tiikihoukatu.jpg「介護の大転換が自治体を破綻に追い込む」が副題。地域包括ケアシステムとは「認知症や寝たきりになっても、住み慣れた地域で暮らし続けるための、介護・医療・住まい・介護予防が一体となった中学校区単位で構成されるコンパクトな介護システム」。これが打ち出されたのは、2005年の介護保険法改正の時。団塊の世代が75歳の後期高齢者に入る2025年を目途として構築を図ることとしている。この高齢者施策の計画・推進・運営の責任者が「自治体」に変わるが、「介護の大転換が自治体を破綻に追い込む」という。

焦点となるのは、2025年ではなく、団塊の世代が後後期高齢者(85歳以上)になる時。それまでに体制を組めるかどうか、大変な問題であることを指摘する。後期高齢者でも、84歳までは要支援要介護が2割程度、寝たきりなど要介護3以上の重度要介護は5%程度、認知症も22%程度だが、85歳以上となると一気に跳ね上がる。要支援要介護発生率は6割、重度要介護は4人に1人、認知症は44%となる。この後後期高齢者が2020年には600万人を超え、2035年には980万人、2040年には1000万人となり、その後も約30年ずっと続くと言う。加えて、勤労世代の激減、介護人材の絶対的不足があり、さらに社会保障費の負担増大も介護サービスの抑制も、経済破綻を招くことになる。

結局、「社会保障費、特に高齢者の医療介護費用を徹底的に抑制していくしか方法はない」「これまでも社会保障費にお金がかかりすぎて、経済成長の足を引っ張り、経済の鈍化によって社会保障の根幹が揺らぐ」を繰り返してきたと指摘する。

これからの少子後後期高齢社会――。少ない介護人材、限られた介護財源の中で、それぞれの市町村が効率的・効果的な地域包括ケアシステムをどう構築するか。それぞれの自治体・市町村は、整備計画を作っても、人材不足・財源不足では手を挙げる社会福祉法人はいない。そのなかで「老人福祉施設と民間の高齢者住宅の混乱」「有料老人ホームとサ高住の混乱」「介護付・住宅型など介護保険適用の混乱」の3つの混乱、「介護は儲かる」と、「素人経営者が大量参入し、介護事故やスタッフによる介護虐待が激増、違法な無届施設や『囲い込み』と呼ばれる貧困ビジネスが横行している」という現状を指摘する。

どのような高齢者の介護医療費削減策があるのか。「介護保険の被保険者の拡大、制度の統合」「介護保険の対象者の限定(最低限の生活・生命を維持することさえ難しい重度要介護の高齢者に)」「介護保険の自己負担の増加」「社会保障制度の抜本的改革のためのマイナンバー制度」「社会福祉法人と営利法人の役割の整理・分離」「高齢者施設と高齢者住宅の整理・統合」「要介護認定調査の厳格化」「独立ケアマネジャー事務所への支援」「囲い込み不正に対する規制強化、不正に対する罰則の強化」「自己負担の増加、高齢者医療の包括算定制度の導入など高齢者医療費の圧縮」などを示す。

後後期高齢者1000万人時代――もはや「保険料や税金を上げるな、医療や介護・福祉は充実させよというモンスター級の幻想」を見直すギリギリの段階にあることを具体的に訴えている。危機感が強く伝わってくる。 


saitekinou.jpg6つの脳内物質で人生を変える」が副題。この情報過多、人間関係が軋み、複雑な社会構造のストレス社会――。振り回されたり、落ち込んだり、人間関係に悩みやることなすことが空回りしたり、自己嫌悪に陥ったり・・・・・・。加えて運動不足、魅力的なファーストフードや砂糖が溢れ、タイパ・コスパの刺激を求める社会が加速する。どうするか。それは脳を変えればうまくいく。ドーパミン、オキシトシン、セロトニン、コルチゾール、エンドルフィン、テストステロンの6つの脳内物質の組み合わせを自分で決めれば、人生を少し楽にできる。極めて率直に具体的に説明する。

まずは「ドーパミン」――。「やる気ホルモン」だ。これには「クイック・ドーパミン」があるが、これは「チョコレートを食べたり、だらだらスマホを見たり、ポテトチップスを食べたりすると出るが、長期的には役に立たない」「ドーパミン源を重ねるのを避けて分割すべき」と言う。大事なのは、今の自分や未来の自分に役立つ「スロー・ドーパミン」だ。「新しいことを学ぶ、読書をする、運動をする、クリエイティブな活動をする、人と会う、挑戦を厄介事ではなく成長の機会として捉える」「クイック・ドーパミンを減らすことで、スロー・ドーパミンへの自然な欲求は戻ってくる」と言い、ドーパミンは『エンジン』であることを示す。

