「原発不明がん、160日の記録」が副題。毎年、神経質なほど体調を気にして、人間ドックを受け続けていた夫が、筋トレなどスポーツクラブのレッスンの後、突然、腹部の激痛に襲われる。病院で腸閉塞の診断が下るが、どれだけ検査を行っても原因は特定されず、ただ時間ばかりが経過し、どんどん衰弱していく。「ここまで検査してもがん細胞は見つからないので、その心配はないだろう」と医師は言う。しかし病状はどんどん悪化し、医師も焦る。コロナ禍でもあり、妻の面会もままならない。「怒りと焦りと不安で胸が潰れそう」な毎日となる。そして入院から3ヶ月、ようやく告げられたのは、「腹水内にがん細胞が発見された」「原発不明がん」「余命はあと数週間ではないか」という砕けそうな非情極まりない事実だった。
「がん」は、悪性腫瘍の総称。「癌」は肺や胃など臓器の上皮細胞から生まれた悪性腫瘍を指す。「原発不明がん」は、原発がわからないがんで、全がん患者の3%というが、症状がそれぞれ全く違い、先行きを予想することが大変難しい。原発巣が確定できないので、抗がん剤治療などができない。治療できなければ、体力がどんどん奪われ、がんに抗する力がさらに減退する。まさに表題にある「見えない死神」。悔しいが本当に厳しい。
治療の断念、退院と緩和ケアの開始、自宅での看取り。発症から夫が亡くなるまでの160日を克明に綴る。読んでいて息苦しく、悔しく、「希少がん」を現代医学は何とか克服できないのか。緩和ケア、患者サポートセンター、医療ソーシャルワーカー、訪問看護師がいかに大切か。多くのことを問いかける生死の最前線に迫る著者自身の震えるようなノンフィクション。
第15回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作。「イスタンブールの魂と力はボスポラス海峡から来るのである(オルハン・パムク)」――。東西が交差し融合する魅惑の都市・イスタンブールで起きた不可解な自殺と連続殺人事件。自殺した日本人ピアニスト・古谷ヒデミは遺書として「私に死を決意させた女たち、真の犯罪者たちをここに告発します」と3人の名前をあげる手紙を送っていた。在イスタンブール日本人の丸川真理恵、山屋葉月とインターナショナルスクール教師のエジェ・ カプランの3人が、その子を使ってヒデミの息子・海斗をいじめ、脅しをかけ、犯罪者に仕立て上げようと企んだという告発だ。捜査に入った左遷明けのオヌール警部補、彼の部下で漫画好きのジャン巡査部長、そして本庁国際犯罪課のエリート警部・セルビルの3人は、その謎めいた告発の裏取り調査を進める。
その中で、在トルココミュニティーのチューヅマ(駐在員の妻)たちの特殊なヒエラルキーの人間関係が浮かび上がる。さらにこの街で女性の転落事件が頻発しており、そこに関連があるのかどうかが調べられていく。さらに、この3人の女性はパリの高級ブランド「エベール」の模造品売買を行っていることが発覚。また転落死した女性・トゥーチェはカプランの手下で、ヒデミの夫で大学特任教授の古谷渉を誘惑し、愛人関係にあったこともわかる。「ヒデミのプライドをボロ切れ同然にすること。理由はヒデミへの嫉妬、理屈なき憎悪----」との証言も出てくる。さらにその古谷渉が襲われ死亡する事件、カプランが連れ去られる事件が起きる。実に複雑怪奇・・・・・・。
事件は、「子供を使ったセレブ駐妻の嫌がらせ」というありがちな物語にしては凄惨すぎる。次第に全く反対のヒデミと息子・海斗の特異性が明らかになってくる。ヒデミは怨念の中で人を操る「女神アテ」、海斗は瓜二つの同じ悪魔的な知恵を持ち自分の野心のために邪魔なものを全て排除する恐るべき悪魔のような子であることがわかっていく・・・・・・。
描かれるこれらは、主にある1日の出来事。あまりに複雑、あまりに多場面、あまりの多視点で、迷路に入ったようで翻弄され続ける。「今度の醜い土鳩は、子供を喰った」――。ボスポラス海峡、イスタンブールの上空を飛ぶ土鳩の表紙が不気味で印象的だ。
「脳が欲しがる本当の休息」が副題。「睡眠中は脳も休んでいるといわれるが、実は脳は眠らない」「睡眠は、あくまで体を休めるため、エネルギー節約のシステムである可能性が高く、脳は切り離して考えるべきだ」「脳は眠らない。眠らないけれど、いつも24時間コンビニのようにピカピカに掃除が行き届き、他の在庫も補充されている。深いノンレム睡眠の時、老廃物を洗い流し記憶の定着が行われている」「記憶のメカニズムで大切なのは『忘却の力』」と解説している。
