hyouryuusuru.jpg「どこで、なにを、間違え、迷走したのか?」が副題。日本経済の長期にわたる低迷を、政府の経済政策から論ずることが多いが、日本企業の経営そのものに大きな原因があるとする。それはアメリカ流の株主資本主義に惑わされて、株主への過剰配当に偏し、投資を抑制、従業員を大事にする経営を怠ったからだ。日本企業の50年を明快に経営分析してくれる。そして、つくづく「もったいない」と言う。

「日本企業の経営がおかしい」――。1990年代まで、圧倒的に設備投資の方が株主への配当支払いよりも多かった日本の大企業だが、2000年代に入り、配当がうなぎ上りで増え、2021年には史上初めて設備投資が配当より少なくなってしまった。財務省の2022年度の法人企業統計によれば、配当が24.6兆円、設備投資が22.0兆円だ。2001年には、アメリカ型コーポレートガバナンスへの進軍ラッパが吹かれ、「設備投資、海外展開投資、人材投資等を抑制しつつ、配当を増やし続ける経営、従業員への分配(つまり賃金)を抑制したまま、株主を優遇する経営が進んできた」「3つの投資の過剰抑制が起きてしまい、企業は自分の首を自分で締めるという間違いを犯してきた」と指摘する。

また「積み上がる自己資本と手元流動性」の状況がある。「設備投資を抑制し人件費も抑制してきた日本企業は、利益率を改善する一方で、財務体質の改善に2001年前後からかなり熱心であり続けている。つまり自己資本(内部留保中心に)を積み上げてきた。日本の中小企業は1999年頃から自己資本比率を高める経営に一気に変わった。1998年の金融危機後、いざという時のメインバンクによる支援が期待できなくなったため、企業側の防衛策としての自己資本の充実と自己資金の準備に注力、利益が増えても設備投資は積極的に行わないというリスク回避姿勢の強い経営に変わってしまった」と「失われた30年」の日本企業全体の姿を解説している。バブル崩壊や金融危機の心理的な傷は、日本企業の漂流をもたらしたことになる。日本におけるバブル崩壊、そしてソ連邦の崩壊は「アメリカ型資本主義の勝利」となり、「アメリカ流に従うことが正しい道ではないかという方向感覚を無自覚のうちに多くの日本人に植え付けた」と言う。

「投資の過剰抑制という大きな間違い」――。ケインズの「投資をするかどうかを最後に決めるのは、アニマルスピリッツだ」を紹介し、「まさにこの30年間の日本企業の歴史は、アニマルスピッツが湧き上がるような楽観がなくなり、新しいことを興すという動きが衰えた歴史だったのではないか」と言う。それは政治も同じだろう。このリスク回避の姿勢は、人材にも響く。「人材育成のための投資は、単に研修とかリスキリングだけではない。実は、設備投資を勢いよくやる、海外へ思い切って展開する、そうした投資の実行現場でヒトが育つのである」と言っている。納得する。伊丹さんは1987年に「人本主義企業」という本を出し、日本企業の成長の背後には「ヒトのネットワークを大切にして、そこに成長の源泉を求める」という原理を示したが、「しかし2010年代の日本企業では、人本主義は死んだ、と結論しなければならないだろうか」と、日本企業の経営の間違いを示す。そして「設備投資を抑制してまで、さらには労働分配率をかなり抑制してまで、配当を増やし続ける必要があるのか、日本の中小企業は決してそうではないのに」と言い、「そうなってしまった基本的な理由は、官主導のコーポレートガバナンス改革(2015年には、コーポレートガバナンス・コードの発表義務の制度化)の流れとそれを利用した株式市場でのアクティビストの動きだろう」と言う。銀行があてにならなくなり、株式市場が資金調達の場として機能せず、配当のみならず自社株買いという形で株主への資金返還の場となっていると指摘する。

「投資抑制と配当重視が生み出す負のサイクル」――。その投資抑制の犠牲者が、日本の半導体産業であり、リーマンショック後の電機敗戦の伏線となったと言う。日本は「従業員主権第一、株主主権第ニ」の経営をずっと行ってきたが、特にリーマンショック以降に「株主第一、従業員第二」に変わってしまった。従業員主権から漂流してしまったのだ。本書では、「従業員主権」経営で成長するキーエンスを紹介している。確かに凄い。「人本主義経営」の良質な実践例だ。そこで貫かれる経営は「従業員主権経営は、株主を無視する経営ではない。従業員中心の経営をすることで経営成果が上がり、それによって株主が株価の上昇で潤うという経営」なのである。配当が少なくても、株主はキャピタルゲインを得ることができる、かつての日本企業の姿である。

