「新自由主義からのゲームチェンジ」が副題。齋藤さんは1993年に単身で渡米。ヘッジファンドを始めとするプロの資産運用者に各国政府の経済政策分析等の助言をするコンサルタント。仕事柄、外に情報は出さないが、本書は初の著書。「世界はアメリカを地殻変動の震源地とする『大転換』のただ中にあり、これから起きる変化は、日本にとって有利なものになる」「日本は今、数十年に1度の千載一遇のチャンスを迎えている。東西冷戦後の『新自由主義』が崩壊し、勝者と敗者がひっくり返る"ゲームチェンジ"が来ているのだ」と言う。大変刺激的で、激しく微妙なマネーの世界に長くいるだけに、クリアで明快。特に「カジノのオーナーはアメリカ」――そのアメリカはどう考えているかを見ている点、世界秩序が変わる、世界観が変わることを実感している点、日本の「失われた30年」を見ているが故に、説得力がある。帯に、「ソロスを大儲けさせた"伝説のコンサル"初の著書。ヘッジファンドが見すえる中国の衰退、そして日本の復活」とある。
トランプ現象も、欧州における極右や自国中心主義の台頭も、新自由主義的価値観の崩落、新自由主義への反乱が背景にある。「小さな政府」の価値観の崩落だ。それが詳しく述べられる。
冷戦下は米ソ対立のなか、「カジノのオーナー」のアメリカは日本を支援、日本は繁栄を謳歌した。しかし、新自由主義へのパラダイムシフトが起きた時、アメリカはその変化をうまく乗り切ると同時に、冷戦下で「(大きな政府時代)勝ちすぎた日本を、勝てないテーブルに座らせた」と言う。この「大きな政府、新自由主義」の恩恵を最も受けたのが中国。日本はデフレのノルムに沈んだ。それが今、「新自由主義という様々な行動の根底にあった世界観が瓦解し、勝者と敗者が入れ替わると確信している」と言うのだ。分析は詳細だ。
日本は、世界が構造改革をするなか、「雇用を守ろうとした」。損切りすべきところ、「雇用」を守り、人件費も物価も下がったままだった。賃金カットを受け入れる代わりにクビを切らない。失業率を上げない。新しい成長局面に入ることができない。それが30年デフレだ。
しかし30年経ち、新自由主義を潰そうとするトランプ現象。米中対立から経済的にも中国を嫌悪し抑え、一方でパートナーとして日本を重視するアメリカ。さらに日本国内では、人手不足時代になり、賃金を上げなければ人が来ない。賃金を上げ、インフレ基調になる新しい風が吹いてきたのだ。物価を上回る賃金上昇が現実になってきている。それはまた高付加価値化を迫られることでもあり、最も生産性が低いサービス業も、AI、デジタル化をしなければ、生きていけない時代となったのだ。「日本復活の大チャンスが到来した」と言う。
これらが実に丁寧に鋭く説明される。語ってると言ってもいい。「失われた30年の本質」「中国は投資対象ではなくなった」「強い日本の復活」「新しい世界にどう備えるか」を詳述する。「小泉・竹中が新自由主義を進めた」などは、アメリカから見ると誤解、「雇用を守る」だったのではないかとも言っている。
「認知症になったら理性や人格が壊れ、何もわからなくなってしまう」というのは誤り。「認知症になったらおしまいではない。自分でできることと、できないことがある。できないことがあるのは不安だが、できないことの中にも少しはできるものがある」「認知症は何もわからなくなった人ではない」――。「長生きすれば認知症になるのは自然なこと。あなたの人格も心も失われることはないのです」「高齢者のアルツハイマー型認知症は病気ではない」(松下正明東京大学名誉教授)。長い間に刷り込まれてしまった歪んだ認知症観を変え、認知症の人の本質を見なくてはいけない。そして認知症になっても、幸せに生きる社会を目指そうと訴える。
