「帝国日本最後の戦い」が副題。玉音放送後も続けられた帝国日本の最後の全面戦争。日本とソ連との間で1945年8月8日から9月上旬まで満洲・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第二次世界大戦最後の全面戦争。玉音放送後に戦闘が始まる地域もあり、「ロシアはこの戦争で領土を得たが、対して日本では、ロシアは条約を平然と破って領土を奪取したという不信感が根強く残る。日ソ戦争は、このような不信感を基調とする現代の日露関係の起点である」「スターリンが奪取させた南樺太と千島列島の帰属と北方領土問題は、日露関係の最大の懸案のままだ。いまだに日露両国は『スターリンの呪縛』に苦しんでいるともいえる」「日ソ戦争の敗因は軍事と政治を束ねる政戦略家や組織が不在だったとはかねてから指摘されているが、最大の敗因は、政戦略家の不在ではない。既に対米戦で、日本の軍事力と経済は破綻しており、加えて、対ソ戦では勝機はなかった。国家戦略の失敗を作戦や戦闘のレベルで逆転するのは、いかなる軍隊であれ困難である」・・・・・・。
これまで、ソ連の中立条約破棄、非人道的な戦闘の実態、さらにシベリア抑留や南樺太・千島列島の玉音放送後の真相を描く小説などをずいぶん見てきたが、本書は新資料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から、各地での戦闘の実態、終戦までの全貌を描いている。読売・吉野作造賞、司馬遼太郎賞受賞など、評価の高さは納得するものがある。
「米国は対日戦で『原爆』とともに、ソ連の参戦を必要とした。1945年2月4日からの米英ソ首脳によるヤルタ秘密協定でドイツ降伏後2、3ヶ月以内の参戦を求めた(ドイツの降伏は5月9日)」「ソ連は対独戦でニ正面作戦を避ける戦略」「7月26日のポツダム宣言はソ連抜きの『米・ 英・中・三国宣言』」「日本は最後まで戦争終結の仲介をソ連に頼んでいた」「スターリンは、核攻撃で日本の内閣が交代し、降伏が早まると予想、開戦を早めた」「日本は『一撃講和論』戦略に立ち、『国体』の変更を恐れ無条件降伏を拒絶した」・・・・・・。そして8月8日、ソ連の宣戦布告。2度の「聖断」、そして8月15日。米英との戦闘は終わった。しかし、「なぜ日ソ戦争は8月15日に終結しなかったのか」・・・・・・。
「満洲の蹂躙、関東軍の壊滅(開戦までの道程、ソ連軍の侵攻、在満日本人の苦難、北緯38度線までの占領へ)」「南樺太と千島列島への侵攻(国内最後の地上戦・南樺太、日本の最北端での激戦・占守島、岐路にあった北海道と北方領土、日ソ戦争の犠牲者たち)」「日本の復讐を恐れたスターリン(対日包囲網の形成、シベリア抑留と物資搬出)」・・・・・・。掘り出した新たな史料も含めて精緻に分析する。
トルーマン、スターリンを始めとする各国の思惑、「『日本軍の本質』を描く決定版(加藤陽子)」――大変よくわかる。「沖縄・広島・長崎と違って、日ソ戦争には公的な個別の慰霊行事もない。今は夢物語だが、すべての参戦国が参加して、犠牲者を追悼する場が設けられ、古戦場で日本政府や天皇・皇族による慰霊が実現する日が来ることを願いたい」と結んでいる。
「『沖縄問題』の原点」が副題。沖縄と言えば、昭和の戦争と沖縄返還、米軍基地等がすぐ浮かぶが、「琉球処分は『沖縄問題』の原点なのである」と、「尚家文書」など、新たな貴重な琉球資料を駆使して、琉球処分の歴史的位置づけを精緻に示す。今日まで続く沖縄の苦悩が胸に迫ってくる。
琉球はもともと琉球王国として日中の両属国家であった。明治政府は1872年、琉球藩を設置、「処分官」を派遣、1879年には、警察・軍隊を動員して沖縄県として強制的に併合、1880年の強く抗議する清国との八重山分島交渉までを「琉球処分」とする。
なぜ、日本は琉球の抵抗や清の抗議を押し切って琉球を併合しようとしたのか。①日本政府は西洋近代の主権国家原則に基づき廃藩置県を断行、琉球の両属を否定して「琉球藩処分」とした②大久保利通らは、西洋の主権国家原則を受け入れることを文明への道とし、台湾出兵と北京での日清談判を経て、逆らう琉球は守旧として処分した③日本政府には、琉球を自国の領土として確保するという確固たる意志があった――などを指摘する。琉球王府は激しく抵抗する。自国を日本と異なる国家であり、日清両属の国家として維持しようとしたのだ。
