「変わる家族 崩れる和食」が副題。「令和の米騒動」が騒がれ、備蓄米が焦点となっているが、大事な事は背後にある社会自体の構造変化を見ることだ。農業生産自体が高齢化等の構造変化にさらされ、一方で消費の現場では・・・・・・。岩村暢子さんは、「普通の家庭の『和食』は崩れ」「白いご飯は味がないので苦手」「食べ物をあまり噛まないで食べる、『柔らかなもの』を嗜好する人々が増加」「米の朝食は4人に1人。白いご飯を出すと面倒。味噌汁はあってもなくてもいい」「『一汁三菜』って知らない」となっていると本書での徹底調査によって指摘する。確かにその通り。前著の「ぼっちな食卓」で剔抉しているように、「家族バラバラで食事」「朝昼晩3食のリズムのない家族」「親自身に自由とお金と無干渉の考え方」に変わり、家族が崩れ、その食卓も和食が崩れている。
その調査は凄まじいものだ。「食卓」を定点観測。1998年より原則年1回で現在も継続中。総計413人の主婦へのアンケート、8,673食の食卓日記、15,611枚の食卓写真の収集、主婦への詳細面接データはのべ700時間を超える。現代の「食の乱れ批判」というアプリオリな批判目的ではなく、あくまで今日までの社会の変化、人間の変化を時間軸を持って恣意を排して見る。家族、食卓の変化を時系列を正確に測ってみるという全く類例のない調査、そして分析だ。
「一汁三菜」型食事の減少、しかも「焼きそばとおにぎり」「スパゲティーとサンドイッチと肉まん」のように「主食重ね」が増えている。「消える『さしすせそ』と和風調味料」「給食で初めて煮物を食べる子どもたち(家庭で煮物は減っている)」「魚料理も週一回」・・・・・・。さらに、「箸が消えていく(フォークで刺したりスプーンで口に入れたり)」「マグカップの味噌汁・洋皿のご飯」「食器が売れなくなり、お子様ランチに使うような仕切り皿を大人も」「食卓はフリーデスク」「家庭の鍋料理は減った。家族が揃って食卓につき、みんなで同じ料理を食べる機会は減った」・・・・・・。
そして「『好き』を立てれば『和食』は立たず。家族の好物に和食なし」「噛まない。流し込み食べが増え、和食が衰退」「子供にラーメンやパスタ、パンなど、ご飯や味噌汁ではない簡単な食事を与えることが多くなっている」・・・・・・。
「和食遺産は相続放棄?」――。「母親からの伝承料理は大変そうで、私は無理」「結婚前、お米を研いだこともなかった」「ニ世帯同居の交わらない台所と食卓」・・・・・・。
本書に載せられた膨大な写真の生々しさ。日本社会の変化、日本人の変化は著しく、まさに「残念な食卓」「変わる家族、崩れる和食」そのもの。土砂ではないが、深層崩壊の危機にある。食卓が、家族が、人間が、日本社会が・・・・・・。
「日本経済を蝕む『デフレ後遺症』」が副題。「物価も賃金も金利も上がらないものだ」という3つのノルムに喘いできた日本。やっと物価が上がり、賃金も上がる日本になり、デフレから脱却したが、物価を上回る賃金とならず、実質賃金が低下している。「指数上でデフレは脱却できていても、人々のデフレマインドは根付いたままであり、個人消費は非常に弱いままだ」「ウクライナ戦争をきっかけとした世界的なインフレや円安が原因となる輸入品の上昇というコストプッシュ型のインフレが起きている」――この「新型インフレ」をどうするか。「新型インフレ」を需要サイドに起因するディマンドプルに転換するには、「実質可処分所得を持続的に増加させる一方で、国内の供給力を高めることが必要だろう」と分析・提言をする。
「経済のエンジン・個人消費が停滞中」「企業業績は絶好調のカラクリ」「大企業の労働分配率は、過去最低に(多くの企業は、存続と成長のために投資を優先している)」「賃上げの恩恵が乏しい就職氷河期世代は苦しい」「原材料費やエネルギー価格など、供給コストの上昇が原因で起こるコストプッシュ型のインフレとなっている」・・・・・・。
