tikyuu.jpg「味の素グリーンベレー」が副題。「味の素」が、世界の市場を開拓するために、いかに知恵と行動で戦い抜いたか――そこには米陸軍特殊部隊と同じ「グリーンベレー」の異名を持つチームの存在があった。

その戦いはすごい。立ちはだかる異文化の壁。テロや犯罪が日常化する政情不安。「仕事をすぐ休む」「約束が守られない」「商慣行の著しい違い」。代理店に一任するスタイルを止め、責任者自ら率先垂範、歩いて歩いて現場で直販する。そのためには小分けして現金の取引に徹する。各人の目標は売り上げではなく切る伝票の枚数。売り上げを目標にすれば大型店舗を回ろうとしてしまうからだ。とにかく現地スタッフ、現物取引、現金の「三現主義」。現場で喜ばれる味と商品を徹底して開発する。最前線から喜びの声が噴き上がる戦略をとる。「あなたの仕事のやり方を見ていると、トークしかしていない。これだと、売り上げが伸びにくい。トーク、ショウ、タッチの実践。次の店で僕がやってみせるから参考にしてください」と上司が実践してみせる。店主との距離が一気に縮まる。エコノミック・アニマルと言われたかつての時代ではない。ずっと知恵と工夫と誠実・正直な実践で、テロやクーデターやコロナ禍に遭遇する今日まで、とにかく諦めずに粘り強く、消費者目線、現場主義で乗り切っていく姿を、躍動感を持って描いている。凄い。

「フィリピン直販部隊創設」「ベトナム全省踏破」「中国市場開拓」「ナイジェリア再建請負人」「ペルーの大地に溶け込む」「インド炎熱商人」「エジプト革命と動乱の日々」「ナイジェリアの納豆調味料」――それぞれ驚くほどのドラマがある。ドラマを作り上げたのだ。「味の素グリーンベレー」の率直で開拓者精神溢れる古関啓一、宇治弘晃、小林健一、小川智らの凄まじい戦いを描く。感動する。 


konosyakai.jpg「世界は複雑である。社会事象も、歴史も、簡単には割り切れない。もちろん『イデオロギー』などを通しては把握できるはずがない」「この『鼎談』に集まった3人に共通することがあるとするならば、世界を単純に割り切ってわかりやすく把握することを拒否していることかもしれない。3人は、それぞれ居心地の悪さ、生きにくさを感じている」と茂木健一郎さんは言う。飛び抜けている3人の鼎談は、俯瞰的で、世間にまかり通っている通常の考えを超えて刺激的だ。それぞれが圧倒的な専門を持ち、その奥深い「1人称」の思考から社会や歴史を全的に把握する。自分自身でどこまでも考え、世間に溢れる通常感覚に乗り移ることは無い。その3人が不思議にも噛み合う。問題の折りたたみ方がある境地から出てくるとも言えようか。自分で考えていくと「日本の歪み」「制度の歪み」「社会の歪み」が見えてくる。

「自衛隊はどう考えても『戦力』です。自衛隊を戦力ときちんと認めた上で、武力行使に制限をかけるべきだと、僕は昔から思っています。ところが、護憲派の人々は、憲法は歪んだ状態のまま放置するのが正しいと言う。日本は歪みを正すこと自体ができなくなっている()」「シビリアン・コントロールなんて、自分の国の言葉にもできないようなものが身に付くはずがない(養老)」「そもそも平和主義なんて本当にあったのか。ただみんな戦争が嫌だと思っただけです(養老)、戦争が嫌だという気持ちは本物だけど平和主義はただの言葉であると言う事ですね(茂木)」「マルクス・ガブリエルは『世界は存在しない』と重要な問題提起をしたとしているが、あれは要は、世界が存在するのは、椅子が存在するのと違う意味だよね、だから普通の意味では存在しないよねと言ってるだけです。そりゃ当たり前ですよ。世界は存在者の集合なんだから()

