2035nennigen.jpgAIの進化は何をもたらし、社会をどう変革していくのか。その進化がつくり出す未来に向けて、どう備え、どう動けばいいのか。日本の情報工学をリードする暦本純一氏と落合陽一氏の師弟対談。

IQテストはオワコンか」「IQテストで出される問題は、いかにもAIで正解できそうなものばかり。これからはAIが助けてくれるようになるので、知能が高いか低いかは問題ではなくなるのかもしれない」「一方で、人間には、IQテストでは測れないものがたくさんある。とてつもないことを考える能力、芸術的なセンス、食べ物をおいしいと感じられるかどうかなど」「チャットGP Tはパーソナルな家庭教師。わからない事は全てGPTに聞けば良い」「知らなくても恥ずかしくないことがどんどん増える社会となる」・・・・・・。そして音声で文章を書いているとして、「速いし、歩きながらも入力できる(チャットGPTに向かって喋りながら)」「人間の自然言語コミュニケーションはかなり融通が利く。文法的におかしくてもちゃんと通じる」「音声で文章を書くと、文体も変わる」「2030年代の後半位には、『長嶋語』『口笛言語』もAIが翻訳しているかもしれない」と言う。私も音声入力をしているので現時点のことはよくわかる。

「死者をAIで、蘇らせることの是非」「『戒名』は、人間の情報を圧縮した究極のベクトル」「微分仏とオブジェクト指向菩薩」「人工改変された自然を愛でる日本人の美意識(里山も寺も庭も自然を巧みに再構成したもの)」「デジタルネイチャーは『都合のいい自然』(リアルな自然は快くないもの)」・・・・・・。

「教えない教育の時代」――「IQの高い人の方が、効率よく仕事を処理できることに変わりはない」「数学の概念は、教育で身に付けるしかない」「テクノロジーの『原理』を知る喜び(原理を無視して、テクノロジーの使い方のみ習熟させるならAI家庭教師だけで事足りる)」「ボタンを押すと餌が出てくるとか、それだけ覚えていれば生活は成り立つ。AIは勝手にコンピュータを管理して修理もしてくれるので、ちゃんと社会は回っていく。変なものを作ったりする人間もちょっとはいるだろうが、大多数はネコになっている気がする」・・・・・・。そういう世界で、人間に必要とされる能力は何か――「『必要』という概念そのものが壊れ、何も必要とされないだろうと思う。考えるべきは『何が必要か』ではなく『何をしたいか』だ」「必要なことをAIやロボットがやってくれる社会になると、『自分が何がやりたいか』を見つけることだ。そういう教育環境を整えないと、本当にみんなネコになっちゃうかもしれない」と言い、「求められるのは、『ひとり遊びの才能』だ」と言っている。その意味で大学の先生が果たす役割も「知る喜びを教える『DJ』としての大学教員」と語っている。

AIは、単なる「道具」よりは身体的な存在であり、大事なのはうまく使うこと。使うかどうかしだいでAIは知能の格差を広げる。「西洋哲学が入り、人間中心主義になって『必要とされる人間』でなければ価値がないと考えるようになった。だから人間から『必要性』を奪うAIの存在に不安を感じるのだろう。しかし自分でピアノを弾けるのと、ロボットが弾くのを聞くのは違う。絵葉書きの写真を見るのと自分で撮った写真は違う。結局、AIという道具を主体的に使い自己主体感のある自分で作る喜び、充足感、『ひとり遊び』の喜びが大事」と言い、西洋文明の人間中心主義が、AIの出現によって「西洋的アイデンティティ・クライシス」が起きると予想する。そして「近代哲学の『悩むのが偉い』『自由に必要とか、悩みが不可分のもの』を切り離せるチャンスが来るかも。無駄に悩むのが知性だという勘違いの時代は終わる」「自己実現をしたいと悩むこと、自分探しなどしないで、やりたいことを探せばいい。AIと友達になれば孤独感はない」と言う。

「可能性の広がる良き時代」が来る、大乗的生き方で進もうというエールを感じる。 


umiwoyaburu.jpg人類史上最大の帝国・元の侵略を退けた立役者である伊予の河野六郎通有の苦闘と人間愛への信念をダイナミックに描く。元の襲来を迎え撃つ御家人たちの姿が生々しく活写される力作。

源頼朝から「源、北条に次ぐのは河野よ」と称えられたほどの伊予の名門・河野家は、承久の乱で京方に加担し惨敗、所領のほとんどを幕府に没収された上、一族の内紛により没落、今や辺境の貧乏御家人となっていた。河野通有は伯父・通時との確執・緊張関係、一族の疑心暗鬼を抱えながらも、河野家再興へ努めていた。またその頃、西域(るうし)出身で金髪、碧眼の奴隷の娘・令那、同じ奴隷で高麗の農民出身の繁を周りの反対もかかわらず抱え込んだ。

そうした不安定な状況の中、元が巨大な船団を抱えて侵攻(1281年、弘安の役)、幕府から守りに着くよう命が下る。今は一族で骨肉の争いに明け暮れている場合ではない。通有は河野家をまとめ上げ、元を迎え撃つべくやっと作り上げた巨大な三百石船・道達丸をもって博多湾に向かうのだ。そこにはその数約ニ万人、 西国の御家人がこぞって集い、半里にも及ぶ石築地(防塁)が築き上げられていた。

