ikimonoga.jpg「死と長寿の進化論」が副題。私たちにとって「老い」とは何だろう。生命にとって「老い」とは何だろう。「老い」は避けられないが、野生動物は老いる前に襲われて死んでしまうが、人間は老いても守られ、人生で蓄積した知恵を次世代に伝える重要な役割がある。「老」はめでたい言葉で、江戸幕府の「大老」「老中」も、先生に使う「老師」も、めでたい「海老(えび)」も「老」がつく。人間は老いることを「獲得できた」稀な生物なのだと言う。

「老いは実りである」――。イネの「老い」は、もう葉を茂らす必要もなく、今まで蓄えた栄養分を集めて米を実らせること、新たな成長のステージであり、成長とはステージが進むことである。「老いが人類を発展させた」――。多くの生物は卵を産み落とし子孫を残すと寿命を終える。野生動物は老いる前に死んでしまうが、人間は「老いる」ことを獲得したのだ。哺乳類は卵を産み落として終わるのではなく「子供を育てる」仕事があるので、生き続ける。人間の女性は閉経して繁殖を行わなくなるが、人間の子育て期間は特に長く、「おばあちゃん」の経験と知恵が価値を作る。こうした人間のような生物は珍しい。

「ジャガイモは死なない――死を獲得した生命」――。種を残して枯れてしまう植物が多いなかで、ジャガイモは枯れる前に芋をつける。ジャガイモにとって、芋は自分の体の一部である。単細胞生物は、黙々とコピーを増やしていって死なないように思うが、地球の歴史は激動に次ぐ激動で厳しい環境を生き抜けない。そこで生命は単純コピーではなく、一度壊して新しく作り直すという方法を選ぶようになった。他の個体から材料となる新しい遺伝子をもらうという方法だ。「そして男と女が生まれた」――。「死」が生まれて男と女も生まれた。自分が変化するだけでは、激動に耐えられず、新しい組み合わせ、多様な組み合わせを作り出すことができる。バラエティー豊かな多くの子孫を作ることになった。

「限りある命に進化する」――。人間は、決して強い生き物ではないが、助け合い、そして年寄りの知恵を活かすことによって生き抜き、「長生き」を手に入れた。人間は長生きに進化した生き物なのだ。「老木は老木ではない」――。木になる植物の内部の多くは死んだ硬い細胞からできている。一番外側の部分に新しい細胞があり、この外側の細胞だけが生きている。人間の体も死んだ細胞と生きている細胞とから作られている。私たちの体の中では、常に細胞分裂が繰り返され、無数の細胞は日々命を落としている。細胞が分裂することで、新しいコピーを生み出しながら、新しく生まれ変わりながら、私たちの体は老いていくのである。「若さとは幻である」――。老いることと死ぬこととは別であり、あるのは若さではなく「老い」だけである。老化のプログラムとして知られているのが、細胞分裂をするたびに短くなっていくテロメア。テロメアは、細胞が自ら老いるための時限装置である。この掟に逆らって、死ぬことを拒否する細胞ががん細胞だ。

「植物はアンチエイジングしない」――。私たちの体は、酸素呼吸をして生命活動しており、物質を酸化させてさびつかせてしまう活性酸素が問題。抗酸化物質を多く含んでいるのが植物である。しかし、植物も抗酸化物質で老化を止めることはできない。「宇宙でたった一つのもの」――。私たち、人類は老いて死ぬようにプログラムされた存在であり、老いを勝ち取った生物である。他の生物には絶対にできない生き方、「得意な場所で特意を活かす。あるがままに生き、あるがままに老いるのだ」「老いは最も重要な実のステージである」と言う。


rekisino.jpg「確かな教養を手に入れる」が副題。「ぜひ、歴史の勉強を仕事や人生に役立て、真の教養を身につけた大人になっていただきたい」「歴史の研究者は、単に過去の事実を掘り起こすだけではなく、より普遍的な知見を探り出そうとしている」――。そのためには、基本的な基礎知識と歴史感覚を身に付けることが大事と言い、そのメソッドを東大教授の著者がやさしく伝授してくれる。

「日本史の流れを整理する」「国名の不思議」「官職と位階」「江戸の物価の変遷」「和暦と西暦の換算」「千年の都・京都を歩く」「参勤交代について調べてみる」「日本の歴史全体がわかる博物館」「真田信繁の手紙を読んでみる」「東大データベースの活用法」。どれもふわっと曖昧にしてきたものが整理され、くっきりする。