認知症とは、認知機能が障害を受け、脳の神経細胞が壊れて記憶などの認知機能が低下し、日常の生活に支障をきたすようになった状態。アルツハイマー型認知症、血管性認知症、これにレビー小体型認知症、前頭側頭型認知症を加えると、92.4%になる。この中で圧倒的多数を占めるのがアルツハイマー型認知症で67.6%に及ぶ。しかもアルツハイマー病の1番のリスク・ファクターは年齢であるゆえに、老年期のアルツハイマー型認知症だけが増えているわけだ。神経細胞の周りに、アミロイドβたんぱくという物質が蓄積して、神経細胞に障害をきたす。この変化は、脳の老化現象の現れであると理解すると、アルツハイマー型認知症は病気ではなく、脳が年をとってきた証に過ぎない。まさに「認知症は病気ではない」と言う。
2025年、認知症高齢者数は471.6万人、MCI高齢者数は564.3万人と推計されている。合わせれば1000万人を超える。70歳代後半では10人に1人だが、80歳代前半になると10人に2人に増え、85歳からは実に10人に4人と急増する。90歳代前半になると10人に6人という。アルツハイマー型認知症が、脳の老化現象の表れと理解すれば、「95歳以上になると10人に8人が認知症」というのもよくわかる。そして著者は「認知症は病気ではなく老化。心の中は私たちと同じだ」と指摘する。
認知機能の低下で日常生活に支障が出てくるのが中核症状で生活障害を招くことになる。しかし、二次的に引き起こされる周辺症状がある。
「周辺症状」と「BPS D」――徘徊や暴言・暴行、物盗られ妄想など深刻な問題だ。国際的には周辺症状が「BPSD(認知症の行動・心理症状)」と言われる。本書はこの家族を悩ませている「徘徊」「物盗られ妄想」「暴言・暴行」について、認知症の人が綴った「手記」を手がかりに、それらが引き起こされる背景について徹底的に検証している。納得する。これらは、人間関係のズレなどから生まれたものがほとんどであることを示す。どうやって改善もしくは軽減させたか。この周辺症状が「病気」の症状では無いこと。家族に何ができるか。「とにかく笑うこと」「生きがいが暴言を抑えた」「居場所が不安を和らげる」などの実例が紹介される。認知症の人の心の声を徹底して聞く。そして支える。すごい努力が身に迫ってくる。辛くて暗い闇が晴れてくる。
「共生」と言うが、「認知症とともに生きる」とは、「自分が認知症になっても、認知症の症状を抱えながら幸せに生きる」ことであることがよくわかる。すべての人に読んでもらいたい本だ。
「共益、公共善、良識」「暴走する資本主義社会で倫理を語る」が副題。「暴走する資本主義」(2008年)、「余震(アフターショック)――そして中間層がいなくなる」(2011年)のロバート・ライシュの新作。ハーバード大教授やクリントン政権の労働長官をはじめ3つの政権に仕えたほか、オバマ大統領のアドバイザーも務めたロバート・ライシュ。
資本主義は富が集中する仕組まれたゲームであり、その暴走を止めなければならない。「富めるものをますます富ませる」ルールの下で格差は拡大し、恐ろしいほど社会を分断させている。それが「勝つためなら何でもあり」「大儲けするためなら何でもあり」の風潮がはびこり、強欲な人々のタガを外してしまった。「トランプが『原因』なのではない。彼は『結果』である。この国で何年もかけて進行してきたことの論理的帰結なのだ。彼が大統領選に出馬できたのも、社会に不安が蔓延し、政治経済への不信が高まったからだ」と言う。「1970年代以降、アメリカ人はコモングッドについてあまり語らなくなり、自分の権利を拡大することにこだわるようになった」。そして「資本主義の暴走を止め、より平等で公平な資本主義のルールを取り戻す。真実を尊重し、相違を認め、等しい権利と機会が保障される民主主義の仕組みを守り抜こう」「そのためには、あらゆる手段を使って『コモングッド』を取り戻さなければならない」と言う。
コモングッドとは「共益、公共善、良識」だ。本書は「コモングッドとは何か」「コモングッドに何が起こったか」「コモングッドは取り戻せるか」の3部からなる。内容は極めて具体的、現実の事例を一つ一つ示す。
