yotuyu.jpg武士を主人公にした心に沁み入る時代小説を数々著してきた砂原さんが初挑戦した「江戸市井もの」。表と裏の顔、感情のひだ、人生の哀切を実にリアルに描いた8つの短篇。

「帰ってきた」――賭場で相手に大怪我をさせ島送りになった夫。それから3年、妻は夫の弟分で冴えない男とねんごろの仲になっていた。「帰ってきたらしいんだ。兄きが」。二人は慌てるが、事件には予想もしない真実があり。女の腹の決め方は切れ味鋭く絶妙。

「向こうがわ」――両国橋を挟んで喧嘩のための喧嘩を繰り返している幹太と進次郎。2人は、子供の頃は同じ裏長屋に住んでいた。橋は出会いと別れ、恋と欲と意地の交差点。思いもよらない展開が----
「死んでくれ」――10年も前に借金を作って逃げた親父が、日本橋界隈でも知られた太物問屋で働いていた娘を突然訪ねてくる。それでまた借金の穴埋めを頼む。娘の放った驚くほど冷え冷えとした「死んどくれよ」の一言。いなくなってほしいと願ったのは、本当だった。でも

「さざなみ」――子ども時分からおさくを想い続けてきた勝次。ところが、おさくは源太という猪牙舟の船頭と所帯を持ってしまう。源太が、やくざ者に刺されて死んだということから、勝次はおさくと一緒になる。そんな時、おさくをつけ狙ってる男がうろつき始める。ある日、寝ているおさくが「げん、た」「・・・・・・かんにんして」と漏らす。動揺する勝次は・・・・・・。何という展開か、「さざなみ」の結末は凄まじい。映像が浮かぶような丁寧な筆致にも感動する。

「錆び刀」――主家が改易になって投げ出された若者・田所平右衛門。浅草の裏長屋に住むが、3軒隣に住んでいる娘・およしが何かと手助けをしてくれる。心を惹かれる平右衛門だったが、道場仲間の山崎市之進が仕官の当てがあるという誘いをかける。どちらを取るか悩む市之進の決断は・・・・・・。

「幼なじみ」――日本橋の呉服屋・武蔵屋に奉公して5年以上、主人たちに気に入られて手代に取り立てられた秀太郎。跡取り娘のおそのにも何かと声をかけられ、心を寄せられる。そんな時、年下の幼なじみの梅吉が奉公に来て再会する。貧しい長屋で育った二人。ところが、その梅吉は盗人の手先だった。「裏店で生まれたら、ずっと裏通りなんだよ」「おめいだけは・・・・・・いや、おめいも、やっぱり、そうなっちまうのかよ」・・・・・・。驚く結末。過酷な人生の裏表、哀切漂う物語。

「半分」――生まれた長屋も齢も同じで、幼い頃から姉妹のようにして育ったおゆみとおのぶ。おのぶは173つ年上の大工と所帯を持ち、橋を渡って深川に越したが、亭主が死に、次第に転落していった。そのおのぶが死んだという。子供は17になる草太と父親違いの妹お咲が残された。何故か気になるおのぶは通って、何かと面倒を見るが・・・・・・。「こいつ17なんだろう、おめいの半分しかねえじゃないか」・・・・・・。母親のような愛の形もあるだろうと、しみじみ思ってしまう。

「妾の子」――「妾の子」「囲い者の娘」と蔑まれ続けた娘・るいが母の死によって本宅に引き取られる。やがて嫁ぐことになるが、相手の男から「妾の子だそうだな」と言われ動揺、思わぬ行動をとるが・・・・・・。これは気持ちの良い結末の物語。閉塞した江戸社会の宿業の重さと一瞬の光による転換。人間の一言の大切さが鮮やかに描かれる。

原作から脚本・演出にまで広がるような空気・温度まで感じさせる砂原浩太朗の新しい世界。


gengono.jpg「ことばはどう生まれ、進化したか」が副題。「オノマトペの性質や役割を明らかにしたいという筆者たちの探求は、『言語習得』『言語進化』に変わり、いつしか『言語の本質』という、エベレストの山頂を目指すような旅になっていった」――。今井さんは、発達心理学の視点から、秋田さんは言語学の視点から、協力してオノマトペを問うことから始まり、言語の習得と起源・進化の道のりを探求、言語の本質に迫る。人間だけが持つ言語。そこに根源的かつ実証的に迫っていく挑戦的な姿勢はきわめて刺激的で納得する著作。

