京大相撲部出身で、あの「月刊相撲」の編集に携わり相撲に関わり続けた十枝慶二さんの著作。ただの「相撲好き」のレベルをはるかに超えた人生と言える。2019年出版の本。白鵬の「荒々しい相撲」が問題となり、貴乃花問題が世上を騒がせ、稀勢の里が横綱になりながら怪我をし引退していく頃の出版だが、今も生々しく、かつ「相撲」愛が溢れている。
相撲のルーツは、「古事記の出雲の国譲り」「日本書紀の野見宿禰と當麻蹶速の対決」。鎌倉時代の「曾我物語」の「珍手『河津掛け』のルーツは河津祐泰か蛙か」も面白い。「弓取式の始まりは、織田信長の上覧相撲」「勧進相撲が鎌倉時代から行われ、江戸時代も(一旦中止されたが深川の富岡八幡宮で再開されたのが1684年)」・・・・・・。
「横綱のルーツは寛政元年(1789)の谷風と小野川」「横綱は地位ではなく授与。イベントの時の称号。何故か初代のはずの谷風が第4代、小野川が第5代」「横綱が番付に載ったのはすねた横綱(第16代西ノ海)をなだめるため(明治21年)」「大関は空位がない(横綱大関)」「1場所全部引き分けの横綱がいた(18代大砲)」・・・・・・。
「戦後の大相撲復興のために生まれた『三賞』、優勝決定戦も昭和22年から」「四本柱がなくなった(昭和27年)」・・・・・・。「ビデオ判定は、昭和44年春場所の大鵬ー戸田戦があったので(実は大鵬が勝っていた)」――。観ていたので、記憶は鮮明だ。鏡里、東富士、吉葉山、栃若時代、柏鵬時代・・・・・・。今に至る間の相撲界の出来事はあまりにも鮮明だ。私の相撲との付き合いは、昭和20年代後半から、そして京大相撲部時代、卒業した後、そして浅草橋に住んでいた時代、多くの関取、相撲部屋とのつながりの国会議員時代・・・・・・。
激しい稽古、怪我は絶えない。死に物狂いで上を目指す若者たち。国技館での美しい相撲の裏にある著者の言う「絶対に逃げない(稀勢の里の魅力)」、「手を抜かない」「真剣勝負」があっての表の相撲人気だと思う。
思いのこもった著作だ。
大手広告代理店の就職面接で大物議員や財閥の9人の子女が毒物を飲まされ、7人が死亡、2人が重体となった。同時刻、銃を持った男が電力会社に侵入、1人の女性に銃を突き付け、ビル全体を人質に立てこもった。
テレビで犯人を見た相模原市の猪瀬由佳子は、「え、お兄ちゃん⁈」と驚愕。長年ずっと家に引きこもっていたはずの体の大きい兄・順一だ。一方、大学2年生の阿藤翔矢は、「母さん?」と立てこもり犯に羽交い締めにされた女性が映るテレビ画面に瞠目した。そんな所にいるはずもない母。父に連絡するが、留守電のメッセージが流れるだけ。
犯人は叫ぶ。「聞け! 要求はこれだ! おれたちに、人生を返せ! 終身雇用制度を返せ! これほど派遣社員だらけになる前、規制緩和される前の社会を返せ! 新卒じゃなくても、まともな職に就ける世の中にしてみせろ!」・・・・・・。特殊部隊に囲まれるなか、飛びついた警備員とともに、非常階段のフェンスが壊れ落下。2人は死亡、人質の女性は重症で意識不明となる。特捜本部が設置され、「港区七人毒殺・千代田区立てこもり事件特別捜査本部」が立ち上がる。
猪瀬順一のパソコンを押収、鍵アカウントで5人で会話をしていたことが判明する。いずれも昭和47、48年生まれの就職氷河期世代。妹・由佳子は、「兄は"社会を憂う男"になってみたかったんですよ。世間を騒がせて、でかいことをやって、一目置かれたかった」と言い、仲間に乗せられたと言うのだった。捜査本部が、SNSの見元を洗っていくなか、YouTubeをはじめとする無料動画共有サービス4社に、犯行声明動画がアップロードされる。「おれたち氷河期世代の復讐を目の玉かっぱじって見ておけ」・・・・・・。