「源頼朝が任じられた右近衛大将は、著名な社会学者の対談で『下っ端のノンキャリアだから、頼朝が京都にいる必要がない』などと言っているが、大きな誤解。近衛大将は、朝廷の武官の中で最高位の官職」「朝廷と幕府は、依存関係にあり併存。どちらかがどちらかを打倒するというような関係ではない」「江戸幕府の直属軍は、旗本軍として五番方(大番・書院番・小姓組番・新番・小十人組)があった」「ヤマト政権は、豪族たちを氏という組織に編成。聖徳太子が制定したとされる冠位十二階は朝廷に仕える官人を十二のランクに分け氏族ではなく個人に与えた」「金・銀・銭――江戸時代は金一両で米一石。現在でいえば、米が安いので、1両は12万円、1分が3万円、1朱が7500円。大石内蔵助の冊子によれば、金1両は銀56匁、銭1貫文を銀15匁替えで計算している」「基準を太陽の出没とし、日の出の時刻を明け六と言い、五つ、四つ、と数え、正午が九つ、それから八つ、七つ、日没の時刻が暮れ六つと言う」

「歴史の現場を歩く」――。「かつての平安京の中心線は今の烏丸通りではない。平安京の中心線である朱雀大路は、現在のJR嵯峨野線(山陰本線)が北上する線路上にあった」「秀吉の聚楽第は、南は丸太町通り、東は堀川通り、西は千本通りで囲まれていたところにあり、次に関白となった秀次に譲り、秀次自害の後は取り壊された」「現在に残る二条城は、徳川家康が建てた城」「横須賀製鉄所建設には勘定奉行の小栗上野介が尽力したが、徹底抗戦を説いて徳川慶喜に罷免され、上州に引退して戦ったが捉えられ斬首される。大正になって復権し胸像までできたが、第二次大戦中の供出で失われた。胸像になってからも受難の道を歩んだ」

「調べる・古文書を読む」――。「参勤交代の歩く距離は130キロ以上。経費については、鳥取藩の事例で1957両という記録がある。人足費が847両、馬の経費が492両、川渡し賃などが134両、物品購入費が387両、宿泊費が97両」と言う。大変なことがよくわかる。「日本の歴史全体を概観するには、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館の常設展示が一番」「京都の様子を伝える洛中洛外図屏風」「最古の洛中洛外図屏風は国立歴史民俗博物館に」「古文書とは何か――命令書や手紙等は古文書であり、逆に、著作物、編纂物、日記、メモ等は古文書ではない」「真田信繁の手紙を読んでみると、前途を悲観していることが伝わってくる。しかし、徳川方に伝わると承知していての手紙だ」「歴代天皇の研究によって、私は日本と日本という国の特質が理解できた気がする」

大変勉強になる。 


syougunto.jpg「室鳩巣の手紙を読む」が副題。江戸時代、側近はどういう働きをしたのか。将軍と側近と老中の関係は、どうだったのか。5代将軍綱吉に仕えた柳沢吉保、9代将軍家重の大岡忠光、10代将軍家治の田沼意次などは名高いが、本書で取り上げた6代将軍家宣や7代将軍家継に仕えた間部詮房、ブレーンの新井白石。そして第8代将軍吉の時代まで活躍した儒学者・室鳩巣の側近ぶりと活躍、苦衷を描く。室鳩巣は正徳3年、新井白石の推挙で徳川幕府の儒学者となり、その門人で加賀藩に仕える青地兼山・ 麗澤兄弟に宛てた手紙を主とする書簡集「兼山秘策」を残している。

心が広く情深い賢明な将軍家宣、4歳で将軍となる幼少将軍家継、フットワークが軽く質実剛健、下の者にも細やかな配慮をする行動的な吉宗――全く違う3人の将軍だけに、側近や老中の役割・立場は大きく変化する。白石や鳩巣による幕閣の人物評も毒舌で、老中のバカさ加減に憤ったりもする。間部詮房・新井白石vs土屋政直・林信篤という幼少将軍就任を機に、政治の主導権を取り戻そうという画策。幼少将軍では間部・白石の政策上の権威付けには不十分であり余計に側近に対する風当たりが強くなっていく。

吉宗は、自らの側近はあくまで側衆の一部としての立場に置き、すべての幕臣から庶民に至るまでをブレーンとし、あくまでも手綱は吉宗が握った。吉宗は、名実ともに為政者であり、「吉宗政治」だったという。「上様の御為といっても老中や若年寄など、幕府の伝統的な官職と、新規に取り立てられる側近との間には超えてはならない役儀がある」と吉宗にも仕えた久世重之は言っている。

災害、火災、財政難、朝鮮通信使の扱い等、難題山積の江戸時代中期――その中での人間と政治を生々しくも泥臭く語る鳩巣を、描き出している。人間模様がくっきりと浮かぶ。


rangiku.jpg「介錯人別所龍玄始末」シリーズの最新作。無縁坂の若き侍・別所龍玄。小伝馬町の牢屋敷で不浄な首打役の手代わりを務め、やむを得ず屠腹する武家の介添え役をも請ける。母・静江と美しく賢い5歳上の妻・百合、幼子の娘・杏子と暮らす。若き凄腕介錯人が出会う宿業ともいうべき人間の総決算たる死。何を見、何を感じたか。天災、噴火、大飢饉ばかりの天明年間(17811789)から寛政の頃の話だが、静かに丁寧にこれほどまでと思うほどきめ細かく描写する。その捌きは驚異的。4話ある。