「オキシトシン」――。「愛情ホルモン」だ。得られるのは親近感、調和、信頼、思いやり、連帯感、寛容さなど。「人と触れ合うことで<天使のカクテル>の質を上げるには、誰かのそばにいる、友人と会う、親密になる、ハグをする、手を握る、マッサージをする」「見つめ合う」「感謝をする」などでオキシトシンが作られる。

「セロトニン」――。「幸せホルモン」だ。脳の興奮を抑え、心身をリラックスさせる。「セロトニンは明確に社会的地位と関係している。高い地位にある人は、セロトニンが多く、心の調和が取れていて、ストレスが少なく健康でもある。必要なものは手に入るし、地位も安泰だと感じられるからだ」と言っている。セロトニンのおかげで、満足感、安定感、それに何かを常に追いかけているという必要がない心の余裕が生まれる。そのセロトニンを得るためには「自分自身を愛し、ねぎらい、間違えても自分を責めない。自尊心を鍛えること」「日光を浴びること」「食べること(体内のセロトニンの9095%が胃腸の中にある) (迷走神経は胃腸に関係する)」「運動して、食べて眠って、瞑想する」ことが大切になる。

「コルチゾール」――「ストレスホルモン」だ。心身がストレスを受けると、急激に副腎皮質から分泌される。「少量の一時的なストレスなら、むしろ健全で素晴らしいものだ。新しいことに挑戦し、ドキドキするようなことをやる。日常の外に出ると、学びも得られる」。しかし、重いストレスに長期間さらされることは避けたいので、「思考パターンを断ち切り、瞑想し、激しすぎない運動をし、自分の思い込みを見直す」が大事と言う。

「エンドルフィン」――。「体内モルヒネホルモン、脳内麻薬ホルモン」だ。食欲、睡眠欲、生存欲、本能が満足すると分泌される。高揚感を得て笑顔で過ごすことになる。「笑顔はエンドルフィンだけでなく、セロトニンやドーパミンも放出する」「笑い声をあげる」「運動、音楽、ダンス、冷水浴が良い」。

「テストステロン」――。「男性ホルモンの中心」だ。骨格や筋肉量、体毛など男らしい身体、生殖機能の増大などをもたらし、自信と勝利を手にすることになる。行動を強める頼もしい脳内物質だ。「ゲームで勝つ、音楽を聴く、自信をつける、外向的になる、攻撃性を高める」から生まれる。

そして、これらを連関させることが必要だが、特に「睡眠」「食生活」「運動」「瞑想」の4つが大事だ。

薬に頼ることなく、自らの脳内物質を増減させて、自分の脳を最適化し、人生を変える――。複雑さを取り払い一直線に、しかも具体的にわかりやすく訴えている。


usotuki.jpg注目の坂崎かおるの初の単著。想像力豊か、各国を舞台にし、幻想小説からSF作品まで縦横に描く。文章の切れ味、時空を超え自在に描く手慣れともいうべき9つの短編集。

「ニューヨークの魔女」――19世紀末のアメリカ。屋敷の隠し部屋から魔女が発見されたのは1890年。エジソンが電気を発明した1882年、処刑方法として電気椅子が生み出される。その後の話。死を求める"魔女"は、処刑用の電気椅子を用いたショーに臨む。「僕はショーを本物だと信じてきた。どこまでが真実でどこまでがショーだったのだ。彼女は本当に魔女だったのか? いや、世を乱す者を魔女と呼ぶなら、誰が魔女だったのだ? 確かなのは孤独な女性がいたことと、そして彼女たちが消えたこと。僕はふたりの寂しい女性を思い出した」・・・・・・。

「ファーサイド」――「朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが『おはようございます。世界の終わりまであと7日になりました』と言う。1962年は、そんな毎日だった」から始まるキューバ危機の頃のアメリカ。

「私のつまと、私のはは」――A Rグラスを用いた疑似的な乳児の育児体験ができる「子育て体験キット(ひよひよ)」を育てることになった同性カップルの日常(非日常?)。じわじわと愛が芽生えてくる心象と、2人の関係の変化が描かれる。絶妙。