「デフレのトラウマーー日本を蝕む『不況体験』」――。デフレマインドで「貯蓄志向の強化」「安定志向」。氷河期世代の救済策は極めて重要。
「新型インフレの正体」――。物価も上がる。株価も上がる。名目賃金も上がる。しかし、「実質賃金が上がらない。したがって消費は増えず、人々はお金を貯め込み、日本経済全体の停滞が続く」と言う。新型インフレの今、大事なことは「積極財政(世界的には積極財政の潮流)」であり、「日銀の金利引き上げは拙速」と指摘する。リーマン・ショックをアメリカが乗り越えたのは「金融システムの安定性確保」と「政府の役割遂行(積極財政)」と言い、「デフレ脱却にアベノミクスは貢献した」と評価しつつも、ニ度の消費税引き上げを悔やむ。実は安倍総理自身がそうだった。「アベノミクス後――日銀動向、金利政策、家計資産の実態」で分析している。
「経済政策は『健全な経済成長』を目的として行われるが、日本は需要が拡大しにくい。日本のお金は家計や企業の蓄えとなってストップしてしまうのだ」と、デフレマインドのままで、経済が止まっていることの打開策を示す。金融政策や財政政策を積極的に活用する「高圧経済」。インフラ投資や人材投資などの財政政策、エネルギー対策も重要だ。過重労働を抑える「働き方改革」は必要であっただろうが、今再び「労働時間に流動性を」との改革を起動させなければならないと言う。そして「処方箋は『支出支援』『消費支援』」と具体的に示し、「効果的な経済対策としての補助金制度」「持続可能な社会のための『格差是正』」など広範囲に示す。
物価も賃金も動き出したが、デフレの後遺症は深く執拗に張り付いている。それを剥がす熱と力が大切だ。
「よく聞け、匿名性で武装した卑怯者ども」――。現代のテロ――「枯葉」なる人物が、ネットによる誹謗中傷、週刊誌の虚偽報道によって「大好きだった」ニ人の芸能人の人生が狂わされたとして、仮面の加害者たちを断罪。83人の個人情報を一斉にバラまくという前代未聞の事件が起きる。言葉が異次元の暴力になるネット社会。時事ネタの漫談で笑いの渦に引き込んだ人気のピン芸人・天童ジョージは不倫を拡散され絶望の果て自殺。30年以上前、一世を風靡した歌手・奥田美月は、妻子ある俳優との"密会"をでっち上げられ追い込まれた果てに、仕組まれた「暴言テープ」を流出され、もう20数年姿を消していた。
「俺が心の底から愛した芸能人は、奥田美月と天道ショージだけ。ニ人とも週刊誌とおまえらに抹殺されてしまった」「自由には必ず責任が伴うんだよ。無関係なところに首を突っ込んで、さんざん楽しんだお前たちのことだ。だから、悔いなんてないはずだ」「これから重罪認定した83人の氏名、年齢、住所、会社、学校、判明した個人情報の全てを公開していく」・・・・・・。この激しい報復にさらされた者は、同じネットで反撃され炎上。一気に奈落に突き落とされる。
この「枯葉」なる人物は、音楽プロデューサーとして周りから信頼されていた瀬尾政夫。かつては奥田美月を、このところは天童ショージを支えていた人物。なんと瀬尾は、今回暴露された83人の中の一人で、ひときわ叩かれ職場にもいられなくなった藤島一幸に訴えられ逮捕されていた。藤島は天童の中学時代の同級生だった。
