1786336857999.jpg「生成AI時代の超倫理」が副題。「AIとは何か」「AIが人間のような倫理意識をもって思考し、判断を下せるのだろうか」「AIは我々人類にとって僥倖なのか」――。この現代最も重要な問題に、AIの第一人者が科学のみならず、人類学的、文明論的な知見から根源的に解き明かす。一神教から生まれたデジタル文明、ロゴスを起点とする西欧言語文明の咆哮がAI・デジタル社会として、核問題、地球環境問題として現れていることを実に根源的に剔抉する。凄みのある最重要の著作だと心の底から感じ入った。

AIは人知を超えるという。だが、『人類の知性』とはそもそも何なのか?   それはコンピュータによるデータ処理と等価なのか?――こういったテーマを考えるには『生命と機械の異質性/同質性』や『無意識領域ではたらく情動』という難問に取り組まなくてはならない」「少なくとも『情報』という概念を基礎から捉え直す学問が必要なはずである。さすればやがて、AIを踏まえた、新たな知的革命が起きるかもしれない」と言う。

I部生成AIをめぐる疑問――。「脳型コンピュータの到来(第三次AIブームはビッグデータから。超AI論者は徹底した人間機械論者、記号接地問題は依然として解決されていない)・・・・・・。「日本のデジタル敗因(オープン・システムに信頼・セキュリティーを危惧する日本人気質。世界の水平分業に日本はどう対処するか)・・・・・・。「挫折した国産第5世代コンピュータ(ナイーブすぎる和魂洋才の海外科学技術導入戦略。統計的な解、確率計算の記号列に過ぎない生成AI。クオリア(感覚質)(喜怒哀楽、心のありさま)は脳科学が到達できない彼方にある)・・・・・・。生きた人間は機械ではなく、生命機械論であってはならないのだ。

II部デジタルAIとはそもそも何か――。文化人類学的考察から生成AIの本質を抉り出す。「一神教から生まれたデジタル文明(中沢新一、レヴィトロース。対称性の自発的破れユダヤ人を救うユダヤ教・一神教と人類一般を救済するキリストの一神教。ロゴスによる普遍論理主義がデジタル文明や現代の科学技術に通底)・・・・・・。「(ユダヤ人にとって)約束の地アメリカ(コロンブス、ロスチャイルド、ウェーバーと資本主義の精神。アインシュタイン、オッペンハイマー、そして核兵器へ進んだユダヤ=キリスト一神教に基づくデジタル物質文明)・・・・・・。「科学と情報を問い直す(思弁的実在論からの批判、情報圏で部品化され消費者データを提供する奴隷のような人間。体験が作るアブダクション。データベース空間内は機械的な情報ばかりだが体験のような生命的な要素を加えていく情報学的転回ができるかどうか)・・・・・・

部生命と機械をつなぐ――。「ネオ・サイバネティクスとは何か(対照的なノイマンとウィーナーの宇宙世界の捉え方。人間を含め生命体を非自律的・機械的な存在とみなす生命機械論のノイマン、一元的ではなく不確かを含む多元的な対象として宇宙世界を捉えるウィーナー。西田洋平の『人間非機械論』。マトゥラーナの機械と生物の異なりを科学的システム論的に示すオートポイエーシス概念)・・・・・・。「基礎情報学というステップ(生命・社会・機械における自律と他律。機械は他律で人間は自律性と他律性を持つ2面的な存在。人間という生物は他律的ルールによる社会的制約を受けながらも、意味と価値を自ら主観的かつ自律的につくり出す存在。プロパゲーションという意味伝播)・・・・・・。「生命的な超倫理をつくる(AIの倫理的課題有害コンテンツハルシネーション・幻覚偽情報クリエイターとの関係。特に美的価値や創造活動)・・・・・・。「テクノロジーとは、ユダヤ=キリスト教の特異な宇宙世界観に発し、物質的な近代科学精神と進歩主義に基づいて国際的に普及した一形態の技術ということ」「21世紀のデジタル文明で希求されるのは新たな普遍倫理、いわば超倫理と呼べるものではないか」と言う。