「コモングッドとは何か」――。アメリカの建国以来、アメリカには、ジェファーソンもトクヴィルもバークもマーティン・ルーサー・ キングもコモングッドが息づいていた。恵まれない人々が最大限に自らの人生を謳歌できるよう手助けしようとする社会を形成した。「コモングッドはアメリカ人が懸命に実現を目指し続けている理想である。人々に善悪の判断を示し、他者に影響を及ぼすような決断を導き、市民的義務に対する理解を高める。広範で高貴な義務なのである」と言う。
「コモングッドに何が起こったか」――。1960年代以降に見られる暗黙のルールの崩壊。トンキン湾事件、ウォーターゲート事件、S&L危機、イラン・コントラ事件、クリントン大統領の弾劾、グラススティーガル法の廃止、大量破壊兵器というイラク侵攻、マーティン・シュクレリ・・・・・・。「手段を選ばず勝つ政治」「ステークホルダー資本主義より株主資本主義へ」「大儲けするためなら何でもあり」――コモングッドの崩壊だ。
「コモングッドは取り戻せるか」――。そのなかで真のリーダーとしてジョン・マケイン上院議員が紹介される。良識に目覚めよというわけだ。「アメリカの大統領になるということは、その人の見識に国民が正当性を与えることに他ならない」「リーダーシップの目的は、単に勝つことだけではない。奉仕することなのだ」。そして「報道機関の劣化は、ときに暴力を導く」「個人情報を集約しうる組織が、そうした情報を活用することを禁ずる法律が必要だ」と言う。教育は重要で、「公的な倫理に目指すものにしなくてはいけない。単に実入りのよい仕事に就くための『私的な投資』とみなすのをやめ、教育とは若者を『責任ある市民』となるよう促す『公益』なのだ」と指摘する。そして、「利己的な名声や富や権力を求める姿勢」から「みなでより良い社会を創ろうとする姿勢」を訴えている。
本書は、結果として、トランプ的なものを生み出した社会をどう変えるか。問題はコモングッドの崩落にある。前著で言う「炭素税」「富裕層の最高税率の引き上げ」などの政策ではなく、本書では、その制度自体をつくる根源に、共益、公共善、良識のコモングッドを再生しなければならないと強く迫っている。凛とした主張は、ポピュリズムに流れる日本の今に、160キロの直球を投げ込んでいる。
話題を呼んだ間取りミステリー「変な家」の第二弾。フリーライターの「筆者」と、その知人である設計士の栗原のコンビが謎に挑む。
間取りが変な家の話が11続く。「行先のない廊下(事故があって玄関を変えた)」「闇をはぐくむ家(津原少年と母親、祖母、弟の刺殺)」「林の中の水車小屋(古い書物からの抜粋)」「ネズミ捕りの家(お祖母さんを事故に遭わせるために造られた家なのか)」「そこにあった事故物件(長野県下條村)」「再生の館(長野県西部に施設を所有しているカルト教団、聖母は片腕片脚)」「おじさんの家(愛知県一宮市のアパートで、虐待を受け栄養失調などで死んだ少年の日記)」「部屋をつなぐ糸電話(父娘の糸電話、直後に隣の家で火災が起き両親死亡)」「殺人現場へ向かう足音(火災で両親をなくした松江弘樹さんの話)」「逃げられないアパート(山梨県の山間部に建つ『置棟』という売春施設)」「一度だけ現れた部屋(扉を引っ張ると小さな部屋があったのだが・・・・・・)」・・・・・・。
筆者と栗原は、11の話に奇妙な「つながり」のあることに気づいていく。「これらの出来事は、かつて長野県西部に存在した宗教施設「再生の館」を中心として起きている。この施設が、すべての根源・・・・・・『核』と考えるべきでしょう」と栗原は言う。片腕片脚の聖母、それを形取った建物を造る建築会社「ヒクラハウス」の社長(会長)・・・・・・。ドロドロした愛憎、不倫、憎しみ、復讐など、業火に焼かれる人間の行き着く先に「変な家」がある。謎の解明に引き込まれる。