そうしたなか、翔矢の父・阿藤誠が遺体として発見され、新たに「大手総合商社『加納啓商事』」立てこもり事件が起きる。犯人は、「見てろ! おれたち氷河期世代が、ついに反乱のターンに入ったぞ!」と野次馬に向かって叫んだと言う。銃で3人が死亡、2人が重傷、犯人は自分のこめかみを銃で撃ち抜く最悪の結果となった。
ネットの調査が進み、氷河期世代の絶望と恨みが明らかになっていくが・・・・・・。
不遇を囲ってきた世代の怒りや悲しみ、怨念とともに、ネット社会の匿名性と隠れた連携の怖さがストレートにに描かれる。
「『デュアルユース問題』とは何か?」が副題。デュアルユース技術とは、軍事目的と民生目的のいずれにも利用できる技術。そのいずれにも利用されてしまう状況を問題視するのがデュアルユース問題だ。「ロケットは宇宙開発の夢を運ぶ一方で、弾道ミサイルにもなる。バイオテクノロジーは、病気の治療に貢献する一方で、生物兵器の脅威もはらんでいる。ロボットは未来技術の象徴だが、AIを搭載したロボットは兵器にもなり得る」のだ。ウクライナを見ても、ドローンが主要兵器となっており、土木・建築の世界でドローンを有効な防災・減災・国土強靭化の技術として使っている者にとって、その恩恵と危害は直面した問題である。同じ技術が善と悪の両面を有する問題が、「善悪デュアルユース問題」である。
科学技術を禁止することは非現実的だが、全てを「仕方がない」と放置するのも非現実的。「科学技術を人々にどのくらい開放し制限するか、危害をどのくらい許容し拒絶するか、この線引きを探る境界問題といえる。そのため、技術の細部に立ち入ることが不可欠です」と言う。
「人間が想像できることは人間が必ず実現できる(SF作家ジュール・ヴェルヌ)」は事実だが、「2010年代前半までは『宇宙は軍事化されているが、武装化されていない』と言われたが、ここ10年、『軍事化から武装化へと時代が進展した』という見方が強まっている」と言う。
まず取り上げられているのが、「宇宙技術」――。GPSは、米国と同盟国のための軍事システムだった。これが今、民間に解放されている。民間開放のきっかけは、1983年の大韓航空機撃墜事件。ところがそのまま受け入れるというより、米国の都合で突然使用が停止する可能性をありとして、各国は米国のGPSを利用しつつ、自前の測位衛星を打ち上げ自前のGPSを構築しつつある。気象観測衛星も、起源は偵察衛星。米国は、独自の通信衛星を保有しているが、イーロン・マスクのスペースXのスターリンクは、無数の小型衛星をつなぐことで、地球上のありとあらゆるところから通信を可能にし、ウクライナ戦争でもロシアによって破壊されたウクライナ軍の通信網の代わりに、スターリングが通信網を代行した。宇宙における軍事活動も進んでおり、米国は2019年に第6軍として宇宙軍を誕生させた。日本も宇宙作戦集団が2026年度末に新編され、2027年度に航空宇宙自衛隊になる予定。軍事化から武装化の進展だ。
懸念されるのは宇宙ゴミ、いわゆるスペース・デブリの問題だ。兵器実験によるデブリ増加はこの10年顕著で予断を許さない。宇宙資源ビジネス、宇宙構造物も進む。軍事利用・テロ転用、地球に岩石を爆弾として撃ち込むマスドライバー、「コロニー落とし」など、宇宙の平和と軍事のディレンマが現在化してくる。
本書は、この「宇宙」に引き続き「バイオテクノロジー(バイオテクノロジーの恩恵、細菌やウィルスの軍事利用、生物テロの脅威)」「サイバー技術(現代のハッキング、マルウェアの登場と社会問題化、SNSの言論統制とダークウェブ、サイバー戦争の実践)」が語られる。