「戦争を天災のようにとらえる日本。人為と自然を強いて分けないというか、他人のせいにしても、仕方がないことがある。逆に、人間の責任を追及する韓国()」「(日本人の感覚)は、良いも悪いもしょうがないということですね(養老)」「東條英機の凡庸な悪――官僚のトップのような首相が、戦争の歯車を回し続けてしまった(茂木)」「天災が歴史を変える。日本の近代史を支配しているのは天災とも言える(養老)

日本は近代以降、外圧による大きな変容を経験している。明治維新と敗戦。「武士としての誇りや教養が突然、無用の長物になった(茂木)、あれほど大きな価値観の変換の中、大変なストレスが生じた。その恨みつらみと、新政府の高官たちの汚職まで含めて西南戦争になる。民衆のストレスを体現して反乱を起こしたから、西郷さんは偉かったし、人気が出た(養老)」。西南戦争は、西洋対日本という時代の流れに対する抵抗精神であったと先崎彰容は言う。「夏目漱石の『猫』がお雑煮を食べて歯にくっついて、踊りを踊ってしまう。西洋の文明を飲み込めないと言うこと(養老・東)

「戦後、アメリカ文化が見事に日本に浸透した。いちばん大きかったのは使い捨て文化。折につけ『アメリカではこうやっている』ばかり(養老)。最近の新自由主義的なところまでずっとそう(茂木)」「鬼畜米英をチャラにしてアメリカを受け入れた掌返しは結構すごい(茂木)」「ただ、戦後の日常生活にいちばん大きく関わった変化は、家制度を変えたこと。家族の形は、国よって違う。イギリス=アメリカ型のリベラルデモクラシーを家族形態の変革ごと押し付け、かなりうまくいってしまった()」「靖国にしても慰霊祭にしても、問題の本質は、2人称の追悼について考えていないことであり、そこにリベラルの哲学の弱点が現れている()」「宗教色をなくした追悼なんてできない()」「日本では家も地域コミュニティーも解体されて、人間関係を学ぶところが学校しかない。これが、人間関係や上下関係のモデルになっていることに起因している。心の安定を何が担うかということを、日本人はもう少し真剣に考えた方が良い。人の悩みを聞く人が少ない()」「日本は、歴史が断絶している感じがある。整合性をつけることへの欲望がない国だ(茂木)

「この国は変わっていて、目立っている人を潰すという圧力が、とにかくすごい()。養老先生がずっと言われているのは『茂木くん、どんなに変わり者でも、日本という国は、中枢に入って来なければ許容されるんだ』ということ(茂木)」。また養老さんは、「1990年から2020年の30年間に、世界中で昆虫が8割から9割減りました。世界中例外なくです」と恐ろしいことを言っている。


kirie.jpg路上シンガーのキリエは、歌うことでしか声を出すことができない。ある夜、過去と名前を捨てたイッコはその歌声に驚きマネージャーを買って出る。実は彼女は、帯広の高校で1年上の先輩であった。そして二人と数奇な絆で結ばれた塩見夏彦。夏彦はキリエの姉と恋人同士。3·11東日本大震災の津波で行方不明となってしまっていた。

キリエも夏彦も、3·11で姉、恋人それぞれを失って心に大きな空洞を抱え込み、人生は決定的に狂う。
それから13年の間に、3人の運命は幾たびか交差し、互いを懸命に支え合い、また離れたりする。石巻、大阪、帯広、そして東京。いつも通常の社会から孤立していながらも、生き抜こうとする3人。心にしみ入るものがある。言葉を失っているからこそ、全てを注ぎ込んだ異次元の歌声は、人々の心の奥底を乱打する。

3.11 は今も消すことのできない傷跡を残している。その心の奥底に迫るのは、人間の始原的同苦の情。音楽や映画によってしか表現できないのかもしれない。本書は、映画「キリエのうた」の脚本・監督の岩井俊二さんの原作。 


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スポーツの秋本番――11日、12日の土日、地元でのスポーツ行事等がいくつも行われました。「第15回北区オープンボディビル・フィットネス大会」では、日頃から鍛え抜いた選手が首都圏から集合、会場内から声援が飛び、盛り上がった大会となりました。私は各地域での広がりが大事であるとし、「裾野の広がり(日常の地域活動)があって、山(トップアスリート)が高くなる。山が高くなって裾野がさらに広がる」と挨拶しました。