「1875年は、琉球処分の過程で最も決定的な転換点だった。この年、日本政府は琉球を日本の一部とするため、一連の命令を発した。特に琉球王府が強く抵抗したのは、清への朝貢を断絶する命令と、琉球藩の藩制を改革する命令だった。2つの命令(琉球併合命令)は、琉球から国家としての地位を奪うことに直結したからだ」と言い、「琉球王府対松田道之の日琉交渉」「妥協か、抵抗か――琉球王府と亀川党」「琉球救国運動へ――清・西洋諸国への働きかけ」などを丁寧にたどる。
琉球が沖縄県として日本に組み込まれた後も、清に助けを求めるなどの救国運動が展開され、グラント米大統領の仲介、琉球分島案が登場。日本は統治のために旧官吏・士族を懐柔するため、旧慣温存政策を取ることになる。また当時の列強による清や日本へのアジア政策が複雑に絡み合っており、島内での組織的抵抗は日清戦争まで続いていく。
著者が「沖縄問題の原点」と言う意味は重いものだ。
「トランプ・ショックの本質を読み解く」が副題。第二次世界大戦以降築き上げてきた世界の秩序が次々と打ち破られる世界。特に突然のトランプ関税で世界を混乱させるトランプ。その本質は何か。「世界経済の解像度を上げる一冊」と帯にあるように、ズバズバと「主流派経済学」「貨幣論」「新自由主義」「グローバル・インバランス」「テクノ・リバタリアンと暗号通貨」などに切り込み、「問題は関税ではなく、通貨である」「(トランプ大統領自身の見解は、ともかく)第二次トランプ政権が企てているのは、既存の国際経済秩序、とりわけ国際通貨体制を再編することである」「その企ては必ず失敗する。ただし、それはリベラルな国際経済秩序を復活させるのではなく、その崩壊を決定つける。戦後のドルを基軸通貨とする国際経済秩序が終焉を迎える可能性すらある」と言う。
安全保障と為替に入らず関税交渉をするというのが、今回のトランプ関税交渉の入り口だったと思う。事実、そうした展開のように見える。しかし第二次トランプ政権の大統領経済諮問委員会(C EA)委員長になったスティーブン・ミランの「マールアラーゴ合意」に注目する。それはスミソニアン合意やプラザ合意と同様に、狙いは「ドルの切り下げ」だと言う。「ミランの認識ではドルは過大に評価されており、それがアメリカの産業競争力を損ない、製造業の雇用を奪っている」「アメリカは、世界に流動性を供給するために、経常収支を恒常的に赤字にしなければならない(トリフィンのディレンマ)」「その義務の負担が経常収支の赤字を生んでいる。その負担も限界に達しつつある」「アメリカが相対的な経済規模が縮小しているのに、準備通貨国としての地位を維持し続ければ、国際競争力は、ますます弱体化し、製造業の雇用は失われ続けるであろう」と主張しているのだ。安全保障も含めてもはや耐えがたいと言うわけだ。
アメリカの貿易赤字と財政赤字――。ニクソン・ショックと符合する。ニクソンは一方的にドルと金への交換を停止したが、トランプも国際協調ではなく一方的に国際通貨体制を再編しようとしている。だから、「本質は関税にではなく通貨にある」と言う。
「商品貨幣論(貨幣は交換手段となる商品)」と「信用貨幣論(貨幣は特殊な『負債』の一種、ケインズ、シュンペーターなど)」「貨幣は負債の発生によって創造され、負債の解消によって消滅する」「『特殊な負債』とは、具体的には、政府の負債(硬貨)、中央銀行の負債(中央銀行券、準備預金)、そして民間銀行の負債(銀行預金)」を解説する。シュンペーターは「銀行が『信用を創造する』、すなわち、銀行が貸し出しという行為の中で預金を創造すると言う方が、銀行が預託された預金を貸し出すと言うよりも、ずっと現実的である」と言っている。そして、「信用貨幣論のレンズを通して、財政を見ると、自国通貨を創造する政府にとって、収支の均衡を目指す『健全財政論』は意味をなさないことになる。財政運営の指標は、財政収支ではなく、例えば失業率、インフレ率、金利水準といったものになる(失業率が高い場合には、財政支出を拡大したり減税を行ったりして需要を拡大すべきである。逆に完全雇用を達成し、かつインフレ率を抑制すべき状態にある場合には、需要が供給を超過しないようにするために財政支出を抑制したり増税したりすることになる」・・・・・・。トラス・ショックの真因について分析、「年金基金による保有国債の投げ売り、インフレ率が約10%と高かった」などを上げ、機能的財政に則るべきことと、政府の財政政策と中央銀行の金融政策の協調の大切さを指摘する。