「A I」については、生成AIの誕生以来、局面は全く新しい段階に突入したと実感する。「ロボット・ドローン」の軍事利用は急速度だ。ウクライナ戦争で当初、ロシアが使用したドローンはイラン製のシャヘド。「撃墜したシャヘドを分解したところ、使用されている部品のうち、米国製の部品が55個、中国製の部品が15個、スイス製の部品が13個、日本製の部品が6個含まれていたとのこと」と言う。最新鋭のものは自律化が進んでいる。
「最終的に方針を決めるのは社会、すなわち私たち自身です。静穏・勇気・知恵を念頭に置きつつ、技術の未来を想像力で補完しながら、先手先手で対策していくより、他に道はないのだ」と言う。テクノロジーの最先端、全領域にわたる恩恵と危害----ますます苦悩と危機は深い。
世界を常識を超えた振幅で描き、読者を異次元の世界に放り込む綾辻行人。人間の心の中には、そうした狂気や闇があるからこそだと思うが、どす黒さの中にちょっとユーモアやペーソスをが挟み込まれるのも魅力。著者が選んだ4小編のミステリー&ホラー傑作選。
「心の闇――。エコー検査をすると画像にかなり広範囲にガス星雲のような真っ黒な影が広がっている。医者は「私」に「これは<心の闇>です」と手術で取り除くと言う。手術をして・・・・・・。最後、思いもよらぬ「私」の行動はどんでん返しの衝撃的。
「悪魔の手――313号室の患者」――。とある総合病院の精神科病棟。313号室に入院中の母を見舞う三浪中の男。突然めまいがして、幻覚に襲われる。「母が発狂し父親を刺殺。自分にも襲いかかり鋭い刃を僕の足に突き立てた。何度も何度も、何度も・・・・・・」。母に会い、「青いビロード張りの小箱」を母の持っていた鍵で開けると、ノートが1冊出てきた。「ぼくの名まえはかんざきただしです」に始まる日記が出てきて、「へんなゆめをまた見ました」「だれかがぼくの首をしめている」・・・・・・。「忠と涼は畸型の双子だったの・・・・・・」という驚愕の事実を知ることに・・・・・・。次々に起こる恐ろしい出来事。そして、最後の1行でどんでん返しのどんでん返し。313号室には誰がいる?
「どんどん橋、落ちた」・・・・・・。「誰が犯人か」の読者への挑戦が挿入された"犯人当て小説"。山の中に深い谷があり、老朽化した長い吊り橋「どんどん橋」がかかっている。その近くでキャンプに来た5人。小学6年生のいたずら好きな子供が危険な橋を渡ったところで橋が落ち、孤立。やがて死体として発見される。村に住むものか、残る4人の中に犯人が・・・・・・。結末は意外や意外。
「再生」――。これぞホラー小説。人里離れた山中の別荘。「私の眼前には今、妻、由伊の身体がある。今ここにいる彼女の身体には顔がない、頭がない」「私は待っているのだった。ひたすら待ち続けているのだった。彼女のその身体から、新しい首が生えてくるのを」・・・・・・。大学の助教授とその女子大生であった彼女が結婚する。彼女は、失った指や腕や足が゛生えてくる"という身体だった。これも結末は恐るべきことに・・・・・・。
怪異、奇談、謎解き、自由自在のミステリ&ホラーの世界が起動する。
「リチャード・ローティの哲学」が副題。「分断」の線が100年前のように国と国の間に明確に引かれているだけでなく、同じ国の中で生きる市民たちの間にもはっきりと引かれてるような今の状況。相容れない集団同士の対立、互いに「われら」「やつら」と対立し、さらに昨今、「正しさ」がSNSで攻撃し合う社会となっている。この「『正しさ』で殴り合う世の中で他者とどう語り合えるか」「わかりあえない他者を敵にしないためにどうするか」――。リチャード・ローティの哲学から、「それでも人が共に生きる可能性」を問いかけ、"正しい"結論を求める「議論」「対話」ではなく「会話」の重要性とその可能性を指し示す。