すべての出発点はオノマトペ。オノマトペは、物事の一部分を「アイコン的」に移し取る。残りの部分を換喩的な連想で補う点が絵や絵文字などとは根本的に異なる。「角張っている阻害音、丸っこい共鳴音」「オノマトペは聴覚を軸としながらも、ジェスチャーという視覚的媒体と、マルチモーダルなコミュニケーション手段」「オノマトペは子供じみた音真似であって言語ではない、と言う学者もいるが、あくまで言語である」など、言語の十大原則等に基づいて分析する。極めて興味深い。「オノマトペは、言語が身体から発しながら身体を離れた抽象的な記号の体系へと進化・成長するつなぎの役割を果たすのではないか」と言う。オノマトペは、言語学習の足場なのだ。

それでは、言語はどのようにオノマトペから離れて、巨大な記号の体系に成長していったのか。「言語の進化」だ。ここで紹介される身体につながっていることばはオノマトペだけでなく、「やわらかい」「かたい」など、世界各地の「一般語と身体性」「音と意味のつながり」が紹介されるが、極めて面白い。「言語の学び手(赤ちゃん)は、新しいことばを覚えるとともに母語の音やリズムの体系、音と意味の対応づけ、語彙の構造などを自分で発見しながら学んでいく。・・・・・・自分を母語の体系の中に溶け込ませていき、体系の中で、もともと文化や言語の文脈の外では感じなかった二次的なアイコン性の感覚を作り上げていく」「言語が進化する上で、オノマトペから離れながらも、抽象的な意味を持つ記号が、言語の使い手の中で身体とつながっている感覚を残していく。このような図式が記号接地問題に対する答えだ」・・・・・・。そして知識を蓄え、学習した知識を分析してさらなる学習に役立つ手がかりを探して学習を加速させ、効率よく知識を拡大していく。その背後にあるのが「ブートストラッピング・サイクルである」と言う。

「つまり言語習得とは、推論によって知識を増やしながら、同時に『学習の仕方』自体も学習し洗練させていく、自律的に成長し続けるプロセスなのである」――。そこで「ヒトが磨いてきた推論」と「動物は行わない(できない)推論」という推論問題に到達する。著者たちが示したのが「演繹推論、帰納推論に加え、『仮説形成推論(アブダクション推論』」だ。演繹推論は新たな知識を創造しない。生息地が限定的なチンパンジーなどの動物は、生活の中で遭遇する対象の多様性・不確実性はヒトほど高くない。そこでは直接観察できる目の前の対象を精度よく処理するには、誤りを犯すリスクが少ない演繹推論の方が生存に有利となる。しかしヒトは居住地を全世界に広げ、他の民族や不確実な自然などの対象を推測・予測する必要があり、新しい知識で立ち向かうしかなかった。アブダクション推論の必要性だが、それによって、人間は言語というコミニュケーションと思考の道具を得ることができたのだ。観察される部分を全体的に一般化するのが帰納推論、観察不可能な何かを仮定し仮説を形成する推論がアブダクション推論だ。当初は感覚に頼って作った小さな知識が新たな知識を生み、雪だるま式に自律的に知識を成長させていく「ブートストラッピング・サイクル」の中心的な役割を果たすのが「アブダクション推論」だ。「AならばX」を「XならばA」に過剰一般化する、原因と結果をひっくり返すなどの非論理的で誤りを犯すリスクのあるアブダクション推論を人間は発達のエンジンとし、抽象的な概念を習得してきたのだ。なお現在のニューラルネット型AIは記号接地を全くしていない。

確かに、本書を読み進めるうち「オノマトペからスタートした筆者たちの言語探求の旅」に、自分が伴走していたことに気づく。それほどの迫力ある知的刺激の著作だ。


burakkusyo.jpg真世の叔父さん、警察を手玉に取って、謎を解明していく心理学にたけた「黒い魔術師」の知恵と仕掛けが満載。痛快、爽快、バー「トラップハンド」のマスター神尾武史が活躍する。
「リノベの女」――亡き夫から莫大な財産を相続した女性・ 上松和美の前に、何十年も会っていない絶縁したはずの兄が突如現れ、「あんたは俺の妹じゃない。偽物だ」と脅す。一体どうなっているのか。一部始終を聞いていたマスターの神尾は驚くべき謎解きを披露する。よくぞここまでという絶妙のさばきは素晴らしいし、面白い。

「マボロシの女」――歯科医でジャズ・ミュージシャンの高籐智也は火野柚希と「息子が高校を卒業したら離婚して一緒になろう」約束をしていた。ところが突然、交通事故で死亡してしまう。2年たっても立ち上がれない柚希。「親友の為なら、たとえ自分が傷ついても構わない」と、親友の山本弥生は神尾と相談し思いもよらない手を打つ。人が生きていくうえで助けとなるのは、失ったものではなく、手に入れたものです。愛する人は帰ってこない。だけどあなたには、あなたの為なら、血を流す覚悟を持つ友人がいる」・・・・・・。柚希は「明日からは生まれ変わろう」と神尾に言うのだった。