「生成AI時代の情報学的転回」――。「やがてAIは意識や人格を持ち、人間をしのぐ知的存在になるのか(答えは『ノー』。たくさんの記号データを使用頻度の統計計算で関連付け、よくある文章や画像を作り出すだけ、本物の知性ではない)」「日本はなぜデジタル化で立ち遅れたのか?(DXはオープンなデジタル化であり、日本が遅れた原因は、端的に国民性ゆえである)」「AIは人間を幸福にするか?それとも人間に反逆して不幸にするか? (反逆など妄想。記号データを統計的に処理して出力しているだけの他律的存在に過ぎない。しかしフェイク、誹謗中傷、詐欺、過大な電力・冷却水、殺戮兵器、依存・・・・・・。負の側面、暗部は多い)・・・・・・

そこでどうする。「人間を機械化することに反対する倫理感を築く。機械情報ではなく、生命情報から出発しなければならない。言葉も歌も舞踏も絵画も全て生命情報が原点であり、デジタル文明社会において、それらを発現させる真の情報学的転回をはからねばならない。生命情報と科学技術を結ぶ作業、生命的な意味の多元性に迫るという作業だ」「生成AI時代における共通の倫理意識である『超倫理』の建設」「美と倫理、創造性、心の変遷や成長を反映した生命論的な情報美学」などの研究を示し、「情報学的転回による第三次形而上学革命」のメッセージを発する。 


1786336825440.jpg「最新物理学で探る『時』の正体」が副題。「21世紀を迎えた今、最先端の物理学は、人類史上初めて、時間の真の正体を捉えつつあるという確かな興奮の中にいます」「この本では、これまで人類が知り得た『時間』の本質を、ものの動きの理解、すなわち、運動法則の理解の中に求めながら、時間観の変遷を追体験していこうと思う」と言う。

「時間という概念そのものが物体の運動を説明するために設けられた仮説」――。「古典的時間観――ガリレオとニュートンが生み出したもの(等速直線運動の物体、慣性の法則、力と質量と加速度)」「時間の方向を決めるもの――『時間の矢』の問題(整った状態からバラバラのカオスへ、時間の方向はエントロピー増大の方向)」「光が導く新しい時間観の夜明け――特殊相対性理論(光速度不変の原理、光速は等速直線運動をするすべての人にとって共通である。絶対時間から相対時間へ、時間の遅れが示す時間と空間の一体性<時空>)・・・・・・

「揺れ動く時空と重力の正体――一般相対性理論(観測者がどんな運動をしていようとその人が見る世界の法則は変わらない。重力の原因は時空の歪みにある。物体が時空を曲げて『重力場』を形成することで、重力が発生する)」「時空を満たす『場』の働き――マクスウェルの理論と量子としての光(電流、及び、電場の時間変化は磁場の渦を生み出す=アンペール・マクスウェルの法則。アインシュタインの光量子仮説:光は波であると同時に粒子の集まりでもあり光を構成する粒子の運動エネルギーは、その光を波として見たときの振動数に比例する。光は量子である)・・・・・・

「ミクロ世界の力と物質――すべては、量子場でできている(光は電磁場の振動、光の出所は電子でエネルギーの運び役。電子もまた量子。物質も、光も力もこの世のあらゆる存在が波と粒子の二重性の特性を持つ量子からできている)・・・・・・。そして「私たちが暮らしている時空は時間と空間の4次元に広がる空っぽの器などではなく、その一点一点たくさんの内部構造(内部空間)である量子場を備え、素粒子はその振動です。物質や力は(もちろん私たち自身も)時空そのものが持つ構造の発現なのです」「素粒子は場の振動で、粒子だと思っていたものは、場のハーモニーに由来する飛び飛びの構造が発現したものだったのです」と解説している。

