「刑事たちの昭和は終わらない。真犯人を捕えるその日まで」――。今年は昭和100年。昭和、平成、令和の刑事が迷宮入りと思われた殺人事件に挑み続け、その執念が、時代をまたぐ3つの事件のつながりを暴く。重厚な骨太のミステリーは圧倒的で圧巻。
令和6年2月、葛飾署管内で、かつて「兜町の異端児」と言われた老人・桜井信吾の変死体が発見される。担当となった若き女性刑事・藤森菜摘は、櫻井が50年前の昭和49年(1974)に起きた佃島一家四人殺傷事件の重要参考人であったことを知る。そしてこの捜査を任され、歴代の捜査資料を渡される。
その昭和49年の佃島一家殺傷事件はいまだ未解決。嵐の夜、須黒武光・昌枝夫妻と、娘の美代子が、日本刀などで惨殺された事件。母が助けようと、息子・良一に覆い被さり息子だけ助かった。担当したのは元マル暴担当で喧嘩っ早い鎌田幸三と若手で理詰めで考える湯浅卓哉のお馴染みの凸凹コンビ。犯人は3〜4人。捜査を進めると日本刀で惨殺された須黒は実は金井勝という元乗っ取り屋がなりすましたもので、昭和25年、函館で起きた一家皆殺し事件の犯人のうちの1人だと目されていたのだ。鎌田と湯浅のコンビは、夜汽車に乗って函館に向かう。犯人とされたのは、九重徳次郎富岳銀行函館支店預金係長、金井勝、児島玲人(磯川会若頭補佐)の3人。この3人の関係を洗うと、1930年代の満州国建設に関係することがわかる。九重のみが逮捕され、海に身を投げ死んだとされていた。死んだはずの九重が実は生きており、その復讐で昭和49年の佃島一家殺傷事件となっていくわけだが・・・・・・。
実に複雑。戦後の混乱、隠し金、3億円事件、戦後を引きずってのバブルの狂騒、オウム事件などの世相が巧みに織り込まれ、さらに横須賀市元児童養護施設経営者親子殺人事件、横須賀市土建業男性殺人事件などが派生していく。全てが絡んでいる複雑な事件が続いていたのだ。
昭和、平成、令和の刑事3世代の執念の粘りに粘った戦いが重厚さを増している。最後は、どんでん返しに次ぐどんでん返し。昭和100年、戦後の暗部を引きずった事件の悲惨と悲哀がどうしようもなく伝わってくる。その時代を事件で描きつつ綴る圧倒的な警察サスペンス。
「日本と世界に何が起きるのか」が副題。2024年11月の刊行。今なお続くウクライナ戦争は「世界に何が起きているのか」をあらわにしている。
冒頭に、ウクライナ戦争に対して「10の驚き」を提示している。「ヨーロッパで戦争が起きたこと」「敵対する2国がアメリカとロシアだったこと」「ウクライナの軍事的抵抗の強さ(ウクライナは1991年の独立以降、人口流出と出生率の低下により1100万人の人口を失い、オルガルヒに支配され、汚職のレベルは常軌を逸する崩壊状態にあった国だったが、戦争自体が存在理由となった)」、そして「経済制裁があっても、ロシアは強靭で安定していたこと」「ヨーロッパの主体的な意思の崩壊(特にドイツとフランスの違い)」「イギリスが反ロシア派として現れ、こうした好戦主義はフィンランド、スウェーデンのスカンジナビアに現れ、NATOに加盟したこと」、さらに「軍事大国アメリカがウクライナに対し砲弾をはじめ何も確実に供給できなくなっていること」「インド、イラン、トルコなど『その他の国』が西側に組せず敵意すら持つ発展途上国がいること」を挙げる。まさに「西洋の敗北」と指摘している。そして「ウクライナの軍事的優位性(頑張り?)が、逆説的にアメリカを罠にはめてしまった」とも言うのだ。
つまり、ウクライナ戦争は"世界のリアル"を白日のものにさらし数々の「真実」を明らかにしたと見る。それは「ロシア社会の安定、勝利は、確実でも5年以内に決着を迫られるロシア、戦争自体が存在理由となったウクライナ、反ロ感情とドイツ経済に支配される東欧と例外のハンガリー、対米自立という夢を失った欧州、国民国家としての衰弱・崩壊のイギリス、フェミニズムが好戦主義を生んだスカンジナビアの逸脱、知性もモラルも欠いた学歴だけのギャングが外交・軍事を司り、モノではなくドルだけを生産するアメリカの衰退、ロシアの勝利を望む『その他の世界』」という構図だ。
