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「今年もみんなでやっとさー‼」――猛暑の8月24日、東京大塚阿波おどりが盛大に行われました。

今年は節目となる第50回の開催となり、東京では高円寺に並び、都内屈指の規模と歴史を誇ります。次々に迫力のある「連」が登場、沿道の観客からも声援・歓声が上がりました。

猛暑のなか、これほどの規模の「大塚阿波おどり」の運営をしてくださった関係者の方々に、心から感謝します。


zetsedai.webp「お客様になっていく若者たち」が副題。大学・職場などにとって学生や若者が今、お客様になっていると言うのだ。「PTAに言いつけますけど、いいんですか」「気難しい表情の上司は存在がストレス」「怒らない=見捨てられた。だから、いい感じに怒って」――驚くよりも、それは今の社会の余裕のない、息苦しい風潮が、敏感な若者にまず現れていると思うべきで、Z世代は今の社会の「写像」と言う。そのキーワードは「不安」。若者は不安に常にさいなまれている。「労働環境が改善されているにもかかわらず不安感や疲れは増大している」「働きやすさを改善しても、社員の不安が消えない」「上司や先輩と飲みに行って、愚痴を言ったりすると、『不満』は解消できるかもしれないが、『不安』や焦りは全く解消されない」のでだ。「職場の飲み会に、かつては『行きたくない』が増えた時期があったが、近年はそれが減少、それも『別に行ってもいい』が増えている。わざわざ断るほど主体性はない」ことのようだ。Z世代の特徴として、タイパ、コスパのリスク回避志向が強く、目立ってしまうのは嫌だが、平均よりちょっと上にいたいというのだから、なかなかデリケートで厄介な感じがする。

SNS、学校、友達」――。若者世界のリアリティはかなり変化しているようだ。「若者は、とてもきめ細やかに互いを監視している」「初対面なら、まずインスタのアカウントをし合う」「ラインは重い」のだ。いいねがたくさんもらえそうな投稿をしたがるという志向はもう古く、若者の多くは望んでいない。「イタイのだ」と言う。大学生も変わってきている。「大学は高校化して、大学でも友達離れできない人が多い。大学がテーマパーク化している。出席はしているが、ただ黙って座っているだけ」という傾向があると言う。

「消費の主役・ Z世代」――「Z世代にとって、推し活は当たり前のもの。なけなしのお金を何とか捻出して推しに投資する」「世界を推しとアンチに分断するというあまりに安直で、便利な世界観が加速している」「Z世代は、怪しい非倫理的ビジネスに走りがち」「流行るモバイルプランナーと友達商法。モバイルプランナーに従事した学生は『インターン生』の肩書を持ち、その動機に『ガクチカ』がある(学生は大学にガクチカを作りに来ている)・・・。「コミュ力」のない若者が「ガクチカ」に振り回されているようだ。危ない。「インスタ映え」は過去の遺物(いいねを押さないといけないのは、非難の対象となる。楽しくないものから離れていく)。「Z世代は熱くならない。いつも冷めている。客観的には、こうであると言いたがって、決して主観には触れない」・・・

「職場とZ世代」――怒ること自体を、絶対的に否定する時代となっているようだ。だから上司は「めんどくさいから怒らないで、放っておく」となる。「若者の離職は、不満型離職から不安型離職に移っている」「自分は他社や他部署で通用しないのではないかと不安を持ち、こんな職場では、自分は成長できないと思い、不安を抱え、職を考える」と言う。ユルい職場、ユルい上司だと転職する。こんな職場では、自分が成長できないんではないかと思うというのだからほんとに厄介だ。就活がZ世代に与える影響と重圧は凄まじいようだ。そこに「成長」という要素が交錯するのだ。また「私、陰キャですから」と言っても、「それは令和の謙譲語である」と言う。間違ってはいけない。

Z世代は、我々の社会の構造を写し取った存在である。「不安になんかならなくていい。そのうちどうにかなるから」と言えばいいと言うのだが・・・


kamiimasu.jpg崇神天皇の御代からニ千年余りの歴史がある武蔵御嶽神社。八百万の神々が遍満する奥多摩で集まった親戚の多くの子供たちに、ちとせ伯母が、不思議な怖い昔話を寝物語に語ってくれる。ちとせ伯母は明治43年生まれ、昭和初年生まれの私の母とは、親子ほども歳の離れた姉だった。明治、大正、昭和初期の話だが、確かに精霊や神霊、自然の脅威や神々しさが、日常に隣接し生きていた。武蔵御嶽神社と神職らの住まう集落に、今も続く宿坊を舞台とした綺譚集。

「赤い絆」――「猫イラズ」を飲んで心中を図った若い男女。女は死にきれない。そこでどうしたのか、また瀕死の女がこの世で最後に見た景色とは・・・。「お狐様の話」――香奈という薄幸の少女についた狐つき退治。恐るべき結末。「神上りましし伯父」――ニ人の子を抱えて苦労していた母が恃みとしていた伯父が突然死ぬ。「神道における死は寂滅でも喪失でもなく、神上ったのだった」・・・