「電信柱より」――リサは電信柱を切る仕事をしていた。その夏の日、リサはある電信柱に激しい恋をした。「これほどの電信柱には、この先二度と会えないと思うんです。気品があるんです」・・・・・・。

「嘘つき姫」――第二次世界大戦下のフランス。ドイツが侵攻し、逃げまどうなかで知り合った2人の少女、エマとマリー。皆が生きるため、愛情があるゆえに「嘘」をついていた。人をつなぐ「嘘」、人が生き抜くための「嘘」が、戦時下の極限状況のなか、心に響いてくる。感動的な作品。

「日出子の爪」――小学生が爪を学校の植木鉢に植えたところ、1週間ぐらい経って、指が生えてきた・・・・・・。

その他、「リトル・アーカイブス」「リモート」「あーちゃんはかあいそうでかあいい」の短編がある。才能が縦横に光を放っている。 


kodou.jpg「身につまされる」ような小説。昭和50(1975)前後に生まれたいわゆる団塊ジュニアたちの見た世界。「24時間働けますか」の右肩上がり、高度成長期から突然のバブル崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、金融の崩壊、デフレへの突入・・・・・・。社会に出た時は、「就職氷河期」のど真ん中。彼らの親は、「男は男らしく、女は女らしく」、競争に生き抜くことを余儀なくされた団塊の世代。「80 50問題」と言われるに至った今、まさに団塊の世代と団塊ジュニアの世代の葛藤を背景にした社会派ミステリーが本書だ。自分自身が遭遇した世界だけに、我々の仲間世代には、あまりにも生々しく身につまされるのだ。

20226月、公園でホームレスの老女が殺され、遺体が燃やされる事件が起きる。逮捕された男・草鹿秀郎は18年も引きこもりで、高齢の父親を殺害したことも自供する。女性刑事の奥貫綾乃は、殺された女性の身元を調べるなかで、自分の未来を重ねるとともに、自分たちの育った社会の歪みと対峙することになる。犯人の草鹿も綾乃も、そして殺されたホームレスの女性の娘も、同じ1974年生まれ、まさに団塊ジュニアそのものだ。

草鹿は全面自供する。中学生の時、「オタク」とからかわれ、好意を持っていた女性からも「キモい」と言われ、いじめに遭う。大学は卒業したが、就職氷河期。就活、圧迫面接、巡り会ったのはブラック企業、職場を転々とし、そこで感じる惨めさ、馬鹿にされ、嫌われてしまう恐怖感。32歳になって仕事探し自体をしなくなった。「ニート」という言葉が流行った頃だ。捜査をする綾乃は「更衣室の中でしかし風を感じた気がした。草鹿秀郎が内側に抱えるがらんどうから吹いてくる風を。・・・・・・風が、今度は綾乃に囁いた。――弱いのは、おまえもだろう。唐突に、震災の日の記憶が蘇る。独りぼっちで泣いているわが子。その無事を喜べなかった自分。愛するべきものを愛せないことも、きっと弱さだ」・・・・・・。そして、殺され焼かれた女性の身元を調べるうち、その愛する娘・茉莉花が引きこもり、自傷行為に及び、母娘とも苦しんでいたことがわかる。皆、バブル崩壊後の不況の影響を受けた就職氷河期世代。この世代の苦悩や絶望、後悔や鬱屈が描かれ、親の世代として、その叫びが痛いほど響いてくる。親も悩み苦しみ、引きこもりの子供を殺害した事件があったことを思い起こす。

48歳、無職、独身、恋愛経験なし、ずっと引きこもり」の男は何を考え、何に苦しみ、もがき、親を殺し、遺体を燃やすに至ったか。団塊の世代と団塊ジュニアの世代が抱え込んだ時代の暗い影を描く社会派ミステリー。考えさせられ、重い。


fukuzawa.jpg副題にある「最後の蘭学者」との観点から、福沢諭吉を捉え、蘭学を踏まえて日本の近代化に挑もうとした福沢諭吉の姿をくっきりと描き出す。

「文明化」と「独立」――19世紀後半の日本は、この2つが交錯するなかでがむしゃらに進んだ感がある。西洋の文明を憧憬のなか急速に摂取しながらも、西洋諸国はまた日本の独立を阻む脅威でもあった。「『文明化』と『独立』との間の緊張と矛盾を孕んだ関係性を、最も鋭く直視し、思索を深めた人物、それこそが福沢諭吉であった」「そんな福沢諭吉の思想の本質、キーワードは『蘭学』である」と言う。福沢は黒船来航後の安政年間に、大阪で緒方洪庵の適塾に学び、塾長まで勤めた。安政5(1858)、江戸に出た福沢が、築地鉄砲洲の奥平家中屋敷内の長屋に開いた塾も蘭学塾であった。今日の慶應義塾はこの蘭学塾を起源とする。