ローティは、リベラルを自認していたが、「『正しさ』を武器のようにふるう攻撃的な立場ではなく、『正しさ』に伴う攻撃性に向き合い、抑制的であるように努め、それを自らに課す態度」「ことばづかいこそが決定的に大切なのだ」と言う。そして「『絶対的な正しさ』や『客観的な根拠』は有害でさえあって、きっぱり手を切るべきだ」「客観性(絶対的・必然的な正しさ)ではなく連帯を」と言う。「否応なくバラバラな世界で、バラバラなまま、しかし共に生きるために、どんなことばを使うべきなのか。事実に向かい合い、お互いに降りかかる苦しみや痛みが取り除かれるよう願うこと、手を携えること、ことばを交わすこと。それが連帯だ」と言う。ネガティブ・ケイパビリティが必要だと思う。
伝統的な哲学はプラトン以来、「真理を探求するもの」「普遍を求めるもの」とされてきた。デカルトも「普遍的なものを客観的にどう認識するか」、西洋分析哲学(言語哲学)である。その意味で、ローティは「アンチ哲学」となる。「哲学の役割は、正解を出して会話を終わらせることではなく(黙らせることを目指さない)、人々が会話を続けられるようにすることだ」「真理ではなく言語実践。哲学は、永久に答えが出ないような話をするのではなく具体的なことばづかいの問題にこそ固執すべきなのだ。ことばを使って自由に自己創造ができる」と言うのだ。
ローティは、「哲学と自然の鏡」「偶然性・アイロニー・連帯」を主著とするが、「アイロニーの対極にあるのは常識である」「自分の終極の語彙が、絶対のものだとは思わず『さらに良い』方向へ向かっていこうとするのがアイロニスト」と言う。常識は「自分が正しい」を招いてしまう。そして「公と私が合致する『共通の本性』などはない」」「『公私の一致』という理想が人を黙らせる」と言う。そして「リベラル・アイロニストであるからこそ、それぞれバラバラなままで、それでも共に生きるという『連帯』の希望を抱くことができるのです」と著者は導き出している。
「ことばによる『非-人間化』に抗う(われわれとやつら、やつらは人間ではなくゴキブリ)」――。「連帯」は、真理の探求や知識の基礎づけによって発見されるのではなく、個別の人間に対して、同情やシンパシーといったものを手がかりに創っていかざるを得ないものだと言う。そして「残酷さ」に対する感性を磨き、天から降ってくるような「正義」ではなく、会話によって「われわれ」を拡張することだと言う。それは「小さな手がかりから連帯せよ」「われわれという範疇を少しでも広げることだ」と示唆する。
「分極化した時代をどう生きるか――ローティの『予言』から考える」――。トランプ現象の予言と「文化左翼」批判、攻撃的な自国第一主義と専制政治批判を通じ、「現状を嘆き、根本的な価値転換を謳い、本質的な解決といった空手形を切って、大衆に『改心』を迫るような『知識人』たちの身ぶりを、老いたローティは肩をすくめながら、しかし真剣に戒めている」と言う。
そして「『正しさ』を乗りこなす――『リベラル』を描き直すために」――。「共生の作法としての『リベラル』」「他者と共にいることに耐え、ことほぐ作法としての『会話』」「バラバラな世界で、共に生きる」。たくさんの「正しさ」に取り囲まれている私たちだが、それぞれに異なる「正しさ」を踏まえてどう一緒にやっていくか、終わることのない営為だ。最も普通のようだが、最も難しい営為。現実を直視した臨機応変の自在の知恵のダイナミズムだと思いを深くした。