「兵隊宿」――日露戦争時、東京麻布連隊、一人の脱走兵が山中に。「役立たず」と言われた男のその後・・・。「天狗の嫁」――天狗に拐かされた叔母の心の奥にあったもの。「聖」――山伏が突然訪ねてきて、「鈴木の御師様のお足下にて、修行を重ねなければ、熊野に参ることはできない」と言う。ひたすら壮絶な修行を続けるが・・・。「捨身ですね。キゼンさんは、体を供養してしまったんですね」・・・。「見知らぬ少年」――御嶽山の夜は長かった。夏休みで集まった親戚の子供たちは、「肝だめしをしよう」ということになり、私は一人で神社に向かうが、途中で秀(すぐる)と会う。その話をすると伯父や伯母は驚く。「宵宮の客」――個人の参拝客を泊めぬわけではないが、「旅館と宿坊の分別がつかぬ客」を祖父は嫌った。そこに凶状持ちのような男が訪ねてくる。「天井裏の春子」ーー母親に連れられて、春子という美少女が、狐落としをしてほしいと訪ねてくる。「祖父は人の声で説き続け、狐は身悶えながら嘆き続けた」・・・。そしてこの狐は「春子さんの白い腕を手枕にして死んでいった」「春子に取り憑いた狐が悪者には思えなかった」・・・。こういう狐もいると思える不思議ではかなく、壮絶にして優しい話。

「山揺らぐ」――大正12年の関東大震災の揺れる奥多摩。海抜1000メートルの御嶽山から燃える東京、横浜が見えた。「不逞鮮人が暴動を起こしている。住民が結束して迎え撃て」の指令が奥多摩にも下る。その時病弱であった達伯父は「デマゴーグ」と毅然と言う。「どうして朝鮮人が攻めてくるの」「いじめっ子はね、仕返しが怖いのよ」・・・。「長いあとがき あるいは神上りましし諸人の話」――御嶽山の屋敷に「与平さん」と呼ばれる使用人がいた。「死生観を基とした仏教には時制があるが、そもそも生命の概念と無縁の神道には、過去も現在も未来もないのである。私が幼い頃からそこで体感していた『神々の遍満』という空気は、つまるところそうしたものだった」「御嶽山は変わらずその不変の核である見えざる神が、ひとりの作男を依代としてそこにあるような気もした」と描いている。

浅田版「御嶽山物語」の完結。 


tasogare.jpg「水滸伝」「岳飛伝」「三国志」などの長編の北方謙三さんが、原稿用紙15枚の章篇を書き継ぎ、孤高の中年画家の"生"を描く。濃密な十八篇。その行動と心象が、丁寧に柔らかく選び抜かれた言葉で綴られる。

独身、中年の孤高の画家。ひたすら絵を想い、絵を考え、絵を描く。腹が減れば肉を焼きカレーも作る。なじみの居酒屋で食事をし、スナックで飲み語らう。女性と親しく交わることもある。大人の巧妙で洒落たやりとりだ。野山を歩く。旅にも出て自然と出会い描き止める。2か月に1度アトリエに来る画商の吉野に、絵を売ることを任せる。「街の風景そのものに、興味を持ったことは、ほとんどなかった。私は静物画を描くことが多く、風景をほとんど描かないのだ。樹木を描いても、どこか具象めいてくる」「誰もがいいと思うから、絵は売れるのだ。しかし、ほんとうは誰にもわからない。そんな絵が、描けないものか」「私は、いま描こうとしている絵について、考えた。いつも、いま描こうとする絵で、それは10年以上抱いている気持だが、まだデッサンにもかかっていない。そろそろ、描くべきだろう。このままでは、モチーフが腐り、臭気を放つかもしれない」「私が捉えようとしているのは、女体ではなかった。女体を通して、自らの情欲を描く。情欲は、静止を求めない。情欲が募り切った時、不意に訪れる静止。そこに垣間見えるのが、つかの間の死だ。それを、私はなんとか描こうとしていた」「四年前の個展で、私は死を描く画家と評された。さまざまな評があったが、それが最も頭に残っている。死を具象として捉えきれたら、そこに命というものも浮かび上がってくるはずだ」・・・

「描くことは、生きること」――柔らかいが、軸がきちっと定まっている。周りに巻き込まれず、距離感を保ちつつ、人や自然と接している。騒々しくない。これもまたハードボイルドと思えるほど屹立していると思った。 


sagisi.jpg「悪どい連中から金を巻き上げるのがわたしのポリシー」――海外で荒稼ぎして帰国した詐欺師の伏見藍、33歳独身。ある政治家のパーティーで上条みちる(27)と知り合い、興味を抱きタッグを組むことに。みちるは親の仇を探しており、そのために金がいるという。早速、2人は若き法務大臣・松浦秀和を罠にはめ、大金をせしめる。みちるの仇とは、世界的企業に成長した戸賀崎グループの筆頭株主で、表舞台から姿を消した老女・戸賀崎喜和子。みちるの父親が、不正経理の濡れ衣を着せられ、両親が死に追い込まれたのだ。したたかな観察眼と巧みな話術をもつセレブの藍、生真面目で節約家のみちるの二人が、復讐劇に突き進んでいく。

その途中で起きる自由が丘バラバラ両足切断遺棄事件、裏面を持つ探偵、届けられる靴の中の足首、事件を追う立場から狙われている立場への逆転劇・・・・。そこには驚愕すべき事件の真相が・・・

人間がここまで残酷になれるものか。また人間の愛は理をはるかに超えゆくものなのか。軽妙であるとともに、どす黒い血が怖いほど流れている。 

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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