「量子重力という名の大統一。時間とはなんだろう?(時間をその内に含む『時空』はそれ自体が揺れ動く動的な存在であると同時に、その各点各点に複数の内部空間としての『場』を備え、私たちの目には、場の量子振動が素粒子として、そして、場の共振が素粒子間に働く力として映るというわけだ」「宇宙開闢の瞬間には、時間でも空間でも量子場でもない何かだったものが、その進化の過程で役割が固定され、現在の時空や量子場が出来上がったのだろう」「時間は空間・物質・力を含む巨大な構造の一部であるということだ」と解説する。さらに「弦理論というアプローチ(世界の基本が粒子ではなく、長さを持った『弦』とする)」「時間・空間・物質・力のDNAを求めて」を語る。

「時空や量子場を含む巨大な構造の一部分」という時間の姿を、「最新物理学で探る『時』の正体」として解説する。 


1785915198561.jpg時は平安前期。藤原氏が伴氏(大伴氏)を追い落とした応天門の変の後。舞台は那ノ津(博多)、平戸、値嘉ノ浦(五島列島)から壱岐、対馬にかけての西海。金波銀波の裏には、海賊、商人、官人などが入り乱れての熾烈な生死をかけた戦いが繰り広げられていた。

海神の生贄となる巫女の少女・由良。由良が目撃した海賊に襲われた商人船から海に投げ出された巨大な櫃、その中にいた安曇福雄。多くの巫女を売り買いする巫女船の船長・赤名。船を襲い強奪することを生業とする島嶼の輩で高島の郷の頭目・宗継、年麻呂。西国九国ニ島の要・太宰府の少弍の在原安貞に仕える女官・伴真平、新しい少弍・元利麻呂。越智貞厚と新羅商人・王礼・・・・・・。海神の生贄を売る船が徘徊するとは尋常ではないが、新羅をはじめ通商が盛んに行われ、海賊が跋扈する荒々しい時代風景が生々しく描き出される。

そのなかで印象的なのは海、そして過酷な運命であるだけに貫かれる一筋の愛と忠誠心だ。「あー、そうか。不条理でままにならず、世の道理に合わぬあの船は海そのものだ。自分は、海のただ中に育ち、暮らしていたのだと、由良は唐突に理解した」「結局人の世では、不条理は柔らかな言葉や美しい衣で覆い隠され、目に見えづらいだけであった。それに比べれば、海の上は何もかもがむき出しで、善も悪も全てがごちゃまぜに刈り取られてゆくものであった。ならば、自分は偽りのない海を選ぶと由良は思った」・・・・・・。そして一筋の愛と忠誠心。高島の頭目・宗継のために体を張って生きる年麻呂。在原安貞にひたすら仕える真平。駆け落ちする香久女と僧の元昌。「年麻呂、真平、そして香久女。誰かを大切に思うあり方は、それぞれあまりに異なりすぎた。・・・・・・何かを願うとはこれほどに痛みを伴うものなのか。彼らのひたむきさが、強靭さが由良には恐ろしくすら思われた」・・・・・・

澤田瞳子作品の中では、今までと違った荒々しい世界、そして千変万化する海を描いた力作。 


1785914941313.jpg「ふつうが一番」と思うが、外から見て「ふつう」でも、いろいろあるものだ。いろいろあっても、互いが相手を大事に思い合っている、根っこに家族愛があることが大事だとしみじみ思わせる良い小説。

湘南の地にある一戸建てに住む桜石和則と冴子のアラ還夫婦。そこに社会人の息子・海と大学生の娘・舞花が帰省する。100年に1度と言われる巨大台風が襲来、大雨特別警報など特別警報が軒並み出る。そんな緊迫した夜、「ふつうの家族」に突如現れたのは、びしょ濡れの正体不明の若い男。高熱を出して、倒れ込んだ男は家族の誰かが引き入れたに違いないが、誰が何のために入れたのか。疑心暗鬼の中で、停電となるが・・・・・・

一見、幸せそうな「ふつうの家族」だが、実はそれぞれが人に言えない秘密や悩みを抱えていた。それが正体不明な若者と嵐の夜、停電の中で炙り出されていく。電気メーカー勤務の元部長のエリートの父・和則ーーしかし昭和のモーレツ社員、パワハラまがいの指導性で這い上がってきたが、大学時代の親友・ 弘中の自殺でショックを受け、今は窓際となっていた。