「歌を忘れたカナリヤ」――「日本企業が忘れた歌は、経営の原理としての従業員主権と投資の大きさの確保(と投資によるヒトの論理の駆動)」であり、心理萎縮と原理漂流の負のサイクルからの脱出の方途を示す。日本には「ひと配慮・ひと手間」という社会の質の高さがあり、ポテンシャルはある。「ガンバレ、日本企業」と声援を送っている。


hatibyou.jpg清々しい青春小説ど真ん中。「何か意味がなくても好きなことに打ち込むということが、どうしても書きたかった」と著者が言っているが、その通りストレートに伝わってくる。

あの輝かしい春高バレー。その県予選の直前、明鹿高校バレー部2年生の宮下景は、高校のフェンスを乗り越えようとしていた女性を目撃、驚いて自転車が転び右足を痛める。女性は同級生の真島綾だった。それを隠したまま翌日の練習試合に臨んだ景は最終セットで足首靭帯を損傷、試合に出れなくなる。準々決勝で強豪の稲村東高校に惨敗する。景に代わって出場したのは、中学からのチームメイトで、退部を決意していた北村走一だった。

クラスメイトの話によると、真島綾は美術部に所属し、有名漫画雑誌「月刊ブレイブ」で、史上最年少の新人賞を受賞した女性だという。

春高バレー予選が終わり3年生は退部、バレー部は新体制となる。松葉杖も取れ動けるようになるが、なかなか調子は戻らない。新主将の塩野透、副将の尾久遊晴、チーム仲間の伏見梅太郎、辻谷恭平(マリオ)らの思いも交錯する。辞めるつもりであった北村も、景に代わって出るようになり、意欲を取り戻す。一方、真島綾はその後の作品が作れず、悩み続けていた。

「少しは自分に責任があるんじゃないか、って感じなかったかよ?」「俺たちが稲村東にぼこぼこにされてるとき。負けたとき。三年生が、遊晴が、俺が泣いてたとき、お前はどんな気分で見てたんだよ」と梅太郎・・・・・・。「私、罪を滅ぼしたいって思ってる」と真島綾・・・・・・。

そして八秒の意味。「笛が鳴ってから八秒以内にサーブを打たないといけないってルール」とだけ思っていたが・・・・・・。冬の合宿で、春高バレー直前の稲村東と練習試合をすることになって・・・・・・。

あぁ、青春時代。何かに打ち込み、悩み、淡い恋。現役医大生が描く真っすぐの青春小説。


sengonihonshi.jpg「占領期から『ネオ55年体制』まで」が副題。憲法をめぐる対立に着目して戦後政治80年をたどり、日本政治の現在地を見極める。そこに見えてくるのは「ネオ55年体制」だと言う。昨年5月発刊の本。

「戦後70年談話」の際、「現在の日本の国の形は占領期に作られた」と安倍総理と話したことがある。憲法も自衛隊も税制も、そして沖縄も。本書では、「占領期7年間の『革命』」「非軍事化・民主化改革を日本に施した」として、特に「新憲法制定と農地改革の意義は格別に大きい」としている。そして「小作農の割合は全体の26%から6%へと激減。この『革命』は、農村での左翼政党の浸透を抑え、後の保守党による一党優位体制の確立に大いに寄与することになる」と述べている。「全面講和と片面講和」「改憲・自主防衛派と護憲・非武装中立派と、どちらの立場も採らない政府(吉田首相)」はその後、ずっと日本政治の底流を形成した。

「社会党統一と保守合同」によって、自民党と社会党が対峙する「55年体制」の構図が確立する。その保革対立の頂点が60年安保だ。そして、その保革の対立・分断を「資本家階級と労働者階級の対立としてのみ理解するのは単純化しすぎ。自民党は集票面では、小規模自営商工業者や農民の旧中間層を基盤とし、50年代の社会党は、ブルーカラー労働者だけでなく、都市高学歴層あるいは比較的所得の高いホワイトカラー層(新中間層)から多くの票を得た。新旧中間層の政治的志向の違いは、階級利益というより、両集団の文化、あるいは価値観の違いに基づくもの。旧中間層の自民党支持は保守的、あるいは伝統主義的価値観による部分が大きい。新中間層は革命を求めたからでは無論なく、自民党の逆コース志向を嫌ったためと考えられる。都市高学歴層は、他の階層に比べ近代主義的価値観を強く持っており、自民党の伝統主義的イデオロギーに違和感を持っていたのである」と分析をしている。