判例の少ない刑事の「名誉毀損罪」――瀬尾が弁護を依頼したのは山城法律事務所の久代奏。彼女は、天童の中学からの同級生だった。「名もなき人々の個人情報を一斉にバラまいたとき、この人の中では一体、何が起こっていたのだろうか」「どうやって83人の個人情報を調べあげたのか」「その執念はどこから来るのか」・・・・・・。久代奏は、瀬尾と奥田美月、瀬尾と天童ショージの関係を徹底的に調べていく。そこには壮絶な美月の生い立ち、1980年代の音楽業界とテレビ番組制作、SNS時代の笑いや負のエネルギー、安全圏のスナイパー・・・・・・。まさに社会の闇に絡みとられる人間、重層的な人間関係とその中で変わらず注がれる愛の持続性が緊迫感のなかで描かれていく。加害者が被害者に、被害者が加害者に転ずる、現代社会の恐ろしさも見事に剔抉される。
「不名誉な情報をばらまいた男は、『匿名の壁の崩壊』で、ネット私刑の刑場へ引きずり出された」「情報社会の人間の思考は、『確証バイアス』『アルゴリズム』『フィルターバブル』『エコーチェンバー』『集団極性化』に偏っていく」「コスパやタイパ、アシスト機能の重視が、人々から思考時間を奪い、見栄えや承認欲求という浅瀬を延々移動し続ける漂流状態、短小文化をもたらす」「後ろめたさを知らない人間は、その無邪気さが刃になることを知らない。後ろめたさから逃れられない人間は、自らを正当化する過程で、正義を失うことに気づかない」「現代社会が息苦しいのは、社会的な"正しさ"と個人的な"邪悪さ"という両極端な振り子がネットによって可視化され、それぞれが発する負のエネルギーに翻弄されているからではないか」「承認欲求が抑えられずに倫理観のタガが外れていき、いつしか『何を言っても構わない』と勘違いする『安全圏のスナイパー』が生まれる」「義憤には、必ず己満足がふくまれていて、ユーモアのセンスがある人間なら誰でもきまり悪さを感じるものだ(サマセット・モーム「月と六ペンス」)」「現状は『個人で発信できるようになった』だけ。それが『醜い言葉の刃で誰かを追い詰めること』『感情に任せて私刑を誘発すること』『嘘の情報をタレ流すこと』『正確さよりも面白さを優先すること』が、いつ認められるようになったのか」・・・・・・。
危うい社会が進行中だが、末尾の「生きてこそ――」の言葉が残る。現代社会を抉るとてつもない傑作。「存在のすべてを」も素晴らしかったが、それ以上。
「超少子高齢化、移民、一極集中」が副題。「自分の子どもを幸せにする自信がない。結婚しない。子供を持たない」――そんな諦めが、韓国の若者には広がっていると言う。日本と共通の課題に直面している韓国の現在を徹底取材する。
まず、「出生率0.72」の世界でも異例の速さで進む少子化。「ノーキッズゾーン」と「塾ぐるぐる」――子供を持つことは「負担」で、激しい入試や就職(良い大学、良い就職先)に「勝ち抜ける」子供を育てるのは大変。非婚主義の女性が急増。「子どもを持つことで、自分の人生を犠牲にしたくない」「大家族でみんなで一緒にという文化が1人ポッサム、個人化が進んでいる」と言う。「子育て女性は職場に迷惑。韓国の少子化は女性差別が根本的原因」「良い教育、良い就職の競争圧力が、若い人たちを追い詰め、自分一人でやっていくのが精一杯(特に女性への圧)」となっているようだ。
超高齢社会にもなっている。儒教の「敬老精神」も変化、日本より社会保障が遅れた(日本の国民年金は1961年、韓国の国民皆年金は1999年)。長年の「65歳から地下鉄無料」が論争になっていると言う。
「進む移民政策」――外国人労働者の賃金は日本より良い。熟練度が低い外国人労働者の月給は28.5万円(日本の技能実習生21、7万円、特定技能23.5万円)。日韓の争奪戦だ。地方で5年働けば永住に道、特別ビザが集める移民。たし不法滞在者は日本の5倍にも。
「インソウル」――とにかくソウル首都圏に人口の5割。第二の都市釜山はこの30年で50万人減の330万人に。皆が、「ソウルの大学に行って、良い就職を」となって、地方に残ることは「失敗」。
