ひとりの人生の最期に寄り添い、そのイキカタ」を支えようとする努力と熱意に驚き、感動する。

このような様々な施設が、「管理型」になる事は否めない。どの組織でも「安全と安心」をしっかり行うためには、「ルール」「管理型」になる。ところが、この若者中心の介護集団は全く反対のことに挑戦する。お年寄りは今、「起きたいと思っているのか寝たいと思っているのか」「何を食べたいと思っているか」「お風呂に毎日にでも入りたい」「施設の外に出たい。自然に触れたい。家に帰りたい」「おむつは嫌と思っている」。一人ひとりがみな違う。「お年寄りたちは、100人いれば、100通りの人生を歩んできて、私たちと出会い、私たちの目の前におられます。全員の方が一人ひとり、自分の人生というストーリーを生きてこられた。唯一無二のストーリーがあり、今がある」と、人生のストーリーを尊重しようとする介護を行おうとするのだ。読んでいくと、介護に限らず、ルールを押し付け、相手の本当の気持ちに寄り添っていない自分に気づく。この「いろ葉」では、介護においてだけでなく、「いろ葉流・仕事の流儀」「人材確保と職員研修」「みんな違うから個性が輝く」など、職員育成についてもまさに桜梅桃李。相手に寄り添ってチームを作ろうとしている。それが「最強のケアチーム」だ。

いろ葉はどういうことを目指すのか。3つのイキカタを語っている。「『生き方』を支える」――。お年寄りの残された時間、お年寄りたちの「生ききる」を支えるのが私たちの介護の仕事。「家族への想いと思い出」「夫婦に残された時間」「お父さん、死んだのか!」「憧れのプロ野球観戦」・・・・・・。それにどこまでもつきそう姿がすごい。

第二は「『活き方』を支える」――。「畳部屋に車椅子は似合わない」「安心できる睡眠環境、いちばん落ち着く姿勢と場所」「食べることの支援では、口へのアプローチで生き返る」。お年寄りの体をよく見ると、「まだまだやれることがたくさんあることに気づく」と言い、それをたくさん見つけることも、「活き方」を支える大切なアプローチだと言う。

3は「『逝き方』を支える」だ。「家族とのハイタッチ」「帰りたい、家とは」「妻の介護をしていた旦那さんが先になくなって。愛する妻に抱かれて逝く旦那さん」3つの「イキカタ」を紐ときながら支えるのが、いろ葉の介護だと言っている。

職員にオムツをつけての一泊旅行をして実感してみたり、家に帰りたいという死期の迫った入所者を乗せるために中古の救急車を買ったり、施設で誰かがなくなれば、みんなで風呂を沸かして家族と一緒にお清めして全員で見送ったり。そんな驚くべき挑戦が行われている。できているのだ。


hyakki.jpgなるほど「百鬼大乱」の大変な時代、大変な関東だったと思う。太田道灌(14321486)は「江戸城築城」「山吹伝説」などが名高いが、人物像そのものはあまり伝わっていないようだ。しかし本書は、「戦国時代はいったいいつから始まるのか」の問題意識から、歴史関連の文献を読み込み、「応仁の乱に先駆けること13年、関東の戦乱は、実に30年にわたり、応仁の乱が収束した後も続き、戦国時代の幕を開けた」ことを明らかにする。その血みどろの30年を駆け抜けた名将が、太田道灌であることを描く。「太田道灌こそ、まさしく名将と呼ぶに相応しき漢であった。長引く関東の戦乱をほぼ一人で平定してみせ、自ら指揮を執った戦で負けたことは一度たりともなかった」「諸葛孔明の如き人物」と言う。

足利幕府が衰え混迷する15世紀中頃。関東では鎌倉公方・足利成氏、それを支える簗田持助等と、関東管領・上杉家との激しい戦いが絶え間なく繰り返されていた。上杉家は、上杉宗家の家務・長尾景仲(昌賢)、扇谷分家当主の上杉持朝(道朝)、扇谷分家の家務の太田資清(道真)3人の猛者、そして道真の嫡男・太田資長(道灌)が強い結束のもとで戦いを進めていた。1454年、成氏による関東管領・上杉憲忠の殺害をきっかけにして、享徳の乱が勃発。上杉援軍の今川範忠は鎌倉を制圧、敵が町中に火を放って逃げ250年にわたって、坂東の都として栄えた鎌倉は、無惨にも灰燼と帰す。室町幕府は、足利政知を新たな鎌倉公方として派遣したが、伊豆の堀越を拠点とした(堀越公方)。足利成氏は鎌倉を追われ古河を拠点とする(古河公方)。ここから再びおおよそ利根川を挟んで両陣営二分の激突となる。昌賢は古河の対岸に砦を構え、資長(太田道灌)は長禄元年(1457)、江戸に城を築く。品川や神奈川の湊に出入りする商人の船が江戸に集まってくる。河越などにも砦が築かれる。一進一退の攻防が激しく繰り返されるなか道真・資長親子の活躍はめざましく、資長は獅子奮迅の戦いとなった。京では、山名と細川等による応仁の乱(14671477)が起き、関東にもその影響が及んだ。

しかし、そうしたなか、上杉家内の抗争が始まり、上杉顕定の重臣・長尾景春が謀反(長尾景春の乱)を起こし大混乱。これを太田道灌が鎮めたのだった。ほとんどの戦いで勝利し、上杉家の危機を救った太田道灌であったが、妬み、讒言にもあい、直言も用いられないことが多かった。そして文明18(1486)8月、上杉定正の刺客によって暗殺される。「当方滅亡」――太田道灌の残した言葉通りの上杉家となり、北条早雲によって付け入られる関東となってしまう。

「お家の為、一門の為、命を賭して戦に挑む。しかし何のための戦いなのか」太田道灌の胸中には、外の敵ばかりでなく、内の敵とも戦わねばならない悔しさがあったと思う。まさに「百鬼大乱」の関東、そのなかでの太田道灌。せり上がってくるような苦衷がよく描かれている。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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