「相続人を宿す女」――文光不動産の神尾真世はマンションのリフォームを頼まれ富永良和・朝子夫妻から相談を受ける。ところが大変なことが起きる。その持ち主の息子が交通事故で急死。さらに8ヶ月前に離婚した奥さんから、妊娠しており、おなかの子には相続権があると言ってきたという。相続目当ての嘘ではないか。――神尾が動くが・・・・・・。とてつもない真実に、本作に没入、驚愕した。凄まじい謎解き。
「続・ リノべの女」――老人施設に入っている末永久子は認知症が始まっていたが、自殺した娘はまだ生きていると言い始める。そんな時、古くからの親しい友人からも「街で偶然懐かしい奈々恵さんを見かけた」との手紙を受けていた。「彼女の幽霊を探し出そうとするやつが店にやってきた」「上松和美は、真世が部屋のリノベーションを担当した客だが、重大な秘密があった。・・・・・・本名は末永奈々恵・・・・・・」。「リノベの女」の後日談だが、よくこんなことを思いつくというほどの謎解きと解決策。

「査定する女」――「トラップハンド」の常連客・インテリアコンサルタントの陣内美菜は、"玉の輿願望"の持ち主で、相手を連れてきては神尾に査定をお願いしていた。いつも大胆かつ巧妙な見事な査定だった。今回、真世の紹介で会った男はなかなかの男で査定は合格。ところが、同時にアメリカのミュージカルスターへの本格的誘いを受ける。さぁどうする? そこで神尾の仕掛けた驚天動地の一手とは・・・・・・。

いずれも、さすがと唸らせる東野圭吾の世界。かつ登場する女性は皆、覚醒し、新出発をするのだ。 


tiseigaku.jpg20202月から202312月まで、文藝春秋の「新世界地政学」の連載。それに「地政学リテラシー七箇条」「地経学リテラシー七箇条」を新たに加えたもの。その間はコロナ危機、ロシアのウクライナ侵略、トランプからバイデン大統領、米中対立、安倍・菅・岸田内閣、経済安全保障法制化、ハマスとイスラエルの戦闘・・・・・・。まさに世界も日本も激動し、「国際秩序とルール・規範の崩壊によって地政学的危機と地経学的危機のマグマが共振しながら噴出する」状況にあった。「武力紛争を回避するためには地政学を学び、米中対立の時代を乗り切るためには地経学で考えなければならない」、そのためそのリテラシーを磨くことを提唱する。

安倍晋三元首相の死についても触れている。「米国の対外関与の弱まりと、米中の対立の中で、新たな勢力均衡と国際秩序のビジョンを追求し、それを形にした。ケント・カルダーの指摘したように、安倍はそれまでの日本の状況対応型外交を当事者意識を持った積極的外交へと切り替えた。その具体的な表れが、QuadCPTPPFOIP (自由で開かれたインド太平洋)である。そこにはアジア太平洋を中国の勢力圏にはしないという強い意思が脈打っていた」「保守派政治家としての安倍の冴えは、排他的ナショナリズムと、社会分断的なポピュリズムを押さえ込んだことであろう」「安倍晋三の死を徒死にさせてはならない。日本は、『国民安全保障国家』という『国の形』を構築するときである」と言っている(22 9)。今もそうだ。

全体を5章にまとめている。「コロナ危機後の国際秩序崩壊」――コロナによる"非接触経済社会"、ワクチン・ナショナリズム、中台をめぐるワクチン"超限戦"・・・・・・。コロナ禍の3年を思い出す。

「ウクライナ戦争とユーラシア専制体制」――プーチンの誤算は、現場からの情報を吸収し適応することができない硬直的で改造的な指令構造・専制政治体制にある。 ASEANはグローバル・サウスか?

「米中対立と日本の生きる術」――米国衰退論の地政学(どの国も国力以上の外交力は 発揮できない=ケネディ大統領)、台湾に関する米国の戦略的曖昧性と戦略的明瞭性への転換の落とし穴、中国の「反動的攻勢」には「静かな抑止力」で立ち向かう知恵を(静かな抑止力の本質は、中国との戦略的コミュニケーションを維持し、リスク管理・危機管理を同時に実行して、二国間関係を安定させ、平和を維持すること)、トランプが再び出てきたら何が起きるかわからないが(トクヴィルは「米国の偉大さは、米国が他の国より開明的であることにあるというよりも、米国が自らの欠点を直す能力にある」と言っている)・・・・・・

「インド・太平洋と日本の選択」――Quadは中国との中長期的な競争的共存戦略を進める上で大きな価値を持つ、日豪提携強化への期待は ASEANの中からも聞かれる、「日本外交のしたたかさ」とは何か?