「ニクソン・ショックと同じことを企てているのがミラン、第二次トランプ政権ということになろう」――。しかし、「トリフィンのディレンマは存在しない」「ミラン論文の欠陥(ドル安を誘導できない)」、さらに、「中国による米国債の売り浴びせは、経済的な打撃を与えるためではなく、アメリカによるドル資産の凍結を恐れて、米国債を売却している」と通常の逆の見方を示している。「通貨安を誘導したとしても、自国の貿易収支が改善するとは限らず、むしろ悪化する可能性すらある」などを指摘する。
問題は「グローバル・インバランス」。新自由主義とそれがもたらすグローバリゼーションの結果、労働者の所得の低迷とバブルとその破裂による金融危機の繰り返し、世界経済の構造的不均衡、グローバル・インバランスを分析する。「輸出主導レジームの国々が成長戦略を図り、賃金を抑圧し、消費需要を拡大しようとせず、アメリカが提供する需要に依存している、これがグローバル・インバランスをもたらした」と言い、第二次トランプ政権の関税措置は、ベッセント財務長官が言うように、この是正を狙いとすると指摘する。「グローバル・インバランスは、新自由主義の産物であり、これを是正し、国際通貨体制を再編するのであれば新自由主義のイデオロギーを放棄しなければならないが、第二次トランプ政権、ミランやベッセント等は、新自由主義を信奉し続けている」「例えばドイツは輸出主導レジームの行き詰まりにより、ついに積極財政による内需主導の成長を決断し動き出した」・・・・・・。
さらに、アメリカはテック業界の大物たちに見られるように、テクノ・リバタリアン、新自由主義よりもさらに過激な自由放任主義が台頭している。また反対に先崎彰容教授が指摘しているように、、バンス副大統領などの若手には、地域・家族・保守革命(古き良き時代のアメリカ)の台頭があり、アメリカの振れ幅は大きい。結局、「グローバル・インバランス、低賃金、格差の拡大など、新自由主義が生み出した問題を新自由主義者たち(第二次トランプ政権)は解決できず、失敗するであろう」と言っている。
ドル本位制ともいうべき基軸通貨国特権が弱体化していく時、世界はどうなり、各国はどう動くか。「アメリカと共にの選択をするとならば、日本は賃金主導の成長を実現し、内需主導のレジームへと転換する必要があるし、アメリカはその新自由主義と訣別しなければならない」と言う。
著者は、先入観や通説を疑い、全てを総動員する議論を求めている。大変な激動の時代、重大な岐路に差し掛かっていることは間違いない。
国債と言うと「1100兆円の国の借金」とか、「令和7年度歳出115兆1978億円で、国債費28兆2179億円、社会保障38兆2938億円、防衛関係費8兆6691億円、地方交付税交付金等18兆8728億円、公共事業6兆858億円・・・・・・」。一方、「令和7年度歳入は、所得税22兆6660億円、法人税19兆2450億円、消費税24兆9080億円、特例公債21兆8560億円・建設公債6兆7910億円・・・・・・」などがすぐ頭に浮かび、「長期金利が上昇している」などが話題となる。
本書は「国債の基礎知識について包括的に解説する」としたもの。表題の通り、日本の国債の仕組み、債券や証券、日銀の市場操作などの金融政策、銀行や生命保険の運用等を通じ、日本経済の変化を理解できるようにと丁寧に解説する。
「『金利』は利子(クーポン)を意味するのではなく、債券のリターンを指す」「だから、金利が上がると債券価格が下がる」「イールドカーブ(年限と金利の関係、利回り曲線)」・・・・・・。「証券会社と国債市場の重要な関係(財務省による国債の入札、証券会社は国債の営業を担う)(国債のマーケット・メイク)」・・・・・・。「日銀の役割と公開市場操作(オペレーション)」・・・・・・。
「国債からわかる日本の金融政策史:量的・質的金融緩和から、量的縮小へ」ーー2013年4月の量的・質的金融緩和(QQE)(マネタリーベースを年間60兆〜70兆円程度増やす目標)。2016年1月のマイナス金利政策(日銀の当座預金の1部にマイナス金利を付す)。イールドカーブ・コントロール(YCC)。そして「2024年3月、YCCを撤廃するとともに、マイナス金利政策を解除、利上げ」・・・・・・。