「第57回北区少年少女サッカー大会」も、赤羽スポーツの森公園競技場で盛大に開催されました。これから2ヶ月、優勝を目指して競技が連続して行われます。急に寒くなりましたが、スポーツの秋本番です。

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ikimonoga.jpg「死と長寿の進化論」が副題。私たちにとって「老い」とは何だろう。生命にとって「老い」とは何だろう。「老い」は避けられないが、野生動物は老いる前に襲われて死んでしまうが、人間は老いても守られ、人生で蓄積した知恵を次世代に伝える重要な役割がある。「老」はめでたい言葉で、江戸幕府の「大老」「老中」も、先生に使う「老師」も、めでたい「海老(えび)」も「老」がつく。人間は老いることを「獲得できた」稀な生物なのだと言う。

「老いは実りである」――。イネの「老い」は、もう葉を茂らす必要もなく、今まで蓄えた栄養分を集めて米を実らせること、新たな成長のステージであり、成長とはステージが進むことである。「老いが人類を発展させた」――。多くの生物は卵を産み落とし子孫を残すと寿命を終える。野生動物は老いる前に死んでしまうが、人間は「老いる」ことを獲得したのだ。哺乳類は卵を産み落として終わるのではなく「子供を育てる」仕事があるので、生き続ける。人間の女性は閉経して繁殖を行わなくなるが、人間の子育て期間は特に長く、「おばあちゃん」の経験と知恵が価値を作る。こうした人間のような生物は珍しい。

「ジャガイモは死なない――死を獲得した生命」――。種を残して枯れてしまう植物が多いなかで、ジャガイモは枯れる前に芋をつける。ジャガイモにとって、芋は自分の体の一部である。単細胞生物は、黙々とコピーを増やしていって死なないように思うが、地球の歴史は激動に次ぐ激動で厳しい環境を生き抜けない。そこで生命は単純コピーではなく、一度壊して新しく作り直すという方法を選ぶようになった。他の個体から材料となる新しい遺伝子をもらうという方法だ。「そして男と女が生まれた」――。「死」が生まれて男と女も生まれた。自分が変化するだけでは、激動に耐えられず、新しい組み合わせ、多様な組み合わせを作り出すことができる。バラエティー豊かな多くの子孫を作ることになった。

「限りある命に進化する」――。人間は、決して強い生き物ではないが、助け合い、そして年寄りの知恵を活かすことによって生き抜き、「長生き」を手に入れた。人間は長生きに進化した生き物なのだ。「老木は老木ではない」――。木になる植物の内部の多くは死んだ硬い細胞からできている。一番外側の部分に新しい細胞があり、この外側の細胞だけが生きている。人間の体も死んだ細胞と生きている細胞とから作られている。私たちの体の中では、常に細胞分裂が繰り返され、無数の細胞は日々命を落としている。細胞が分裂することで、新しいコピーを生み出しながら、新しく生まれ変わりながら、私たちの体は老いていくのである。「若さとは幻である」――。老いることと死ぬこととは別であり、あるのは若さではなく「老い」だけである。老化のプログラムとして知られているのが、細胞分裂をするたびに短くなっていくテロメア。テロメアは、細胞が自ら老いるための時限装置である。この掟に逆らって、死ぬことを拒否する細胞ががん細胞だ。

「植物はアンチエイジングしない」――。私たちの体は、酸素呼吸をして生命活動しており、物質を酸化させてさびつかせてしまう活性酸素が問題。抗酸化物質を多く含んでいるのが植物である。しかし、植物も抗酸化物質で老化を止めることはできない。「宇宙でたった一つのもの」――。私たち、人類は老いて死ぬようにプログラムされた存在であり、老いを勝ち取った生物である。他の生物には絶対にできない生き方、「得意な場所で特意を活かす。あるがままに生き、あるがままに老いるのだ」「老いは最も重要な実のステージである」と言う。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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