「文明論之概略」の中で、儒学が主流であった徳川時代と、西洋文明が洪水のように押し寄せる明治日本とは、大きくと異なるとし、「一身にニ生を経るがごとく」と福沢は言ったが、攘夷論を批判し、西洋文明の洪水にも溺れず、日本の国家的独立を維持するために国民の道徳的紐帯を醸成しなければならないと考えるに至ったのは、蘭学を通じて、いち早く西洋学術に触れていたからだと指摘する。蘭学は、徳川日本の「洋学」であり、ペリー来航以降の「洋学」の起源である。

「慶應義塾の教育理念の1つ『自我作古』(我より古を作す)は、初めて触れる西洋の概念と東アジアの文化的伝統との間の緊張関係の中で営まれる翻訳の作業と不可分であり、『文明』や『窮理』、『演説』『自由』といった概念もまた、翻訳を通じた思想的格闘の産物である」「福沢にとって、緒方は、独立の精神や平等の思想を体現した存在であった。そして何よりも、緒方に鍛えあげられるなかで、福沢は誰にでもわかりやすく平易に語りかける、独特な文体を身に付けた」と言う。さらに「『窮理』『物理』の学を文明の学術として重視、儒学に対して、陰陽五行説等古くからの妄説に惑溺していると批判した」「福沢は厳しい国際環境の中で、日本の国家的独立について危機意識を抱き、西洋兵学、最新の西洋軍事学を学ぶ。単なる軍備増強論ではなく、測量窮理の学、算数測量の学など学術・科学の発展を基礎としたものであり、それが国家体制や政治秩序の変革に大きな影響を与えていることを鋭敏に見抜いた。兵制と国制が連動した、近代『国民』国家の原理を見出した」「わが国を守るには、国中の人々に『独立の気力』『自由独立の気風』が充満しなければならない。自らの力で己の誇りを守り抜く。何事も政府に依頼し政府に媚びへつらう『卑屈の気風』を取り除く」ことを訴えたのだ。

福沢は明治15年、「時事新報」に「物理学之要用」「経世の学亦講究すべし」を掲載する。そこで「『不学者流』が非合理的な『情海の波』に呑み込まれ、『偽詐』フェイクニュースに踊らされ、社会の不安や分断、軋轢を招いている。今こそ、周囲に惑わされずに努力で真理を探求する、『実学』『窮理』の精神を涵養しなければならない」「書物を深く読むものは、決して軽率に行動を起こしたりせず、沈黙して熟慮する」「(国会開設論の展開にしても)学問を通じた深い叡智に基づく熟議の政治文化を養うことが重要である」と言っている。140年後の今も全く同じだ。愕然とする。

著者は「明治維新後、『近時文明』の急激な発展に狼狽し、膨大な情報に踊らされ、情念が渦巻く現在、日本社会を安定的な進歩の道へと誘うためにも、『窮理』の精神に根ざした『実学』の普及が肝要となる。こうした時代状況のなか、福沢は徳川期において蘭学が果たした役割と意義を再認識・再発見し、明治日本の文明化の起源として改めて位置づけ直した」と言っている。また、中国と朝鮮の文明化を開化派との交流によって模索したが、無念にも崩れ、「脱亜論」に至ったことも論述されている。

「明治日本の文明化と独立を先導した福沢は、生涯にわたり、前野良沢や杉田玄白をはじめ、緒方洪庵ら蘭学の先人たちが守り発展させた『運命の炬火』を継承すると言う強い自負を持ち続けた。福沢にとって、蘭学は常に立ち戻るべき文明化の起源であり、帰るべき場所、自らの学問の故郷だったのである」「明治維新の動乱期、暗黒の世の中で唯一、洋学を掲げて『文明の炬火』を守り、日本の進むべき方向を示したのが、慶応義塾であった。福沢は最晩年の『福翁自伝』でも、同じ話を語っている」と結んでいる。本書は短いが、一本の骨太の骨格が気持ちが良いほど貫かれている。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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