2024年ノーベル文学賞受賞のハン・ガン氏の作品。選考委員会は、選考理由について、「歴史的な心の傷とトラウマに向き合いつつ、人間のもろさをあらわにした強力な詩的で散文文学の革新的存在といえる」としている。「少年が来る」では、いわゆる光州事件を描き、本書では、1948年に起きた朝鮮半島の現代史上最大のトラウマというべき済州島4・3事件をモチーフとしている。凄まじい迫害・虐殺の中で、心を空にして、残酷なほど美しい人間の愛。「この本が、究極の愛についての小説であることを願う」と著者は言う。男女の愛ではなく、生への執着としての無限の人間愛が圧倒的地熱で迫ってくる。
作家のキョンハ(私)は2014年の夏、虐殺に関する本を出してから、黒い木々に海が押し寄せ、そこに自分がたたずんでいる悪夢を見るようになる。ドキュメンタリー映画作家だった友人のインソンに相談し、短編映画にすると約束して4年が過ぎる。一人っ子のインソンは、認知症の母親の介護のため済州島の村の家に帰り看病していたが、4年前に母を亡くしていた。その葬儀の場で、キョンハはこの悪夢の話を伝えていたのだった。
ある日突然、インソンから「すぐ来て」とキョンハのもとにメールが来る。インソンは、木工作業中に指を切断してしまい、病院で苦痛の途切れることがない治療を受けていた。「済州島の家に今すぐ行って、残してきた鳥を助けて欲しい」とインソンは言うのだ。凄まじい暴風雪のなかキョンハは済州島の家に何とかたどり着き、4・3事件を生き延びた彼女の母の部屋にも入る。夢とも現実ともつかない中でインソンが現れ、話は進む。母の介護をしながら、母が4・3事件の深い傷を心の奥にしまい込み、真実を求め続けた苦痛と執念を知ることになる。衝撃的な虐殺と愛の話だ。
「その冬にこの島で、3 万人の人たちが殺害され、翌年の夏に陸地で20万人が殺害されたのは、偶然の連続ではないよね。この島で生きる30万人を皆殺しにしてでも共産化を押し止めろという米軍司令部の命令があり、それを実現する意志と怨念を装填した北出身の極右青年団員たちが、2週間の訓練を終えた後、警官の制服や軍服を着て、島に入ってきて、海岸が封鎖され、言論が統制され、新生児の頭を銃で狙うような狂気のわざが許容され・・・・・・」「事件の輪郭がはっきりしてきたある時点から、自分が変形していくのを感じたよ。人間が人間に何をしようが、もう驚きそうにない状態・・・・・・心臓の奥で、何かがもう毀損されていて、げっそりとえぐりとられたそこから滲んで出てくる血はもう赤くもないし、ほとばしることもなくて、ボロボロになったその切断面で、ただ諦念によってだけ止められる痛みが点滅する・・・・・・これが母さんの通ってきた場所だと、わかったの」・・・・・・。この世でいちばん弱い人が母で、生きた抜け殻みたいな人だと思っていたインソンだったが、実は母は、遺族会の中で最も情熱的で、兄の行方を探し続けた人であり、刑期を終えひっそりと暮らしていたインソンの父と出会っていったことを知るのだ。そして、「愛がどれほど恐ろしい苦痛かというわこと」を知っていく。
戦争後の冷戦下に続いた抵抗と迫害。恐怖。悲惨さ、残酷さ。虐殺。その中での人間愛・・・・・・。圧倒的な力作。斉藤真理子さんの訳も心が行き届いており素晴らしい。「別れを告げない」とは、「決して哀悼を終わらせないという決意」であり、「愛も哀悼も最後まで抱きしめていく決意」であると紹介している。
「『社会の縮図』としての鉄道マナ史」が副題。車内のマナーの変遷をたどりながら、現代日本における社会変容や都市構造の変化を考察するユニークな研究。人生そのものを振り返ることができる。
駅の構内、電車の中、ゴミや喫煙、混雑の度合い、治安、騒音、音楽プレイヤー、携帯やスマホ、要請されるマナー・・・・・・。鉄道と一体化した都市整備を含め、鉄道は紛れもなく「社会の縮図」でもある。