妻の冴子ーー広告代理店のやり手だったが、今は専業主婦。郷里・香川時代の昔の恋人・邦夫から最近メールが入るようになっていた。社会人3年目の海――鉄道の一流企業をやめ、何度も転職したが、今は無職で金がない。もちろん家族には言ってない。大学3年生の舞花――ずっと体操に打ち込んできたが、膝を痛めて、今は愛好会に所属。その友達・悠とルームシェア、愛をささやかれている。もちろん家族は知らないことだ。

描かれるのは、昭和のモーレツ社員と「ワークよりライフを重んじる」令和の若者との世代ギャップ。「うへぇ、昭和の男はいいよなぁ。現役の間は会社にだけ行ってればいいんだもん。令和の男はつらいよ、仕事も家事も育児も、同時進行で全部完璧にこなしてこそ一人前――こんなんじゃぁ結婚に夢なんて持てねえよ」・・・・・・

突如飛び込んできた正体不明の若い男だったが・・・・・・4人とも、どこかで会ったような気がしてくる。そしてその正体は・・・・・・。「ふつうの家族」の有り難さがじわっと浮き彫りにされてくる・・・・・・

とても良い小説。 


1785419017871.jpg「ルッキズムの科学」が副題。見た目で人を評価・差別するすることを揶揄する言葉の「ルッキズム」。外見主義、外見至上主義とも訳されるが、SNSなどメディア環境の変化、人権意識の高まりなどから、自分や他人の見た目を気にする意識は高まっているようだ。どうしても人は無自覚にルッキズムに陥りがちとなるが、容姿が人生を左右する残酷な現実を前に、どうすれば「見た目」の呪縛から逃れられるのか。顔研究の第一人者が、「顔に注目するのは人の性」で厄介なものだが、「外見を持つ人々の中身()のメカニズムの理解」の必要性を説き、「『見た目』ではなく、『見る目』を変えよう」とアドバイスする。

「見た目」の裏には、進化の過程で刻まれた生存本能と、発達の過程で学習する顔認知のメカニズムがある。ヒト以外の動物では表情は単純で、全身で表現する。人は顔で感情的なつながりを持つ。覆面をした人を目の前にすれば、「怖い!」という原始的な感情が湧き上がる。

この顔の学習は「生後7ヶ月」から劇的に始まると言う。生存本能に由来する。「人は600人程度の顔を、その名と共に思い出せる。芸能人やスポーツ選手や有名人を含め、4240人の顔を名前は思い出せなくても知っていると認識できる」と調査結果を示し、さらにネットの発達から現代人はさらに増加していると言う。そして、「似顔絵の極意は配置にあり」と、目・鼻・口の特徴ではなく、顔全体を覚えていると言う。

「異性にモテる魅力は、自分の遺伝子を残すための武器となる」「ひとつの基準で見る欧米人、全体で見る東アジア人」「『見返り美人』は成立しない」「『かわいい』好きは日本の特徴(未熟さやあどけなさを魅力とし、甘えを許す日本の文化」「顎から男女を区別するイギリス人、顎と眉で区別する日本人」・・・・・・

「顔研究と『優生思想』の危うい関係」――。「区別と差別は違う」「顔研究は常に差別と隣り合っている。過去の研究を常に反省しながら、歴史の痛みを知りつつ研究するのが顔研究の醍醐味」「先入観は間違うことが多い。私たちは、顔から性格を当てるのではなく、印象を当てようとする。性格は決定的なものだが、印象は変わりゆくもの」と言う。

「セルフイメージと『自意識』による囚われ」――。「公的自己意識と私的自己意識」「醜形恐怖症と摂食障害」「美しさの評価には揺らぎがある」「顔に眉があるのは生物の中でヒトだけ。眉は表情を作り上げ、感情を伝染させる効果的働き」・・・・・・。ないものねだりせずに自分の能力を把握し、現状から出発する。欠点をカバーし、長所を生かすことの大切さを言っている。

そして「見た目」ではなく、「見る目」の大事なこと、動きのある表情などの重要さを指摘している。人とのコミュニケーション、「動いている顔」が大事だと言うのはよくわかる。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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