長く高い壁.png日中戦争の最中の1938年。当代きっての流行探偵作家の小柳逸馬は、従軍作家として北京に派遣されていたが、検閲班長の川津中尉とともに、前線である万里の長城への移動を命ぜられる。その張飛嶺で待ち受けていたのは、第一分隊10名が全員死亡するという事件だった。

二人は、事件解明に直ちに着手し、関係者を聴聞する。「匪賊からの襲撃か」「分隊内での恨みつらみ、内輪揉めか」・・・・・・。そこには軍人のかかえる嘘と体裁、規律のゆるみ、親を殺され妻を辱められ焼き尽くされた中国人の憎悪があった。そしてたどり着いたのは「そもそもこの戦争には、大義がないのではないか」「戦いながら大義を探しているのではないか」「要するに日本は、わけのわからない、戦いの理由がわからない戦争をしている。そんな戦争の中で日本軍は軍隊としての正体をなくし、謀略がすっかり習い性になってしまった」という根源的なやり切れない闇だ。その闇と嘘の隠蔽の重ね役として、小柳は従軍作家として派遣されたことを悲しみのなかで思うのだ。感情を押し殺して・・・・・・。


子どもの脳を傷つける親たち.jpg

子どもの脳は、生まれてからずっと成長・発達途上にあり、我々が想像している以上に柔らかく、傷つきやすい。とりわけ最も身近で安全な場所であるはずの親から「攻撃」を受けると、深いダメージを受けてしまう。マルトリートメント(不適切な養育)が、外から見える傷はなくとも子どもの脳を"物理的"に傷つけ、変形させる。言葉のDVはより脳に大きなダメージを与えるという。

友田さんは小児精神科医として、子どもの発達に関する臨床研究を続け、「日常のなかにも存在する不適切な養育」「マルトリートメントによる脳へのダメージとその影響」を示し、「子どもの脳がもつ回復力を信じ」て専門的な療法を提示する。親も子どもも専門的で粘り強い治療が大切となる。そして、「健やかな発育に必要な愛着形成」「マルトリートメントからの脱却」の新たな試みを示す。

私たちの子どもの頃は、もっとひどい体罰等が行われていたと思われるが、「愛着」という観点から見ると、今の親が孤立し、ストレスをため、子どもを追い込んでいること、また子どものレジリエンスを伸ばせないでいることも理解できる。本書での警鐘を真正面から受け止めたい。


180513 大塚バラ祭り①.jpg 180513 都電とバラ.jpg

13日、地元では「町会・自治会の運動会」「防災訓練」「バラ祭り」「縁日」など多彩な行事が行われました。

大塚駅南口広場「トランパル大塚」では、「第13回大塚バラまつり」が多くの方が集い、盛大に開催されました。

かつて都電荒川線大塚駅から向原駅までの区間ではゴミの不法投棄や違法駐輪が目立つ地域でした。そこに約30年前に植えられた約100本のバラが残っておりました。これらのバラを育てることで景観の美しいまちにしようと平成20年に南大塚都電沿線協議会を発足させ、今では約700品種のバラが毎年春と秋に見頃を迎え、訪れる人々の目を楽しませています。都電も沿線のバラも多くの観光客の人気スポットとなっており、この日も多くの人がカメラに収めていました。

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彼方の友へ 伊吹有喜著.jpg軍靴の足音が次第に響く昭和の初期・中期。佐倉波津子は進学もできず劣等感をもちつつ、「乙女の友」編集部で働き始める。波津子のひたむきさ、懸命さ、体当たりをしてしまう余裕のなさは際立ち、社内に波風を立てながらも前に進む。本をつくるのは大変な仕事だが、主筆・有賀憲一郎、画家・長谷川純司、有賀の従姉妹の佐藤史絵里、翻訳詩人の露島美蘭‥‥‥。周りは暖かい。

昭和12年、15年、18年、そして20年――。波津子は純粋、一生懸命。やがて小説も書き、主筆にも抜擢されるが、いつも「私なんか‥‥」と思う。「こうした時代だからこそ、美や芸術、音楽や文芸の香りを届け、少女たちの心身を健やかに育むことは大事だ。しかしその任に自分が当たることが適切なのだろうか」と、悩みながらも前へ進む波津子。戦争は学徒出陣、有賀主筆らの召集、東京大空襲と、仕事も生活も友も奪っていく。「君はそのときどきで、常に最上と思われる道を選んで、いつまでも元気に、幸せに暮らしていくんだ」「友よ、最上のものを」という有賀の気持ちが波津子の心に甘く響く。

実業之日本社の少女雑誌「少女の友」の存在に心を動かされた伊吹有喜さんが大和之興業社「乙女の友」として描いたという感動作。


180510 海上保安の日.JPG

5.12海上保安の日を記念する式典が10日、霞ヶ関で行われました。本年、海上保安庁創立70周年でもあり、その意義を込めたものです。

海上保安庁は、海の守り手。東シナ海や尖閣諸島、新潟県沖の大和堆(たい)、小笠原周辺をはじめとする周辺警備を体を張って闘っている部隊です。海難事故や災害対応もあり、休む暇のない緊張した日々を送っています。国交大臣の所管でもあり、私はこれまで常に連携を取ってきました。

この日の式典で中島長官は「海を生業とするものの間に、次のような言い伝えがあります。『悲観論者は風に文句を言い、楽観論者は風が変わるのを期待する。そして、現実論者は風を読み帆を調整する』」「我々は、70年の伝統を礎に、現実を見据え、風を読みながら、美しく平和な海を次世代に継承してまいりたいと思います」と決意を述べました。

海上保安庁の関係者といい懇談ができました。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任、公明党前代表。前国土交通大臣、前水循環担当大臣。

現在、衆議院議員、党全国議員団会議議長、東京第12総支部長、首都直下地震対策本部総合本部長、現代中国研究会顧問など。

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