「国力あっての防衛力、防衛力あっての国家(平和を保つ上で最も大切なことは、抑止力を維持・発展させることである。戦わないために常に戦える備えをしておくということである)」、おそらく今後国力を決する最大の戦略的分野は、高機能・低消費電力の計算能力であり、その計算基盤を支える次世代半導体であろう・・・・・・。また、ユーラシア専制枢軸に対する日欧連合の抑止力の重要性についても触れている。

「地経学の挑戦と経済安全保障」――「地経学の時代が到来した。地経学とは地政学的な目的のために、経済を手段として使うことに他ならない」、グローバル化とインターネットの登場によって今、デジタル空間において地経学的闘争が最も激しく行われている」、中国の「国潮」ナショナルリズム、「経済安全保障政策は国家安全保障政策の一環であるという覚悟が不可欠、求められているのはスマート経済安全保障、米中の先端半導体をめぐる"地政学的ディスタンシング"の焦点が台湾のTSMC、同盟国・同志国との真摯な政策協調なしに経済安全保障政策も産業政策もうまくいかない・・・・・・・。

「はじめに」の「地政学リテラシー七箇条」、「おわりに」の「地経学リテラシー七箇条」は、理念とリアリズムと歴史的経験の蓄積の中から精選された骨格が示されている。帯に出ている「平和維持には抑止力が必要」「統治の要は政治指導力」「日本は経済安保においては構造的な赤字国」などだ。 


yanagiya.jpg人間国宝の五代目柳家小さんを師匠とし、笑いを巻き起こす落とし噺、人情噺の名手として知られる一方、新作落語にも力を入れる柳家さん喬師匠。「人様を笑わせ、幸せな心持ちになっていただく。これ以上ない、いい仕事じゃありませんか」と言う。「笑い」を「言葉」だけで「仕事」とすること――それがいかに修練の上に出来上がるものであるか。興味深い。

師匠は絶対だ。「落語ではなく剣道の稽古で教わった『間』」「演者とお客様は互角でなきゃいけない。相手が初段なら、自分も初段のつもりで向き合え。上から目線でなく、『これから噺をさせていただきます』という謙虚な気持ちでなくてはいけない。師匠は剣道の礼儀を教えることを通じて、弟子に落語の基本、精神を教えてくれていたように思う」「素直が一番、客に媚びるな、とよく言われた。どうせわからないだろうからと客に合わせていくことが"媚びる"こと。周りの"範"にならなきゃだめだ」「芸を磨くより人を磨け、これが師匠の座右の銘であり、弟子へのメッセージだった」・・・・・・。

「成長に必要なのは、縦のラインと横のライン」「『三平は落語ではない』なんて、とんでもない」「テレビで有名になった芸人さん達がいてくれたおかげで、寄席の伝統も続いてきたと思う」「人情噺は滑稽噺が基本にあるからこそ成り立つものだ。滑稽噺が面白くなくては人情噺も面白くない」「どこかにフッとした笑を入れなきゃいけない。緊張して聴いていた客が、そこでホッとして気を楽にして、噺の世界に入ることができると思う」「大事なのはお客様と世界を共有すること。江戸の風景の中にいるとか、噺の景色が見えました、が大事」・・・・・・。

「笑いを変える」――新作落語等への挑戦。「コメディにはドタバタ劇もあるが、ニール・サイモンの作品のように笑いの中にペーソス、ちょっともの悲しかったり切なかったり、そんな人間の機微が込められた作品も多い。そこは落語に似ている」「黒田恵美子先生に書いていただいた落語が『干しガキの恋』と『くわばら』という新作落語」。本書で紹介されているこの「干しガキ」は、寝てばかりで働かない八五郎がヘチマを売りに行き、少々難ありの「干しガキ」を買うところが始まるが、面白くて味わい深い。落語の特徴の一つは、演出家がいないこと。演出も脚本も主演もエキストラも、犬も猫も音楽も全部自分でやらなければならないこと、台詞で表現すること。(なるほど、落語のセリフはセルフか)。しかし、「説明過剰で失われる光景」で、「過剰な説明、過剰な演技、クサい演技は逆に、お客様それぞれが見られたはずの景色を、逆に限定して、想像する余地を奪ってしまうことになる」と言う。我々の演説でも全く同じ。解説で、黒田先生が「落語とは、モノローグの部分が多いものと捉え、冒頭から3ページほど、諸国乾物商い処のある町の風景や木枯らし舞う季節の情景描写に費やしていた。しかしさん喬師匠によると、『この部分はね、(腕組みをして)「おお、寒い!」、これで済んじゃうんですよ』」と言っている。究極の名人芸であると納得する。

本書の中で、さん喬落語として「天狗裁き(八五郎の夢を聞き出そうとする人たち)」「文七元結(博打で借金だらけの長兵衛が、五十両を借り受け帰る途中に・・・・・・)」「干しガキ」が出てくる。文章でもとても面白いが、実際に演じてみれば、素晴らしいものになるだろうとワクワクする。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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