本書では「6080年代の政治を『実質的意味の55年体制』と呼び、5593年の期間を指す『形式的意味の55年体制』」と区別している。6080年代は55年体制的な特徴がよく現れており、特徴は野党の多党化、根強くも形骸化した保革イデオロギー対立、利益政治の全面化だとする。90年代には、利益政治に伴う政治腐敗、野党の断片化を一因とする政権交代の欠如といった55年体制の弊害に社会の厳しい目が向けられるようになる。

本書は「戦後憲法体制の形成」「55年体制――高度成長期の政治」「55年体制――安定成長期の政治」「改革の時代(55年体制の崩壊、政界再編、非自民連立政権、政治改革関連法の成立、自民党改革派政権の誕生)」「『再イデオロギー化』する日本政治」「『ネオ55年体制』の完成」の6章を立てる。学生時代からある意味、政治に関わってきた私として、一つ一つ実感を持って頭を整理した。そして今の現在地――「第二次安倍政権発足後、多くの選挙と政党再編が行われてきたが、結果としては、一党優位化と与野党第一党のイデオロギー的分極化が進んだ形となった。つまり、政党間競争の構図という点では、日本政治は一周回って(改革の時代を挟んで)元の55年体制に似た形に回帰した。与野党第一党の立場を分かつ中心的争点が憲法問題――特に9条と、現実の防衛政策の整合性をめぐる問題――であることも変わっていない」と、巨大与党と中小野党(特に野党第一党)が憲法・防衛問題を主な争点として対峙している状況を指摘する。55年体制から「改革の時代」を経てたどり着いた政治システム、それを著者は「ネオ55年体制」と呼んでいる。何を変えなくてはならないか、根っこを見つめなければならない。私が今感じるのは、政治への熱量の桁はずれの少なさだ。


kyakkann.jpg「その考えは客観的なものですか」「エビデンスはあるのですか」「「数字で示してもらえますか」――現在の日本社会では「客観性=数字=良い」との考え方が蔓延している。客観性・数値への過度の信仰だ。著者は「客観=真理というのは錯覚だ」「量的研究も研究のセッティングで恣意的なのだから、どっちが正しいとは言えない」と言う。

面白い話が出てくる。私たちは子供の頃から点数に基づいて競争を強いられている。しかしフィンランドでは「良い学校ってありますか」と質問すると「家から一番近い学校」と言われたと言う。「点数の高い学校に受験生が殺到するのではないか」と言うと、「それは他人の点数だ。しかも平均点だ。英語と数学の平均点を出して、何が出てくるのか。自分が何を学びたいかが重要だろう」と、「『良い偏差値』は多数の人のデータからなる統計で、自分の成績とは関係がない」と言うのだ。しかし、私たちは常に数値で比較され、競争を強いられ、序列化されているのが現状だ。それが生きづらさを生み出し、「普通」の圧力となり、社会規範に従順になることが合理的という「従順な若者」を生み出している。数字に支配され、社会の役に立つことを強制される。

そこで大事なのは、全体ではなく「個別の経験」。数値に支配された世界は一人ひとりの個別性が消える社会であり、客観性と数値に価値が置かれ、個別の経験の生々しさが忘れられがちであるゆえに、「一人ひとりの語りと経験を尊重する思考法」が大切となる。

ヤングケアラーについても一人ひとり違う。客観的データは結構だが、「客観的な視点から得られた数値的なデータや一般的な概念は、個別の人生の具体的な厚みと複雑な経験を理解して初めて意味を持つ。数値的なデータの背景には、人生の厚みが隠されているのだ」「生々しさを救い取ること、生き生きとした、生々しさ、切迫した経験こそが、受け手を触発するのだ」と言う。「一人を大切に」「大衆とともに」の公明党の精神をさらに現場で具体的に行うことが大事だとつくづく思う。客観性に対しての「経験の生々しさ」だ。