本書は、政治・経済・軍事だけでなく、「なぜ、そうなっているのか」の根源を抉り出している。「今日の危機は、プロテスタンティズム・ ゼロ状態への到達だ」と指摘する。M・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で指摘している精神だ。良き時代のアメリカは、プロテスタンティズムのポジティブな価値観(高い教育水準、白人間の平等主義)が横溢していた。著者は「1930年代のドイツのダイナミズムと、現在のアメリカのダイナミズムは、空虚を原動力とする点で共通している」「今日のアメリカに私が見るのは、思想面における危険な『空虚さ』と脅迫観念として残存している『金』と『権力』である。金と権力は、それ自体が目的や価値観にはなり得ない。この空虚が、自己破壊、軍国主義、慢性的な否定的姿勢、要するにニヒリズムへの傾向をもたらす」と言う。「プロテスタンティズム・ ゼロ状態」へ向かうアメリカは神という権威の監視を感じなくなり、出生率は低下し、性革命・ジェンダー革命が進むが、著者は「トランスジェンダー」は別次元の問題と指摘する。知性の崩壊、黒人の解放、銃乱射事件、肥満、少数の最富裕層が寡頭的社会の頂点を形成する社会----。全てがそこに連鎖する。「つまり、ロシアの権威主義的民主主義に対する西洋の戦いを主導しているのは、『自由民主主義』ではなく、ニヒリズムによって磨き上げられた『リベラル寡頭制』なのである」「アメリカの寡頭制の悲劇は大部分が虚飾でしかなく、しかも崩壊の過程にある経済の上に君臨しているという点にあるのだ」と言い、ドルという不治の病(米国経済の虚飾)などを示している。
そして日本----。「西洋の敗北は、日本が『独自の存在』としての自らについて再び考え始める機会になるはずだ。日本が西洋の一部としてではなく、ネオリベラルの極西洋(アメリカ、イギリス、フランス)と『その他の世界』の仲介役として自らを捉える機会にもなるはずだ」と言っている。
「『疲れやすさ』と『老化』の正体」が副題。「糖質疲労」とは、「食事の後、しばらくして眠い、だるい。十分食べたはずなのに、すぐ小腹が減る、集中力が途切れる、イライラする、首の後ろがずんと重くなる」を糖尿病専門医の著者が名付けた概念。「今日のパフォーマンスと、未来の健康を脅かす『糖質疲労』」「体に良いはずの健康習慣が『糖質疲労』を招いている」と警告を鳴らす。
一般的な健康診断でチェックするのは、空腹時の血糖値だが、「食後高血糖」と「血糖値スパイク」により感じている食後の体調不良が「糖質疲労」の様々な症状。「空腹時血糖値が異常となる10年ほど前から、食後高血糖が生じていることが報告されている」と指摘する。「これを放置しておいてはいけない」- ――。それを解消するためには、「食べ方を変えること」「『糖質を取る量を控え』『その分、たんぱく質と脂質をお腹いっぱい食べ』『食べる順番を意識する』という食べ方。シンプルで、食事に満足感が持てる、無理のない食べ方です」と言い、「ロカボ」と呼ばれる食べ方を推奨する。
「手軽で、おいしい食事は糖質に偏りがち(間食は多くが糖質中心の食品)」「日本人は世界的に見て、たんぱく質不足・糖質過多」「ロカボ(ローカーボハイドレート=低糖質)の7ルールとは、(1) 1日に取る糖質の量は70〜130グラム以内(2)お腹がいっぱいになるまで食べる(3)たんぱく質、脂質、食物繊維をしっかりとる(4)早食いをせずカーボラストでとる)」など・・・・・・。
従来の健康習慣とは異なる指摘もある。無頓着で来たことが多いが、高齢社会、長寿社会となっている今の日本。食生活の基本から整えることが必要となっている。
話題を呼んだデビュー作「禁忌の子」に続く第二弾。救急医・武田の元に搬送されてきた自分と瓜二つの溺死体から自身との関係を探る前作。武田は旧友で医師の城崎響介と共に調査をするが、今回はその城崎と研修医の春田芽衣が主人公。