「『プライド』と『世間体』――就職難の若者を縛るスペック至上」「『ブラックホール』のソウル、吸い寄せる人材」――。少子化、高齢化、移民、一極集中など、いずれも時系列はちょっと違っても日韓共通。連携が大事となっている。
「絵師の一念、憂き世を晴らす 仏画、絵巻、浮世絵、美に魅了された人々の営みを描いた歴史小説集」と帯にある。5つの小編は確かに絵師が物語の中心となっているが、逃れられない困難と宿命の中で、凛とし生き抜くしっかり者で賢い女性の勁さに圧倒される。
「さくり姫」――。頼朝が、屋敷に仕える女房を寵愛し、子まで孕ませたこと(亀鶴丸)に北条政子は激怒する。頼朝の妹・有子(藤原能保の妻)は難しいことを迫られると、しゃっくりが出て「さくり姫」と言われるが、出家させられ上洛する亀鶴丸を守ろうとするのだが・・・・・・。実は政子は、殺すどころか、道中の警護も命じ守ろうとしていた。「政子さまはお子の無事を強く願っておられた。亀鶴丸の上洛・出家が決まると、これで少年の身は安泰だと喜び、道中の警護を命じた。嫉妬ではない。弱き者が憂き目を見る、この世の辛さを知っていればこそなのだ」「女子とは、どんな宿命に襲われたとて、逃げることも戦うことも許されず、ただ迫りくる困難に向かい合うことしかできぬものじゃ」「政子の激しい気性の底に潜む悲しさを知っていたであろうか」「あのさくりの姫君と政子さまは、ある意味では、似たもの同士でおられたのよ」・・・・・・。「政子さまは、せめてそんな辛い目に遭う女子が減るようにと思うておられるのに、頼朝さまは知らぬ顔。挙句、様々な女子と通じ、亀鶴さまというお子まで産ませてしまわれた」・・・・・・。北条政子の凄さが伝わってくる。
「紅牡丹」――。古くからの大和国国人・ 十市氏の娘・苗はわずか9歳で、松永弾正久秀の多聞山城に人質として入る。母お駒が是非にと持たせた庭にあった緋牡丹の株。しかし何年たっても葉は繁っても花が咲かない。「なぜ母は牡丹だけ持たせたのか」「なぜ花が咲かないのか」――そこには、母の深い思い、深謀遠慮があったことを知る。苗は東大寺大仏殿焼失のその日、城を脱出する。歴史の中にある人の思いと真実。子を思う母の心は深い。
「輝ける絵巻」――。徳川秀忠の娘・和子は、今は後水尾上皇の女御。豪商と思われた宗連が四辻季賢に持ち込んだ「源氏物語」の新絵巻制作。「まだ気づかぬのですか。新絵巻の願主は、このわたくし。諸芸の中枢たるこの禁裏にふさわしい新たな絵巻を作らんがため、出雲守に委細を任せたのですよ・・・・・・」「(白河院さまの絵巻)あれはわたくしが京に嫁ぐに際し、父上さまからいただいた絵巻です。父上さまによれば、大坂落城の折、蜂須賀家の者が火中より救い出した品とか」・・・・・・。「女房が、亭主の文句を言うんも、夫の身を案じればこそ」「女院は禁裏そのものの権威を高めると共に、夫が目指す学問による公儀の復権を新たな絵巻で助けんとしたのではないか」・・・・・・。包むように、因習に囚われた禁裏で夫を助けようとする和子。大きく広い女性の海のような心に包まれる。
「しらゆきの果て」――老境に入った浮世絵師・宮川長春は、師匠の菱川師宣の息子が落ちぶれたのを知って助けようと動く。弟子の喜平治は長春を助けようと刃傷沙汰に及ぶ。「おめいは立派に仇を取ったんだな」「(遠島になるが)澄んだ陽差しは二人の影をにじませ、それが不思議にあの雪の夜、春賀の屋敷へと向かう道中に、吹き荒れていた雪を思い出させた」・・・・・・。「しらゆきの果て」だ。
「烏羽玉の眸」――。興福寺の末寺の内山永久寺。廃仏毀釈で、住職がお坊さんを辞めて神職になると言う。院主の独断専行。その日、肉食飲酒の禁をあえて破ろうと鹿を採って食べる。「きらりと闇に光るその双眸が、朽ちた寺を小さく照らす様が見えた気がした」・・・・・・。
5つの小編、いずれも中身が濃く、読み応えがある。