路面電車網が都市インフラとして定着していった1908年(明治41年)、永井荷風は騒がしい路面電車の風景を描いている。車体が揺れ、足を踏まれて職員が「あいたっ」と叫び、赤子は泣き出し、女性は肌をあらわにして授乳をする。いびきも聞こえるし、新聞を音読している声も聞かれる。電車が止まらないうちに、2、3人が飛び降りていくといった具合だ。次第に鉄道乗客が守るべき規範「交通道徳」ができていく。戦後は「科学と市民としてのエチケット」。そして「通勤地獄」が生まれ「エチケットで謳われる『美しさ』や『麗しさ』は望むべくもない」、都市問題としての通勤ラッシュだ。確かに「通勤地獄」「スト権奪還スト、順法闘争」の時代は今から考えれば荒々しい"闘争"の時代だ。新聞を読む空間は少なかったが、それでも車内で本や新聞を畳んで読んだ時代だった。
そして、「20世紀後半の車内規範」――。「エチケットからマナーへ」「国鉄民営化と『サービス』としてのマナーキャンペーン」「1990年代以降、盛んに論じられた『化粧問題』」「シルバーシートの若者たち、居眠りを続ける若い女」「キス、飲食、床にしゃがむ、携帯電話が電車マナーの重要項目」――鉄道の規範を守るべきと言うより、「電車での振る舞いにはどうもいろいろな意見があるし、様々なことに気をつけないといけないようだ」という意識の変化がある。
「現在の車内規範――新しいモノの登場と再構築されるマナー」――。社会問題化する痴漢。それは女性の社会進出と車内空間のジェンダー秩序の再編の中に現れる(「痴漢は犯罪です」とのポスター)。2000年から2003年の迷惑行為ランキングの1位は「携帯電話の使用」。当時は話す人がいたわけだ。それが「女性専用車両、防犯カメラ、痴漢防止アプリ」「ホームドア」へと変わっていく。コロナも大きな影響を与えた。
そして今、「守るべきマナー」や「あるべき社会」を声高に言うのではなく、「自分は効率よく過ごしたいし、こうすると快適になる」「怒ったり、叱ったりして居丈高に言うのではなく、ユーモアやアイロニーでもって笑いあいながら規範を共有できるようになっているとすれば、そのこと自体、マナーがかなり成熟していることの表現だろう」と指摘する。そして「現代日本の『穏やかな電車』は、遠慮がちで、控えめの消極的なコミニケーションによって支えられているが、その細やかさは、しなやかに私たちを縛る『網の目状の糸』となっている。その繊細な糸は切れやすく、切れてしまえば、『穏やかな電車』は苛立たしい容貌になる」とし、現在が不機嫌さと隣り合わせの穏やかさであるを示している。概ね穏やかだが、ひとたび踏み外すとご機嫌斜めの面持ちになる日本の電車――それは高度なマナーという気遣いのネットワークから形成されているわけだ。
車内を見ると、みんな静かにスマホを見ている奇妙な風景が広がる奇妙な社会が眼前にある。
自分の人生を決定づける言葉がある。苦難に直面した時、重要な決断の時、惰性に流れてしまっている時、絶望の淵に立っている時、師匠や先達の一言があったればこそ、今の自分がある。文藝春秋誌上に、かつて掲載された「わたしの師匠」や「肉親と先達が遺した言葉」など、よりすぐりを取り上げた本。語られる人も凄いが、それを語っている人も素晴らしい。
「松下幸之助(語るのは野田佳彦)」「丸山眞男(三谷太一郎)」「石原裕次郎(峰竜太)」「井上ひさし(野田秀樹)」「田部井淳子(市毛良枝――エベレストも登りたくて登っただけよ。自分がやりたいと思うことは、やろうとさえすれば何でもできる)」「後藤田正晴(的場順三)」「やなせたかし(梯久美子――逆転しない正義というものがこの世に存在するのか。たどり着いたのが『飢えた子供にひときれのパンを与えること。少なくともそれはひっくり返ることのない正義であるはずだ。自分の顔を食べさせる。ヒーローアンパンマン』――正義には自己犠牲が伴う)」・・・・・・。