研修医の春田は実習で、城崎は過疎地医療協力で派遣。2人は北海道の温泉湖の近くの山奥にある更冠病院へ向かう。車で向かう途中、病院一帯はとんでもない濃霧に覆われ2メートル先も見えない。やっとたどり着くが、濃霧で病院は誰も出入りできない状況。そんななか、春田が中学のバスケ時代、大変お世話になり、会うのを楽しみにしていた病院のスタッフ・九条環が変死体となって発見される。硫化水素中毒死の所見。城崎は「殺された可能性が極めて高いと思ってる」と言うのだった。
さらに、霧に閉ざされた翌朝、大地震が発生。加えてその影響で、病院の周囲には硫化水素ガスが流れ込んでしまう。霧と大地震での建物のダメージ、硫化水素ガス。霧が晴れない限り、脱出する方法がない――まさに、白い檻。しかも死の硫化水素は地下にたまり、そして1階、2階へと上がってきた。
さらに、八代院長の切断された首がクローゼットの中から発見。入院患者射殺事件が続いて起きる。わずか三日間の「白い檻」の中で。城崎と春田は死の迫るギリギリの中で、かつてこの病院の産婦人科で起きた母子死亡事故に絡む真相に迫っていく・・・・・・。
過疎地医療の厳しい現実とその歪み、災害下で患者を守り生き抜こうとする医療従事者たちの極限の戦いが悲しいまでに伝わってくる。若き現役医師による本格ミステリの力作。
安部龍太郎・佐藤優対談「対決!日本史」シリーズの第6弾。満州事変(1931年<昭和6>9月)から日米開戦(1941年<昭和16>12月)まで10年間にわたるアジア・太平洋戦争の歴史について語る。
「満州事変以降、日本は国の道筋を誤った」――。その満州事変、リットン調査団来日、満州国建国、5.15事件、国際連盟脱退、2.26事件、盧溝橋で日中両軍衝突・日中戦争、南京事件、ノモンハン事件、南進政策、日独伊三国同盟、日本軍のマレー半島上陸・ハワイ真珠湾攻撃・・・・・・。
帯には「破滅への分水嶺を見極めろ」「この対論における重要なテーマは、民衆から遊離した愚かな指導者たちが、この時代にどのようなことをしたかについて考察することだった。それは単に過去を断罪するためではない」「戦争は人間を破壊するーーその現実を歴史から学ぶことは平和を築く礎となる」とある。
「なぜ愚かな戦争の泥沼に入っていったのか」――この80年、数多くの歴史研究があるが、共に父親が南京攻撃の場におり、共に歴史・思想的作家であり、共に博覧強記、共に「もう、あげんなったら普通じゃおられん(南京についての安部氏の父親の証言)」という民衆の現場から見ているだけに、現場の生々しい息遣いが伝わってくる歴史対談となっている。「愚かさを克服して、二度と戦争という悲惨で、残酷な事態を引き起こさないようにしなくてはならない」「ここで不可欠になるのが平和の価値観だ」として、佐藤氏は「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争は、まだつづいていた。愚かな指導者たちに率いられた国民もまた、まことに哀れである」(池田大作著「人間革命」第1巻)をひいている
「どうしたら日本は、アメリカとの戦争を避けることができたのか」――。いくつもチャンスはあったと言う。「ドイツがソ連を攻撃した1941年6月22日が歴史の転換点だった」「あの時、日本が日独伊三国軍事同盟を破棄し、日米首脳会談を行えば、安部が言うように、日米戦争を回避することが可能だったと私も思う」と言う。また「近衛文麿・蒋介石トップ会談で回避できた日中戦争(1937年7月の盧溝橋事件直後)」「1932年10月、リットン調査団の報告書では、『満州における日本の権益を維持していい』となっている。しかし、不拡大方針はことごとく失われた」・・・・・・。軍部の暴走、5.15事件、2.26事件、ABCD包囲網などについても現場背景のリアルから鋭角的に論じている。
その現場のリアルとして五味川純平の「戦争と人間」(山本薩夫監督)の映画、高倉健が主演した「動乱」、原節子主演の日独合作映画「新しき土」、加山雄三が記者として主演する「激動の昭和史 軍閥」、高倉健主演の映画「2・ 26事件 脱出」、1942年に公開された国策映画「間諜未だ死せず」などの映画が紹介される。このようにリアルを重視する珍しい対談でもある。極めて面白い意義ある対談。