帯に「『白鳥とコウモリ』の世界再び」「まるで幽霊を追いかけているようだ」とある。身代わりというか、まさに「架空犯」。息もつかせず、次々と予想を覆す展開に、身体ごと持っていかれるような圧倒的な東野圭吾の世界の傑作だ。
燃え落ちた焼け跡から2つの遺体が見つかる。都議会議員・藤堂康幸と妻で元女優の江利子。火災による死ではなく絞殺だった。警視庁本部の巡査部長・五代努は所轄の山尾というベテラン警部補と組むことになり捜査に入る。殺害された藤堂夫妻には一人娘・香織がいて既に結婚しており、夫の榎並健人は医療法人を運営する榎並グループの御曹司。香織は妊娠中だった。捜査に入るが、藤堂夫妻には殺されるほどの恨みを買っていることも見当たらなかった。そんな時、藤堂康幸事務所に犯行声明の手紙が届き、「私は犯人である。動機は単純明快だ。世間を欺き、人として許されない行為を繰り返してきた二人に制裁を加えた。制裁は天誅といいかえてもいい。夫妻の非人道的行為を証明するものがある。3億円で買い取ってもらいたい」と。
捜査のなか、江利子は幼い時に航空機事故で両親を失い叔父夫妻に育てられたこと、高校は都立昭島高校で、その時の教師が藤堂だったこと、同級生で最優秀の学生・永間和彦が東大受験に失敗し、自殺していたことなどがわかっていく。さらに捜査が進むなか、コンビを組む山尾の行動や言動に違和感を感じていくのだった。
そして、山尾が逮捕されるという驚愕の事態に至るのだが・・・・・・。
誰が悪いのでもない。複雑な家族、愛の渇望、秘めた本心、その中で生まれる嫉妬心、親が子に注ぐ無限の愛、そして保身・・・・・・。その軋みのなかで起きる悲しい事件。思いもよらぬ事件の真相へ・・・・・・。
新年おめでとうございます。昨年は大変お世話になり心より感謝申し上げます。
2025年は、昭和100年、戦後80年の節目の年です。団塊の世代が全て75歳以上になり、空き家が全国で約950万戸、認知症が約470万人、軽度認知障害(MCI)の高齢者を加えると1000万人を超えるといわれます。少子高齢社会、人手不足時代へ本格的に向かう分岐点です。地方再建、デフレ完全脱却・インフレ基調への分岐点でもあり、新たな構造変化への政治・経済・社会の変革の節目です。
「安全・安心の勢いのある国へ」「政治は結果、未来に責任」――政治を流動化させず、仕事をする政治にしなければなりません。ポピュリズム政治が跋扈するなか、「大衆とともに」「生活現場からの確かな力・公明党」が日本の未来を築くと確信します。
この1年、元気で知恵を尽くす「勇猛精進」で戦い、勝利するよう頑張って参ります。皆様にとりまして、この1年が輝く栄福の年でありますようお祈りいたします。
富勘長屋に住む北一、相棒の長命湯の釜焚き・喜多次のコンビが事件を解決するシリーズ第3弾。人情が通い、助け合う長屋や湯屋、文庫屋、文庫作業場、棒手振、そして岡っ引きの親分、おかみさん・・・・・・。江戸の町が浮かび出てくる宮部みゆきの世界が心地良い。
第1話「気の毒ばたらき」――。年明け、おかっ引きの千吉親分が、河豚に中毒って頓死してしまう。岡っ引きの跡目はおらず、北一はその真似事をしている。そんな時、万作・おたまが継いだ千吉親分の文庫屋から火が出て焼失。下手人は、台所女中のお染だというが、北一は信じられない。疑いを晴らそうと北一は奔走する。
一方、火事で焼け出された人々が集まる仮住まいでも、"切り餅" 4つ(百両)がなくなるという事件が起きる。
目は見えないが、おかみさんはすごい。世の中、人の心の動きが見えている。「お染はどこにいるんだろうね。なぜ放火なんかしたんだろう。それ以前に、なぜお店の金に手をつけようとして、見咎められるような羽目になったんだろうか」「女が善悪を忘れて、何かをしでかすのは、自分のためじゃない。想う男か、子どもの命がかかっているときさ」・・・・・・。
北一、喜多次は動く。「気の毒ばたらき。気の毒だねえ、大変だったねぇと同情しながら、火事で焼け出された人たちの間に立ち交じり、その人たちが命からがら持ち出してきた家財道具のなかの金品を漁って盗み出す。卑怯な手口だ」・・・・・・。
第二話「化け物屋敷」――。前の話の続き。江戸の正月の風景や日常が浮かんでくる。深川佐賀町の村田屋という貸本屋。28年前、その店主・治兵衛さんのおかみさん(おとよ)が、行方知れずになり、半月も経ってから、千駄ヶ谷の森の薮の中で亡き骸になって見つかる事件があった。下手人が捕まるどころか、なぜそうなったかの事情もわからないままになっていた。北一は、町奉行所の文書係・おでこ(三太郎)の力を借り、同じような事件があったのではないかと調べ始める。そして「化け物屋敷」の<大旦那様>の存在とお社、後始末に働く八助の気狂いに行き着いていく。
江戸の街の人情、生活、風習、災害と恐怖が、キャラが立つ人物を通じて、生き生きと立体的に情緒深く描かれる。