「銀行や、生命保険会社と国債投資の関係」「日本国債はどのように発行されているか(60年償還ルールと借換債)」「デリバティブを正しく理解する(レバレッジと証拠金)(金利スワップ)」「短期金融市場と日銀の金融政策(国債購入の減額と量的引き締め:QT) (短期国債の大部分は外国人投資家が保有) (大部分の日本国債は現在国内投資家に保有されているが、2024年時点でも日銀の保有割合を除くと、外人投資家による保有割合は3割弱で増える可能性も)」・・・・・・。
複雑で、デリケートな国債の世界から経済の動向を見る。
2004年刊行、今なお読まれる感動の著作。スポーツコラムニストとして活躍するミッチ・アルボムは、テレビで大学時代の恩師モリー先生が難病ALS (筋萎縮性側索硬化症)に侵されていることを知る。16年ぶりの再会。「憐れむより、君が抱えている問題を話してくれないか」――。毎週火曜日、2人の人生対話が始まる。テーマは「人生の意味」。日一日と身体の筋肉が衰え、死が迫っていくなかでのモリー先生の言葉は、経験のもとに語られる講義。毎回、「何を語るか」――。深さに満ちている。
「死ぬっていうのはね、悲しいことの一つに過ぎないんだよ。不幸な生き方をするのはまた別のことだ」「もうじき死ぬとはいっても、私のまわりには愛してくれる人、心配してくれる人がたくさんいる。世の中にそういえる人がどれだけいるか?」「人生は、前に引っ張られたり、後ろに引っ張られたりの連続なんだよ。・・・・・・どっちが勝つって? そりゃ愛さ。愛はいつも勝つ」「多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。あれこれ忙しげに立ち働いているけれども、半分寝ているようなものだ。人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものも創り出すこと」・・・・・・。
「教師は未来永劫にまで力を及ぼす。貧乏を救う薬は教育だけだ」「他人を搾取するような仕事には絶対につかない、そして他人の汗でかねを稼ぐような真似はしない。それが将来守り続ける誓い」・・・・・・。こんなに物質的なものに取り囲まれているけれども、満たされることがない。愛する人たちとのつながり、自分を取り巻く世界、こういうものを、われわれは当たり前と思って改めて意識しない」――。究極は、妻、子供、愛する人々とのつながりだけが残る。「悲しむことには、癒しの力がある。その力を見つけることだ。愛を発生させるのは、人間の悲しさを知ることだ」「愛がなければ、我々は羽をもがれた鳥も同然。愛する人、見守っている人がいるかいないか。それらがいない時は、この病気ははるかに厳しいものになるだろうな」・・・・・・。
「今、私がやっているのは、『経験から自分を引き離すこと』。女性への愛でも、愛する者を失った悲しみでも、私が今味わっているような死に至る病による恐怖、苦痛でもよい。経験を自分の中に十分に染み込ませる。そうしてこそ、そこから離れることができる」・・・・・・。凄い世界、境地を語っている。
「老人が若者を恨まないなんて、そんなことありえないよ。ただ、問題は、ありのままの自分を受け入れ、それを大いに楽しむことだ。年齢は勝ち負けの問題じゃないんだ」「本当に満足を与えてくれるものは何だと思う? 自分が人にあげられるものを提供することだ。かねのことじゃない。時間、心づかい、話をすること。人を愛することに自らを捧げよ、周囲の社会に自らを捧げよ、目的と意味を与えてくれるものを創り出すことに、自らを捧げよ」・・・・・・。
「人間の持っている最大の欠点は、目先にとらわれること。先行き自分がどうなるかまで目が届かない。潜在的な可能性に目を注がなければいけない」「死が間近になれば、人間は始まりも誕生も同じ、死も同じ。違いようがないじゃないか。人類という家族に投資しよう。人に投資しよう。愛する人、愛してくれる人の小さな共同社会をつくろう」・・・・・・。
「許さなければいけないのは、人のことだけじゃない。自分もだ。自分を許せ。人を許せ」――。モリーが最後に口にしたセンテンスは、「死で人生は終わる、つながりは終わらない」・・・・・・。
そして、毎週の火曜講義を受けた著者は言う。「あなた方は、本当の先生を持ったことがあるだろうか? あなた方のことを、荒削りだが貴重なもの、英知を持って磨けば、見事に輝く宝石になると見てくれた人を。さいわいそういう先生のもとへたどり着けた人は、きっとそこへもどる道を見つけられる」と言う。私も「見ていてくれる人がいるのは幸せだよ」と言われた師の言葉が心に響く。