「神風」によって勝利を得たと言われるが、それは最終であって、そこに至る間の戦いはまさに壮絶。世界どの地でも、元に抗したものは焦土と化した。陸に上げてしまえば絶望的。「河野は正気か・・・・・・」――河野だけは石築地の前に出て浜に陣取った。河野の後築地と呼ばれるものだ。そこに元が「水平線を縁取るような黒い線が見えた。徐々に線は面へと変貌を遂げていく。青々とした大海が破られたかのような錯覚を起こした・・・・・・白波が喰われているようだ」「ついに来たか」・・・・・・。繁が叫ぶ。続いて占拠された志賀島への攻撃。ここでも河野は中道を突破するだけでなく、海からも同時に攻める作戦を立て、先陣を務める。捨て身の戦いの今際の際に、伯父の通時は河野家の内紛の真実を語る。通有にとって、初めて聞く真実に驚愕し涙する。そして志賀島で元を撃破、日ノ本軍は大勝、河野家は喝采で迎えられ激賞される。

「なぜ、人と人は争わねばならないのか」「なぜ元は次々に他国に侵攻、拡張しようとするのか」「なぜ人はわかりあえないのか。親兄弟身内でも」――こうした問いかけが「内紛、戦争」のたびに問いかけられ、河野一族に連なる踊念仏の創始者・ 一遍(別府通秀)がたびたび登場し、通有と語り合い無常感の深みを増す。そして元との最終決戦。そこで吹く野分。さらに通有は"人命"を救う驚くべき行動をとっていくのだ。なんと恩賞どころか正反対の憂き目にさらされ・・・・・・。

蒙古襲来――日本を覆う絶望的危機感の中でこそ顕われる魂の噴出を、爽快に思う。 


nihonnokeiza.jpg「『失われた30年』をいかに克服するか」が副題。長期にわたる「緩やかな1%程度のデフレ」に苦しんだ日本。日本経済をバブル崩壊から振り返り、繰り広げられた論争と実施された政策をマクロ経済学の見地から検証し、あるべき経済政策を論じている。

1990年代以降の30年間のうち、前半の15年は不良債権処理の先送りという失敗で特徴づけられる。問題解決が遅れたことが、経済社会に慢性的な不確実性と疑心暗鬼を生み、経済活動が萎縮して、企業も労働者の人的資本も劣化していった」と言う。そして「後半は、デフレ(物価の下落)脱却を最優先して、極端な金融緩和政策を20年の長期間にわたって続けたため、財政健全化への政治意思の後退、構造改革への意欲の減退、経済の新陳代謝の停滞などが起きて、長期の経済成長に必要な経済社会の構造変化が阻害された」と分析する。その政策の失敗の共通点として、「為政者の『再帰的思考の欠如』」をあげる。他者の思考について考えが及ばない。不良債権処理について言えば、銀行システムの都合を優先したため、破綻する銀行が出ないように何年もかけてゆっくりと整然と処理を進めようとした。その間に、銀行以外の家計や企業の間に疑心暗鬼が広がり、経済が停滞し、さらなる不良債権が発生するという悪循環に入り込んだ。その結果、他の国々で3年か4年で終わる不良債権処理に、15年もかかってしまった。そしてその後の2000年代以降の金融政策でも、ゼロ金利環境でのインフレ期待の形成メカニズムを進め、「『日本銀行がデフレ脱却の強い決意を、マネタリーベースの量で示せば、国民はインフレになると信じるはずだ』というかなり素朴なリフレ派の議論をベースにして、日本銀行はマネタリーベースを増やした。しかし、国民はそう信じなかった。さらにその後、インフレ期待を生み出す効果が出なくても、この議論は撤回されず、マネタリーベースを増やし続け、さらにマネーの増やし方を追加し続けた」と指摘。「物価」のみに神経を集中した縦割り的な金融政策論議に終始し、国民、市場、政治家がどのように考え反応するかという「再帰的思考が欠如していた」と言うのである。まさに1990年代の不良債権処理、2000年代のデフレ論争、2010年代の世界金融危機――その間の日米で行われた理論的な論争の紹介をしつつ、自身の見解を述べている。

コロナ禍は、世界の経済を激変させ、日本はここでもPCR検査やワクチンをめぐって、「再帰的思考の欠如」に覆われたと思われる。コロナ後の世界経済はインフレ基調、日本は世界からの「急性インフレ」と「慢性デフレ」の挟撃に遭い歴史的な円安の渦中ある。やっと物価と賃金が動き出し、デフレとデフレマインドの変化が見られる今、「日本経済のゆくえ――持続性とフューチャー・デザイン」の新たな提案は重要だ。人口減少・少子高齢社会の進展のなか、時間軸を持った政治と経済論議が不可欠になっている。