「認知科学で読み解く『こころ』の闇」が副題。認知科学の「プロジェクション」の概念。「いま、そこにない」ことを想像して、「いま、ここにある」現実へ投射する。自分の内的世界を外部の事物に重ね合わせるこころの働きである。著者の前著「『推し』の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か」では、ファン活動、科学研究、宗教、芸術、文化など、モノを介して私たちの人生や生活をより豊かに潤し、生きる意味を見出すような、ポジティブな面を示したが、本書はネガティブな問題を生じさせる面を解析する。霊感商法、オレオレ詐欺、陰謀論、事故物件、風評被害、ジェンダー規範など、他者によってこころを操られたり、また「女性とは、こうあるべき」など、自分自身を無意識のうちに縛ったりするネガティブな問題を生じさせる「闇」を示している。実際には起きていないことや、存在しないものを想像して、現実に投射できるが故に生まれる「イマジナリー・ネガティブ」を認知科学の視点で考察する。
「プロジェクションとは、作り出した意味、表象を世界に投射し、物理世界と心理世界を重ね合わせる心の働きを指している」(2015年、認知科学の鈴木宏昭教授によって提唱された概念)だが、プロジェクションのタイプは、①通常の投射(世界を見たままに捉える) ②異投射(「いま、そこにない」ことを「いま、ここにある」ものに映し出す) ③虚投射(見えないけれど、確かにそこにある)――の3つある。現実生活と非日常を自分なりの良いバランスで楽しんでいるか。「推し疲れ」や「ギャンブル依存症」などバランスが取れなくなったプロジェクションで、主体のコントロール不能で暴走するプロジェクションとなるか。炎上商法でも成功と失敗がある(失敗が多いが)。面白いのは「好きになることの逆は、嫌いになることではなく、無関心である」で、炎上商法は最近だが、政治の世界では昔から「悪名は無名に勝る」と言われている。
本書は、プロジェクションが、「他者から操作されている」ことと、自分自身を無意識のうちに縛っている「無意識のプロジェクションがあなたを悩ませる」の2つの面から詳述する。霊感商法でも、「宗教のような装い」であることを示し、「健全な宗教は安心感を提供するのに対し、破壊的カルトは、個人の自由を奪い、個人を縛る」(マインド・コントロール研究の社会心理学者・西田公昭)を紹介している。宗教は、「信」の強弱の世界であり、プロジェクションの異投射や虚投射と深く関わる。
また、「1969年のアポロ月面着陸は捏造である。真空の宇宙空間では、風は吹かないはずなのに、月面上でアメリカ国旗が揺れているのはおかしい」についても、「旗は風で揺れる」と思い込み、「手で揺れる、ものが当たって揺れる」ことを見ない。人間の対称性推論による因果の誤りから陰謀論にはまることを指摘する。大事なことは「熟慮性を高める」ことだと言う。SNS時代では特に大事なことだろう。他者にプロジェクションを操作されることで奪われてしまった本来の個人の世界、その「世界を取り戻すための『デ・プロジェクション」が大事で、当事者自身では無理としたら、周囲の人や家族の支援はとても重要だと言う。
「自分自身を縛る無意識のプロジェクション」は、「ジェンダーにまつわる『思いこみ』」「事故物件への忌避感」「風評被害と『思いこみ』」「気にしすぎ人見知り」など身近に多い。多いところか、これが日常で、幸不幸のかなり部分を占める。これを脱するには「思いこみ」を脱し自分を解放する「メタ・プロジェクション」、自分がしているプロジェクションを俯瞰して、どのような表象が何に投射されているかを知る。「着ぐるみの自分を鏡に映してみること」と言う。
私たちの悩み――「いま、そこにない」ことを想像できるがゆえ生み出されるプロジェクションというこころの働きが、人間を深く悩ませている。だから「プロジェクションに取り込まれない」が重要となる。箒木蓬生の「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」、居心地が悪くても解決できない宙ぶらりんの状態に耐え、現実について考える苦しさを回避しないことが大切になる。世界に意味を与えるプロジェクションというこころの働きを、価値創造に向け得るかどうか。重要な分析が提起されている。