それでは、「脳が欲しがる本当の休息」とは何か。それは睡眠ではない。日本は世界一の"短眠族"なのだ。「脳の回復には、睡眠より『刺激』だ。刺激がないと脳の認知機能は衰える」と言う。そして「不夜脳は無理をして24時間活動しているのではなく、『休まないことこそ、脳に最適な働き方』と言っていい」と解説している。
「睡眠は『脳疲労』を解決しない」――。脳は刺激をシャットアウトするような休息はそれほど求めていない。それよりも運動をしたり、言語を覚えたり、音楽を聴いたり、様々な「適切な刺激」を入れることがより元気な脳を作る、と言う。
そこで、「疲労知らずの脳の鍛え方」――。人間は「飢餓」に強くできており、食べ過ぎと運動不足がいけない。「間欠的断食で、脳を鍛える(疲れたときには甘いものというのは間違い。糖質は脳の疲れを癒さない)」。甘いもので、活力が戻ると言うのは脳の栄養補給ではなく、脳でドーパミンが出るからだと言う。「脳の糖分」にはクルミが良い(オメガ3脂肪酸が豊富)。脳を鍛えるには「外国語学習」「読書(内部刺激が脳を動かし、より深くより長く前頭前野を動かし、没入するなら読書がすごい脳トレになる)」「スマホゲーム」「ポケモンGO」「ダンス(リズム活動が脳に良い)」「目隠し、目を瞑る」「麻雀」・・・・・・。なるほどと思う。それに体のどこかの「慢性炎症」を治療しておくことが大事だと指摘している。
ただし、「『脳は眠らない』と主張する本書は、『断眠のすすめ』ではない。眠らなければ命が危ないのだ」と言う。そこで疲れる前にやって疲労をためない「脳の疲労を癒す方法」を示す。「まず横になり、副交感神経優位な状態にすること」「瞑想。なるべく外部からの刺激をシャットアウトする」「40ヘルツの音波刺激」「森林浴刺激」「ジャンクフード中毒など依存食物刺激を避けること」「ハーブ刺激(お疲れさまの一杯はお茶で良い)(緑茶もハーブの一つ)」「入浴サウナ刺激」「脳のリラックスには『冷却』が基本」「安心刺激。予測的中やお約束のパターンは安らぎのストーリー」・・・・・・。
都市伝説が溢れているが、著者は機能脳神経外科医の脳の専門家だが、プロの麻雀士でもあるという。現場からの「脳が欲しがる『刺激』と『癒し』の本当の休息」のアドバイス。
昨年秋に放送されたNHKシリーズ。「国文学、民族学を通じて日本を、日本文化を見つめた巨人・折口信夫(1887~1953)」をあらゆる方向から描き出す。まさに凄まじい巨人だ。
欧米の文明・文化を急速度に受容した明治日本。しかしそのなかで、1900年を前後して、「日本とは、日本人とは」を問いかけ、世界に発信した知識人がいた。内村鑑三の「代表的日本人」(1894年)、新渡戸稲造の「武士道」(1899年)、岡倉天心の「茶の本」(1906年)、そして牧口常三郎(後に創価学会初代会長)の「人生地理学」(1903年)。これを日本文化論の第一世代とすれば、「鈴木大拙、和辻哲郎、柳田國男、折口信夫が第二世代」「彼らは上層よりも下層部の人々の生活を、都市よりも田舎の人々の生活を中心とした日本文化研究を行った」と言う。それは「近代の学問が止めどもなく細分化する『切り裂く知性』なのに対し、人格形成の『包み込む知性』」であり、折口信夫は国文学研究、民族学研究、芸能研究、宗教研究、神道研究、さらに釈迢空の名の歌人であり、小説も珠玉の評論もする巨人であった。それはいずれも、神と人との関係を観察してゆくことである。また宗教文化を肯定的に捉えるものであり、日本の伝統文化を無視して進む近代社会への抗議者でもあった。
「日本で最初の『万葉集』の全口語訳の人で、歌の数は4516首、全20巻に及ぶ。声に出して読むと、歌舞伎の台詞のように面白く、しかも借金を返すためにやったというから度肝を抜く。
柳田國男の「祖霊」論と折口信夫の「まれびと」論の激突が紹介される。祭りも芸能も他界、「あの世」からやってくる「まれびと」、常在しない外部から来る神様をもてなすという行為から生まれる文化だと言う。
「かそけき詩人、怒りの詩人」「常に弱者の側に立つ人(反権力的なスタンス)(アラヒトガミ事件)」「異端的知性のアイドルになっていった人」「大阪のボン、都会の趣味人」「愛に生き、羽咋に眠る人(石川県羽咋市に墓)」「日本的なるものを求めた人(日本文化は外国文化を受け入れて、自分たちの生活や思考、感覚に合わせるよう改善する文化)」「折口信夫の残した遺産」・・・・・・。まさに巨人だ。