100人いれば、100通りの考え方がある」ということはわかりながらも、「客観」「標準」「数値」「普通」が時には圧力となる。「私ががんになったという偶然は確率の問題に見えるかもしれません。しかし、重要なのは『あること』も『ないこと』もあり得た『にもかかわらず』、けれど、私はがんになってしまったということ。・・・・・・偶然として感じる事柄の実態。『にもかかわらず』私が『ある』こと、これが私たちの存在の不思議であり、九鬼が原始偶然と呼んだものだ」「統計学とは、世の中が偶然の出来事で満ちていることを認めた上で、『偶然を飼いならす』ための学問だ(科学哲学者のイアン・ハッキング)」「経験の生々しさは、偶然性やリズムといったダイナミズムに現れる」と言う。そして「客観性と数値化への過剰な信頼が、経験の生々しさを消してしまう」がゆえに、「経験の内側からの視点」が大事であると指摘する。いつの間にか統治する側の視点に立って語ってしまうのは、国家権力等の論理に思考を乗っ取られてしまっていることだ。我々は一人の市民なのだから、自らの生活の実感からあるいは近くにいる家族や友人の視点から、社会課題を考えることが大事なのではないか。それが「一人ひとりの個別の経験」の視点にこだわることの大事さだ。多くの社会科学は、客観性を重視するがゆえに、困難の当事者に外部からラベルを貼って説明するが、弱者や差別された人の当事者の経験を可能な限り尊重することが重要だと言う。そして「他者の言葉と経験を尊重すること、そして他者を尊重する態度を尊重すること、このことは根本的な倫理的態度となる。現象学的な態度は、根本において倫理へと導かれるのだ」と、現象学の倫理を語る。「フッサールとメルロ・ポンティからインスパイアされつつ、私たちのグループが自分たちでデータを取りながら自力で進めている生き生きとした現象学実践のことである」と、その実践を開示している。 


koyouka.jpg景気の悪化、生産が縮小し、倒産の危機が迫る時、「クビか賃下げか」「雇用か賃金か」を企業は迫られることになる。コロナ禍の現場を調査して、「雇用調整を迫られた現場で何が起きているのか」「現代日本の雇用調整の実態、長期雇用の内実」に迫る。コロナ禍に直撃された航空業界の国際比較と、長期的に労働需要が減少した百貨店の事例から、日本の雇用調整の内実を明らかにする。

「もし、コロナ危機が、福祉国家が成立する前に起きていたら、どうなっていただろうか」と問いかけており、ハッとする。確かに労働市場は瞬く間に失業者で溢れ、貧困と困窮に陥り、購買力は減退。総需要は縮小し、景気はさらに落ち込み、企業の倒産と失業の連鎖が起きていたかもしれない。これまで世界各国が、さまざまな経済・労働・ 雇用制度を築いてきたゆえに混乱をくぐり抜けてきたと言える。今後も予期せぬ事件が起きるであろうが、「労働は人間の基本」である以上、「安心して働き続けられる社会」に向け、雇用調整等のより強固なシステムと取り組みが求められる。本書はそのための貴重な調査研究となっている。

「消えた観光客」「一時休業の開始」「新卒採用の停止」「雇用を守るため、賃金を削る」「航空の仕事はチーム労働」「公共交通の責務」などANAの苦闘が描かれる。そして日米の違い――「雇用を維持し賃金を下げた日・独・英」「日本は人員調整のスピードが遅く、アメリカは速い(日本は賃金調整のスピードが速いとも言える)」「日本の賃金調整ではまず、賞与や残業時間を調整弁とする」「雇用調整助成金の果たす役割は大きい」「人員調整では、日本は一時休業、配置転換、出向(それでも充分でない時に希望退職)が主流、アメリカの雇用調整はブルーカラーでは一時解雇、ホワイトカラーでは希望退職が主流」である。アメリカは雇用関係を解消する雇用調整、日本は継続する雇用調整が中心となる。「コロナ禍で退職者数の規模は欧米は多かったが日本は少ない」「賃金調整には限界があり、日本ではそれを超えると、非正規社員、子会社や下請け企業、中小企業にしわ寄せされる」ことになる。調整弁だ。

コロナ禍ではなく、構造的不況業種の場合はどうか。「一時休業や賃金調整は、短期間かつ一時的な雇用調整には効果的だが、長期的で継続的な雇用調整には、適当な措置とは言い難い。構造変化、技術革新の場合は、需要は戻ってこない。その長期的雇用調整で活用されるのが出向や転籍だ」――。百貨店で、店舗閉鎖の場合が詳述される。出向の場合、ミスマッチも多いが、「百貨店から銀行へ」が、仕事の時間、接客の経験が生きるなどで、比較的好評だと言う。「意に沿わない配転や出向もあるが、40代、50代の中途採用の労働市場が厳しいのでそちらを選ぶ場合が多くなる」傾向にあると言う。

景気・経済やコロナ禍・大規模自然災害など、流動的要素の多いなか、企業経営をどうするか。「人手不足」時代の中での働き手の確保、そのなかでの「雇用か賃金か 日本の選択」の課題はあまりにも多い。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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