「両国大橋」――南部藩の武士で故あって今、湯島で手習師匠を生業としている深田匡が訪ねてくる。妻の紀代と中間の幸兵衛が駆け落ちをし、女敵討(めがたきうち)だという。捜しても見つからなかったが、ついに両国大橋で発見する。その後中間を討つ。匡は切腹の介錯を龍玄に頼むが、最後に託した言葉があった。権力的な階級社会であった時代、牢固たる封建的上下関係に押しつぶされる夫、忍従する妻、それが耐えられなかった時の亀裂は大きく深い。

「鉄火と傅もり役」――生野清順が長尾家の長男・京十郎の傅役となったのはもう22年も前。その役を退いて7年が経ち、京十郎は25歳になっていた。その京十郎の介錯使をすることになった龍玄。いったい長尾家に何があったかを調べる。そこには跡継ぎをめぐるお家騒動・・・・・・。今際の際になっても、京十郎は暴れる。逍遥として死に臨む者も、暴れる者もあり。それにしても清順の生き様は・・・・・・。

「弥右衛門」――湯島天神前の茶屋「藤平」抱えの陰間の弥右衛門には、真崎新之助という好いた男がいた。しかし新之助は、たまたま行き合った旗本の倅3人と口喧嘩になり斬られて死ぬ。その時の状況を調べあげた弥右衛門は3人を討ち果たし、もし武士らしく切腹が許されたなら、切腹場の介添役、すなわち介錯役を別所龍玄にお願いしたいと言う。2人には面識があったのだ。「そのとき、寸分のゆらぎも歪みもない龍玄の構えが、ふわりと沈んだ。それは日の名残りの明るみを跳ねかえして、きらめく銀色の刃が、凄惨な切腹場を果敢ない幻影に包みこみ、誰もが息を呑んで言葉を失くし、切腹場の一切の物音がかき消えた、厳かにすら感じられる一瞬だった」と描いている。こうした表現がずっと展開されている。

「発頭人狩」――天明の大飢饉の惨状は東北諸藩のみならず、全国に及んだ。あの福山藩の天明の大一揆――。尾道の医師・田鍋玄庵は領内に暮らす50名を超える侍衆とともに百姓の一揆に加わる。江戸に逃げ白井道安と名を変えていたが、福山藩阿部家からの追っ手が迫る。発頭人狩りだ。道安と関わりのあった龍玄は追っ手を討つことに加勢する。


nemurenai.jpg都会に住み働く男女の、愛すべき人間模様を描く5つの短編。ちょっとありえないほど強い人間関係が、テンポ良くユーモラスに語られ心地よい。

「なにも傷つけないように、おやすみ」――深夜にチャイムが鳴り、「あの家にいたくないの。今夜だけ泊まってもいい?」。赤ん坊を連れてナミちゃんが駆け込んできた。「俺」は同じ施設で育って以来、一心同体であったマミちゃんの夫・智己とすぐ連絡を取る。「俺」の方は一緒にいたチカコと別れていた。

「明日世界は終わらない」――俺(竜朗)はキャバ嬢(綺子)が好き、そのキャバ嬢はゲイバーの男性バーテンダー()が好き、そして周は俺が好き3人は思いを果たせないが、いつも一緒に行動し、居心地の良さを失いたくないと思っている。「うちらって、ほんとはすごくかなしいんじゃない?でも失いたくなかった。あの居心地の良さを」「俺たちは、ほんとはすごく幸せだったのだ」。奇妙だが今の時代を捉えた絶妙な短編。

「不自然な大人たち」――志津と櫻子は中学生の時からの親友で、何から何まで全て真っ先に連絡し合う仲。見るからに憔悴しきっていた櫻子が「陽太が浮気したの。責めたら帰ってこなくなった。だからもう志津にも会えない」と言う。志津はは大学生の頃から、何人もの男と不倫を繰り返してきた。今も定期的に会っているのが3人も。「わかった。じゃあ、別れてくる」と志津は直ちに動く。こんな凄まじい絆があるとは

「家族の事情」――姉・杏子と弟・亜門は二卵性双生児。似てもいないし性格も違うが、心から補いあい助け合う。「自分には男を見る目がない」と姉が言うように、ほんとにダメ男ばっかりに付き合い、突き落とされ、疲れ果てる。とうとう「私の結婚する相手。亜門が選んで」と言われ、動き始めるが

「砂が落ちきる」――34歳の独身女・真野さん。「一晩あなたを買いたいんです」と男に突拍子もないお願いをする。5年ごとに目標を立てていて、「35歳までに処女を捨てる」がTo Do リストにあると言うのだ。2人の間に化学反応が起きて。この物語だけは他とは違って強い人間関係があるわけではない。だからこその話だが。

夜と男女に絡む短編集だが、その絆の強さは尋常ではなく、ありふれた話ではない。しかし、奇妙にハラハラさせ、心が通じ合い、感動的でさえある。新感覚の魅力ある作品。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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