「データで読み解く所得・家族形成・格差」が副題。1990年代半ばから2000年代初頭にかけ、バブル崩壊後の不況の中で未曾有の就職難にぶつかった世代。この1993~2004年に高校や大学などを卒業した世代が就職氷河期世代。1970年(昭和45年)生まれから1986年生まれ(2005年に高校卒業)が該当する。約2000万人。現在30代の終わりから50代前半となる。著者は93~98年卒を「氷河期前期世代」、99~0 4年卒を「氷河期後期世代」とする。団塊ジュニア世代は1970年代前半生まれを指し、氷河期前期世代と重なる。人口のボリュームの多いこの世代の人生のスタートが、バブル崩壊後の不況に直面したことは、日本にとって極めて痛いことだ。本書は、この世代を数々の統計から精緻に分析し、今後の動向と行うべきセーフティーネットの拡充などを提言する。しっかりした学術論文。
この世代は「上の世代に比べて給与の低さと不安定就業の多さ」が目立つ。長期にわたる無業者が多く、求職活動をしないニートも多い。低い収入・不安定就業が続くと、年金も低く、老後不安、生活保護の高齢者が大量に出てくることが懸念される。すぐ上の「バブル世代」とは年収など大きく異なる。
しかし、極めて大事なことだが、その後の「ポスト氷河期世代も、年収などを見ると、氷河期後期世代とあまり変わらず、氷河期前期世代よりも低い水準にとどまっている」とデータ分析する。続く世代も雇用が不安定で、年収が低く、格差が解消しないというわけだ。そして、「就職氷河期世代を境に、就職した年の景気の長期的な影響(瑕疵効果)が弱まった」とデータ分析している。労働市場の流動性が高まったからなのか、デフレの長期化なのか、注目すべき分析だ。
「氷河期世代の家族形成」――。「就職氷河期世代は、家族形成期に入っても経済的に安定せず子供を持てない」と見られがちだが、違うと言う。「氷河期後期世代は実は団塊ジュニアの世代よりも、40歳までに産む子供の数は多かった」と指摘している。出生率はより幅広い要因によるようだ。
「新卒時点では、女性の方が、男性よりも就職氷河期の影響が強かったが、就業率や正規雇用率の世代差は数年で解消した」「晩婚化や既婚女性の就業継続率上昇が就職氷河期の影響を打ち消していた面が大きい」と言う。
また「就職氷河期世代以降、所得分布の下位層の所得がさらに下がることによって、世代内の所得格差が拡大する傾向にある」「ニートや、親と同居する無業者・非正規雇用者、孤立無業者など、特に厳しい状況に置かれている人の割合は、若い世代ほど増えており、年齢が上がっても減っていない」と言う。
「セーフティネット拡充と雇用政策の必要性」――。将来、雇用が不安定で、年収が低いままの就職氷河期世代、それと同様のその後の若い世代も、「親世代の高齢化による生活の困窮」「低年金・低貯蓄からくる老後の困窮」は重大問題であり、雇用政策・就労支援で若年のうちに挽回をするべく、様々な取り組みがさら必要であることを提唱する。手をこまねいていると大変な時代が迫って来ている。
読みながら思うことが溢れた。しかし改めて安倍晋三総理が、いかに戦略的に戦い続けたか。多くの仕事をしたか。安倍政権に関わった人が、激変する世界と社会の中で結束して戦い仕事をしたか。そして各テーマを設定し、船橋さんが徹底取材し、それを立体的に組み上げて、熱が伝わるドキュメントに仕上げた力量に感心する。「彼は迫り来る『歴史のリアル』と戦った」と言う。
「母の洋子は、安倍を『宿命の子』と呼んだ。安倍自らも、心の底に、そのような使命感と歴史観を秘めていた。・・・・・・『その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません』戦後70年首相談話に込めたあの一言は、安倍の心の叫びでもあった」とあるが、「宿命を、日本を背負う使命に転換して戦おうとした」のだと思う。
<下>は「外交」が生々しく描かれる。「プーチン」「習近平」「トランプ」「金正恩」「アメリカ・ファースト(トランプなど)」「自由で開かれたインド太平洋(モディ、ターンブルなど)」「G7 vs.ユーラシア(メルケル、マクロン、キャメロン、オバマ、トランプ・・・・・・)」の各章は、いずれも息づまる攻防。冷静な国際会議や外交交渉というよりまるで格闘技のような攻防だ。その中で安倍晋三総理が躍動する。日本の総理でかつてない存在感を勝ち取ったのだ。あの有名なトランプにメルケルが迫り安倍晋三総理がその真ん中で腕組みをする写真。その真実の意味も・・・・・・。
その後に「天皇退位と改元」「パンデミックと退陣」などが描かれている。「戦略性」と「リアリズム」で新たな日本の未来を切り開こうとした安倍晋三政権のエネルギッシュな姿が掘り起こされている。とてつもない船橋さんの力の著作。