sado.jpg「痛快時代ミステリー」の小説としても面白いが、綱吉の時代に貨幣経済を展開した荻原重秀の背景も浮き彫りにする秀逸作。

時は元禄――。佐渡金銀山は次第に産出が激減し、多くの間歩(鉱山の坑)も水に浸るようになっていた。その衰退しかけた佐渡金山で立て続けに怪事件が起こった。御金蔵から消えた千両箱、36人が落命した落盤事故、落ちぶれ山師トンチボの神隠し、能舞台で磔にされた斬死体、割戸から吊り下げられた遺体、そして役人の逆くノ字斬り・・・・・・。いずれの事件現場にも血まみれの能面が残され、能面侍「大癋見」の呪いと噂されていた。そんななか、幕府の勘定吟味役の切れ者・荻原重秀が新しい佐渡奉行となり、その補佐役(広間役)として間瀬吉大夫が先遣された。「凍て剃刀」と言われるニヒルな吉大夫、「焼き剃刀」と言われる荻原は、ともに強烈な個性を持つ辣腕で、惰性に流れ沈滞する佐渡に喝を入れ、怪事件の解決と佐渡の大改革に乗り出す。そこで行動を共にしたのが、若き見習い振矩師(鉱山測量技師)の静野与右衛門とその師匠の老振矩師、山方役筆頭の槌田勘兵衛。そして遊郭の女将あてび、与右衛門の幼なじみのお鴇など。それぞれがこれでもかというほどキャラが立つ。

怪事件の裏には、取り潰された藩の再興の策略と裏金作り、偽金作りの秘密があった。さらに事件を解決するとともに、衰退している佐渡金山を起死回生させる手を与右衛門を中心に立案する。水に浸った間歩、水没した坑道から水を抜く南沢惣水貫の大事業への挑戦。佐渡を蘇らせようと戦う人間模様が感動的に描かれる。

農本主義から貨幣経済への転換をもたらした荻原重秀。その伏線となる物語でもあることを思えば、この小説の重みがさらに増す。 


tiikihoukatu.jpg「介護の大転換が自治体を破綻に追い込む」が副題。地域包括ケアシステムとは「認知症や寝たきりになっても、住み慣れた地域で暮らし続けるための、介護・医療・住まい・介護予防が一体となった中学校区単位で構成されるコンパクトな介護システム」。これが打ち出されたのは、2005年の介護保険法改正の時。団塊の世代が75歳の後期高齢者に入る2025年を目途として構築を図ることとしている。この高齢者施策の計画・推進・運営の責任者が「自治体」に変わるが、「介護の大転換が自治体を破綻に追い込む」という。

焦点となるのは、2025年ではなく、団塊の世代が後後期高齢者(85歳以上)になる時。それまでに体制を組めるかどうか、大変な問題であることを指摘する。後期高齢者でも、84歳までは要支援要介護が2割程度、寝たきりなど要介護3以上の重度要介護は5%程度、認知症も22%程度だが、85歳以上となると一気に跳ね上がる。要支援要介護発生率は6割、重度要介護は4人に1人、認知症は44%となる。この後後期高齢者が2020年には600万人を超え、2035年には980万人、2040年には1000万人となり、その後も約30年ずっと続くと言う。加えて、勤労世代の激減、介護人材の絶対的不足があり、さらに社会保障費の負担増大も介護サービスの抑制も、経済破綻を招くことになる。

結局、「社会保障費、特に高齢者の医療介護費用を徹底的に抑制していくしか方法はない」「これまでも社会保障費にお金がかかりすぎて、経済成長の足を引っ張り、経済の鈍化によって社会保障の根幹が揺らぐ」を繰り返してきたと指摘する。

これからの少子後後期高齢社会――。少ない介護人材、限られた介護財源の中で、それぞれの市町村が効率的・効果的な地域包括ケアシステムをどう構築するか。それぞれの自治体・市町村は、整備計画を作っても、人材不足・財源不足では手を挙げる社会福祉法人はいない。そのなかで「老人福祉施設と民間の高齢者住宅の混乱」「有料老人ホームとサ高住の混乱」「介護付・住宅型など介護保険適用の混乱」の3つの混乱、「介護は儲かる」と、「素人経営者が大量参入し、介護事故やスタッフによる介護虐待が激増、違法な無届施設や『囲い込み』と呼ばれる貧困ビジネスが横行している」という現状を指摘する。

どのような高齢者の介護医療費削減策があるのか。「介護保険の被保険者の拡大、制度の統合」「介護保険の対象者の限定(最低限の生活・生命を維持することさえ難しい重度要介護の高齢者に)」「介護保険の自己負担の増加」「社会保障制度の抜本的改革のためのマイナンバー制度」「社会福祉法人と営利法人の役割の整理・分離」「高齢者施設と高齢者住宅の整理・統合」「要介護認定調査の厳格化」「独立ケアマネジャー事務所への支援」「囲い込み不正に対する規制強化、不正に対する罰則の強化」「自己負担の増加、高齢者医療の包括算定制度の導入など高齢者医療費の圧縮」などを示す。

後後期高齢者1000万人時代――もはや「保険料や税金を上げるな、医療や介護・福祉は充実させよというモンスター級の幻想」を見直すギリギリの段階にあることを具体的に訴えている。危機感が強く伝わってくる。 

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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