「いま戦争を語らなきゃいけない」が副題。著者の「平和国家として歩んだ約80年間の政治の変容と世界における日本の現在地」の論考、保阪正康さんとの対談、「復刻 57人の戦争証言」の三部作よりなる。現在のロシアのウクライナ侵略、ガザでの戦闘を見ても、これまでの枠組みを覆す戦火が続き、北東アジアの安全保障環境の悪化と日本の抑止力強化への動きが顕著になっている。「戦争ほど残酷なものはない、戦争ほど悲惨なものはない」――そうした叫びが、憲法や非核三原則など強固な骨格を形成してきたが、昨今はそうした思考の骨格もなく、リアリズムの名のもとに軽く扱われることが危惧される。昭和100年、戦後80年、何が形骸化をもたらしているのか、日本の現在地とその思想はいかなる変化の中にあるのか。それを問いかける論考・対談・証言だ。
その意味では、保阪正康さんへのロングインタビュー「太平洋戦争への道程と非戦のための記憶の継承」は歴史を俯瞰して端的、急所を語る。「暴力を恐れた明治政府」「5つの国家像を模索した岩倉使節団。薩長の幕藩体制支配とそれを批判する自由主軸の土佐」「軍事主体となった背景(不平士族や自由民権運動を軍事で鎮圧)」「山縣の主権線と利益線で外へ」「政府と議会の関係が変わった。協力して富国・強兵」「賠償金を原資に軍備拡張、戦争がビジネスに。日清・日露・第一次世界大戦でも」・・・・・・。戦争と軍備が歴史経過を追って語られる。
そして、「戦争と皇室」が語られる。「明治政府による天皇の神格化」「戦争回避を願う天皇」「個人と天皇の一体化」「天皇の戦争責任」・・・・・・。「責任はあるに決まっている」が、「天皇は責任を取る立場ではありませんでした」と言う。
「敗戦のあの時に国民が誓った『もう戦争はしない。戦争はこりごりだ』という意識に亀裂が入っているように感じます(前田)」との問いに、保阪さんは、「前尾繁三郎は『保守は1日1日、革新することをいうのだ。1年先や2年先のことを暴力的にやるのではない』」「福田赳夫さんも非戦の人でした」「護憲だった後藤田正晴さん。二度とああいう帝国主義的な戦争をしない、内閣を暴走させないということを身にしみて思っている世代」。「やっぱり自民党がバランスを働かせていたと思います」と言っている。野中さんも古賀さんも・・・・・・。
「二度と戦争をしないために」----。「軍事で失ったものを軍事で取り返す。軍事的復讐。これは戦間期で醸成される思想」が歴史的に行われてきたが、日本は戦後、「戦間期の思想を、憲法も歴史教育も、日常の生活でも消し切っている。それは誇ってよい歴史だと思う」と言う。「日本は江戸時代の260年で外国と1回も戦争をしなかった。明治から昭和までの77年間はひどいことをやったが、その後は戦争していない。----単に被爆国だということを叫ぶことではなく、それを教訓化したときに、どういう哲学や思想を生み出したのか。それが世界的に通用するのか。まだそれを生み出すことはできていませんね」「80年間の非戦を財産にする使命。この強みを思想化していくこと、あるいは生活の中に持ち込んでいくこと、何かの先駆的な意味を持ってここから何か生み出すこと」の重要さを示している。「民主主義の後には、いつも影絵のようにファシズムがついてくる。民主主義は手ぬるいし、手間もかかるし、鬱陶しい。早く結論を出せ、勇猛果敢に----」。これがファシズムで、「新しい戦前」の意味だと警鐘を鳴らす。そして石橋湛山、桐生悠々、特に石橋湛山。「石橋と吉田の考え方の分かれ目は、権謀術数の中で生きる政治家と、信念を通す気骨のある男との対立だったと思う」「石橋湛山の憲法9条凍結論。9条は人類の理想である。しかし今すぐこうはならない。現実に対応してやっていこう」・・・・・・。
「復刻 57人の戦争証言」――。2.26事件、日中戦争、真珠湾攻撃、本土初空襲、総力戦と資源、ガダルカナル等でほころび、学徒出陣、東京大空襲、本土決戦、敗戦・・・・・・。「いくら戦争じゃからと言ってここまでやってええもんじゃろうか。日中戦争でも被爆でも皆殺しの地獄を嫌というほど経験した。絶対に戦争を繰り返さんでくれというのは、私の心からの願いじゃ」「一命は取りとめたが、耳と鼻は焼け落ち、まぶたも口も閉じない・・・・・・。心より 笑いし日々の有りしかな 傷痍軍人の叔父は逝きたり」「1942年4月18日、ドーリットル隊による本土初空襲、1年後の4月18日、山本五十六長官密林に突っ込み戦死」・・・・・・。とても言葉にできないほどの戦争の残酷と悲惨が語られる。
「生き残ったものが戦争を知り、理解し、継承する責任があると私は思いますね」・・・・・・。この言葉のギリギリのところまで来てると思う。