「吉本隆明(糸井重里)」「蜷川幸雄(鈴木杏――できない悔しさや認められたいという気持ちに向き合っていなければ、上手くはならない。自分の感情から逃げるな)」「司馬遼太郎(村木嵐ーームラ気乱子さん)」「小山内美江子(名取裕子――年を重ねているのにいい仕事、いい役に恵まれているみたい。そのまま、ふわりと演じているからかな)」「黒田清(大谷昭宏――権力との向き合い方)」「大平正芳(古賀誠――君はヒンクを経験しているじゃないか)」・・・・・・。直接お会いした方もいる。改めて思い出す。
「水木しげる――『妖怪』と『家族』を愛した漫画家の幸せな晩年(武良布枝=夫人、長女、次女)」「美空ひばり(加藤和也――おふくろの素顔、不死鳥コンサートの舞台裏)」「石原慎太郎(石原延啓――父は最期まで『我』を貫いた。創造的な世界にひとつのやり方を投げかけることはできたよな)」「阿川弘之(倉本聡――「瞬間湯沸器」と云われるほど短気直情の方である一方、ユーモア好きの男っぽい紳士)」「立花隆(佐藤優――私とは波長が合わなかった『形而上学論』)」「半藤一利(保阪正康――徹底したリアリズムの手法で昭和史に新たな光を当てた。卓越していた証言の真贋を見極める眼。経験上、証言者には「1 ・ 1 ・ 8の法則」がある)」「中村哲(澤地久枝――後世への最大遺物。用水路は残る)」・・・・・・。
凄い人たちがいる。
江戸中期、徳島蜂須賀藩25万7000石は特産の藍を持ちながら30万両もの巨額の借財を抱えていた。しかも藍の流通は大阪商人に握られ、藍玉の生産農家は苦しい生活を強いられて藍師株を手放す藍作人も出ていた。
徳島藩蜂須賀家の物頭・柏木忠兵衛は新藩主候補である秋田藩主の弟・佐竹岩五郎との面会のため、江戸に向かった。岩五郎は第10代藩主・蜂須賀重喜となるが、「政には興味なし」と言い放ち、儒学や囲碁、茶道、戯画などを専らとした。家老たちの専横が続くなか、柏木忠兵衛、樋口内蔵助、林藤九郎、寺沢式部ら中堅家臣団は藩主による藩政改革を目指していた。そして、ついに重喜は立ち上がるが、その改革案はあまりにも斬新なものだった。そして旧態依然の家老たちを次々に追い落としていく。
重喜の急進的改革と忠兵衛、内蔵助らの漸進的改革、抵抗する家老たち、藍をめぐる大阪商人の策謀・・・・・・実に激しい智謀渦巻く戦いは極めて面白く、現代にも通ずるものがある。重喜の苛烈な藩政改革、抜きんでた知識と弁舌、厳しい倹約令と公共投資、牢固とした岩盤のごとき身分制度の破壊への意思は凄まじい。戸惑いながらも支えようとする忠兵衛ら中堅4人の結束と友情も現実感がある。
「秘色に染めた品をともと共有すれば互いの願いが叶う」――阿波の特別な言い伝えだと言う。「私は藩政改革をやる。私は誓った。次はお前だ。何があっても私を裏切るな。改革は茨の道だ。親子兄弟で憎み合い、時に殺し合う。だが、お前だけは俺の味方でいろ。どんなことがあってもだ。仲間や旧友を敵に回すことがあっても、決して私を裏切るな」・・・・・・。
「新法も同じです。速い変革は、蠅にとっての速い動きと同じです。蠅が刀に見立てた箸をよけたように、家臣たちも抗い、何とか逃れようとします・・・・・・一気呵成にゆっくりとやるのです。それが藩政改革の成功の秘訣です」・・・・・・。「新法は納豆を食するが如し。拙速よりも巧遅が尊ばれることがあるとはな」・・・・・・。
「忠兵衛、お主は、改革の肝は何だと思う。・・・・・・改革で大切なのは、人の心よ。どんな正しい法度であっても、人の心がついて来なければ意味がない。・・・・・・樋口や忠兵衛たちも、そんなことにさえ思い至らなかった。それは、家臣たちの心が旧態のままだったからだ」・・・・・・。
「内蔵助や式部は、徳島藩に忠義を尽くし、藤九郎は蜂須賀重喜に忠義を尽くす。・・・・・・忠兵衛はひとり取り残される。頭を抱えた。俺は、何に殉じるべきなのか。重喜を裏切らないと秘色に誓った。しかし、その結果、徳島藩がふたつに割れ、改易されてもいいのか」・・・・・・。
藩政改革に挑んだ藩主と若き中堅武士たちの戦いを鮮やかに描く熱量こもった力作。